ベローチェのふちねこキャンペーンに気づいたのが始まってから3週間以上たった2月下旬。
前のキャンペーンでは集めに集め、12個もゲットしたのだけれど、今回は完全に出遅れ。おまけに写真で見るふちねこが前ほどかわいくない、ということで、あまり熱心にレシートを集めず、最初の1匹をもらったのが3月はじめ。
このとき手に入れたふちねこの写真を前にアップしましたが、これが一番欲しかったので、どうせ今からじゃ全5種類ゲットは無理だろうと思って、やはりベローチェに通わず。
というか、今年に入ってからベローチェの近くにあまり行くことがないのですね。
でもなんとなく気にはなって、ベローチェのサイトのふちねこ在庫状況をチェックしていたのですが、3月に入ってからどんどん在庫なしの店舗が増えています。
もう半分くらい在庫なし。
値段の高いシャノアールはまだ在庫ありますが、近くにないのだ、シャノアール。
で、ふちねこは下の5種類(ベローチェのサイトから)
右下が最初にゲットしたふちねこ。ブログには顔が見える写真を載せています。
これが一番欲しかったのだが、次に欲しかったのは左上のジャンプ。
どうしてもこれは欲しいな、と思い、すでにレシートは1枚あったので、まず近所の在庫のない店でサンドイッチをドリンクを買って2枚目のレシートゲット。それから夜の試写を見に日本橋の近くまで行きました。
この試写室には東京駅から行くのだけれど、八重洲地下街にアルプスというカレー屋さんがあって、ここのカレーが大好きなのです。
ココイチのカレーも大好きだけど、ココイチは値段が高い。が、アルプスは500円前後でけっこうしっかり食べられます。
しかも、午後3時から7時までは290円のカレーが。なので、この時間帯にここを通ると必ず食べてしまう。今回も夕食としてこのカレーを食べ、いざ試写へ。
試写の話はあとで書きますが、試写が終わったあと、日本橋のベローチェでふちねこゲットする予定でした。
が、昼間に在庫状況を確かめた2つの店舗が在庫なし。
片方は50個、もう片方は100個と今もサイトに出ているのに。
在庫がある店は入口にふちねこのバナーがあるのですが、ない店にはバナーはありません。それで中に入らなくてもわかる。
50個なら昼間のうちになくなった可能性もあるけど、100個でないなんて。
たぶん、在庫の報告をさぼってる店があるのだと思う。なぜなら、前日までたくさんあったのに突然在庫なしになる店があるから。
んなわけで日本橋はだめだったので、少し遠回りして某店へ。ここは初めて来た場所でしたが、ふちねこはありました。
触ってみると意外にどの種類かわかります。で、いくつか触ってようやくジャンプと思われるのがあったので、これをゲット。確かにジャンプでした。
この店は店員も客もふちねこにあまり興味なさそうで、そういう店だと残っているのかな。でも、店もその周辺もいい感じで、また来たいです。
これで欲しいの2つゲットできたから、あとはまあ、成り行きで。
それにしても、前回は開始から2か月くらいは余裕で在庫があったのに、なんで今回はなくなるのが早いのだろうと思ったら、今回はベローチェ30周年で3万個なのだけど、前回はシャノアール50周年だったから5万個だったのかもしれない。2万個の差だと考えれば納得。
というわけで、試写は「20センチュリー・ウーマン」を見ました。
アカデミー賞脚本賞ノミネート作で、1979年を舞台に55歳の母と15歳の息子、母子の家に間借りする女性と男性、そして息子の幼馴染でよく泊まりにくる少女の5人の人間模様。1979年を中心とした時代が非常によく描かれていて、リアルに知っていた者としてはいろいろ思うところがありました。
ただ、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」もそうなのだけど、最近、この種の人間関係をリアルに描いたものって、いい映画なのだけど、見ていてとても疲れます。
どちらも人間関係のきびしさやむずかしさを描いていて、ほのぼのとかそういうのとは無縁。
それに対し、日本映画は家族などの人間関係を笑いやほのぼのでくるんでいて、日本映画の方が見やすいです(昔は日本映画の人間関係はウェットで苦手だったのに)。
でも、現実はこうしたアメリカ映画が描く人間関係の方が本物で、だから、いい映画だけど疲れると感じてしまうのだろうな。
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2017年3月14日火曜日
2017年3月12日日曜日
「君の名は。」の「教訓」(&「マンチェスター・バイ・ザ・シー」)
東日本大震災から6年がたった3月11日、TBSで「3・11 7年目の真実」という番組が放送された。
うちはテレビないし、放送も昼間だったのでどれだけの人が見たかわからないが、この中で新海誠監督が「君の名は。」の原点が東日本大震災だったことを語っており、ファンが新海監督の部分をYouTubeにアップしてくれたので見ることができた(削除される可能性があるのでリンクは貼りませんが、テレビ局がサイトにアップするか、文字起こしを載せてほしい)。
新海監督は東日本大震災から4カ月後に宮城県名取市で舞台あいさつをし、そのとき、被災地を訪ねた。津波によりすべてが破壊された海辺で、鳥居が立つ小山を見て、その絵を描いた。美しく澄んだ青い空、小山の上に立ち上る大きな雲、そしてその下に広がる被災の現場。まさに「君の名は。」の飛騨の町の原風景だった。
新海監督は「君の名は。」には東日本大震災への思いがあることは多少は語っていたし、指摘する人々も多かったが、「シン・ゴジラ」と違って、それが大きく取り上げられることはなかったし、私もあの震災に結び付けすぎるのはよくないような気がしていた。実際、「君の名は。」はもっと普遍的な内容であると思っていた。
しかし、実際は、東日本大震災の被災地を見て、自分がもしも宮城県に住んでいたら津波にあったかもしれないと思い、そこから入れ替わりの物語を描こうと思ったのだという。
また、新海監督は、物語には必ず教訓がある、ということを強調していた。
「君の名は。」の教訓。
そういうものがあるとは思っていなかったので、驚いた。
そしてすぐに思い当たったことがあった。
東京の高校生、瀧は3年前に飛騨で起こった彗星の落下による惨事を覚えていなかった。三葉のことを調べに飛騨へ行き、そこで初めて知るというか、思い出すのだ。
憶えていないのは瀧だけではない。一緒に飛騨へ行く友人たちも忘れている。
「君の名は。」を見たとき、たった3年前のことを瀧たちが忘れているのを不思議に思ったが、そのあとすぐに、飛騨の田舎で起こった惨事のことを遠い東京の人たちはすぐに忘れてしまうのだ、ということに気づいた。
彗星による惨事を思い出した瀧は3年前に戻って三葉とともに住民を避難させようとし、成功する。
そして現在に戻ると、東京のビルの電光掲示板に彗星落下から何年というようなニュースが出る。
「君の名は。」の教訓。それは忘れないこと。思い出すこと。
でも、人は忘れてしまう。
「忘却とは忘れ去ることなり」って、昔の「君の名は」のキャッチフレーズ。
いやもう、ほんとに腑に落ちました。新海監督、すばらしいです。
日本アカデミー賞脚本賞は当然です(「シン・ゴジラ」もすばらしかったけど)。
「君の名は。」はまだ1度しか見ていないのに、このブログで書くのは4回目。一番最初は三葉が父を説得するシーンがない、いい映画で感動したけど大人の鑑賞には堪えない、などと書いたけれど、そのあとどんどん自分の中で評価が高まって、欠点がさほど重大な欠点ではないこと、欠点に見えたが実は理由があったことに気づいた。
私は「この世界の片隅に」よりも「君の名は。」の方を高く評価しているのだが、「君の名は。」の欠点がそれほど重大でないと思えるのに対し、「片隅」の欠点は私にはかなり重大な欠点に思えるのだ。また、日本の映画業界がまるで横並びのように「片隅」ばかりに賞を与えているのもなんだか解せない。「君の名は。」の大ヒットへの反動から「片隅」を持ち上げているようにさえ思う。「片隅」ももちろんいい映画であることは確かだし、技術的な安定感はこちらの方が上だと思うが、戦争の悲惨さにオブラートをかけているようなところが気になるのだ。
まあ、「片隅」もこんなに横並びで賞を取っていなければ、こういう不満にこだわることもなかっただろうと思うのだけど。
新海監督の言葉、もしも自分が宮城県に住んでいたら、もしも自分があなた(被災者)だったら、という言葉で、最近見た「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のことを書きたくなった。
ネタバレ禁止なのでむずかしいのだが、主人公は故郷を離れてボストンで便利屋をやっている男で、兄が死んだあと、遺言で甥の後見人に指名される。
主人公は甥とは父と息子のように仲がよいのだが、後見人になって故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに住むのはどうしてもいやなのである。なぜなら、彼が故郷を捨てたのは、自分の過失である悲劇を起こしてしまったからだ。
その悲劇から立ち直れない彼は、つまらないことで人を殴ってしまうといった精神的に不安定な状態。
一方、甥は故郷を離れたくない。再婚している母は精神的に不安定で、息子を受け入れる状態にない。
主人公が犯した過失は、実は誰でも犯す可能性のあることで、だから彼は罪に問われていない。ほんの些細な過失から大きな不幸が起こる、ということは誰にでも起こりうることだ。
それが自分に起こっていないとしたら、それは自分が運がいいだけのことなのである。
まさに新海監督の言う、「もしも自分があなただったら」なのだ。
だから、監督・脚本のケネス・ロナーガンは安易な結末をつけない。乗り越えられないものは乗り越えられないのだ。ただ、乗り越えることができなくても、それでも人生は続く。
ロナーガンはアカデミー賞脚本賞受賞。
新海監督もロナーガン監督も、オリジナルのストーリーが評価されたのだけど、この二人、意外と近いところにいるな、と思った(映画は全然違うタイプだけどね)。
うちはテレビないし、放送も昼間だったのでどれだけの人が見たかわからないが、この中で新海誠監督が「君の名は。」の原点が東日本大震災だったことを語っており、ファンが新海監督の部分をYouTubeにアップしてくれたので見ることができた(削除される可能性があるのでリンクは貼りませんが、テレビ局がサイトにアップするか、文字起こしを載せてほしい)。
新海監督は東日本大震災から4カ月後に宮城県名取市で舞台あいさつをし、そのとき、被災地を訪ねた。津波によりすべてが破壊された海辺で、鳥居が立つ小山を見て、その絵を描いた。美しく澄んだ青い空、小山の上に立ち上る大きな雲、そしてその下に広がる被災の現場。まさに「君の名は。」の飛騨の町の原風景だった。
新海監督は「君の名は。」には東日本大震災への思いがあることは多少は語っていたし、指摘する人々も多かったが、「シン・ゴジラ」と違って、それが大きく取り上げられることはなかったし、私もあの震災に結び付けすぎるのはよくないような気がしていた。実際、「君の名は。」はもっと普遍的な内容であると思っていた。
しかし、実際は、東日本大震災の被災地を見て、自分がもしも宮城県に住んでいたら津波にあったかもしれないと思い、そこから入れ替わりの物語を描こうと思ったのだという。
また、新海監督は、物語には必ず教訓がある、ということを強調していた。
「君の名は。」の教訓。
そういうものがあるとは思っていなかったので、驚いた。
そしてすぐに思い当たったことがあった。
東京の高校生、瀧は3年前に飛騨で起こった彗星の落下による惨事を覚えていなかった。三葉のことを調べに飛騨へ行き、そこで初めて知るというか、思い出すのだ。
憶えていないのは瀧だけではない。一緒に飛騨へ行く友人たちも忘れている。
「君の名は。」を見たとき、たった3年前のことを瀧たちが忘れているのを不思議に思ったが、そのあとすぐに、飛騨の田舎で起こった惨事のことを遠い東京の人たちはすぐに忘れてしまうのだ、ということに気づいた。
彗星による惨事を思い出した瀧は3年前に戻って三葉とともに住民を避難させようとし、成功する。
そして現在に戻ると、東京のビルの電光掲示板に彗星落下から何年というようなニュースが出る。
「君の名は。」の教訓。それは忘れないこと。思い出すこと。
でも、人は忘れてしまう。
「忘却とは忘れ去ることなり」って、昔の「君の名は」のキャッチフレーズ。
いやもう、ほんとに腑に落ちました。新海監督、すばらしいです。
日本アカデミー賞脚本賞は当然です(「シン・ゴジラ」もすばらしかったけど)。
「君の名は。」はまだ1度しか見ていないのに、このブログで書くのは4回目。一番最初は三葉が父を説得するシーンがない、いい映画で感動したけど大人の鑑賞には堪えない、などと書いたけれど、そのあとどんどん自分の中で評価が高まって、欠点がさほど重大な欠点ではないこと、欠点に見えたが実は理由があったことに気づいた。
私は「この世界の片隅に」よりも「君の名は。」の方を高く評価しているのだが、「君の名は。」の欠点がそれほど重大でないと思えるのに対し、「片隅」の欠点は私にはかなり重大な欠点に思えるのだ。また、日本の映画業界がまるで横並びのように「片隅」ばかりに賞を与えているのもなんだか解せない。「君の名は。」の大ヒットへの反動から「片隅」を持ち上げているようにさえ思う。「片隅」ももちろんいい映画であることは確かだし、技術的な安定感はこちらの方が上だと思うが、戦争の悲惨さにオブラートをかけているようなところが気になるのだ。
まあ、「片隅」もこんなに横並びで賞を取っていなければ、こういう不満にこだわることもなかっただろうと思うのだけど。
新海監督の言葉、もしも自分が宮城県に住んでいたら、もしも自分があなた(被災者)だったら、という言葉で、最近見た「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のことを書きたくなった。
ネタバレ禁止なのでむずかしいのだが、主人公は故郷を離れてボストンで便利屋をやっている男で、兄が死んだあと、遺言で甥の後見人に指名される。
主人公は甥とは父と息子のように仲がよいのだが、後見人になって故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに住むのはどうしてもいやなのである。なぜなら、彼が故郷を捨てたのは、自分の過失である悲劇を起こしてしまったからだ。
その悲劇から立ち直れない彼は、つまらないことで人を殴ってしまうといった精神的に不安定な状態。
一方、甥は故郷を離れたくない。再婚している母は精神的に不安定で、息子を受け入れる状態にない。
主人公が犯した過失は、実は誰でも犯す可能性のあることで、だから彼は罪に問われていない。ほんの些細な過失から大きな不幸が起こる、ということは誰にでも起こりうることだ。
それが自分に起こっていないとしたら、それは自分が運がいいだけのことなのである。
まさに新海監督の言う、「もしも自分があなただったら」なのだ。
だから、監督・脚本のケネス・ロナーガンは安易な結末をつけない。乗り越えられないものは乗り越えられないのだ。ただ、乗り越えることができなくても、それでも人生は続く。
ロナーガンはアカデミー賞脚本賞受賞。
新海監督もロナーガン監督も、オリジナルのストーリーが評価されたのだけど、この二人、意外と近いところにいるな、と思った(映画は全然違うタイプだけどね)。
2017年3月11日土曜日
大根
うちの近所はまだ農家がぽつぽつとあるせいか、駐車場の入口などで野菜の産地直売をやっている。たまたま近くを通りかかったら、面白い形の大根があったので眺めていたら、「それ、50円ですよ」と言われた。
ヒビが入っていたりしたけれど、普通に食べられるというので、買った。
産地直売だけあって、土がついていたので、とりあえず洗って写真を撮りました。
こちら側はきれいですが、
反対側はこのとおり、ヒビが入っている。
とりあえず大根おろしにでもしてみようかな、と思ったが、おろし器をまだ持っているのか、捨ててしまったのかわからなかったので、100均で買ってきた。
でも、もう夜遅いから大根おろしは明日にしよう。
さて、今週は試写で「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と「パトリオット・デイ」、シネコンで「ラビング 愛という名前のふたり」と「モアナと伝説の海」を見た。
いずれもよい映画だったけれど、「マンチェスター~」はネタバレ禁止。「パトリオット・デイ」と「ラビング」は実話の映画化。そして「モアナ」はわりと単純な、よくある話なのだけど、ディテールがいろいろ凝っている。「マンチェスター~」はスローペースで、もう少し縮めてもいい気がする。ただ、過去の悲劇を乗り越える、というタイプの映画が多い中にあって、乗り越えられないものは乗り越えられないというあたりがリアルでよかった。逆に実話の2作は悲劇や逆境を乗り越えるタイプ。「ラビング」は主役の2人の演技がいい。
ヒビが入っていたりしたけれど、普通に食べられるというので、買った。
産地直売だけあって、土がついていたので、とりあえず洗って写真を撮りました。
こちら側はきれいですが、
反対側はこのとおり、ヒビが入っている。
とりあえず大根おろしにでもしてみようかな、と思ったが、おろし器をまだ持っているのか、捨ててしまったのかわからなかったので、100均で買ってきた。
でも、もう夜遅いから大根おろしは明日にしよう。
さて、今週は試写で「マンチェスター・バイ・ザ・シー」と「パトリオット・デイ」、シネコンで「ラビング 愛という名前のふたり」と「モアナと伝説の海」を見た。
いずれもよい映画だったけれど、「マンチェスター~」はネタバレ禁止。「パトリオット・デイ」と「ラビング」は実話の映画化。そして「モアナ」はわりと単純な、よくある話なのだけど、ディテールがいろいろ凝っている。「マンチェスター~」はスローペースで、もう少し縮めてもいい気がする。ただ、過去の悲劇を乗り越える、というタイプの映画が多い中にあって、乗り越えられないものは乗り越えられないというあたりがリアルでよかった。逆に実話の2作は悲劇や逆境を乗り越えるタイプ。「ラビング」は主役の2人の演技がいい。
2017年3月5日日曜日
ふちねこ第2弾は完全に出遅れ
一昨年のシャノアールのふちねこキャンペーンのときは開始から必死でレシートを集めて10個以上ゲット。当然、全種類そろいました。
が、今回は第2弾のキャンペーンが2月1日から始まっていたのに、気づいたのが2月下旬。
気がつくともう在庫なしの店もあり、今回は全種類ゲットは無理。完全に出遅れました。
しかも、前回は透明の袋の入っていて、箱をのぞいて好きなのをゲットできたのだが、今回は黒いビニール袋に入っていて中が見えない。
で、遅ればせながらレシート3枚(ドリンク3杯分)をゲットしたので、前回多くのふちねこをいただいた某店で最初の1匹をもらうことにしました。
このとき初めて黒い袋に入っているので中身が見えないことがわかったのですが、それでは触ってみて、と思って最初につかんだのが、どうも私が一番ほしいもののように思ったので、それをもらいました。
開けてみたら、やはり一番ほしい猫だった。
「のぞきこみ」というやつです。
PCの前に置いてみました。
なんか「ルドルフとイッパイアッテナ」のルドルフに似てるな。
あまりきれいに撮れてないのですが、舌を出しています。
舌出しのふちねこはこれが初めて。
公式サイトやチラシでは「のぞきこみ」は前かがみになっているので、顔が見えません。
この顔を見たかった、というのもこれが一番ほしかった理由です。
で、開けてみたら、かわいくピンクの舌を出す猫。かわいい。
最初に触ったのがこれって、運がよかったのか、運命だったのか。
今回のふちねこは前回に比べ、写真を見るとかわいくない、と思っていたけど、お店に飾ってあるのを見たらやっぱりかわいい。でも、今回は黒い袋入りで中見えないし、すでに在庫がだいぶ減っているようだし、5匹そろえるのはあきらめて、あと2匹くらい、ほしいのが手に入ったらいいな、と思っています。4匹そろったところでエンド、ではかえって悲しいので。
今回は前回より数が少ないのか、あるいは集める人が多いのか、在庫の減り方が前回より早い気がします。前回はふちねこほしくない人はレシートを捨てていたけれど、今回はレシート3枚で対象商品が50円引きのクーポンを選ぶことができます。また、ふちねこ提示でも対象商品が30円引き(しかも前回のふちねこも使える)なのだけど、この対象商品が少なすぎなので、あまり利用価値ないなあ、と。
が、今回は第2弾のキャンペーンが2月1日から始まっていたのに、気づいたのが2月下旬。
気がつくともう在庫なしの店もあり、今回は全種類ゲットは無理。完全に出遅れました。
しかも、前回は透明の袋の入っていて、箱をのぞいて好きなのをゲットできたのだが、今回は黒いビニール袋に入っていて中が見えない。
で、遅ればせながらレシート3枚(ドリンク3杯分)をゲットしたので、前回多くのふちねこをいただいた某店で最初の1匹をもらうことにしました。
このとき初めて黒い袋に入っているので中身が見えないことがわかったのですが、それでは触ってみて、と思って最初につかんだのが、どうも私が一番ほしいもののように思ったので、それをもらいました。
開けてみたら、やはり一番ほしい猫だった。
「のぞきこみ」というやつです。
PCの前に置いてみました。
なんか「ルドルフとイッパイアッテナ」のルドルフに似てるな。
あまりきれいに撮れてないのですが、舌を出しています。
舌出しのふちねこはこれが初めて。
公式サイトやチラシでは「のぞきこみ」は前かがみになっているので、顔が見えません。
この顔を見たかった、というのもこれが一番ほしかった理由です。
で、開けてみたら、かわいくピンクの舌を出す猫。かわいい。
最初に触ったのがこれって、運がよかったのか、運命だったのか。
今回のふちねこは前回に比べ、写真を見るとかわいくない、と思っていたけど、お店に飾ってあるのを見たらやっぱりかわいい。でも、今回は黒い袋入りで中見えないし、すでに在庫がだいぶ減っているようだし、5匹そろえるのはあきらめて、あと2匹くらい、ほしいのが手に入ったらいいな、と思っています。4匹そろったところでエンド、ではかえって悲しいので。
今回は前回より数が少ないのか、あるいは集める人が多いのか、在庫の減り方が前回より早い気がします。前回はふちねこほしくない人はレシートを捨てていたけれど、今回はレシート3枚で対象商品が50円引きのクーポンを選ぶことができます。また、ふちねこ提示でも対象商品が30円引き(しかも前回のふちねこも使える)なのだけど、この対象商品が少なすぎなので、あまり利用価値ないなあ、と。
2017年3月3日金曜日
「お嬢さん」(ネタバレあり)
サラ・ウォーターズの小説「荊の城」を映画化した韓国映画「お嬢さん」を見にTOHOシネマズ市川コルトンプラザへ。
ここは初めて行くシネコンですが、最寄駅は総武線本八幡。
実は高校大学時代、駅前の八幡スカラ座によく行っていたのです。
大学4年のときに転居し、以後は行っていないので、ほぼ40年ぶりの本八幡。とはいっても、当時は京成八幡から歩いていたので、本八幡駅に40年ぶりに降り立ったわけではないのですが。
八幡スカラ座はもう閉館していて、建物はまだ残っていましたが、パチンコ屋とレストランが入っているくらいな感じ。あそこの映画館は1階と2階があって、天井が高かったので、あそこを再利用はむずかしいだろうな。中どうなってるのか入ってみたかった。
市川コルトンプラザの方は駅から徒歩10分。無料シャトルバスもありますが、総武線の高架線の下を歩いて行きました。正直、地元の人じゃないとわかりづらい感じだし、細い道だから暗くなったら怖いなと思って、映画が終わってまだ明るいうちに駅まで戻りました。シネコンの入っているビル自体も狭くてあまり見るところなさそうだったので(ニトリがあったけど)。
さて、「お嬢さん」ですが、一応原作はだいぶ前に読んでいたので、展開に驚くとかそういうことはなかったですが、一番大きなどんでん返しがなくなっていたのと、日本統治下の朝鮮半島を舞台にして、日本の春画や春本を使った女性へのセクハラというか性的虐待が重要な要素になっているのが興味深かったです。北斎の有名な春画がある事件の種明かしになっていたり。
日本統治下の朝鮮半島が舞台ということで、日本人が悪役なのかな、日本の支配が描かれているのかな、と思ったら、これはちょっと違いました。
悪役はむしろ、日本人女性と結婚して地位と財産を得たい朝鮮人男性2人。
このうちの1人の性的虐待を受けるのが日本人女性2人。
そこに貧しい朝鮮人女性がからんでくる。
もちろん、日本人になりたがる朝鮮人男性たちの背後に日本の支配があることは確かなのですが、そこまでは言及していない映画のように思えます。
政治色とかそういうのは抜きにして、耽美的で面白い映画に仕上げた、という感じ。
原作を読んだ人は、あるいは原作者サラ・ウォーターズを知っている人はご存じのとおり、これは百合ものです。
日本人と結婚して日本人になった朝鮮人の叔父のもとで暮らす日本人のお嬢さんと、そこに雇われた貧しい朝鮮人の侍女が同性愛の関係になる。
第一部、第二部、第三部と、映画は三部構成で、第一部はなつかしのコリアン・エロスのような雰囲気。といってもコリアン・エロスって何?な人もいると思いますが、1990年代頃、韓国は性描写を厳しく規制していて、セックスシーンは肝心なところは見せない、隠すのが当然でした。が、その隠した婉曲な表現がかえってエロティックで魅力的だと、主にレンタルビデオ店でコリアン・エロスとして人気を得たのです。韓流ブームよりも前の話です。
それが第二部になると、「アデル ブルーは熱い色」を彷彿とさせる大胆な性描写に。
エグイというかグロイシーンもあるので、「アデル」のようには受け入れられないかもしれないけど、なかなか見応えのあるエロスですよ。
お嬢さんの叔父は日本の春画や春本を集めていて、それを最初は妻に朗読させ、妻が死ぬと姪に朗読させます。それを男たちが聞いてエロスにひたるという会合を開いていて、明らかに女性に対する性的虐待なわけです。それを知った朝鮮人侍女の怒りがすさまじい。
原作と違って、パク・チャヌク監督は女性2人の男たちへの復讐を最後に持ってきています。映画の方がフェミニズム的。
性的虐待の被害者が2人の日本人女性で、加害者が日本人になろうとする朝鮮人男性、という構図なのですが、日本人であるお嬢さんは日本語の春本を朗読させられたために日本語が嫌いになっているという設定もあり、また、朗読会に集まる男性たちがおそらく日本人であることなど、いろいろと深読みできそうな設定なのですが、その辺、ほかの人はどう考えるのか知りたいところ。今日が初日なので、これからさまざまな意見が出てくるのかもしれません(期待)。
なお、キネ旬の監督インタビューを読むと、監督は日本映画や日本文化に造詣が深く、かなり好きなようです。
ここは初めて行くシネコンですが、最寄駅は総武線本八幡。
実は高校大学時代、駅前の八幡スカラ座によく行っていたのです。
大学4年のときに転居し、以後は行っていないので、ほぼ40年ぶりの本八幡。とはいっても、当時は京成八幡から歩いていたので、本八幡駅に40年ぶりに降り立ったわけではないのですが。
八幡スカラ座はもう閉館していて、建物はまだ残っていましたが、パチンコ屋とレストランが入っているくらいな感じ。あそこの映画館は1階と2階があって、天井が高かったので、あそこを再利用はむずかしいだろうな。中どうなってるのか入ってみたかった。
市川コルトンプラザの方は駅から徒歩10分。無料シャトルバスもありますが、総武線の高架線の下を歩いて行きました。正直、地元の人じゃないとわかりづらい感じだし、細い道だから暗くなったら怖いなと思って、映画が終わってまだ明るいうちに駅まで戻りました。シネコンの入っているビル自体も狭くてあまり見るところなさそうだったので(ニトリがあったけど)。
さて、「お嬢さん」ですが、一応原作はだいぶ前に読んでいたので、展開に驚くとかそういうことはなかったですが、一番大きなどんでん返しがなくなっていたのと、日本統治下の朝鮮半島を舞台にして、日本の春画や春本を使った女性へのセクハラというか性的虐待が重要な要素になっているのが興味深かったです。北斎の有名な春画がある事件の種明かしになっていたり。
日本統治下の朝鮮半島が舞台ということで、日本人が悪役なのかな、日本の支配が描かれているのかな、と思ったら、これはちょっと違いました。
悪役はむしろ、日本人女性と結婚して地位と財産を得たい朝鮮人男性2人。
このうちの1人の性的虐待を受けるのが日本人女性2人。
そこに貧しい朝鮮人女性がからんでくる。
もちろん、日本人になりたがる朝鮮人男性たちの背後に日本の支配があることは確かなのですが、そこまでは言及していない映画のように思えます。
政治色とかそういうのは抜きにして、耽美的で面白い映画に仕上げた、という感じ。
原作を読んだ人は、あるいは原作者サラ・ウォーターズを知っている人はご存じのとおり、これは百合ものです。
日本人と結婚して日本人になった朝鮮人の叔父のもとで暮らす日本人のお嬢さんと、そこに雇われた貧しい朝鮮人の侍女が同性愛の関係になる。
第一部、第二部、第三部と、映画は三部構成で、第一部はなつかしのコリアン・エロスのような雰囲気。といってもコリアン・エロスって何?な人もいると思いますが、1990年代頃、韓国は性描写を厳しく規制していて、セックスシーンは肝心なところは見せない、隠すのが当然でした。が、その隠した婉曲な表現がかえってエロティックで魅力的だと、主にレンタルビデオ店でコリアン・エロスとして人気を得たのです。韓流ブームよりも前の話です。
それが第二部になると、「アデル ブルーは熱い色」を彷彿とさせる大胆な性描写に。
エグイというかグロイシーンもあるので、「アデル」のようには受け入れられないかもしれないけど、なかなか見応えのあるエロスですよ。
お嬢さんの叔父は日本の春画や春本を集めていて、それを最初は妻に朗読させ、妻が死ぬと姪に朗読させます。それを男たちが聞いてエロスにひたるという会合を開いていて、明らかに女性に対する性的虐待なわけです。それを知った朝鮮人侍女の怒りがすさまじい。
原作と違って、パク・チャヌク監督は女性2人の男たちへの復讐を最後に持ってきています。映画の方がフェミニズム的。
性的虐待の被害者が2人の日本人女性で、加害者が日本人になろうとする朝鮮人男性、という構図なのですが、日本人であるお嬢さんは日本語の春本を朗読させられたために日本語が嫌いになっているという設定もあり、また、朗読会に集まる男性たちがおそらく日本人であることなど、いろいろと深読みできそうな設定なのですが、その辺、ほかの人はどう考えるのか知りたいところ。今日が初日なので、これからさまざまな意見が出てくるのかもしれません(期待)。
なお、キネ旬の監督インタビューを読むと、監督は日本映画や日本文化に造詣が深く、かなり好きなようです。
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