2012年8月31日金曜日

ザンギバーガー

今、スパカツバーガーと一緒に期間限定で食べられるザンギバーガー。
北海道では鶏の唐揚をザンギと呼ぶそうで、そこから生まれたザンギバーガー。
それはこれだ!
で、食べてきました。が、写真は撮りませんでした。スパカツバーガーと違い、モスのサイトの写真とほとんど同じです。
スパカツはもう、あれをスパカツと呼ぶか???というくらいの違いでしたが、検索したら、北海道のモスで食べた方のブログ記事があって、これもタルタルソースが多すぎだったそうな。でも、さすが北海道というか、うちの近所のモスよりはスパゲッティが多かったようです。
期間限定のバーガーは、材料がなくなったら終わりなので、スパカツの場合、スパゲッティがなくなったら終わりなので、それでスパゲッティをあまり載せずに作っているのではないか、と疑いたくなります。まあ、モスは同じ商品でも店によってだいぶ違うという、当たり外れのあるチェーン店なのですが。
で、ザンギバーガーですが、これは上の写真と同じでした。スパカツのような派手さはありませんが、なかなかおいしかったです。ソースが濃いので、鶏肉の味わいがあまり感じられないのが残念ではありましたが。
これも近所のモスだったのですが、実はこの近所のモス、スパカツかザンギのバーガーを買うとスクラッチカードをくれます。必ず当たるカードなのか、前回、スパカツのときはSドリンクが当たりました。そして今回のザンギのときは、なんと、A賞の次回の期間限定バーガーが当たった! こりゃ楽しみです!
というわけで、スパカツでがっかりのあとのザンギは、A賞当たりもあって大成功、というところです。北海道シリーズ、あと10日ほどなので、ぜひご賞味あれ。

さてさて、アイスホッケーのアジアリーグは早くも開幕まであと1週間あまり。しかも9月末には新横浜でクレンズ、ブレイズ、ハルラ、ハイワンの日韓集結が! 前売は土曜日からです。
しかし、新横浜かあ。遠い…。それに、土日のうち日曜の方は予定があって行くのは無理だ。
今季は試合数が多いので、見るチャンスは増えそうですが、東伏見開催が減ったのね。
あと、日韓集結、去年まではブレイズとバックス、クレインズとイーグルスだったのに、ブレイズとクレインズになったのは、ブレイズの大会運営のひどさにバックスがうんざりして一緒に開催するのやだとか言い出したんじゃあるまいな???
クレインズは人がいいからなあ、大丈夫かい、おい? とか思ってしまうんですけどね。
釧路の試合増えたみたいなので、釧路行きたいなあ。そして泉屋でスパカツを食べるのだ! ああ、行きたい、釧路、なのです(しかし、先立つものとスケジュールの問題が)。

2012年8月30日木曜日

最初の人間(映画)の覚書

中学時代、一番好きな作家はアルベール・カミュだった。
なんのきっかけで読むことになったのかはさだかではないが、おそらく、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「異邦人」が公開されて、たまたま家に世界文学全集のカミュがあったからだと思う。
私の両親は学歴がなく、また、戦争のせいで(東京大空襲とか)自分の持ち物が焼けてなくなってしまったりして、蔵書をほとんど持っていなかった。そんな中、父が持っていた数少ない蔵書が黄色い箱に入った新潮社の世界文学全集のうちの4冊で、それは「異邦人」「ペスト」「転落」「誤解」の入ったカミュ、「悲しみよこんにちわ」「ある微笑」「一年ののち」「ブラームスはお好き」の入ったフランソワーズ・サガン、そしてロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」上下巻だった。「異邦人」がきっかけでカミュの4作品をすべて読み、テレビでサガンの映画化「悲しみよこんにちわ」「ある微笑」「さよならをもう一度」(「ブラームスはお好き」)を見たのでサガンも読んで、「ジャン・クリストフ」だけは読まなかった。たぶん、それは、私が「狭き門」でアンドレ・ジッドのファンになったからだと思う。いや、ただ単に長いから読まなかったのだと思うが、のちに英文学の先生から、ジッドが好きかロランが好きかに分かれると言われ、それで妙に納得したのだった(ロランは短い作品を読んでいますが、ジッドほど惚れなかった)。
とにかくカミュには夢中になり、自分で文庫本を買ってさらに読んだりしたのだが、私は1人の作家をえんえんと追いかけるということが苦手で、要するに移り気なので、次々と別の作家に惚れていくので、その後はカミュから離れてしまった。
第一、私が中学生の頃にはもうとっくにカミュは死んでいたし、カミュの故郷アルジェリアはとっくに独立していた。アルジェリア戦争が背景にある「シェルブールの雨傘」もすでに古い映画で、テレビ放映やリバイバルで見た。
そんなわけで、過去に惚れた作家の1人になってしまっていたカミュであるが、未完の遺作「最初の人間」が映画化され、試写状が来たときはちょっとばかり震えた。試写状の写真、カミュの分身と思われる主人公を演じるジャック・ガンブランの、いかにもアルジェリアのフランス人という風貌にもそそるものを感じた。
ちなみに、原作の「最初の人間」は1994年にフランスで出版、日本では96年に翻訳が出たが、私は読んでいなかったので、たまたま図書館で見つけて借りてきた。なんだか日本ではとっくに絶版になってたみたいで、映画に合わせて文庫化されるようだが、カミュもなんだか日本じゃ過去の作家になってしまっているのかな?
で、映画の最初の試写が水曜日にあったので、万難を排して駆けつけた。
原作は試写に行く直前に借りたので、試写を見たあと、最初の方だけ読んだところだけれど、小説は主人公ジャックがアルジェリアの村で生まれるシーンから始まり、次に40歳になったジャックがフランスで戦死した父親の墓参りをするシーンとなるのが、映画は父親の墓参りから始まり、ジャックが生まれるシーンは後半になっている。
小説は書きかけの草稿にすぎないようなので、映画は小説をもとにアルジェリア問題でのカミュの立場を加えたストーリーに作り変えているような気がするが、映画の大半は少年時代のジャックの物語になっている。原作と違い、ジャックは両親の最初の子になっているが、この最初、ル・プルミエという言葉が「最初の人間」のル・プルミエ・オムと重なるように映画では描かれている。
ジャックが生まれた翌年、父親は戦死、ジャックと母親は母方の祖母の元に身を寄せる。祖母と母と叔父(母の弟)は貧しい暮らしをしていて、祖母は非常に厳格。ジャックは小学校を出たら働きに出るはずのところを、彼の優秀さに着目した教師が奨学金を得て進学することを提案、ジャックは貧しい環境の中から大学まで進み、やがて作家として成功する。
監督はイタリア人のジャンニ・アメリオだが、この貧しい少年時代の暮らしがいかにもイタリア映画のお家芸といった感じのリアリズムで描かれ、かといってお涙頂戴の感傷はいっさいなく、淡々として、しかもアルジェリアの光に満ちた美しい映像が見入ってしまうほどのすばらしさ。フランス、イタリア、アルジェリアの合作なのだが、これはやはりフランス映画というよりはイタリア映画のよさが出ているなあ、という感じなのだ。
作家として成功したジャックは故郷アルジェリアに帰り、そこでアルジェリア独立問題に直面する。これはカミュ自身の問題でもあったようで、カミュはこの問題についてはあまり積極的にかかわらず、そのために批判も受けたようだ。アルジェリアを植民地にしておきたいフランスの欲望というものが映画からも垣間見えるが、支配者のフランス人やフランス軍に虐げられるアラブ人に同情しつつも、アラブ人側のテロにおびえる主人公の迷いは、21世紀の今だから描けるものかもしれない。
かつて、ジャックの誕生を手伝ってくれた農場の主は今はマルセイユに移住し、その息子はアラブ人との共存を望んでいるといったエピソード。貧しさの中、そこから脱していく甥を見て苛立ちを感じる叔父が、のちに何をしたかがわかるエピソード。そして、アルジェリア問題についてのカミュ自身の言葉をジャックが言うクライマックス。これらのシーンやエピソードが鮮烈に印象に残る。
虐げられたアラブ人を支持し、正義を信じるというジャック(=カミュ)が、しかし、母を傷つけたら自分はアラブ人の敵になる、と言ってしまうのは、正義や民主主義などより家族の女性を守るという、アルジェリアの男の気持ちなのではないかと、ふと思う。もう何年も前になるが、姉を侮辱されたと思ったジダンが相手選手に頭突きを食らわしたことがあったが、実存主義の文学者カミュも本質的なところではアルジェリアの男なんだと、なんとなくそんな感じがしたのだ(映画の中での話だが)。
まだ原作の最初の方しか読んでいないので、とりとめのない感想になってしまっているが、原作を全部読んだら、もう一度、考えてみたい。
ちなみに、「最初の人間」というのは、親が無名であり、貧しく何もないところに生まれた人はゼロからスタートする最初の人間という意味であるらしい。実際、カミュもジャックも何もないところから教師の助力で教育を得て作家になっていったのだが、私自身、親の蔵書がほんのわずかしかなく、6畳一間に家族で住んでいたという貧しい暮らしだったので、自分もまた「最初の人間」だったのだということに気づいたのだった。

2012年8月28日火曜日

ウォリスとエドワード(ネタバレ大あり)

「英国王のスピーチ」の主人公、ジョージ六世が王になったのは、兄エドワード八世が離婚歴のあるアメリカ人ウォリス・シンプソン夫人と結婚するために退位したため、というのは映画にも描かれている通りです。そして、退位してウィンザー公となったエドワードはウォリスと結婚するものの、2人はイギリスから追放され、故郷に帰ることを許されず、そうしたこともあって夫妻は一時ナチスと交流を持ったという話も調べれば出てきます。
そのためか、「英国王のスピーチ」ではウィンザー公はあまり好意的に描かれていなかったのですが、そのウィンザー公とウォリスの生涯を描くのが映画「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」。監督はあのマドンナ。衣装がすばらしく、アカデミー賞の候補にもなりました。
映画は1998年、ニューヨークのサザビーズでウィンザー公夫妻の遺品のオークションが行われる、というところから始まります。かつてサザビーズで学芸員をしていたウォリスは、自分と同じ名前のウィンザー公夫人に興味を持ち、毎日のように彼女の遺品を見に行きます。ウォリスは裕福な精神分析医と結婚して仕事をやめたものの、子供が欲しくない夫は夫婦関係もまともにせず、かわりに外で性欲を始末している男で、夫婦の間には寒風が吹いているという設定。毎日遺品を見に来るウォリスにしだいに惹かれていくのが警備員のロシア人、エフゲニ。やがて夫の暴力にあったウォリスを彼が助け、ウォリスは夫と離婚して新しい人生を歩む、というのがメインのストーリー(ネタバレ)。
そして、このメインのストーリーにはさまるのがウィンザー公夫妻、ウォリスとエドワードの生涯です。
こちらのウォリスは最初の結婚に失敗、次に億万長者と結婚し、イギリスへ行ったときに皇太子だったエドワードと知り合い、恋に落ちます。やがて皇太子は即位してエドワード八世となり、そして、というのはすでにご存知のとおりですが、ウォリスの側から描かれているのが面白いところです。
映画ではこのウォリスが現代のウォリスの前に現れ、彼女に助言したりするというファンタジーな設定もあります。現代のウォリスが過去のウォリスの生涯を知るうちに、新しい人生を見出す、というのがこの映画の特徴。
この過去のウォリスを演じるアンドレア・ライズブローという女優がとにかくすばらしくて、彼女1人がこの映画を支えていると言っても過言ではありません。もともとウォリスは美人ではなく、皇太子と知り合ったときはすでに37歳。皇太子は2つ年上でしたが、弟(のちのジョージ六世)がすでに結婚して子供(のちのエリザベス二世)がいるのに皇太子はいまだ独身で、人妻と不倫しているという子供っぽいところのある男で、そういう彼にとって美人ではないが着こなしがうまく、包容力のあるウォリスが魅力的だったというのが画面からひしひしと伝わってくるのです。
演じるライズブローはまだ30歳くらいで、実年齢より老けたメイクをしているのだろうと思いますが、ウォリスという伝説的な女性の存在感をみごとに体現しています。

実は、この映画は観客にとってあまり親切な映画ではありません。ネタバレ大ありで書こうと思ったのは、その辺を説明した方がいいと思ったからです。
映画を見ていて、字幕で気になったのは、すでに皇太子が即位して国王になっているシーンで、陛下(マジェスティ)という言葉を何度も殿下と訳しているシーンがあったことです。陛下はマジェスティ、殿下はハイネスで、これは英語の基本中の基本、あまりにも初歩的なミスで、いったいどうしてこうなったのか不思議ですが(翻訳者のミスなのか、他の人のミスなのかは不明)、この映画にはエドワードが即位するシーンがないのですね。もともとウォリスとエドワードの物語は断片的に、ときには時間の順序が入れ替わって登場するので、しっかり見てないとわかりにくいところもあるのですが、エドワードが即位したのは1936年1月で、その年の終わりには退位しています。なので、1936年は陛下なわけですが、この時期のシーンでマジェスティが何度も殿下と訳されているので、もう気になってしかたありませんでした。こうした不備は試写中に指摘されてわかったりするので、公開までには訂正されていると思いますが。

そんなわけで、ウォリスとエドワードの部分も日本の観客にはわかりにくい、即位のシーンを入れたりしてわかりやすくしない、といったところがありますが、現代のシーンでも説明せずにわかる人だけわかればいいという感じで描いているところもあります。
たとえば、サザビーズでのオークションは1998年に実際に開かれたのですが、実はこれは前年1997年に予定されていたのが、遺品の所有者であり、ハロッズのオーナーでもあるモハメド・アルファイドの息子ドディが97年にダイアナ元妃とともに交通事故死、そのため、オークションが翌年に延期されたのだそうです。モハメド・アルファイドはウィンザー公夫妻が住んだ屋敷を買い取り、遺品をオークションに出したのですが、映画の中ではウォリスの手紙が発見され、現代のウォリスがそれを読みたいとアルファイドに直訴するシーンがあります。
現代のウォリスが夫と別れ、画廊の仕事につき、エフゲニとの間に子供ができるという結末も、非常にさらっと描かれるので、人によってはわかりにくいかもしれません。夫と別れたということを直接描かず、他のできごとでそれを暗示しているのです。
こういう即位とか結婚とか離婚とかいったシーンをわざと入れず、他のシーンでそれをわからせるという手法は、シドニー・ポラックの「追憶」がそうでした。「追憶」はわかりやすい映画なのですが、主人公の2人が同棲から結婚に移るシーンで、結婚式のシーンはなく、ただ、結婚を示す置物が部屋に飾ってあるのを見せるだけで表現しています。ハリウッド映画のこういう、ぼけっと見ている人にまでわかるようには説明しない手法が私は好きなのですが、最近のハリウッド映画はやたら親切な映画もあるので、「ウォリスとエドワード」の手法が逆に気に入りました。
「追憶」はウィンザー公とウォリスの結婚についてのせりふが出てくる映画でもあります。2人の結婚は1937年なので、「追憶」のこのシーンが1937年であることを示しているのですが、同時に、愛を選ぶか仕事や地位などを選ぶかの選択がこの映画の重要なテーマになっていくことを暗示しています。仕事や地位か、愛か、という選択では、従来は男は仕事や地位、女は愛を選ぶというのが普通と考えられていました。しかし、エドワードは国王の地位と仕事を捨てて愛を選んだ、というのが、当時の人々には衝撃的だったわけです。一方、「追憶」のヒロインはやがて、愛か生き方かという選択を迫られ、愛する夫と別れて自分の生き方を選択します。エドワードとは男女が逆なのですが、一般に考えられていた選択とは違う選択をするという共通点があるのです。

というわけで、いろいろと面白いところのある映画「ウォリスとエドワード」なのですが、内容自体は古いメロドラマと言われてもしかたないところはあります。
「英国王のスピーチ」評で書いたことと重なりますが、この映画も男と女に関する古い価値観の映画です。エドワードは退位したあと、多額の年金をもらって悠々自適に過ごせるのですが、そうした自分に不満です。仕事をしなくても楽に暮らせれば幸せというものではないからです。そうした夫の悩みにウォリスも気づいて悩むというシーンもありますが、ウォリス自身は仕事をする女性、社会活動をする女性ではない。また、現代のウォリスも専業主婦で、子供を作ることしか考えていない。そうした古いタイプの女性の話にすぎないと言われればそれまでなわけです。
むしろ、現代のウォリスの夫が、結婚しても子供を欲しがらない男性であるのが注目といえば注目。最近見たウディ・アレンの「恋のロンドン狂騒曲」にもそういう男が出てきましたが、子供を欲しがらない男性というのは意外に多い。私が若い頃(ン十年前)にもけっこういました。ところが世間は、少子化の原因は女性が子供を欲しがらないからとか、女性が子育てしにくい社会だから、ということしか言わず、子供を欲しがらない男性が意外に多いということは決して言われないのです。
子供を欲しがらない男性が少なくないということは、要するに、人間は人口が増えすぎると子供が欲しくなくなるということではないか、つまり、少子化は自然現象、というのが私の考えです。

最後にトリビア。この映画ではエドワードの父、ジョージ五世をジェームズ・フォックスが演じていますが、エドワードの弟(のちのジョージ六世)を、ジェームズの息子ローレンス・フォックスが演じています。「英国王のスピーチ」では兄弟は全然顔が似てませんでしたが、エドワードを演じたジェームズ・ダーシーはローレンス・フォックスと顔がわりと似ていて、こっちの方が兄弟らしいです。

2012年8月26日日曜日

新しい携帯で撮った写真

7月に前の携帯が使用できなくなるので、強制的に機種交換させられたのですが、新しい携帯はカメラがすごい。ものすごく大きなサイズの写真が撮れる。しかし、携帯の悲しさよ、ピントがあまり合わないのですね。ただ、暗いところでもわりとよく撮れる。7年前に買った一体型のデジカメより暗さに強いです。写真は縦横それぞれ30パーセントに縮小してありますが、この方が原寸大よりきれいです(クリックすると大きくなります)。

まずは、8月初旬、バーン=ジョーンズ展へ行った帰りに東京駅の前で撮った夜景。満月が出ています。

ベルリン美術館展のチケットで見に行った西洋美術館の常設展。前に行ったときとは展示されている絵が少し変更されていました。これはドラクロワらしい。中央に光が当たっていて、とても美しい絵です。今回初めて見ました。絵葉書なくて残念。

モネの部屋。壁にはモネの絵、中央にはロダンの彫刻。



常設展では、ベルリン展と合わせてドイツの小さな版画の企画展をやっていました。虫眼鏡が置いてあって、それで見るという、ほんとに小さい絵です。
金曜の夜でしたが、ベルリン展、かなり混んでいるようですね。世間も真珠の首飾りの少女の魅力に気づいたか? そのベルリン展の人が常設展にもまわってくるので、こちらも思ったより人が多かったです。
写真撮影は常設展のみOKです。ただし、フラッシュ、三脚の使用は禁止。写真の商業的な使用も禁止です。

スパカツバーガー

前の記事に書いた、モスバーガーのスパカツバーガー。携帯で撮った写真です。
運ばれてきたところ。右はウーロン茶。

タルタルソースがたっぷりかかっていて、スパゲッティが見えません。

斜め横から撮影。左の方になんとかスパゲッティがちらっと見えます。スパゲッティ、ほんとに少なかったよ。前の記事のモスのサイトの写真と見比べてください。