ソフィア・コッポラ監督の「ブリングリング」を見ながら、2つのことが頭を離れなかった。
1つはタイトルにある、ハリウッド・セレブはセコムしてないのか?
物語は実話に基づく。カリフォルニア州のロサンゼルス郊外、ハリウッド・セレブが多く住むカラバサス地区の高校生の少年少女(主に少女)がパリス・ヒルトンやリンジー・ローハンなどのセレブの家に忍び込んで貴金属や服やお金を盗んでいたという事件をもとにしている。
冒頭と最後にエマ・ワトソン演じる少女ニッキーが出てきて、いっぱしのえらそうなことを言う。彼女のモデルになった少女が一番有名で、今でもネットで話題になっているらしい。しかし、全体の中心になるのはケイティ・チャン演じるアジア系の少女レベッカ。前の高校で欠席が多くて退学になり、三流高校に転校してきた少年が1人で孤立しているのを見て、レベッカは彼に接近、早速車上荒らしをして彼を盗みに誘う。やがて彼らはニッキーらを巻き込み、数人でセレブが留守の家に忍び込み、金品を盗むということを繰り返すようになる。
特にパリス・ヒルトンの家には何度も忍び込んでいて、なのにパリスは全然気づかない。その被害者のパリス、なんと、この映画では実際に自分の家を撮影に使うことを許可し、出演もしている。
驚くのは、彼らがいとも簡単にセレブの屋敷に入れてしまうこと。楽々と柵を越え、中に入ると必ずどこか鍵のかかっていない入口が見つかる。パリスの家なんか鍵を玄関マットの下に入れてある(今は入れてないと思うが)。なに、この無用心さ。セコムしてないの?
が、さすがに中にはセコムしている家もあって、防犯カメラに彼らの姿が映り、結局、お縄となってしまうのだが、犯罪の多いアメリカでこんなに戸締りの悪い家があるのか、しかも大金持ちのセレブなのに、と驚いたのだった。
窃盗団の少女たちと少年はわりと裕福な家の子供たち。ただ、三流高校にしか入れない問題児だったり、麻薬をやっていたり、親が変でおかしな教育をしていたり、という背景はあるようだ。そして、現代ではネットのグーグルマップの航空写真やストリート・ビューでセレブの家がどこでどうなってるかわかってしまうこと。セレブの行動を逐一紹介するサイトがあること、そして、窃盗団自身がフェイスブックで盗んだ品物を持っている写真を公開したりしていることなどがいかにも現代なのだ。
監督のソフィア・コッポラも有名監督の娘でハリウッド・セレブとして育ったのだが、彼女は窃盗団の高校生たちを断罪もせず、同情もしない、という少し距離を置いた描き方をしている。プレスシート掲載のインタビューで、彼女はこう述べている。
「この映画は、家庭でしっかりとした価値観を与えられていない子供たちが、文化というものにいかに感化されうるかを描いているのです。」
やはりそうなのか、と、この部分を読んで思った。
この映画を見ている間中ずっと、私の頭にあったもう1つのこと、それは、最近日本で起きた、コンビニや飲食店での若者の悪ふざけの写真がネットに出回り、それで店が閉店にまで追い込まれるといった一連の騒動のことだった。
この騒動には2つの側面がある。1つは、若者たちの悪ふざけの対象が食品であったことから、衛生面が問題視されて騒ぎが大きくなったこと。ユニクロのTシャツの上に寝そべったのなら、果たしてここまで騒ぎになっただろうか?(食品の方が悪ふざけとしてインパクトがあると、彼らはわかっていたのだろう。)
そしてもう1つは、こういう悪ふざけをネットに流してしまうと、みんなに知れ渡ってしまうということを知らない若者が多いということがはからずも明らかになってしまったことだ。
後者については、コンビニの店長をしているという人がブログで、「低学歴の世界」というのを書いて、話題になった。コンビニや飲食店でバイトをしている若者を多く知る店長は、彼らがあまり頭がよくなくて、ネットが公開された場だということを知らず、安易に携帯やスマホでプライベートなことや店のことを公にしてしまう。そこで店長は、仕事の連絡はメール以外では絶対にしないこと、などの注意を常にしているらしい(さもないとツイッターとかで連絡されてしまうので)。
店長は彼らのことを、「うちらの世界」の住人と呼び、広い社会を知らない、内輪だけしか見えない若者と呼んでいた。だから、この映画「ブリングリング」の中で、レベッカのせりふの字幕に「うちら」が出てきたときはギョッとしてしまった。
また、この店長の言う「低学歴の世界」という言葉自体が大きな反響を呼び、一流大学の学生がした不祥事をあげて、学歴の問題ではない、と反論する人もいたが、逆に、地方在住の低学歴の若者たちの実情をあげて、店長の言う「低学歴の世界」はまさにそのとおりだと自身のブログに書いた人が複数いた。また、若者の中には携帯やスマホは持っているがパソコンをやったことがないため、携帯やスマホをやることとネットはまったく別だと思い込んでいる人も多いらしい。みんなに見られてしまうということ自体がわからない人が多いらしいのだ。
「ブリングリング」の若者たちはもちろん、彼らのような世間知らずではない。しかし、ソフィア・コッポラの言う、「家庭でしっかりとした価値観を与えられていない子供たち」という定義にはどちらも完全にあてはまる。レベルは相当に違うが、日本で起きた悪ふざけ騒動と併せて考えたくなる映画だ。