ツタヤ閉店の日に借りた5枚のDVDのうち、2枚は2泊3日なので、さっさと見て返そうと思い、すぐに見た。
1つは「ゼロ・ダーク・サーティ」。これは新作なので2泊3日。
もう1つは「東京物語」。旧作2泊3日100円。
この「東京物語」が失敗であった。といっても、映画の内容が、ではなく、ディスクが。
ディスクに問題があるようで(肉眼ではわからない)、時々、止まって動かなくなる。それでスキップしてなんとか最後まで見たが、見られない箇所がいくつか出てしまったのだ。
このツタヤでは以前にもこういうケースが何度かあって、たくさん借りているので確率的にそうなるのかもしれないけど、何度も借りられている旧作だったら苦情が出ているはずなのに、それでも置いてレンタルしているってのがやはり気分が悪い。しかも、今回は苦情もいえないのだ。
というわけで、不完全な視聴ではあるけれど、「東京物語」を見て思ったこと。
東京の空が広い! ビルとか全然ないやんけ。いや、長男の家のあたり、家そのものがあまりないのか? あそこは堀切あたりらしいけど、そこからさらに東へ行くと、寅さんの柴又があり、あの「野菊の墓」の矢切の渡し(歌でも有名)があり、川を渡れば千葉県。「東京家族」のつくし野と違って、こちらは私の守備範囲だ。
しかし、あそこを、東京のはずれの方と言われてしまうと。でも確かにどこの田舎かと思うような風景。
そして、最初の方に出てくる煙突は、千住のお化け煙突でしょうかね。なつかしい。
老夫婦が観光バスに乗るシーンでは、皇居の背後にビルが1つもないし、銀座は今もあるのは和光のビルくらい。どこかのビルの階段を上がって東京を眼下に見下ろすシーンがあるけど、まだ東京タワーもできていなかったのだな。
それでも、小津監督は映画のはしばしに黒い煙を吐く煙突や工場、そして建築中のビルの鉄骨の映像を入れて、東京がこれからまったく違う町になるということを予感させている。そこはすごい。
この映画は東京オリンピックの11年前だけれど、オリンピックの前と後では東京はもう同じものではなくなったのだな、と感じた。
「東京物語」から60年たち、あの堀切の数キロ南に、実はスカイツリーが建っているのだ。
「ゼロ・ダーク・サーティ」の方は、「ハート・ロッカー」がいやな感じがして見なかったキャスリン・ビグローの最新作だけれど、まあ、「アルゴ」のようなアメリカ万歳ではないけれど、アメリカのやってることを万歳にしないで描くのはこれが限界なのかな、という、やはりあまりいい印象を受けなかった。万歳にはしていないけれど、否定も批判もしていない。そこがオリヴァー・ストーンなどの映画と違う。基本的に、アメリカとアメリカ人のことしか頭にない感じ。
ただ、興味深かったのは、主人公のマヤという女性のこと。この映画は人物の来歴などはほとんど描かず、ただ、ビンラディン暗殺に至るまでのCIAの活動を描くだけで、そのエピソードもただ羅列するだけで因果関係で引っ張るところはなく、わりと平板。正直、長すぎると思った。
それはともかく、このマヤというCIAの分析官、いったいどういう生まれでどういう人なのか、さっぱりわからない。高卒でCIAにリクルートされて12年たつ、というせりふがあるので、このせりふのシーンでは30歳なのだろう。そのシーンは彼女がビンラディン捜索班に入ってから5年くらいたったときなので、彼女は25歳くらいでこの仕事に配属されたことになる。若いのに年上の男たちに向かってきついことを言ったり、けっこう女王様なのだが、ビンラディンのアジトを突き止めたこと以外は何の実績もなかったような。ただ、彼女が何が何でもビンラディンを殺すという執念でまわりを動かして活動したので、ビンラディンは暗殺されました、というお話。その執念のきっかけが自爆テロで仲間が死んだから、というのもイマイチ説得力に欠ける。そういう私的な感情で動く女性に描かれていないので。
以下は私の勝手な憶測だが、高卒ですぐにCIAに入ったということは、彼女の家族、おそらく父親がCIA局員で、娘も将来は局員にするつもりで教育していたから高卒でリクルートされたのだろう。そして、入局してからも徹底的に局員としての訓練を受け、拷問が日常化している現場へ派遣された。彼女は最初は拷問の現場を見て多少ひるむが、その後は自分でも拷問を使った取調べをするようになる。彼らのように拷問が平気な人はそう多くはないだろう。彼らは戦場で正気を失ったから虐殺をしてしまうような兵士とはまったく違う人たちだ。
となると、マヤは生まれてからずっと、こういう拷問が平気なCIA局員になるような教育を受け、訓練を受け、そして若いのにビンラディン捜索の中心人物になったわけで、これは一種の洗脳じゃないかと思えてくる。テロリストも子供や若者を洗脳して仲間にし、自爆テロをさせたりするが、マヤも同じようにCIAの非情な殺し屋として洗脳され、作られたのだ、という気がする。実際、マヤはある意味、ターミネーターのようなところがある。
映画の冒頭、拷問されるアラブ人の流す涙と、ラストでマヤが流す涙がコントラストになっているが、どちらも流す涙の意味がよくわからない。というか、マヤの涙をむなしさと受け取って、この戦いのむなしさと解釈し、映画を評価することもできるが、マヤは果たして戦いのむなしさを感じるような人間なのか。ターミネーターは涙を流すのか。それはなぜ?
なんにしろ、CIAをヒーローとして描く映画が2本もアカデミー賞の候補になり、1本が受賞したという意味を、もっと深く考えてみなければならない。ハリウッドはCIAをヒーローにすることはあまりなかったと思うのだが。
というふうな感想を抱きながら、2枚のDVDを返しにツタヤへ行った。閉店翌日ということで、ガラスの扉からは棚を片付ける従業員の姿が見えた。DVDを借りに来た親子が閉店と知って、がっかりして帰っていった。