2014年3月24日月曜日

女子力とか人間力とか

理研のスタップ細胞問題については千日ブログというのがわかりやすく面白くまとめていて、参考になるのですが、今日の記事は、理研は9割が国民の税金なのに、イタリアの高級家具を買ったり、ぜいたくしている。なのに、さらに予算を多くしようとしている、という記事。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-4859.html
ここに書いてありますが、優秀な人材に研究費を出すならわかるけど、小保方氏や彼女をチェックできなかった人たちに潤沢な資金を与えて、本当に優秀でがんばっている人に研究費がまわらない、ということが実際に起きているのではないかと思います。
前の記事で、日本はおじさんにかわいがられる女性は研究などしていなくてもアカデミックポストが得られるという話を書きましたが、そういう悪い意味での女子力、悪い意味での人間力がはびこっているのが日本の現実で、そういうところでは本当に優秀な人ははじかれ、悪い意味での女子力や人間力のある人(要するに、要領がよくてずるくてまわりに受けるやつ)が得をし、結局、それは日本の発展や日本人の幸福にはつながらない、という気がしてならないのです。
たとえば就職活動では人間力が大事と言われ、大学での勉強などの本人の努力はバカにされることさえあるとか。おじさんにかわいがられる方が受ける、のは、なにも女性だけではないのです。
ところが、日本では人間力などというものは要領のよさだったりまわりの受けだったりするのに、大学入試まで人間力重視とか言い出しているとか。
いろいろなところで指摘されていますが、人間力というのは生まれや育ちが大きく影響します。裕福で地位の高い家に生まれた人は裕福で地位の高い人と幼い頃からつきあうことができ、それが人間力になりますが、貧しい人、文化的に乏しい地域に生まれた人は最初からハンディがあります。
国立大の医学部では面接重視にしているところが多く、その結果、高校を卒業せずに卒業資格試験に合格した人や、年齢の高い人は学力があっても面接ではねられてしまうというケースが見られるそうです。つまり、日本では人間力とは、恵まれた家に生まれ育ち、きちんと高校を卒業し、そのあとすぐに大学受験する人で、ドロップアウトしたり、恵まれない環境で育った人は最初からアウトなのです。
私自身はもう今更、小保方的女子力で出世する人を羨んでもしかたないですが、これからの日本を考えると、こういう間違った人間力、女子力を重視することの将来を憂えてしまいます(まあ、どうせあと10年くらいしか生きないだろうからどうでもいいっちゃどうでもいいんだけど)。