2014年5月4日日曜日

「テルマエ・ロマエ」と「男はつらいよ」その他

「テルマエ・ロマエ」って、「男はつらいよ」ふうに受けているのではないか、と思っていたら、2ちゃんねるに、「「男はつらいよ」も「釣りバカ」もなくなったから「テルマエ」が受けている」とか、「ルシウスが毎回各地の温泉にトリップして女にふられれば40話くらいいける」と書かれていたので、そうだそうだと思いました。
もちろん、年に2本作っていた「男はつらいよ」に対し、「テルマエ」は2年に1本なので、40話は無理です。でも5本くらいはできそうな勢い。
なんで「男はつらいよ」ふうだと思ったかというと、「テルマエ・ロマエⅡ」を見に行ったとき、最初にルシウスが「平たい顔族」と言ったとたん、どっと笑いが出たんです。その後も、「女癖は悪いが」のセリフが何度も繰り返されると笑い、というように、わかっているセリフで条件反射的に笑うのです。
これって、寅さんの決まり文句が出ると条件反射的に笑うのにそっくり。
「男はつらいよ」に比べると「テルマエ」はセリフで笑わせるのは少ないですが。
初期の「男はつらいよ」はキネ旬ベストテンの常連だったのですが、「テルマエ」は評論家にはまったく好まれていないようです。確かに「男はつらいよ」には失われゆく日本のよさみたいなものへの郷愁があり、ドラマとしても低俗な感じがなかったので、評論家の評価も高かったのでしょう。
「テルマエ・ロマエ」はそういう高尚な部分がないので、はまらない人は面白くないのでしょうが、それでも、こちらも失われゆく日本のよさが描かれているという点では共通します。銭湯文化とか温泉文化というものは日本の古くからのよさが表れていて、古代ローマから来たルシウスがそれに感激し、それをローマに持ち帰る、というパターンが、古きよき日本への郷愁となっています。
前作のときは原作が劇画ということで、観客は20代30代が中心と見られていましたが、開けてみれば高齢者が多く、老若男女に受けて大ヒット。そこで「Ⅱ」では高齢者向けのギャグを入れたりしていますが、いかにもな高齢者向けは逆効果ではないかと、そのあたりは危惧します。古きよき日本文化だけで十分でしょう。
「Ⅱ」は公開週末の成績は前作を上回っており、観客は70パーセント以上が30代以上とのこと。残りの30パーセント近くも20代が中心と思われるので(私が行った映画館は20代の人が多かった)、大人の見る映画ということになります。また、9割以上が前作が面白かったから見に来たと答えているようで、すでに「男はつらいよ」的受け方になっています(「男はつらいよ」も半年ごとに新作が公開されるのをファンは楽しみにしていた)。
評論家の中には、原作や前作のファンしか楽しめないと書いている人もいましたが、そういう人だけで十分にヒットしているわけですから、評論家を必要としない映画ですね。


3月から4月上旬くらいは試写もけっこう見ていたのですが、ほかのことに気をとられて、また、どうしても書きたい映画がなく、映画の話題がなくなっていました。その中で、これだけはひとこと言っておきたい、と思ったのは「プリズナーズ」。
いろいろな人が囚われの身になるので、プリズナーズと複数形なのですが、脚本ひねって魂入れずみたいな映画です。仲のよい白人家族と黒人家族が一緒にパーティを開いている最中、外に出たそれぞれの娘が誘拐され、容疑者が逮捕されるが証拠不十分で釈放。怒った白人の父親(ヒュー・ジャックマン)が容疑者を誘拐して娘の居場所を聞き出そうとする。こういう場合、容疑者は犯人ではないので、おまえがそういうことしてる間に真犯人はのうのうとしているだろうが、と喝を入れたくなります。また、捜査する刑事が無能すぎる。ジャックマンは勘違いの自己チュー、刑事が無能ときたら、事件は全然解決に向かいません(当たり前だ)。もう見ていてイライラする。
ジャックマンの自己チューぶりは、自分の妻には絶対内緒にしてるくせに、黒人夫婦は巻き込むこと。この黒人夫婦が気の毒でならない。
ネタバレはしませんが、犯人は一種の神への挑戦者なんですね。理不尽なことを経験し、そのために犯罪を犯して神に挑戦する。一方、ジャックマンも神に対していろいろ思うところがあって、それが最初からセリフに表れています。神がキーワードなんですが、これも脚本ひねって魂入れずな感じ。神への挑戦だったら、森田芳光の「模倣犯」の方がぶっ飛んでいて好きです。「プリズナーズ」はまじめすぎ。まじめなわりには脚本ひねって魂入れず、なのです。