最近このブログのページビューが激減しているのですが、どこかのセキュリティソフトに有害サイト認定されてしまったのでしょうか?
いやいや、単に興味を持たれなくなっただけでしょ? ならいいんですけどね。
というところで、マイケル・ムーアの新作「世界征服のススメ」。
第二次世界大戦のあと、まったく戦争に勝てなくなったアメリカ。じゃあ、マイケル・ムーアが世界の国々を侵略してアメリカの役に立つものを奪ってきましょう、という設定で、ムーアがおもにヨーロッパの国々をまわります。
有給休暇の多いイタリア、小学校の給食がすばらしいフランス、大学の学費が無料のスロベニア、ホロコーストの過去を忘れないよう努めるドイツ、女性が活躍するアイスランド、北アフリカのチュニジアなどをムーアが訪問、アメリカにないよいものを持ち帰るというストーリーです。
見ているうちに、だんだん、これはアメリカの話じゃなくて日本の話じゃないの?と思えてくるから怖い。
アメリカには有給休暇や出産休暇が法律で定められていない、だからそういう休暇を出すかどうかは会社しだい、というのは知りませんでしたが、日本は定められているけど取りにくいという点ではアメリカに近いのではないかと思いました。
授業料がただのスロベニアの大学には、学費が払えずアメリカの大学を退学したアメリカ人が多く学んでいるようです。授業も英語が多いとか。そして、スロベニアが授業料を有料にしようとしたら、大学生のデモが起き、撤回させたとか、他の国も大学の授業料を上げようとしたら学生がデモ。それに対し、授業料が高く、学生ローン(日本では奨学金と呼ばれているものと同じ)を背負っている学生が多いアメリカでは、学生がデモもしないで芝生に寝そべっているシーンが。
大学の授業料の高さと学生ローン(日本での別名・奨学金)の問題は日本でも深刻になっていますが、こういうところがアメリカと日本は同じに見えてきます。
イタリアの有給休暇にしても、労働者の闘いが過去にあったわけで、ヨーロッパの国が何もせずによいものを手に入れているわけではないことをムーアは押さえています。映画の後半は女性の活躍する国を訪れますが、そこでも女性たちの闘いが過去にあって、今があるということが強調されています。
このほか、フィンランドの学力の高さも考えさせられます。フィンランドでは宿題を出さない、授業料を取ることを認めない(だから私立が少なく、金持ちの子供も普通の公立へ行くので、いろいろな階層の人々を知ることができる)、勉強ばかりしていないで遊ばないとだめ、ということで、勉強漬けでもない。なのに学力は非常に高い。
フィンランドでは統一テストがなく、学校の偏差値とか順位もないそうです。子供にとって一番いい学校は近くにある学校で、どの学校も同じレベルなのだとフィンランドの先生たちは言います。そして、アメリカは教育がビジネスになっているという指摘。うーん、これも日本に当てはまる。統一テストして偏差値や順位をつけて、競争を煽って、そこで儲けている教育産業が確かにあるのです。
とまあ、ムーアはアメリカにないものを探しに出かけたのですが、実はこれらの国が実施しているよいことはアメリカ発祥なのだと言われます。
そうか、アメリカにないすばらしいものを探しに行ったら、それはみんなもとはアメリカにあったものだったのだ、とムーア。普通だったらそこで「青い鳥」が出てくるところですが、そこはアメリカ、あのMGMの映画「オズの魔法使」が出てきて、「やっぱりおうちが一番」で幕となります。
エンドクレジットでは、「アニーよ、銃をとれ」の「Anything You Can Do I Can Do Better」。映画のベティ・ハットンではなく、舞台のエセル・マーマンの歌で。「Yes, You Can」のオバマが頭に浮かびますが、やればできる、というムーアの主張です。
ムーアにしては楽しめる、希望が持てる、ポジティヴな映画ですが、やっぱり考えてしまうのは、日本はアメリカの悪いところばかり入れているんじゃないかということ。ほんと、この映画のアメリカを日本に置き換えても通っちゃうものね。
フィンランドの教育については日本でも本がいろいろ出て話題になっているし、ドイツのホロコーストを忘れない活動が日本ではなくアメリカと比べられているのも新鮮。アメリカも自国の悪いところあまり反省してないらしい。
もちろん、これらの国のも問題はあるわけで、いいところばかり見せているという批判は当然あります。また、警官が銃を持たず、刑務所が開放的なノルウェーで大量殺人事件が起こってしまったというエピソードは、全体的に楽観的なこの映画の中では異色というか苦い味を残します(それでもノルウェーの今のやり方を貫くと登場する人々は言っているのですが)。
ベルリンの壁が壊されるなんて、マンデラが釈放されて大統領になるなんて、想像もしなかった、だから世の中は変わるんだ、という思いは、確かにそれを見てきた人には実感できるものです。どうやって変えるか、それがむずかしいんだけど。