2016年7月6日水曜日

「栄光のランナー 1936ベルリン」(ネタバレあり)

ジェシー・オーエンスの名を初めて目にしたのはたしか中学生のときに読んだレニ・リーフェンシュタールのインタビューだったと思う。
当時、リーフェンシュタールはまだ現役のドキュメンタリー映画作家だった。
ナチスドイツの威信を世に知らしめるために行われた1936年のベルリン五輪。その記録映画「美の祭典」「民族の祭典」を監督したリーフェンシュタールが、陸上で4つの金メダルを獲得したアメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスを熱心に撮影したことを聞かれ、彼女はこう答えた。
「ジェシー・オーエンスは美しかった」
そのときのインタビューはリーフェンシュタールに好意的なものだったと記憶しているが、その後、リーフェンシュタールはナチスの宣伝映画の監督であり、そのことについて戦後も反省の弁を述べていない、といった批判が目につくようになった。彼女とオーエンスについて語る記事も目にしなかった。
そのジェシー・オーエンスの1935年から36年の2年間を描く伝記映画「栄光のランナー 1936ベルリン」を見た。原題は「Race」。競技のレースと人種の両方を意味する、短いが奥深いタイトルだ。
高校時代から卓越した才能の持ち主だったオーエンスはオハイオ州立大学に入学し、そこで名コーチと出会い、ベルリン五輪の金メダルをめざすことになる。国内の競技大会で次々と世界新記録を打ち立て、ベルリンへの期待が高まるが、ナチスドイツの人種差別政策がアメリカで問題視され、五輪をボイコットすべきだという声が高まる。
スポーツに政治を持ち込むな、と言って五輪参加に賛成するのは、のちのIOC会長ブランデージ(当時はAOC会長)。私が子供の頃はIOC会長といえばブランデージでした。
一方、ボイコットすべし、と主張するのはアメリカ・オリンピック委員会の委員長マホニー。ブランデージをジェレミー・アイアンズ、マホニーをウィリアム・ハートという豪華共演で、この2人のやりとりがすばらしい。どちらも真剣にオリンピックについて、社会について考えているのがわかる。決して相手を非難せず、真摯にそれぞれの主張をしているのがわかる。
ブランデージはベルリンに視察に出かけるが、町にはユダヤ人をののしる言葉があふれ、ユダヤ人が無理やりトラックに乗せられている。ブランデージは宣伝相ゲッベルスに、これではアメリカはボイコットせざるを得ないと主張し、ドイツ側は表向きは人種差別をやめることになる。このときのブランデージとゲッベルスのやりとりが英語とドイツ語なので、リーフェンシュタールが通訳をするが、どちらの言葉もそのまま通訳できないので、言葉を和らげて伝えているのが興味深かった。このとき、ブランデージは、アメリカのドイツ大使館建設をブランデージの建築ビジネスに依頼するという話を受けてしまい、このことがのちにドイツ側に弱みを握られることになる。
アメリカ・オリンピック委員会は僅差で五輪出場を決めるが、オーエンスには黒人団体から参加するなという圧力がかかる。参加すればナチスの人種差別を認めたことになる、というのだ。オーエンスは迷った末、一度は五輪辞退を決意する。
映画の前半は、アメリカがベルリン五輪をボイコットすべきか参加すべきかがテーマになっていて、それがそのままオーエンスの選択にもなっている。
参加することはナチスの人種差別を容認することになるのか?
それとも、黒人が参加して勝つことで、ヒトラーと人種差別にノーを突きつけることができるのか?
そして、この映画が優れているのは、人種差別をしているのはドイツだけではないということだ。
ブランデージとマホニーの対立の中でも、「人種差別についてはアメリカだってドイツと大差ない」ということが何度も言われる。オーエンスの父も黒人団体の人物に、息子が参加してもしなくても人種差別のアメリカは変わらないと言う。映画は白人席と黒人席に分かれたバスに乗り込むオーエンスから始まっている。アメリカではユダヤ人も差別されていたが、黒人差別は本当にひどいものだった。ドイツに比べてアメリカは人種差別がなく民主的だなどとはまったく言えなかったのだ。
つまり、この映画は、すでに十分に非難されているナチスドイツの人種差別についてではなくて、翻ってみると、実は、かつてのアメリカがナチスばりの人種差別社会だった、ということを重要なテーマにしているのである。
結果的にオーエンスはベルリンで4冠を勝ち取った。ナチスは黒人選手のオーエンスを記録映画から消したかったようだが、オーエンスに魅せられたリーフェンシュタールが映像を守った。理由は最初に書いたように、「オーエンスは美しかった」からだ。
この映画のリーフェンシュタールは大変好意的に描かれている。中学生の私が読んだ彼女のインタビュー、「オーエンスは美しかった」というインタビューの記憶に近い。ナチスのプロパガンダ映画を作り、反省もしていない映画監督、という描かれ方はしていない。
リーフェンシュタールに扮したオランダの女優カリス・ファン・ハウテンは、「彼女が当時、ヒトラーの政策について、事態について、どの程度理解していたのかわからない」と述べている。この映画のリーフェンシュタールは大作映画を撮ることになった野心的な監督で、美と芸術に打ち込んでいる女性として描かれている。彼女の頭には政治や社会はなかったのだろう。美しいものをひたすら撮る。それが政治的社会的にどういう意味があるかはいとわない。黒人のオーエンスの美しさを撮り、競技中に真のスポーツマンシップと友情で結ばれたオーエンスとドイツ人選手ルッツの姿を美しいと思って撮る。リーフェンシュタールの映画はナチスのプロパガンダとして成功するが、その一方で、オーエンスの勇姿を永遠に残るものとした(オーエンスにやらせのショットを撮らせるシーンで、彼女が言うせりふに、彼女の美意識が現れている)。
この映画は主要人物はおおむね善人で、悪人はナチス側はおもにゲッベルス、それ以外は黒人差別をするアメリカ人となっている。ここでもアメリカでの黒人差別がメインテーマだということがわかる。ドイツ側の人物ではオーエンスと友情で結ばれるルッツが、内心ではナチスに対して批判的で、彼はその後、第二次大戦で激戦地に送られ、戦死している。政治や社会のことを考えずに美と芸術を追求したリーフェンシュタールに対し、ルッツは良心に従って生きたドイツ人の代表なのだろう。
オーエンスが4冠を取っても、アメリカの人種差別には何の変化もなかった、ということが最後に語られる。祝賀会に参加するために、オーエンス夫妻とコーチ夫妻が会場にやってくると、黒人のオーエンス夫妻は通用口から入るように言われる。規則で決まっているからと言われ、コーチは怒るが、オーエンス夫妻はそれを制止して裏口から入る。黒人の従業員たちが口々に「オーエンスだ」と言い、そしてエレベーターボーイの白人少年がサインを求める。思いがけない出会いにびっくりしてメモ帳を落としてしまう少年の姿に微笑むオーエンス夫妻。アメリカの人種差別がまったく変わっていないというつらい結末だが、この少年の登場がほっとさせてくれる。素晴らしいエンディングだ。
オーエンス役のステファン・ジェイムズ、コーチ役のジェイソン・サダイキスはまだそれほど有名なスターではないと思うが、どちらも実にいい味を出している。オーエンス夫人ルース役のシャニース・バンタンは、オーエンスが結婚前の彼女を裏切ったあと、謝罪に訪れるシーンの演技がいい。美容院で働く彼女のもとにオーエンスが来るが、美容院のスタッフや客が全員、きつい目でオーエンスを見るのだ。この女性たちの眼力と、その中でルースの心が少しずつ揺れていく。そのあとのオーエンスとのやりとりでのセリフがまたいい。