このブログの「君の名は。」主要記事リストです。(本人備忘録用)
(1)「アンナとアントワーヌ」&「君の名は。」(2016年9月4日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/09/blog-post_4.html
(2)「君の名は。」追記(2016年9月4日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/09/blog-post_78.html
(3)みたび「君の名は。」(2016年10月13日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/10/blog-post_13.html
(4)「君の名は。」の教訓(&「マンチェスター・バイ・ザ・シー」)(2017年3月12日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/03/blog-post_12.html
(5)ついにリピーターに(「君の名は。)(2017年3月15日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/03/blog-post_75.html
(6)「君の名は。」展(2017年3月17日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/03/blog-post_17.html
(7)「ムーンライト」+1(2017年3月31日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/03/blog-post_70.html
(8)ついに「君の名は。」が終わってしまう。(2017年4月12日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/04/blog-post_12.html
(9)8日で4回「君の名は。」(2017年4月16日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/04/84.html
(10)「君の名は。」某シネコン最終日(2017年4月29日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/04/blog-post_29.html
(11)「君の名は。」@有楽町スバル座(2017年5月3日)
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/05/blog-post.html
(12)昔やったことを久々にやる(と疲れる)82017年5月5日
http://sabreclub4.blogspot.jp/2017/05/blog-post_5.html
(3)がわりとよく読まれているみたいなのですが、リピーターになったのは(5)から。
(1)は見た直後の感想で、三葉が父親を説得できたとは思えない、という不満を述べていて、今となっては恥ずかしい限りですが、残しているのは、最初の感想にも一抹の真理があったと認識しているからです。ただ、それはもっぱら私の個人的な思い入れだったのですが。
2度目を見たとき、「父親を説得できたとは思えない」という感想は完全に間違っていたとわかりましたが、なぜ私がそう感じたのかというと、単に細かいところを見落としたというだけではないと思ったので、今回はこのことについて書きます。
2度目に見たあと、リピーターになり、今現在13回見ているのですが、2度目以降、ずっとひっかかるシーンがありました。それは、組紐を作るシーンで、祖母の一葉が三葉の父のことを「あのバカ息子」と言うところです。
最初に見たときはひっかかりは感じませんでした。なぜなら、この時点では、父親が婿養子だということは隠されているからです。
しかし、二度目以降では婿養子だということがわかっているので、違和感を感じたのです。
普通、姑が婿養子のことを「あのバカ息子」とは言わないでしょう。本当の息子でないと出てこない言葉だと思います。「あのバカ婿」となら言うかもしれませんが。
また、父親は家を出た後も宮水の姓を名乗っています。だから、この時点では初見では父親が婿養子だとはわからない。
父親は宮水としきという名前だということは選挙演説のシーンでわかります。
彼が婿養子だとわかるのは、神社のご神体で瀧が口噛み酒を飲み、三葉誕生とその後に関する幻想を見るシーンです。ここで母の名前が二葉であること、父親が婿養子であることがわかります。この幻想シーンの父親はとてもやさしく、妻と子に対する愛にあふれ、映画の最初に町長として登場する家父長的なガンコ親父とは別人のようです。
今では後半の部分がわかっているので、家父長的な父親がほんとうは愛情あふれるやさしい男性だったことがわかるのですが、初見のときはこの家父長的なガンコ親父とそれに反発する三葉の対立に目が行ってしまい、私は家父長的父親と娘の対決を期待してしまいました。なぜなら、家父長的な父を乗り越えるのは子供、特に息子の成長に必要なドラマとして、多くの映画や小説に描かれてきたからです。娘にとってもこうした父を乗り越えることは重要なのですが、父と娘のこうした対立はフィクションには少なく、「君の名は。」はそれを描いてくれる映画だと、初見の私は期待しました。そして、三葉が父を乗り越えるのは、父を説得したときだ、と。
おそらく、新海監督の頭にも、娘が父を乗り越えるモチーフはあっただろうと思います。ただ、それはこの映画にとっては重要なモチーフではなかった。むしろ、家父長的な父は宮水としきの本来の姿ではなかった、と、幻想シーンは告げています。
宮水家は女しか生まれない女系家族のようで、おそらく、代々、婿養子をもらっていたのでしょう。そういう家の人を現実に知っているのですが、こうした家では家長は女性、家母長なのです。そして婿養子となった男性は、おとなしく控えめな人が多いようです。
宮水家では一葉が家母長で、としきはその下に控える立場だったでしょう。が、妻が病で亡くなり、「救えなかった」と嘆くとしきは、おとなしい婿養子から家父長的な強い男性になりたいと思い、家を出て、町長になった、と考えられます。
以上が、これまで、書く、書く、と言ってまだ書いてないことの前段。
そろそろ書くかな。