「ホイットニー・ヒューストン」が今年最後になるかと思ったが、最後の最後に「ケイコ 目を澄ませて」に行ってきた。
近隣ではここ、MOVIX柏の葉で上映中。
各方面から絶賛の映画で、都心では入りがいいらしいけど、ここ柏の葉では第1週こそ通常3回、バリアフリー字幕つき1回の上映だったが、第2週は朝1回のみ。よっぽど入ってないのかなあ、と思っていたら、今日からの第3週は夕方からの回なので行ってみたら、けっこう入っていた。
実在の耳の聞こえない女性ボクサーの話にヒントを得たフィクションで、モデルとなった女性とは無関係の話のよう。
舞台となった荒川区は多少は知っている場所なので、そういう興味もあった。ラストに北千住の駅前通りが映ったのはなつかしかった。16ミリフィルムで撮影された、ちょっとざらついた感じの映像が下町の風景に似合っている。
俳優は好演しているし、ストーリーも面白いし、好きなタイプの作品だったし、あちこちで絶賛されているからこれからいくつも賞を取るだろうけれど、それでもどうしてもひっかかるところがあったので、それを書いておきたい。
日本だとこれが普通なのかもしれないけど、女性観が古いのである。
主人公のケイコは弟と二人暮らしで、母親は地方に住んでいるようだが、父親は出てこない。ジムの会長が父親代わりのようで、女性ボクサーと指導者が父娘のような関係になるといえばイーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」がある。しかし、「ミリオンダラー・ベイビー」と比べても女性観が古い。
荒川区の下町にあるジムはコロナの影響もあり、選手が次々とやめていく。開発で立ち退きも迫られている。そして、会長は健康面で不安を抱えている。そんなわけでジムが閉鎖されるのは時間の問題なので、会長たちはケイコの引受先を探す。
耳の聞こえないボクサーは試合中、レフェリーやセコンドの声も聞こえないため、試合は危険が伴う。だからケイコを引き受けるジムが見つからない。荒川区のジムに来たのも、前のジムでは練習試合さえさせてもらえなかったからで、こちらに来てからはプロになり、すでに2勝している。
とはいっても、ケイコも他の選手もボクシングで食えるわけではなく、生業は別に持っている。ケイコはホテルの客室係として働き、先輩からは応援もされている。
そんなケイコのために会長がなんとか引受先を見つけてくれるのだが、ケイコは自宅から遠いと言って断ってしまう。
ケイコは耳が聞こえないこともあり、周囲との意思疎通が十分にできないのだが、どうも、彼女は父親代わりの会長のもとを離れるのがいやなようなのだ。
会長が倒れて入院し、ケイコの日記が読まれ、そこで会長のもと以外ではボクシングを続けられない、というような思いが明らかになるのだが、最後は土手で試合の対戦相手と偶然出会い、彼女が現場作業員をしていることが服装からわかる。この2人のシーンから、会長のジムがなくなってもケイコはボクシングを続けるだろうと予想できるのだが、女性が父親代わりの会長にこだわり、それに将来が左右されてしまうというのがやはり古い女性観だと思うのだ。
確かにこの映画に描かれている女性たちは今の日本の女性たちなのだが、それは今の日本の女性がいまだ古い価値観の中にいるということでもあって、そのことに疑問も持たずに古い女性観のストーリーを描いてしまうことに疑問を感じる。
冒頭からいろいろな音や声が聞こえてきて、彼女にはこれは聞こえないのだということを常に意識させる構成はすばらしいが、それでも、この古い日本の女性観に疑問のかけらも感じられない映画が海外でも絶賛され、それを指摘する人もいないとしたら、やはり日本のジェンダー平等は相当遅れていると言わざるを得ない。