文化の日、久々に有楽町で映画を3本見る。
コロナ以後は銀座日比谷地区には行かなくなり、2年前の秋にシネスイッチ銀座とシャンテシネへ行っただけ。あんなに人のいない銀座は見たことがなかった。
それから2年後の有楽町。人出はコロナ前に戻っていた。
イトシアの中にあるヒューマントラストシネマ有楽町で、ペドロ・アルモドバルの短編「ヒューマン・ボイス」、セリーヌ・シアマの「秘密の森の、その向こう」、アルモドバルの長編「パラレル・マザーズ」を同じシアターで続けて見る。間はどちらも15分間。効率よく見られはしたが、都心の映画館は狭く、人が多い(祝日で、アルモドバルの映画の初日なので余計)。いつもは郊外の広くてすいているシネコンなので、こんなに人口密度の高い中で3本も見て、この日が一番危険だったかもしれない(おまけに帰りの電車が人身事故で、駅にとまっていた電車の中に1時間以上いて、しかもわりと混んでいたので、ちょっと心配)。
「ヒューマン・ボイス」はコクトーの劇をもとにした30分のドラマで、アルモドバルらしい鮮やかな色彩の映像や、小道具を使ってアルファベットを描くメインタイトルなどが目をひく。ティルダ・スウィントンの一人芝居だけど、犬が名演技。
「秘密の森の、その向こう」は、死んだ祖母の家の片づけに来た幼い少女ネリーが、自分にそっくりな少女マリオンと出会う。マリオンの家は祖母の家にそっくりで、ネリーの母の名がマリオンなので、ネリーは彼女が幼いころの母だと気づく。また、ネリーは祖母の名前でもある。
2つの家がある秋の森の風景が美しく、その中にたたずむ少女の姿が絵画のようだ。
ネリーの母はなぜかどこかへ行ってしまい、祖母の家にはネリーと父親だけがいる。一方、マリオンの家には彼女と母親(ネリーの祖母)だけがいる。
マリオンはこれから手術を受けることになっている。その直前の日々を2人はともに生きる。
前作「燃ゆる女の肖像」は理詰めで全部わかる内容だったが、これは謎が多い。理屈ではわからない感じがする。祖母の死、手術を受けるマリオンの不安、ネリーの母の不在、マリオンの父の不在。ネリーとマリオンを双子の姉妹が演じているので、時々、どっちがどっちかと思う瞬間がある。ネリーは幼い母と出会うだけでなく、母にそっくりな若いころの祖母にも出会う。マリオンの家のすぐ先にネリーの祖母の家がある、みたいな描写もある。
お母さんの誕生日だから帰ろう、という父に、ネリーは、マリオンの誕生日を祝うのは今しかできないと言って、マリオンの家で誕生日を祝う。ろうそくの数は9本なので、9歳なのだ。母に似た年齢の祖母もそこにいる。そして翌日は、手術を受けに行くマリオンを見送り、家に帰る。
手術についても詳しく語られず、謎のまま終わる。マリオンが手術を受けることの不安は、母を失う不安かもしれない。
「パラレル・マザーズ」は、スペイン内戦でファシスト勢力に殺され、地中に埋められた人々の遺骨を発掘する話が最初と最後に出てきて、その間に、産院で同室になった2人のシングル・マザーの赤ん坊同士が取り違えられてしまうという物語が語られる。
遺骨発掘をめざしている40歳の女性は、仲間の男性と一夜をすごして妊娠、男性はガンで闘病中の妻がいるので離婚はできず、彼女と別れる。同室の女性はまだ10代で、恋人と関係を持ったあと、仲間である2人の男に脅され、レイプされる。子どもはどの男の子かわからない。しかし、2人とも、出産には前向き。
その後、40歳女性の子どもが誰にも似ていないのでDNA鑑定をしてみたら、親子でないことがわかる。一方、10代女性の子どもは非常にまれな突然死をしてしまう。40歳女性は家政婦兼乳母として彼女を雇い、友情から同性愛的感情まで生まれるが、やがて真実が明るみに。
遺骨発掘では、殺された人々の子孫の思いが語られる。一方、40歳女性の発掘仲間の男性は妻が全快したことから離婚し、2人の間には新たな子どもができたよう。また、突然死した赤ん坊の写真を見た男性は、母に似ている、と言う。10代女性の方も、自分の子供を見て、父親が誰かわかる。ラスト、発掘現場には10代女性と子どもも来ていて、彼女たちの連帯は続いているようだ。
こんなふうにして、祖父母や親から子どもに受け継がれていくもの、みたいな共通点が発掘の話と取り違えの話にあるが、最後、ずらりと並んだ骸骨が示す過去のファシズム政権の時代への言及と、赤ん坊の取り違えの話があまりリンクしていない感じがしたが、スペインの人にはまた違った感慨があるのかもしれない。
映画を見終わったあと、久々に有楽町から東京駅まで歩いた。来年3月に閉店する八重洲ブックセンターに寄りたかったから。丸の内側に丸善ができてからここはほとんど行かなくなっていたが、久しぶりに中へ入ったら、こんな狭い店だったのか、と驚いた。
そのあと、京橋の試写室に行ったときには必ず寄った八重洲地下街のカレー店へ。コロナ前は290円だったサービスカレーが350円になっていた。350円ではありがたみが薄いのだけれど、せっかく来たのだから食べた。味は同じだったけれど、具がだいぶしょぼく。八重洲地下街もコロナになってからはずっと来ていなかった。