2023年7月31日月曜日

「バービー」が見たくなくなった→ワーナー本社が謝罪も問題は残る。

 


「バービー」楽しみにしてたのに。

「オッペンハイマー」クリストファー・ノーランだから期待していたのに。

でももう、いいや。

オバマやバイデンが広島に来たって、何も変わってなかったんだ。

アメリカでは原爆投下は間違っていたと思う人が多くなっている、というのは違っていた、むしろ、東西冷戦で核戦争の危機があった昔のような危機感すらなくなっているのでは?

グレタ・ガーウィグはフェミニズムだというけれど、彼女の映画、私からしたらそんなにフェミニズムとは思えない。世間に受け入れられる程度のヤワなフェミニズム。

もういいよ。私は世間とは違うんだ。

その違う感覚を大事にしていこう。


追記

まとめ発見。

原爆開発者の生涯を描いた『オッペンハイマー』と『バービー』の同時公開に合わせてバーベンハイマーがネットミーム化、バービー公式がファンアートに好意的なリプで炎上「原爆投下やキノコ雲のミーム化に乗っかかってる」 | まとめ部 (matomebu.com)

これ見るとおふざけが広まっているみたいですね。「バービー」公式も話題になるんで喜んでるみたいだし。監督とかも何も言わないんですか、そうですか、まあ、上に書いたようにもともとガーウィグの映画高く評価してなかったんでいいですが。

しかし、韓国の芸能人が原爆おふざけしたときは猛烈にたたいていたネトウヨが今回はだんまりっていうのも、これはこれで日本の現実を表しているようです。

東西冷戦終結後、核兵器への恐怖が相当に薄れているってのがあるんでしょうね、やっぱり。

追記2

その後、ワーナーの日本支社がお詫びのコメントを出したようですが、本国は知らぬ存ぜぬで通すのが明らか。(その後、8月1日に本社が謝罪。)

いくつか記事を読んだ感じだと、要するに、これは「バービー」側が仕掛けたので、「オッペンハイマー」はもらい事故みたいなもの?

もともと、「オッペンハイマー」のノーラン監督が、長年のつきあいのワーナーが公開と同時に配信するとしたので、縁を切り、ユニバーサルで製作。それに対し、振られたワーナーが「バービー」を同日公開にぶつけてきた、という背景があるらしい。

で、バービーとオッペンハイマーのコラボみたいなのは6月頃から始まっていたのだと。

それはファンが勝手にやってる、と言ってるけど、なんか、見たところ、バービー側がオッペンハイマーに便乗したように見えるのよね。

だって、ガーウィグやロビーが「オッペンハイマー」のチケットを買った写真を載せてるとかいうけど、ノーランが「バービー」のチケット買った写真とかないんでしょ?

そもそも「オッペンハイマー」が本命、「バービー」は対抗だったわけで、対抗が本命に便乗することはあっても逆はない。

結果的には暗い「オッペンハイマー」より明るい「バービー」の方がヒットしているようだけど、公開前には本命であり、なおかつ男の映画である「オッペンハイマー」に、対抗で、女の映画の「バービー」が便乗という構図は十分あり得た。

だから、これはやはりバービーが原爆に便乗したと見ていい。オッペンハイマーはもらい事故。

「バービー」には大変高尚なテーマがあるようですが、どんなに高尚なテーマの立派な作品でもこういう売り方してはいけないよね。これは絶対、ファンが勝手にやったとは思えないレベル。公式が何かファンを煽ったから起こったので、しかも、それを公式が喜んで追認という構図と思う。

作った人たちには罪はないとしても、やはりこれは許してはいけない事態。

女の映画だから男の映画をこういうふうに便乗するとか、それがフェミニズムか、って話。

それで思い出したんだけど、ガーウィグがフェミニズムなのかどうかははなはだ疑問なんだけど、仮にフェミニズムだとしても、「フェミニズムは白人女性のフェミニズムだ」という、非白人女性からの指摘を思い出してしまったのです。

「バービー」は九段線の件でベトナムで上映禁止になったけど、このあたりの認識の低さというか、アメリカってベトナムでもひどいことしているけど全然謝罪してないんだよね、そして今度は原爆か、と思ったのでした。

追記3

アメリカのワーナー本社が謝罪しました。

Warner Japan Criticizes “Extremely Regrettable” Barbenheimer Posts – Deadline

これで一件落着かな。

追記4

8月2日、「バービー」の日本プレミアが行われ、監督、プロデューサー、日本語吹替の女優が登壇したが、今回の件についてはいっさい触れず。吹替の女優はインスタグラムで見解を述べたが、監督はインタビューをキャンセルとか。そして、本国ワーナー本社はプレス向けに謝罪文を送っただけ、ということも問題になっている。

以下、このあたりをよくまとめたサイト。

【『バービー』×『オッペンハイマー 』】ワーナー・ブラザースが謝罪した原爆ネタ含む「バーベンハイマー」問題のアレコレ - Junk-weed’s blog (hatenablog.jp)

とりあえず、すぐに見に行くのはやめようと思ってます。大人の事情があることはわかりますが、やっぱり監督への不信感が消えない。

2023年7月30日日曜日

隅田川花火大会from江戸川土手

 文京区に住んでいたときは隅田川の花火大会の音は派手に聞こえていました。

一時、住んでいたマンションの屋上から見えたし、谷中へ行けばよく見えた。

郊外に引っ越した今も、音だけは聞こえます。

でもまあ、音だけだとやはり欲求不満。しかし、近くには行きたくない。となると、江戸川の土手です。

松戸神社の近くから土手に上がると、ここから花火が見えていたのですが、外環道ができてからは見えなくなりました。


これは富士山かな?


花火を見るためにてくてく土手を歩いて葛飾橋の手前を通り、外環道の下を抜けたら、ばっちり。ここはもう都内(と思ったが、川を越えないと都内ではなかった)。ズームしてますが、肉眼だともっと小さいです。


2か所で打ち上げているのがわかります。ヘリが飛び回っているのもよく見えた。




30分ほど見て、また外環道をくぐり、土手をてくてく歩いて戻ったら、あれ、見える。


さっき土手に上がった場所からさらに北の方へ来てしまったようです。北の方へ行けば逆に見えるのか。ただ、高く上がったものしか見えません。


来週は松戸の花火大会で、千葉県150周年、松戸市80周年とかで、隅田川よりたくさん打ち上げるらしい。しかも、コロナ前は対岸の三郷市の運動場から打ち上げていたので、広範囲から見えたのだけど、今年は松戸市内の運動場で打ち上げるとのことで、前より見づらくなりそうな予感。対岸の三郷市へ行った方が見やすいかなあ、などと考えていますが、両岸とも交通規制がありそうです。

同じ日に市川市と江戸川区の両岸での同時花火大会、そして手賀沼の花火大会もあるので、人は分散されると思いますが、でも、4年ぶりということでどこも例年を上回る、過去最高の人出のようですね。コロナ前は松戸の花火大会を見ながら、南に市川・江戸川の花火、北に手賀沼の花火も見られたのだけど、今年ははたして?

2023年7月29日土曜日

「キングダム 運命の炎」&「ビデオドローム」4Kディレクターズカット版

 心待ちにしていた「ビデオドローム」4Kディレクターズカット版がようやく近隣のシネコンで上映。


朝の回と夜の回しかなく、夜の回だと昼間が暇だなあ、と思い、第1作も第2作も見てない「キングダム」をいきなり第3作で見てしまう。


正直、第1作、第2作の予告編見たときは特に興味がわかなかったのだけど、今回は予告を見て、見たくなった。やはり大沢たかおでしょう。

秦の始皇帝になろうとする若者と、大将軍になろうとする若者の物語、くらいは知っていたが、あとは何もわからず。なので、人物関係の把握は無理だったけれど、それなりに楽しめた。

実際、中国映画だったらふんだんに製作費かけてすごいものを作るだろうけど、日本映画だとこれが限界かな、アクションシーンはご都合主義満載だし、と思うけど、大沢たかおの将軍を見るだけでも価値があった。続きもまた彼が活躍しそうなので、また見に行ってしまいそう。

そして、「ビデオドローム」4Kディレクターズカット版。


この映画、日本では最初は劇場公開されず、ビデオ発売。私はレーザーディスクを買って見たらとり憑かれ、たぶん30回以上見たと思う。そのうち劇場公開もされて、そのときはタイトルは「ヴィデオドローム」だったと思うが、映画館にも行った。

その後はずっと見ていなくて、かなりのお久しぶりだった。タイトルも最初のビデオのときの「ビデオドローム」に戻ったディレクターズカット版って、どこが違うの?と思って調べたら、英語のサイトで、アメリカでは検閲に引っかかってエログロのシーンがカットされた部分があったこと、その後、ビデオ等ではそれらが戻されていたことがわかった。

つまり、日本では最初からディレクターズカットだったということ? そして、その後、「ヴィデオドローム」として公開されたのもこれだった?

ただ、今回見て、昔見たのと違うと思ったのは、トロントのタワーが出てくるシーンがなくなっていたこと。そこが何か普通のビルのシーンに置き換わっていたように思う。

映画の舞台がトロントなのはセリフその他で示されているし、ラスト近くの港のシーンで左側にぼんやりとタワーが映っている。なのに、なぜ、途中の青空にくっきりとそびえるタワーのシーンをカットしたのか?

映画は昔のめり込んだほどには、今はのめり込めなかった。走査線のあるブラウン管のテレビ、日本ではとうにすたれていたけどカナダでは人気だった家具調テレビ、そしてエロチックに変形するビデオカセット。あのビデオカセットはベータだったと、さっき調べてわかったが、VHSではなくベータと知ると余計趣が増す。

あのエロチックさは、ビデオカセットだから可能なので、DVDやパソコンのメディアじゃ無理。テレビも曲線のブラウン管だから人間の肉体になるわけで、平らな液晶画面じゃだめだよね。

そういう有機的なものがかつてのアナログの世界にぴったりだったので、今の無機質なデジタルの世界では無理な気がする。

今になって魅了された人は、今を予言した映画と感じるだろうけれど、同時代で魅了された私だと、どうしても過去を振り返る形になってしまうようだ。

入場者プレゼントのポストカード。


このヘルメットをかぶったのはジェームズ・ウッズではなく、替え玉だったそうな。

2023年7月28日金曜日

美術館の悪ものたち

 西洋美術館の常設展の中で行われている「美術館の悪ものたち」という展示を見に、上野へ。

その前に谷中の15年間つきあった猫のテリトリーへ行く。が、2ヶ月近く行かなかった間に、墓地はすっかり変わっていた。



なんかすっきりしちゃってるし。そして、野原みたいになっていたところに新しいお墓がたくさんできるようだ。あの猫がいなくなるまで、手をつけずにいてくれたということなのだろうか。もうここには猫はいないようだ。

西洋美術館常設展入ってすぐ。


「美術館の悪ものたち」はモネの部屋のすぐ先。常設展でいつも見ている絵や、以前見たことのある絵がけっこうあったが、それ以外の絵が非常に見ごたえがあった。ここに紹介するのはごく一部。







常設展の他の展示室からは、新展示作品を中心に。








彫刻の部屋に小さい「考える人」が。これ、去年美術館が再開したときからずっと見ることができなくなっていたのもの。


企画展示室はこれ。企画展示室は去年から全然見に行ってない。


不忍池は蓮が咲き始めている。


上野動物園は暑いので、最近全然行っていない。8月の夜の開園は行きたいと思っている。

2023年7月27日木曜日

「CLOSE/クロース」

 ちょっと気になっていた映画「CLOSE/クロース」を見てきた。


少年2人の親密な関係、ということで、「怪物」と比較されたりもしているようだけど、「怪物」が少年2人には迷いがなく、周囲の大人などの問題が浮き彫りにされたのに対し、こちらは当事者の少年の苦悩が中心。

レオとレミは親友というには親密すぎる13歳の少年たち。その親密さを生徒たちからからかわれたのがきっかけで、レオはレミを避けるようになる。それが原因でレミは自死してしまい、レオは苦悩する。

13歳くらいだと同性の友人と親密になることはままあることで、彼らがセクシャル・マイノリティかどうかはわからない。本人たちはそうだとは思っていない、少なくともレオは思っていないので、レミを避けてしまう。

レミの方はどうか、が、いまひとつわからないが、自死したからといって彼がセクシャル・マイノリティとは限らないと思う。

レオはホッケー、レミは楽器と、趣味は違い、一緒にいたいから同じ趣味を持つということはないようだ。

レオを演じる少年の瞳が印象的で、非常に目力がある。周囲の大人たちはレオのせいだとは誰も言わない。しかし、レオは罪の意識を抱えている。

周囲の人々や社会ではなく、ひたすら個人の内面の問題として描いているのが「怪物」とは正反対なのだが、それはヨーロッパの方が社会が進歩しているからなのか、と少し考えてしまった。

最高気温37度超えの猛暑だったけれど、映画のあと、ショッピングセンターの屋上に出てみた。花壇と、そしてブルーベリーみたいな実がなっている。





その後は涼しいフードコートですごし、帰りの乗換駅で、タイのイケメン男優のポスターを見ることができた。


2023年7月26日水曜日

ある英文学者の訃報

 東京都立大学、東京女子大学の教授だった小池滋が亡くなっていたことを、母校からのメールで知る。4月13日に亡くなり、新聞には訃報も出たようだが、英文学者の訃報は、世間的によっぽど有名な人をのぞき、ネットを見ていたのでは目にとまらない。

91歳とのことなので、教授を定年退職して21年はたっていただろう。

ディケンズを中心とするイギリス小説の大家だっただけでなく、翻訳も上手で、鉄道やミステリーの熱心な愛好家でもあったので、アマゾンで検索するとたくさん本が出てくるけれど、もうほとんど絶版のよう。

英文学者として優れていただけでなく、文章が魅力的だったのだが、さっきアマゾンで検索したら、昔読んだ英国鉄道に関する本に星1つつけた人が、「読みにくい」とコメントしているので、時代の差を感じた。

今すぐ読める本では、この「リトル・ドリット」の翻訳がキンドルになっていた。「大いなる遺産」と並んで私が最も好きなディケンズ作品であり、小池滋の訳もとても好きだった。


Amazon.co.jp: リトル・ドリット(上) eBook : チャールズ・ディケンズ, 小池滋: 本

私がイギリス小説を研究するようになったきっかけはキューブリックの映画「バリー・リンドン」を見たことだけれど、英文学者をめざしたのは小池滋の影響が大きい。「バリー・リンドン」はディケンズと同時代のサッカレー原作なので、当然、小池滋の本に行きつく。その語り口に魅了され、氏が当時、日本のイギリス小説研究ではトップの研究者であることを知り、氏が教授をつとめていた東京都立大の大学院への進学を決意。私が通っていた大学は大学院がなく、文学部さえなく、そこで細々とイギリス小説研究なんぞやっていた上、受験に必須の第2外国語をとっていなかったから、あわてて4年になってフランス語を猛勉強。

と、そのままなら都立大大学院へ行っていたところなのだが、非常勤講師で来ていたある先生から、「東大を受けないと最初が都立大になる。模擬試験だと思って東大を受けた方がいい」と言われ、じゃあ受けるか、と思って受けたら受かってしまった。

都立大ももちろん受けて、面接で小池滋に初めて会う。サッカレーの卒論を出していたので、「サッカレーをやっている人だね」と言われた。

都立大は筆記試験の翌日にもう面接をしてしまうのだけれど、東大は筆記と面接の間に1週間ほどあり、筆記で落ちると思っていた東大に受かって面接まで行ってしまった。都立大の面接のときはあせっていて、あまりうまい面接にならなかったが、その経験があったので東大の面接は落ち着いて受けられた。発表は都立大が先で、合格して安心したものの、東大の面接まで行ったのだから、落ちても来年また受けたいような気分でいたところ、東大も合格してしまい、小池滋の弟子になるという夢はそこで終わってしまった。

大学院は先生につくので、大学院の名前よりも先生で選ぶ、ということがよく言われ、特に理系はそうらしいのだが、英文学の場合は先生よりも大学院、特に関東では就職は東大院以外はむずかしいと言われていた。

実際は東大院では女性の就職は本人のコネ任せで、女性に関しては就職がいいわけではなかったのだけど。

小池滋にはその後も論文を送り、学会で会って話をしたこともある。氏は私の論文を非常に高く評価してくれていたが、師弟関係もないので、それが就職に結びつくことはなかった。むしろ、私をあまり評価していなかった指導教官が、自分より上の小池滋が私を高く評価したというので、指導教官との関係が悪くなった気がする。もちろん、就職とそのことは別で、東大院の先生には女性の院生を就職させる力がなかったのだが。

小池滋は東大出身で、東大への就任を打診されたが、断ったと言われていた。当時、東大の教員になると学会の仕事が大変で研究がしづらくなると言われていて、トップの研究者は東大に来ない、東大に来るのは2番手の人、と言われていた。大橋健三郎、小津次郎といった大御所はいたが、その下となると、やはり、なところがあったのは事実。今となっては、そんなこと知っている人は皆無に等しいだろうけど。

そんなこんなで、院を出てからは英文学の世界そのものから遠ざかり、そうしたこともすっかり忘れていたのだった。

2023年7月23日日曜日

タイのイケメン男優

 昨日の夕方、久々に近所の野鳥のいる公園へ行ったら、すぐそばのホールの前に大勢の若い女性がいてびっくり。アイドルのコンサートか何かがあるのかなあ、と思いつつ、すいていて涼しい風の吹く夕方の公園でまったりし、それから20分ほど歩いてショッピングモールへ行き、フードコートで夕食を食べてまったり。

そして帰り、バスで9時半頃にそのホールの近くのバス停に着いたら、いつもは誰もいないバス停前の歩道に大勢の若い女性。降りても歩道を歩けないくらいの人で、なんとか端を歩いてホールの前に行き、あとはすいている道路を歩いて帰った。

何があったのだろうと思い、検索してみると、タイの人気俳優でガルフという人のファンミーティングがあったらしい。それも昼夜の2回。

夕方、外にいた人たちは昼の部が終わった後、夜の部を待っていたのだ。

しかし、バスは1時間に2本しかないのだけど、たいていの人は歩いて駅まで帰ったのだろうか。徒歩15分くらいのわかりやすい道です。イベントがあるときは駐車場が満杯なのに、この日は駐車場に車がほとんどなく、電車やバスで来た人が多かったのだろう。リアルタイム検索したら遠方からの人も多かったよう。

で、最寄り駅にはこんなポスターが出ているようです。まだ数日出ているらしいので、行ってみよう。


しかしタイのイケメン男優人気がこれほどすごいものだとは知らなかった。

タイのドラマにBLが多いというのはなんとなく知っていたし、タイがLGBT先進国であるのも知っていたが、こんなブームになっていたとは。今回はうちの近所のホールでしたが、東京ドームでもイベントやっていたらしい。

そんなわけで、タイのそこらへんの事情を検索したら、このような解説が。

タイにBLドラマが多いのはなぜ?同性愛作品が流行った3つの理由【LGBT先進国】 | プーケットブログいほうじんのぼやき (ihojinnoboyaki.com)

いやもうほんと、若い人の文化に疎くなっていて、年を感じます。

ガルフくん、すごいイケメンですが、昼夜2回ともファンとハイタッチしたそうで、1回50分くらいかかったようだから、ほんと、体力いりますね。

2023年7月21日金曜日

君たちはもう生きるな

 ネーミングが傑作すぎる。


奨学金に課税とか、借金に課税かよ。

マイナ保険証は日本を滅ぼす、と思ってるけど、よっぽど日本の人口を減らしたいらしい。

正直、今の日本て、革命前夜くらいになってるのでは?と思ってるけど、日本人は革命は起こせないだろうな。

まあ、気がついたら庶民はみんないなくなって、金を取り立てる相手がいなくなったことに気づけばいいよ。その頃には私はもう生きてないだろうけど。生き残った金持ちだけで今度はバトル・ロワイアルかな。

2023年7月15日土曜日

「君たちはどう生きるか」(ネタバレあり)

 宮崎駿の新作は、「君たちはどう生きるか」というタイトルと、鳥のビジュアルしか公表されていない、という状態で、7月14日に公開。


ほとんどスニークプレビュー、覆面試写会みたいな方法で、何もわからない状態で映画を見ることになる、というのもまたよいかなあ、と思って、初日に見に行った。


「ミッション・インポッシブル」最新作、17日にIMAX最速上映があって、トム・クルーズのレッドカーペット生中継もされて、一律3500円とか、へえ、と思っていたら、ハリウッドの組合のストライキで宣伝活動すべてできなくなり、生中継は中止だそうです。じゃあやめた、という人には払い戻しもあるようですが、IMAX最速上映と入場者プレゼントだけで3500円て、高くないのかな。

というところで、「君たちはどう生きるか」です。


主人公は戦時中の裕福な家の息子である少年。母が火事で焼死し、軍需工場を経営する父親と田舎の実家に疎開、そこでファンタジーの世界に巻き込まれる。

宮崎駿は父親が軍需工場の経営者で、裕福な家の息子だったというから、主人公は監督の分身ということになる。その彼が(ネタバレ)巻き込まれたファンタジーの世界で死んだ母と、継母になる母の妹を探し、そこで大叔父に出会って、悪意のないよい世界を作るように言われる、というのがおおまかなあらすじ。

タイトルになっている1937年に書かれた本は、主人公が読んでいて、そこに母の書いたメッセージがある、というだけで、この本の映画化ではないよう。冒険活劇ファンタジーだ、という情報があったけれど、ファンタジーだけど、冒険活劇かと言われるとかなり疑問。

ストーリー自体は単純で、それだけ追ってると退屈だが、上の大筋には出てこないディテールやシーンやキャラクターが魅力といえば魅力で、そこの想像力はさすがだなあと思う。でも、ディテールやキャラだけで満足できるかというと、そこまでではない。

(以下ネタバレ)悪意のない世界を作れ、と主人公が言われるのは、戦争が終わったらよい世界を作れということで、でも、主人公自身にも悪意はあるので、それができるだろうか、というあたりは、軍需工場の経営者の息子で、裕福なので戦時中も苦労しなかった監督の負い目であるかもしれない。しかし、そこを深く追究しようとかいう姿勢はまるでないし、母と継母を救おうとするモチーフもどこか中途半端。少年は現実の世界に戻り、そして戦争が終わるのだけれど、戦争中であることがわかるシーンは非常に少ないし、主人公と違って、戦争中に飢えたり爆撃されたりした多数の普通の人は描かれないから、恵まれた主人公はいい気なもんだとしか思えない。君たちはどう生きるかって、あなたはどう生きたのよ、って言いたくなる。

2023年7月10日月曜日

りさ~ちまっぷその後(先は長い)

 自分の執筆記録を残したい、という気持ちで春頃から始めたリサーチマップの登録。土日で50くらい映画評のタイトルと媒体名を追加登録しましたが、まだまだ先は長い。

キネ旬が多いのだけど、2000年までのキネ旬は国立国会図書館のHPに目次が出ているので、それを見て登録してますが、細かいのでたぶん見落としがある。とりあえず、1984年から88年までは一応やった。

2002年秋からはパソコンに原稿がテキストデータで残っているので、それを見て登録。2002年秋から現在までは一応できたかな。

キネ旬以外は雑誌の切り抜き等を探し出して、それを見て登録する以外ありません。先は長い。キネ旬も1989年から2002年夏まではこれからだし。

でも、この作業をしていると、40年近くにわたる自分の執筆歴、そのときのさまざまな状況が思い出され、お世話になった人たちの顔が頭に浮かび、いろいろ感無量です。

キネ旬は解説を書いた「フランケンシュタイン」を送ったのがきっかけで執筆できるようになりましたが、最初の2、3年はシナリオ採録要員にされていて、映画評はなかなか書かせてもらえず、ストレスがたまりまくりでした。シナリオ採録は時間がかかるのに報酬が極端に安く、やりたがる人はまずいない、という状況で、私も仕事自体は楽しめる部分もあったものの、映画評を書かせてもらえる期待からやっていた面が大きかったです。でも、なかなか書かせてもらえなかった。私の売り込みが下手だったせいもありますが。

潮目が変わったのは1987年頃からだと思います。その頃から他の雑誌にも執筆できるようになり、キネ旬でも映画評担当のベテラン編集者が私の文章を気に入ってくれたおかげで、映画評の仕事が増えました。

しかし、その状態も長くは続かず、1990年春に知っていた編集者がみなやめてしまい、キネ旬とはしばらく縁がない状態に。それでも、他の雑誌での仕事はいろいろあったので、映画評論家としての活動が途切れることはありませんでした(いくつもの雑誌の編集者が私の文章を気に入ってくれたおかげです)。そして、1996年からはまたキネ旬に復帰。そのときの編集メンバーに気に入られたおかげで、それから10年以上、たくさんの映画評を発表できていました。

ただ、その間に他の媒体の仕事はどんどんなくなり、いつしかキネ旬だけが頼りの状態に。そのキネ旬も2010年代に入ると、いろいろな変化があって、しだいに機会が減っていきます。

リサーチマップに登録しながら、ああ、この時代はシナリオ採録ばかりで映画評が書けなくて欲求不満だったなあ、とか、ああ、この時代はこんなにたくさん書かせてもらったのか、と感謝の気持ちでいっぱいになったり。そして、お世話になった多くの雑誌、出版社の編集者、映画配給会社の宣伝部の人たちを思い出して、また、感無量になったのでした。

私は大学院ではE・M・フォースターを研究していたのですが、キネ旬に書けるようになった翌年にデイヴィッド・リーン監督による「インドへの道」映画化が公開。これに合わせて原作と映画の比較論とシナリオ採録をさせてもらい、その後も「眺めのいい部屋」と「モーリス」の特集に書かせてもらえました。ジェームズ・アイヴォリー監督のこの2作では配給会社にも協力し、パンフレットに執筆。1990年代に入ってからの「ハワーズ・エンド」はキネ旬では縁がなくなっていたので書けませんでしたが、配給会社での協力は続き、プレスシートとパンフレットの両方に執筆。大学院での研究がそのまま映画の世界での仕事に直結したわけで、これはとても幸運でした。

リーン監督の「インドへの道」が巻頭特集の「キネマ旬報」。古書店のHPにあった写真ですが、このリーン監督の写真を表紙に使えるというので、編集者がとても喜んでいたのを覚えています。


40年近くを振り返ってみて、私のような人づきあいが悪く、売り込みが下手な人間がよく書き続けてこれたなあ、と思います。文章を気に入ってくれる編集者が多かった、としか言いようがなく、なぜ多かったのかは謎です。気に入ってくれない人もかなり多かったので。たぶん、私の書くようなタイプの映画評が必要とされた時代だったのかな、と。そして、2010年頃からその時代は終わったんだ、と。

そんなことをあらためて振り返りつつ、リサーチマップの登録を続けていきます(先は長い)。

2023年7月8日土曜日

「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」(ネタバレ大有り)

 昨年、近場の映画館でやっていたのだけど、3時間20分もあるので、コロナ怖いと思い、見るのを見送った「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」。そして今年、また同じ映画館で1週間だけ上映されることになり、コロナの状況は去年と変わらないけれど、今回見逃すともう映画館で見られないかもしれないと思い、出かけた。

久々の柏。うちの近所より物価が安いので、ついつい日用品を買い込んでしまう。街中は人が多い。映画館も思ったより人がいた。





さて、この映画、いろいろと謎めいた部分があって、どういう解釈がなされているのか興味があるのだけど、検索して知る前に、自分なりの解釈を披露してみたい。ということで、ネタバレ大有りで行きます。

まず驚いたのは、平凡な主婦の日常と聞いていたのに、のっけから主人公の主婦ジャンヌが売春してるのだ!

ジャンヌは6年前に夫が他界し、高校生くらいの息子とアパートで二人暮らし。こまめに部屋の電気を消すなど、貧乏な感じ。服も地味。料理するときに着る服のしわとかタオルの汚れとかすごくリアル。ジャンヌを演じるデルフィーヌ・セイリグが美人なのでそれほど貧乏くさくはないのだけれど、夫がいなくて、ジャンヌも働いていなくて、息子が高校生では。

それでも最初の日に来た男は上品なやさしそうな老紳士で、売春したあともジャンヌはそれまでと変わらない。料理をし、息子と夕食を食べ、という生活。老紳士は「また来週」と言っていたが、適度にロマンスを楽しんでお金を稼いでいるのかな、とこのときはそう思った。

2日目、息子が学校へ行ったあと、ジャンヌは息子のベッドをたたんで一人用のソファにし(これがかなりびっくり)、その後、買い物に行ったりカフェでくつろいだり、赤ん坊を預かったりする。そして昼下がりに別の男がやってくる。口ひげを生やしたちょっとワルっぽい感じの男。前日の老紳士とは大違い。男は「次は木曜日に」と言って去る。そのあと、ジャンヌの様子がおかしくなる。じゃがいもをむきながら苛立たしい表情になり、その後もミスをするようになる。

3日目、毎日のルーティンをこなすジャンヌだが、明らかに彼女はおかしくなっている。そして、第3の男がやってくる。口ひげをはやした男で、2日目の男のようなワルっぽさはない。

最初の男と2番目の男はジャンヌの寝室に入ったあとの描写はなく、事前と事後しか描かれないが、この3番目の男はいきなり寝室の描写になる。

寝室自体はジャンヌだけがいるときに描写されていたが、ここには彼女と夫が写った写真が飾ってある。夫は口ひげをはやしている。

男と寝たあと、ジャンヌはいきなりハサミで男を刺し殺してしまう。そのあと、暗い部屋の中でじっとしているジャンヌの顔を正面から映す描写が長く続き、その途中で彼女は笑うような表情もする。そしてエンド。

男と寝ているとき、ジャンヌはエクスタシーを感じたようにも見え、また、それを嫌悪しているようにも見える。

実は、彼女と息子の会話の中で、息子がセックスに対する嫌悪感をあらわにする場面がある。子どもがどうしてできるかを知ったときに嫌悪感を感じ、さらに快楽だけのためにセックスすることに不快感を感じたという。そして、そのような快楽のためのセックスをした父親が死んだのは天罰だ、とも言う。

高校生の少年が言うせりふとしてはなんか変だな、と思う。

これはジャンヌが感じていたことではないのだろうか。

ジャンヌは昼間、赤ん坊を預かるが、彼女が赤ん坊を抱くと赤ん坊は激しく泣く。かかわらなければ静か。彼女は赤ん坊に嫌われているようだ。

これはつまり、ジャンヌがセックスや出産、赤ん坊に対して嫌悪感を感じていることのあらわれなのではないか?

それはすなわり、女性は男性を愛し、結婚し、子どもを産み、夫や子どものために家事をして尽くす、という昔ながらの女性観に対する嫌悪である。

ただの主婦にしかなれなかったジャンヌはこの女性観に縛られ、それゆえに苛立ちや嫌悪感を感じていたのだろう。さらには、男性とのセックスに対する嫌悪感もあったのかもしれない。

そうしてみると、2番目の男のせいでおかしくなり、3番目の男を殺してしまい、そのとき常にあったのは夫の写真、という道筋がよくわかる。

固定されたカメラの長回し、デルフィーヌ・セイリグの表情の名演技など、映画的に注目するところも多いが、この映画、実は現実ではないのでは、と私は思った。

タイトルにある23番地にジャンヌのアパートがない、というシーンが2回もあったのだ。

ジャンヌがアパートに帰ってくるとき、映像は手前の郵便受けのあたりにピントが合っていて、奥の真ん中のエレベーターのところはぼけている、というシーンが何度も出てくる。そして、ジャンヌが歩道を歩いて行くシーン(ここでは2人の子どもがジャンヌのそばを歩いている)、ここも手前にピントが合っていて、奥の中央がぼけているので、ジャンヌと子どもたちがだんだんぼけていくのである。(このあたり、もしかして、映画館でないとはっきりわからなかったりして?)

この映画そのものがジャンヌの幻想なのではないかと感じさせるシーンの数々だ。そして、毎朝、息子のベッドをたたんで一人用のソファにするというのも、息子はほんとうに存在するのだろうか、ということを感じさせる。

上にアップした写真で、映画館に降りていく階段のところのポスター、「シャンタル・アケルマン映画祭」の隣に「TAR/ター」があるけれど、ちょっと、「ター」を連想する。あの映画も女性がおかしくなっていく映画だった。

もうひとつ、特徴的だったのは、日常の物音や騒音が強調されていたこと。外の車の音や家事をするときの物音が常に響いている。特に家事の物音が大きい。映像以上に音がものを言っている感じさえあった、のだが、近くにいた人の携帯の着信音が2回も鳴り響いたので、ぶち壊しだった。なんでマナーモードにしとかないのかな。派手な音が2回も鳴り響くからほんと、迷惑だった。普通、1回目が鳴ったときに音を消すものではないの?

あと気になったのは、3日目にジャンヌがひき肉をこねて作ったでっかいハンバーグみたいなもの。あれはどういう料理になる予定だったのだろう。

2023年7月5日水曜日

微博は見れる。

 ツイッターは見れませんが、微博は見れるので、シャンシャンの映像が見られました。

熊猫中心雅安基地 - @中国大熊猫保护研究中心 的视频 - 视频 - 微博 (weibo.com)

ツイッターが見られなくなる直前、上野動物園のツイッターで、シャンシャンの様子を中国のセンターに聞いたところ、元気で体重は100キロになり、竹よりも竹の子をよく食べている、という返事がありました、というのを読みました。

その後、この映像のシャンシャンの部分を切り取って、日本語字幕をつけたものが中国大使館広報部のツイッターに出たのですが、まあ、なんとかリアルタイム検索で見ることはできたのだけど、動画は小さかった。

そのあと、この微博のフルバージョンが見つかって、ようやく大きな画面で見れたのでした。

シャンシャーン、シャンシャーンと呼んでいるのは飼育員で、シャンシャンが来るまで1時間くらい呼んでいることもあるとか。あちらは広いからねえ。

しかし、ツイッターに出ている動画や画像はなかなか検索で見つけて見ることがむずかしい状況です。なにより寂しいのは、お水ちゃんの画像が見られないこと。

そんなにツイッター見ていたわけではないけれど、情報がかなり取得しづらくなっています。