東京都立大学、東京女子大学の教授だった小池滋が亡くなっていたことを、母校からのメールで知る。4月13日に亡くなり、新聞には訃報も出たようだが、英文学者の訃報は、世間的によっぽど有名な人をのぞき、ネットを見ていたのでは目にとまらない。
91歳とのことなので、教授を定年退職して21年はたっていただろう。
ディケンズを中心とするイギリス小説の大家だっただけでなく、翻訳も上手で、鉄道やミステリーの熱心な愛好家でもあったので、アマゾンで検索するとたくさん本が出てくるけれど、もうほとんど絶版のよう。
英文学者として優れていただけでなく、文章が魅力的だったのだが、さっきアマゾンで検索したら、昔読んだ英国鉄道に関する本に星1つつけた人が、「読みにくい」とコメントしているので、時代の差を感じた。
今すぐ読める本では、この「リトル・ドリット」の翻訳がキンドルになっていた。「大いなる遺産」と並んで私が最も好きなディケンズ作品であり、小池滋の訳もとても好きだった。
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私がイギリス小説を研究するようになったきっかけはキューブリックの映画「バリー・リンドン」を見たことだけれど、英文学者をめざしたのは小池滋の影響が大きい。「バリー・リンドン」はディケンズと同時代のサッカレー原作なので、当然、小池滋の本に行きつく。その語り口に魅了され、氏が当時、日本のイギリス小説研究ではトップの研究者であることを知り、氏が教授をつとめていた東京都立大の大学院への進学を決意。私が通っていた大学は大学院がなく、文学部さえなく、そこで細々とイギリス小説研究なんぞやっていた上、受験に必須の第2外国語をとっていなかったから、あわてて4年になってフランス語を猛勉強。
と、そのままなら都立大大学院へ行っていたところなのだが、非常勤講師で来ていたある先生から、「東大を受けないと最初が都立大になる。模擬試験だと思って東大を受けた方がいい」と言われ、じゃあ受けるか、と思って受けたら受かってしまった。
都立大ももちろん受けて、面接で小池滋に初めて会う。サッカレーの卒論を出していたので、「サッカレーをやっている人だね」と言われた。
都立大は筆記試験の翌日にもう面接をしてしまうのだけれど、東大は筆記と面接の間に1週間ほどあり、筆記で落ちると思っていた東大に受かって面接まで行ってしまった。都立大の面接のときはあせっていて、あまりうまい面接にならなかったが、その経験があったので東大の面接は落ち着いて受けられた。発表は都立大が先で、合格して安心したものの、東大の面接まで行ったのだから、落ちても来年また受けたいような気分でいたところ、東大も合格してしまい、小池滋の弟子になるという夢はそこで終わってしまった。
大学院は先生につくので、大学院の名前よりも先生で選ぶ、ということがよく言われ、特に理系はそうらしいのだが、英文学の場合は先生よりも大学院、特に関東では就職は東大院以外はむずかしいと言われていた。
実際は東大院では女性の就職は本人のコネ任せで、女性に関しては就職がいいわけではなかったのだけど。
小池滋にはその後も論文を送り、学会で会って話をしたこともある。氏は私の論文を非常に高く評価してくれていたが、師弟関係もないので、それが就職に結びつくことはなかった。むしろ、私をあまり評価していなかった指導教官が、自分より上の小池滋が私を高く評価したというので、指導教官との関係が悪くなった気がする。もちろん、就職とそのことは別で、東大院の先生には女性の院生を就職させる力がなかったのだが。
小池滋は東大出身で、東大への就任を打診されたが、断ったと言われていた。当時、東大の教員になると学会の仕事が大変で研究がしづらくなると言われていて、トップの研究者は東大に来ない、東大に来るのは2番手の人、と言われていた。大橋健三郎、小津次郎といった大御所はいたが、その下となると、やはり、なところがあったのは事実。今となっては、そんなこと知っている人は皆無に等しいだろうけど。
そんなこんなで、院を出てからは英文学の世界そのものから遠ざかり、そうしたこともすっかり忘れていたのだった。