2023年8月19日土曜日

読んだ本

 原爆に関する次の3冊を読んで、何かきちんとしたことを書こうと思っていたのだけど、どんどん時間が過ぎてしまうので、とりあえずの紹介を。(参考 右サイドの2023年8月の記事「これから読む本」)


右から順に読んだ。

「プロデュースされた〈被爆者〉たち」(2021年)は近くの県立図書館の映画書コーナーにあった。たまたまそこを見ていたときに発見したので借りることができた。

アラン・レネ監督の映画「ヒロシマ・モナムール」(「二十四時間の情事」)を分析しながら、原爆投下に関する日本とアメリカのギャップを明らかにしたもの。日本ではほとんど顧みられないこの映画が、なぜか北米では人気が高く、研究論文がよく書かれているらしい。しかし、この映画は原爆については最初の部分をのぞいてほとんど描かれておらず、むしろ、脚本のマルグリット・デュラスのフランスでの戦時体験が反映されている、デュラスの映画になっているとのこと。

しかし、著者の柴田優呼はこの映画はレネが「夜と霧」の広島版として、ドキュメンタリーとして作ろうとしたが、途中でデュラスが参加する劇映画に変えたこと、冒頭の記録映像が日本人によって撮られたものであり、その中には米軍に差し押さえられた幻の映像もあったことを明らかにする。そしてその上で、この映画の日本人男性とフランス人女性の2人の主人公に、最初はフランスの植民地となり、のちに日本の植民地となったインドシナを見る。そこからポストコロニアル批評を展開していく。

この映画の分析と並行して、著者は日本の初期の原爆映画や原爆文学について触れ、それに対してこの映画をはじめ、北米では被爆者が隠されていることを明らかにしていく。

映画「オッペンハイマー」では原爆の雲の下の被爆者がまったく描かれないことが一部で批判されたり、また、この映画とコラボした「バービー」の原爆悪ふざけがやはり被爆者のことをまるで考えていないとして日本から激しい反発を受けた。ちょうどそのときにこの柴田の著書を読み、北米では被爆者の存在はとことん無視されているのだということをあらためて知った。

この本で一番印象に残ったのは、あとがきに書かれたあるエピソードだ。著者がニューヨークで開かれた原爆についての国際会議に参加したとき、登壇者の白人女性が、「被爆体験を知るのは自分たちが被害をこうむったときに役立つからでしかない」と力説した。実際の被爆者はどうでもいいととれるこの発言に著者はショックを受けた。そして、そのあと登壇したカート・ヴォネガットが、ほとんど何も言わずに壇を降りてしまったのだという。

ヴォネガットは第二次大戦中、米軍捕虜としてドイツのドレスデン捕虜収容所にいたとき、連合軍による激しい空爆を受け、それをもとに「スローターハウス5」を書いた。ヴォネガットにとって、アメリカ人の自分がアメリカから空爆を受けるということがショックだったのだ。広島ではアメリカ人捕虜が、長崎では連合軍捕虜が原爆で亡くなっているが、自分の体験からそのことを話すつもりだったのかもしれない。しかし、実際の被爆者はどうでもいい、ととれる発言を聞いて、何も言えなくなったのではないか。

原爆の下にいた被爆者を無視する、いなかったことにする、というアメリカの風潮から考えると、被爆者を考えることを表明すること自体が、アメリカではできないこと、やったら自分の立場が悪くなるのではないか、と邪推してしまう。クリストファー・ノーランが被爆者を描かなかったのも、グレタ・ガーウィグが原爆コラボ騒動でノーコメントなのも、何か言えば立場が悪くなるからかもしれない。

同じ柴田優呼の「”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する」(2015年)は、「ヒロシマ・モナムール」と同じく、日本ではほとんど顧みられないジョン・ハーシーの「ヒロシマ」が北米や世界では原爆を扱った作品の正典となっていること、そして、日本の原爆に関する文学などがこの「ヒロシマ」に従うように書かれていることを明らかにしている。ハーシーの「ヒロシマ」はアメリカに受け入れられやすい原爆ものになっているが、日本の原爆ものもそれに追随してしまったことが書かれている。その一方で原爆を赤裸々に語る日本の書物も紹介されているが、こうした書物は北米ではほとんど読まれていない。ハーシーの「ヒロシマ」だけがずっと正典であるようだ。

柴田は日本人について、原爆の被害者としての面だけでなく、戦争の加害者としての面もきちんと受け入れなければ、被害を訴えても力がない、とも言っている。

一番左の「原爆で死んだ米兵秘史」は、広島の被爆者である著者が、広島で被爆死した米軍捕虜の存在をアメリカが認めず、長く隠していたことに憤りを感じ、被爆死した米兵の遺族と連絡をとったり、広島以外の場所にいたので助かった米兵と会ったりして書き上げた労作である。ここにもアメリカが被爆者の存在を認めない風潮が見える。