見てきた。
「バービー」は全世界で大ヒットと言われているけれど実際は、
大ヒットしているのはバービーが人気のある地域。欧米、オセアニア、中南米といった白人文化中心の地域。
アジアなど、バービーがまったく人気がない地域ではコケている。中国ではヒットと言われているが、中国の映画興行から見たら小ヒットにすぎず、しかも中国への忖度があったので利害関係のあるベトナムでは上映禁止。
つまり、世界の半分での大ヒットなのが現実。バービーを知っているかどうかが分かれ目で、これが世界を分断していることがわかる。
映画の冒頭、「2001年宇宙の旅」冒頭シーンのパロディで、赤ん坊の人形で母親ごっこをしている幼い少女たちの前にバービーが降臨し、少女たちは赤ん坊の人形を壊してバービーを称える。
こうしてできたバービーランドは女性中心社会で、女性の理想を実現した?と思いきや、異変を感じたバービーがケンと一緒にリアルワールドへ行くと、そこは男性中心社会。そして、中学生の少女たちから「バービーはフェミニズムを後退させた」などといった批判を受けてしまう。
つまり、赤ん坊を育てる価値観から、スリムでスタイルのいい金髪の若い女性という価値観に変わっただけで、多様性とか女性の地位向上が実現されたわけではないという皮肉。
その上、バービーランドでは添え物扱いだったケンが男性中心社会に目覚めてしまう。
バービーの製造元マテル社も製作に加わっていて、自社への風刺も盛り込まれているこんな映画に加わるなんて、わが社は進んでいるでしょ、と言いたげな雰囲気も感じる。
実際、バービーは黒人のバービーや太ったバービーなどの多様なバービー人形を生み出しているが、結局は金髪美人の定番バービーが人気なわけで、多様性はやってます、みたいなポーズを感じるが、それでもOKしてしまうマテル社はすごいのかどうかわからん。
バービーの世界への風刺と皮肉、現実世界への風刺と皮肉、そして最後の部分では多様性と、一人一人が自分らしく生きることをせりふで長々と説明して終わる。
この最後の、せりふですべて説明して、というところが私にとってはかなりの減点部分。
私自身はバービーをまったく知らないので、バービーファンならわかる面白さとか笑える部分とか全然わからないので、そこがわかるとまた違うのかもしれないし、最後にバービーの生みの親の老婦人と出会うシーンとか、バービーファンには涙ものなのかなあ、とは思うけれど、とにかく、バービーを知っているかどうかで世界が分断されていることを実感する。
この映画のバービーランドとリアルワールドは映画がヒットしている白人文化中心の地域の中のもので、その外の世界、バービーになじみがなく、映画もヒットしていない非白人文化の地域はまったく描かれていない。
映画のリアルワールドはマテル社の重役たちが白人男性ばかりなのを見てわかるとおり、男性中心主義であると同時に、白人男性中心の世界でもある。そんな中で、バービーランドでは女性が活躍しているところを見せることで、男性中心社会を維持しているといった皮肉もある。こういう構図は日本などの「バービー」がヒットしていない世界にもある。
その一方で、この映画を見て強く感じるのは、これはバービーオタクのコミケワールドであり、その外の世界、映画がヒットしない非白人文化の地域ではこれがどう見えるかをまるで考えていないということだ。
オタクの人々はおおむね、オタクの世界を守るために、その外の世界にオタクの常識を持ち込まないようにする。コミケなどは特にそれを注意している。
しかし、バービーオタクの世界は世界の半分という、あまりに広い地域なので、「バービー」がヒットしない外の世界があるということに気づかないようだ。だからバービーと「バービー」の常識を外の世界にまで持ち込み、ヒットしない世界は遅れていると言い出す人がいたり、原爆とコラボして悪ふざけしたりする人が少なからずいるのだろう。もちろん、映画の作り手たちがやっているのではないが、それを容認してしまう雰囲気がある。そして、日本のフェミニストたちを怒らせた駐日大使の「バービーは全女性の代表」発言もまた、このバービーオタクの世界の浅はかな常識を押し付けたものだ(しかも、映画のテーマにも反している)。
映画がヒットしない地域が遅れている、と決めつけるのは、ネオ植民地主義と言われるものである。
映画がこれほどヒットしてしまうということがなければ、映画が大ヒットする白人文化中心地域と映画が大コケする非白人文化中心地域の分断みたいなものは見えてこなかったのではあるが。