昨日、県立図書館へ行ってたまたま目に入り、借りてきた本。
広島の原爆をテーマにした映画として名高い「ヒロシマ・モナムール」(「二十四時間の情事」)への批判がメインのようで、今まさにタイムリーな書物かもしれない。出版は2年前。
本書についての著者の解説。
日米両国で、被爆者の怒りはどのように遠ざけられてきたか――『プロデュースされた〈被爆者〉たち—表象空間におけるヒロシマ・ナガサキ』(岩波書店)/柴田優呼(著者) - SYNODOS
書評(「二十四時間の情事」がなぜか「二十四時間の事情」になっていて、昔、活字を拾って印刷する時代に「事情があって遅れた」が「情事があって遅れた」になるような誤植が例としてあげられていたが、これは誤植ではあるまい。評者の映画への無知か?)
ナショナルとトランスナショナルを往還する広島・長崎研究柴田優呼『プロデュースされた〈被爆者〉たち——表象空間におけるヒロシマ・ナガサキ』岩波書店,2021年 (jst.go.jp)
柴田優呼のもう1冊の著書を市立図書館に予約。
いろいろ検索していたら、柴田氏のブログを発見。その中に、非常に共感できる記述を発見。
アートを観て、「良かった」以外の感想を言うのは、難しかったか - 柴田優呼 @ academic journalism (hatenablog.com)
アートはプリズムのように、自分を映す鏡。体調や気分により、何を感じるかも変わる気がした。感想を言うのが難しいのは、たぶんふだんから作品の方ばかり観て、自分自身の方を観ようとしていないから。
自分の考えをさらけ出すのは怖い。それは自分をさらけ出すことになるから。でもそれは自分にもっと注意を向け、自分を大事にすること、そして個を大事にすることにつながる。自己肯定感とも関係する。
自分の考えを誰かとシェアしてフィードバックをもらい、誰かの考えも知ることができたら、それで自分の考えも、よりカラフルになり、得るものがある。