8月26日追記と訂正
「白鯨」を岩波文庫の旧訳で読んでいます。
講談社文庫の新訳と比べて、全然違う。以下に書いたこと、私が間違ってました。すみません。
詳しくは以下の記事を。
さーべる倶楽部: 「白鯨」を阿部知二訳で読み直す。 (sabreclub4.blogspot.com)
新訳の方も、私の読み方が悪かったせいもあると思うので、新訳が100%悪いとは思いませんが(英文解釈的には新訳の方が正確だろうと思います)、以前から感じていた今の翻訳の欠点をあらためて思いました。時代が違うからしかたない面もあるし、また、他にも新訳があるので、面白く読める新訳もあるかもしれません。
というわけで、間違っていたところ、削除は卑怯だから線を引きます。
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一生読まないと思っていたメルヴィルの「白鯨」を、このところ読んでいました。(追記 読んだのは講談社文庫の新訳。)
捕鯨の蘊蓄が長くて、と聞いていたけれど、いくら長いといっても半分はエイハブの話だろうと思っていたら、エイハブの話はほとんど最後の方だけだった。 (追記 前の方から一応登場していたけど、旧訳のような存在感が新訳にはなかった。)
1章ごとにトルストイのお説教が出てくる「戦争と平和」の方がはるかにマシ。だって半分は物語なんだから。
つか、19世紀アメリカ文学の研究者はこれを英語で読むのか、と思ったら気が遠くなった。「ユリシーズ」の方がはるかにマシ、と思う私はやっぱりイギリス文学だからか。
でも、ところどころ光るシーンや描写があって、やはりロマン派だなあ、と思ったりもして、読んで損はなかった。
「ユリシーズ」だとガイドブックが複数あって、それを頼りに読めるのだけど、「白鯨」もあるのだろうか。ただ、「白鯨」の場合は捕鯨の蘊蓄が難解というわけではないのだよね。
ところで、私と「白鯨」の出会いは、中学生のときに日曜洋画劇場で見たジョン・ヒューストン監督の「白鯨」。グレゴリー・ペック演じるエイハブが登場するまでに20分か30分かかっていたと思う。ラスト、白鯨に縛り付けられたエイハブが手を振るシーンは、原作の別の人物のエピソードだったのだね。原作のエイハブはあっけなく海に引きずり込まれてしまう。
イシュメールがリチャード・ベースハートだったのは覚えていたが、脚本がレイ・ブラッドベリだったとは!
DVDの画像はアマゾンから。
この映画、ジョン・ヒューストンが得意とする何かにとりつかれた男を描く映画、と、テレビで見たときには言われていた。