今、このブログのアクセス数を見たら、1時間で536ものアクセスが!
な、なんだ、これは、と思ったら、あのアカデミー賞ドキュメンタリー賞受賞作の記事に1日で800を超えるアクセスが!
なんか、この映画、ヒットするかもしれませんね。もしそうならうれしい。
(追記 テレビで取り上げられたんだそうだ。どうりでね。)
さて、解説を書いた「フランケンシュタイン」翻訳書(訳は別人)が27刷になったとのことで、印税振込みのお知らせが。普通、解説は原稿料で、印税ではないのですが、この本の解説はかなり長く、400字詰め原稿用紙で50枚を超えていました。普通、解説の原稿料は1枚3000円なので、15万円になってしまい、解説にそんなに払えないので、ページ割の印税になったのです。
初版部数は1万8千。当時の文庫本としてはかなり少ない数字です。現在では文庫の翻訳書は1万部を切っているものもかなりあるそうですが、当時は中小出版社の文庫本は2万5千部くらいが普通でした。その分、定価は安く設定されていて、「フランケンシュタイン」は400円だったと思います。今は逆に、初版部数が激減したかわりに、定価が単行本並みになっていますね。
そんなわけで、1万8千部で1冊400円で、ページ割の印税だと、私の取り分は5万円でした。50枚以上書いて5万円なので、1枚あたり、千円を切ってました。
しかも、当時としては初版部数が少ないにもかかわらず、売れなかったのです(涙)。
出版社は在庫を抱えると税金がかかってしまうので、売れない本は絶版にします。そんなわけで、「フランケンシュタイン」も絶版になりそうになったとき、救いの神が! ある学校が、この本を教科書にしてくれたのです。
それで増刷が決定。ま、増刷といっても、2千部から3千部ですが、とにかく増刷が決定。そして、その後、じわじわと売れ続け、やがてケネス・ブラナーの映画化も公開され(映画とのタイアップは角川独占になり、この本はタイアップできなかったが、それでも売れた)、ロングセラーとなっていったのです。
で、結局、合計で、たぶん、15万円くらいになってます、私の取り分。やっと正規の原稿料になったわけですが、27刷になってもこんなものです、この世界。翻訳者の苦労は推して知るべし。
この本が出たのが1984年の2月なので、ちょうど29周年がすぎて、30年目に入ったところです。いつまで残るのかな。定価も400円から700円台に上がってますが、この定価が、実は、あまり上がらなかった。400円から600円くらいになったあと、ずっと上がりませんでしたが、光文社の古典文庫で「フランケンシュタイン」が出たときに700円台になった気がします。600円なら光文社より激安だったんだけどね。
2013年3月7日木曜日
2013年3月6日水曜日
5万pv超え
本日、ブログ開設以来、5万ページビューを超えました。
まだ2年とちょっとですが、ありがたいことです。
季節もようやく春めいてきて、ぽかぽか陽気。が、いよいよ花粉症の季節到来で、今年は花粉が多いというのは1月くらいからわかっていましたが、今日はキターって感じで、かなり来ました。
というのも、快晴とぽかぽか陽気に誘われて、久々、カメラ持って外出したからです。めいっぱい花粉浴びて帰ってきました。
で、まず、近所のお寺の梅。紅梅がみごと。
こちらは薄いピンク。枝垂梅?
白梅。同じ白梅でも中心部がピンクのものが多いが、これはクリーム色。
お寺の近くの歩道の植え込みに、なぜかここにだけこんな花が。
てくてく歩いて某墓地へ。お墓の敷地内に咲く水仙。
みかんの木があちこちにあります。
梅も咲いています。そろそろ西日。
某墓地へ行く途中の某寺の駐車場の猫。ここで猫を見るのは久しぶり。
某墓地ではあえて猫がたくさんいるところを避けて行ったので、最初はこのミケにしか出会えなかった。それで、景色を中心に撮りました。
なじみの猫が誰も出てこないので、そろそろ帰ろうとしたら、いきなり出てきた。迫ってくるので、バシバシ撮る。撮りながら、美人だよ、ハンサムだよ、と猫に話しかけている自分に気づく。芸能人を激写する写真家の気分?
黒猫を撮ると、黒くつぶれてしまうことが多いのだけど、これは比較的うまくいったかな。
またまたどアップ。いつのまにか薄暗くなってきた。
まだ2年とちょっとですが、ありがたいことです。
季節もようやく春めいてきて、ぽかぽか陽気。が、いよいよ花粉症の季節到来で、今年は花粉が多いというのは1月くらいからわかっていましたが、今日はキターって感じで、かなり来ました。
というのも、快晴とぽかぽか陽気に誘われて、久々、カメラ持って外出したからです。めいっぱい花粉浴びて帰ってきました。
で、まず、近所のお寺の梅。紅梅がみごと。
こちらは薄いピンク。枝垂梅?
白梅。同じ白梅でも中心部がピンクのものが多いが、これはクリーム色。
お寺の近くの歩道の植え込みに、なぜかここにだけこんな花が。
てくてく歩いて某墓地へ。お墓の敷地内に咲く水仙。
みかんの木があちこちにあります。
梅も咲いています。そろそろ西日。
某墓地へ行く途中の某寺の駐車場の猫。ここで猫を見るのは久しぶり。
某墓地ではあえて猫がたくさんいるところを避けて行ったので、最初はこのミケにしか出会えなかった。それで、景色を中心に撮りました。
なじみの猫が誰も出てこないので、そろそろ帰ろうとしたら、いきなり出てきた。迫ってくるので、バシバシ撮る。撮りながら、美人だよ、ハンサムだよ、と猫に話しかけている自分に気づく。芸能人を激写する写真家の気分?
黒猫を撮ると、黒くつぶれてしまうことが多いのだけど、これは比較的うまくいったかな。
またまたどアップ。いつのまにか薄暗くなってきた。
2013年3月4日月曜日
バスの中、リムジンの中
車の中がおもな舞台の映画を2本見た。
1つはミシェル・ゴンドリー監督の「ウィ・アンド・アイ」。
もう1つはデイヴィッド・クローネンバーグ監督の「コズモポリス」。
前者はニューヨーク、ブロンクスの高校の夏休みの前日、帰宅する高校生たちを乗せたバスの中で起こる出来事を描く群像劇。出演者はみな無名で、フランスの「パリ20区、僕たちのクラス」に似ているな、と思っていたら、プレスの中に、「「パリ2区、僕たちのクラス」のローラン・カンテ監督も、この映画に満足するにちがいない」という「プルミエール」誌のコメントが書かれていた。
フランス出身のゴンドリーは、「エターナル・サンシャイン」は傑作だったが、あとはどれもイマイチで、あまり感心しない監督であったのだが、これは「エターナル」以来の、そして「エターナル」とはまったく違うタイプの傑作だった。
一方のクローネンバーグの映画は、原作がアメリカ文学、ドン・デリーロの同名小説の映画化。しかも、クローネンバーグは原作のせりふが気に入り、せりふを書き抜いてから、それをもとに脚本を書いたそうで、だからか、出てくるせりふが文学的というか、哲学的というか、とにかくむずかしい。小説ならじっくり時間をかけてせりふの意味を考えながら読めばいいのだが、映画はどんどん進んでしまうので考える時間がない。そんなわけで、原作を読んでから見た方がよかったかな、と思った。
こちらも舞台はニューヨークで、物語は朝から始まる。若くして巨万の富を築いた実業家がいつものように白いリムジンに乗り込み、仕事に出かける。というか、リムジンで仕事をするのだが、そのリムジンに愛人が乗ってきたり、途中で妻と食事したり、というふうに、リムジンでニューヨークの町を進みながら、そこにさまざまな人が現れる、という設定。そうした中で、この主人公の事業は失敗し、彼は一気に奈落の底に突き進んでいくのだということがわかる。しかも、彼の命を狙う暗殺者もいる。
カナダのトロントでの映画製作にこだわり続けるクローネンバーグは、ニューヨークが舞台の「コズモポリス」もトロントで撮影したそうだ。舞台はおもにリムジンの中、ということで、リムジンのセットを作り、窓の外の景色は別撮りの映像になっている。しかも、リムジンの速度がやけに遅い。しかもよくとまるみたいだ。全然揺れないし、なんだか舞台劇みたいでもある。映画は朝から始まり、夜に終わるが、その一日の時刻の変化が車窓の風景にはほとんど現れてはいない。いつのまにか暗くなってますね、というくらいなのだ。
それに対し、「ウィ・アンド・アイ」は舞台となるニューヨークのブロンクスで実際にバスを走らせ、撮影している。車窓の風景はおそらく合成ではないのだろう。途中で渋滞に巻き込まれたりもする。生徒は学校から家に帰るのだから、寄り道はできない。しかも、停留所に着くたびに降りる生徒がいるので、しだいに数が減っていく。そういうふうにして、登場人物が多い群像劇であるが、しだいに数が減ることで、生徒たちの言動が変わったり、残った生徒同士の間にさまざまなドラマが起こったりする。途中で回想シーンのようなものが入ったり、また、同じときに起こる複数の出来事が順番に描かれたりするので、上映時間(103分)よりは短い時間なのだろうが、せりふによると、1時間くらいのようだ。「コズモポリス」が朝から夜までだったのに対し、こちらはまだ明るい昼間から日没後の夕暮れまでの1時間ほどである。しかし、さすがにバスを走らせて撮っただけあって、窓ガラスから差し込む西日や、日没後の夕暮れがリアルにとらえられている。
話はどちらも面白い。ただ、私は「ヴィデオドローム」の頃からのクローネンバーグ・ファンなので、どうしても点が辛くなる。前作「危険なメソッド」も評判はよかったけれど、私には無難な出来で、クローネンバーグらしい凄みが感じられなかった。それと同じで、「コズモポリス」も、過去のクローネンバーグを連想させるシーンが時々あるだけに、なんだかボルテージが下がったなあ、と思ってしまうのだ。
「ウィ・アンド・アイ」はその点、オリジナリティにあふれている。路線バスなので一般客も乗っているのだが、わがままし放題のワルガキたちが騒ぐ前半、そのワルガキたちがだんだん減っていき、他の高校生たちの人生が垣間見えてくる後半といったストーリーの変化や人物の多様さも見ものだ。特にこの映画を見て感じたのは、ブロンクスの貧しい若者たちの現実。大学に行くために海兵隊に入る者、軍隊に入ることを薦められる者、父親を失った少年、そして、バスに乗っていない仲間が町で刺殺されたというニュース。演じている若者たちもまた、貧しい生活の中でいろいろな問題に直面しているらしい。プレスシートの監督インタビューにある、「自分の子供やその友人たちと彼らを比べて考えてみる」という言葉が印象に残った。中流から上の裕福な家に育ち、当たり前のように大学へ行き、軍隊に入る必要もないエリート層の子供と、貧しさゆえの問題に直面し、高校を出てもいい就職がないので軍隊に入る子供。日本の教育問題や若者問題についてのネットの記事を見ると、アメリカはいい、それに比べて日本は、と書いてあるものがよくあるのだが、その「アメリカ」とは、高校を出て大学に行けるので、軍隊に入ってイラクに行くこともなく、大学を出てもすぐに就職せずにいろいろな体験ができる裕福な若者たちだったりするので驚くことがよくある。
「コズモポリス」はそうしたアメリカのエリート層の堕落を描いているのだろうが、同じニューヨークに住むこういう底辺の人々の映画も合わせて見るべきだとあらためて思った。
1つはミシェル・ゴンドリー監督の「ウィ・アンド・アイ」。
もう1つはデイヴィッド・クローネンバーグ監督の「コズモポリス」。
前者はニューヨーク、ブロンクスの高校の夏休みの前日、帰宅する高校生たちを乗せたバスの中で起こる出来事を描く群像劇。出演者はみな無名で、フランスの「パリ20区、僕たちのクラス」に似ているな、と思っていたら、プレスの中に、「「パリ2区、僕たちのクラス」のローラン・カンテ監督も、この映画に満足するにちがいない」という「プルミエール」誌のコメントが書かれていた。
フランス出身のゴンドリーは、「エターナル・サンシャイン」は傑作だったが、あとはどれもイマイチで、あまり感心しない監督であったのだが、これは「エターナル」以来の、そして「エターナル」とはまったく違うタイプの傑作だった。
一方のクローネンバーグの映画は、原作がアメリカ文学、ドン・デリーロの同名小説の映画化。しかも、クローネンバーグは原作のせりふが気に入り、せりふを書き抜いてから、それをもとに脚本を書いたそうで、だからか、出てくるせりふが文学的というか、哲学的というか、とにかくむずかしい。小説ならじっくり時間をかけてせりふの意味を考えながら読めばいいのだが、映画はどんどん進んでしまうので考える時間がない。そんなわけで、原作を読んでから見た方がよかったかな、と思った。
こちらも舞台はニューヨークで、物語は朝から始まる。若くして巨万の富を築いた実業家がいつものように白いリムジンに乗り込み、仕事に出かける。というか、リムジンで仕事をするのだが、そのリムジンに愛人が乗ってきたり、途中で妻と食事したり、というふうに、リムジンでニューヨークの町を進みながら、そこにさまざまな人が現れる、という設定。そうした中で、この主人公の事業は失敗し、彼は一気に奈落の底に突き進んでいくのだということがわかる。しかも、彼の命を狙う暗殺者もいる。
カナダのトロントでの映画製作にこだわり続けるクローネンバーグは、ニューヨークが舞台の「コズモポリス」もトロントで撮影したそうだ。舞台はおもにリムジンの中、ということで、リムジンのセットを作り、窓の外の景色は別撮りの映像になっている。しかも、リムジンの速度がやけに遅い。しかもよくとまるみたいだ。全然揺れないし、なんだか舞台劇みたいでもある。映画は朝から始まり、夜に終わるが、その一日の時刻の変化が車窓の風景にはほとんど現れてはいない。いつのまにか暗くなってますね、というくらいなのだ。
それに対し、「ウィ・アンド・アイ」は舞台となるニューヨークのブロンクスで実際にバスを走らせ、撮影している。車窓の風景はおそらく合成ではないのだろう。途中で渋滞に巻き込まれたりもする。生徒は学校から家に帰るのだから、寄り道はできない。しかも、停留所に着くたびに降りる生徒がいるので、しだいに数が減っていく。そういうふうにして、登場人物が多い群像劇であるが、しだいに数が減ることで、生徒たちの言動が変わったり、残った生徒同士の間にさまざまなドラマが起こったりする。途中で回想シーンのようなものが入ったり、また、同じときに起こる複数の出来事が順番に描かれたりするので、上映時間(103分)よりは短い時間なのだろうが、せりふによると、1時間くらいのようだ。「コズモポリス」が朝から夜までだったのに対し、こちらはまだ明るい昼間から日没後の夕暮れまでの1時間ほどである。しかし、さすがにバスを走らせて撮っただけあって、窓ガラスから差し込む西日や、日没後の夕暮れがリアルにとらえられている。
話はどちらも面白い。ただ、私は「ヴィデオドローム」の頃からのクローネンバーグ・ファンなので、どうしても点が辛くなる。前作「危険なメソッド」も評判はよかったけれど、私には無難な出来で、クローネンバーグらしい凄みが感じられなかった。それと同じで、「コズモポリス」も、過去のクローネンバーグを連想させるシーンが時々あるだけに、なんだかボルテージが下がったなあ、と思ってしまうのだ。
「ウィ・アンド・アイ」はその点、オリジナリティにあふれている。路線バスなので一般客も乗っているのだが、わがままし放題のワルガキたちが騒ぐ前半、そのワルガキたちがだんだん減っていき、他の高校生たちの人生が垣間見えてくる後半といったストーリーの変化や人物の多様さも見ものだ。特にこの映画を見て感じたのは、ブロンクスの貧しい若者たちの現実。大学に行くために海兵隊に入る者、軍隊に入ることを薦められる者、父親を失った少年、そして、バスに乗っていない仲間が町で刺殺されたというニュース。演じている若者たちもまた、貧しい生活の中でいろいろな問題に直面しているらしい。プレスシートの監督インタビューにある、「自分の子供やその友人たちと彼らを比べて考えてみる」という言葉が印象に残った。中流から上の裕福な家に育ち、当たり前のように大学へ行き、軍隊に入る必要もないエリート層の子供と、貧しさゆえの問題に直面し、高校を出てもいい就職がないので軍隊に入る子供。日本の教育問題や若者問題についてのネットの記事を見ると、アメリカはいい、それに比べて日本は、と書いてあるものがよくあるのだが、その「アメリカ」とは、高校を出て大学に行けるので、軍隊に入ってイラクに行くこともなく、大学を出てもすぐに就職せずにいろいろな体験ができる裕福な若者たちだったりするので驚くことがよくある。
「コズモポリス」はそうしたアメリカのエリート層の堕落を描いているのだろうが、同じニューヨークに住むこういう底辺の人々の映画も合わせて見るべきだとあらためて思った。
爪
最近、立て続けに3回も、爪の先端がいつのまにか割れてなくなっている、ということがあった。
このところの乾燥で、爪も指もかさかさになっているのだけれど、私は爪は伸ばしていないので、たいして伸びていないのにいつのまにか先端がばさっと欠けているのはちょっとショック。で、予防策として、ひんぱんに爪を切ることにした。が、果たして効果はあるのか。毎日ヤスリで削る方がいいという話もある。確かに切ると、その衝撃でひびが入りそうでもある。
さて、私の最も好きなミステリー作家、ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の非常に短い短編で、「爪」というのがある。
物語は殺人が起き、現場にはがれた爪が1枚あった。犯人のものに間違いない。そして、どうやら犯人はウサギの肉のシチューで有名なレストランの厨房で働いている男らしい。そこで刑事たちがレストランへ行くと、男は手に包帯を巻いていた。誤って指の先端を切り落としてしまったのだという。刑事たちはその指を探すが見つからない。結局、証拠がないので、刑事たちは去るが、果たして指はどうなったのか、というところで、ネタバレはなしね(想像はつくと思いますが、それがどういうふうに表現されているかが読みどころ)。
たぶん、創元推理文庫のアイリッシュ短編集に入っていたと思う。でも、アマゾンで調べると、アイリッシュの翻訳は多くが絶版になっているらしい。私はアイリッシュの翻訳は早川と創元でかなりの数を所有していたが、6年前の引越しのときに本を大量に処分し、アイリッシュもすべて売ってしまった。ポケット版も多かったので、高く売れたけれど、また読み返したいと思ったときなどはさびしいと感じる。国会図書館に行けばあると思うけど。
アイリッシュの作品で一番好きなのは長編の「暁の死線」。これはいまも健在。初めて読んだときは中学生だったが、ヒロインは若い頃のイングリッド・バーグマンがいいなあ、と思ったのは、おそらく、ヒッチコックの「白い恐怖」を日曜洋画劇場で見たからだろう。「白い恐怖」はヒッチコックの中ではかなり好きな映画。ダリのデザインによる映像が好きだった。そうか、ダリは中学時代からすでに好きな画家だったのだ。と、連想はどこまでも続く。
このところの乾燥で、爪も指もかさかさになっているのだけれど、私は爪は伸ばしていないので、たいして伸びていないのにいつのまにか先端がばさっと欠けているのはちょっとショック。で、予防策として、ひんぱんに爪を切ることにした。が、果たして効果はあるのか。毎日ヤスリで削る方がいいという話もある。確かに切ると、その衝撃でひびが入りそうでもある。
さて、私の最も好きなミステリー作家、ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の非常に短い短編で、「爪」というのがある。
物語は殺人が起き、現場にはがれた爪が1枚あった。犯人のものに間違いない。そして、どうやら犯人はウサギの肉のシチューで有名なレストランの厨房で働いている男らしい。そこで刑事たちがレストランへ行くと、男は手に包帯を巻いていた。誤って指の先端を切り落としてしまったのだという。刑事たちはその指を探すが見つからない。結局、証拠がないので、刑事たちは去るが、果たして指はどうなったのか、というところで、ネタバレはなしね(想像はつくと思いますが、それがどういうふうに表現されているかが読みどころ)。
たぶん、創元推理文庫のアイリッシュ短編集に入っていたと思う。でも、アマゾンで調べると、アイリッシュの翻訳は多くが絶版になっているらしい。私はアイリッシュの翻訳は早川と創元でかなりの数を所有していたが、6年前の引越しのときに本を大量に処分し、アイリッシュもすべて売ってしまった。ポケット版も多かったので、高く売れたけれど、また読み返したいと思ったときなどはさびしいと感じる。国会図書館に行けばあると思うけど。
アイリッシュの作品で一番好きなのは長編の「暁の死線」。これはいまも健在。初めて読んだときは中学生だったが、ヒロインは若い頃のイングリッド・バーグマンがいいなあ、と思ったのは、おそらく、ヒッチコックの「白い恐怖」を日曜洋画劇場で見たからだろう。「白い恐怖」はヒッチコックの中ではかなり好きな映画。ダリのデザインによる映像が好きだった。そうか、ダリは中学時代からすでに好きな画家だったのだ。と、連想はどこまでも続く。
2013年3月1日金曜日
これだけのメンツ
ひところ、というのはかれこれ15~20年くらい前になってしまうかもしれませんが、そのころに比べると、うちに来る試写状は激減しているのですが、それでもぼちぼちと来ます(ありがたいことです)。できるだけ見に行くようにはしたいのですが、1本の映画の試写の回数がわりと少ないこと、同じ日時に複数の映画が重なることなど、いろいろな理由で、なかなか全部は見に行けません。
時には、今日はどれにするか、とか、これとこれだったらどっちを優先するか、とか決めなければいけない場合もあります。そんなとき、欧米映画だったら、頼りにするのはrotten tomatoesのサイト。前にも紹介しましたが、批評家の評価と観客の評価の両方が出ているのがよろしい。
さて、昨日、木曜日の試写で私が注目したのは、イギリス映画「ビトレイヤー」。原題はWelcome to the Punch。全然ビトレイヤーじゃないですが、まあよい。この原題の意味、特にパンチが何なのかは、映画の後半でわかります(ネタバレなしね)。
で、rotten tomatoesを見てみると、なんと、イギリスでもアメリカでもまだ公開されてない。なので、評価もなし。1人だけ、批評家がレビューを書いていて、熟れたトマトでなく青い葉っぱが…。あちゃ、だめか。一方、観客は、まだ見てないので、見たいかどうかが出ていて、見たいは85パーセント。おお、よいじゃん。
どういうメンツが出ているかというと、すでにハリウッドスターになっているイギリスの若手で美形のジェームズ・マカヴォイ。そしてマーク・ストロング、アンドレア・ライズブロー、ピーター・ミュラン、デヴィッド・モリッシーという面々。おお、こんなすごい俳優が出ているのか。しかも、ライズブローは「シャドー・ダンサー」でも書きましたが、今注目の女優。この映画を見よう、と決意した一番の理由は、彼女が出ていることでした。
そして、製作総指揮はリドリー・スコット。監督はこれが2作目のエラン・クリーヴィーという人(この人は知らなかった)。
しかし、これだけのメンツでも、映画はつまらなかった、で終わりそうな予感がビンビンしていたのも事実です。でも、ライズブローが出てるなら、見なきゃ。
というわけで、見ました。
のっけからスタイリッシュな映像。うーん、やっぱリドリー・スコットか、いや、スコットもどきか。舞台はロンドンですが、これがロサンゼルスみたいに撮られています。俯瞰でとらえた夜景が何度も出てきます。うーん、ロンドンて、夜景は東京と変わらん。「ブレードランナー」のロスでもないし、「ブラック・レイン」の大阪でもないな。でも、とにかく、映像は一応、スタイリッシュ。なんですが、どうも、これ、なんというか、イギリスってやっぱりおしゃれじゃない、と思ってしまうのですが、もちろん、おしゃれなイギリスの話ではなく、主人公の刑事たちはコクニー訛りだし(そんなにひどい訛りではなく、デイがダイになる程度)、でもなんというか、ロスあたりを舞台にしたB級ハリウッド映画と雰囲気が変わらないのですね。警察官が銃を使うときは許可がいるとか、その辺がイギリスですが。
で、始まったばかりのころは、ジェームズ・マカヴォイの演じる刑事の人物造型がものすごく荒っぽいのが気になります。エキセントリックな刑事のようなのですが、もう少ししっかり人物を作り上げてくれないと。対する大物犯罪者マーク・ストロングの方は、これはもう、出てきただけで、この人はこういう人、とわかるので、こちらの人物造型はOKです。
ライズブローはマカヴォイの同僚の女性刑事ですが、彼女はOKですが、マカヴォイとの関係があまりじっくり描かれてないのが難です。ピーター・ミュランやデヴィッド・モリッシーも、出てきただけで存在感があるので、まったくOK。彼らの以外の俳優や、ちょっとしか出て来ないおばあちゃんとか、みんないい役者で、彼らの演技を見るだけでごっつあんな感じ。これだけのメンツだと、人物造型が荒っぽくても、ストーリーが荒っぽくても、無問題になってしまうくらいです。
一番得してるのはストロングだなあ。後半、特によい。ライズブローはもったいない使われ方です。
ストーリーはまあ、ハリウッド映画によくある展開で、特に驚きはしませんが、イギリスの俳優たちの存在感と演技を楽しめれば、それなりに面白いです。
時には、今日はどれにするか、とか、これとこれだったらどっちを優先するか、とか決めなければいけない場合もあります。そんなとき、欧米映画だったら、頼りにするのはrotten tomatoesのサイト。前にも紹介しましたが、批評家の評価と観客の評価の両方が出ているのがよろしい。
さて、昨日、木曜日の試写で私が注目したのは、イギリス映画「ビトレイヤー」。原題はWelcome to the Punch。全然ビトレイヤーじゃないですが、まあよい。この原題の意味、特にパンチが何なのかは、映画の後半でわかります(ネタバレなしね)。
で、rotten tomatoesを見てみると、なんと、イギリスでもアメリカでもまだ公開されてない。なので、評価もなし。1人だけ、批評家がレビューを書いていて、熟れたトマトでなく青い葉っぱが…。あちゃ、だめか。一方、観客は、まだ見てないので、見たいかどうかが出ていて、見たいは85パーセント。おお、よいじゃん。
どういうメンツが出ているかというと、すでにハリウッドスターになっているイギリスの若手で美形のジェームズ・マカヴォイ。そしてマーク・ストロング、アンドレア・ライズブロー、ピーター・ミュラン、デヴィッド・モリッシーという面々。おお、こんなすごい俳優が出ているのか。しかも、ライズブローは「シャドー・ダンサー」でも書きましたが、今注目の女優。この映画を見よう、と決意した一番の理由は、彼女が出ていることでした。
そして、製作総指揮はリドリー・スコット。監督はこれが2作目のエラン・クリーヴィーという人(この人は知らなかった)。
しかし、これだけのメンツでも、映画はつまらなかった、で終わりそうな予感がビンビンしていたのも事実です。でも、ライズブローが出てるなら、見なきゃ。
というわけで、見ました。
のっけからスタイリッシュな映像。うーん、やっぱリドリー・スコットか、いや、スコットもどきか。舞台はロンドンですが、これがロサンゼルスみたいに撮られています。俯瞰でとらえた夜景が何度も出てきます。うーん、ロンドンて、夜景は東京と変わらん。「ブレードランナー」のロスでもないし、「ブラック・レイン」の大阪でもないな。でも、とにかく、映像は一応、スタイリッシュ。なんですが、どうも、これ、なんというか、イギリスってやっぱりおしゃれじゃない、と思ってしまうのですが、もちろん、おしゃれなイギリスの話ではなく、主人公の刑事たちはコクニー訛りだし(そんなにひどい訛りではなく、デイがダイになる程度)、でもなんというか、ロスあたりを舞台にしたB級ハリウッド映画と雰囲気が変わらないのですね。警察官が銃を使うときは許可がいるとか、その辺がイギリスですが。
で、始まったばかりのころは、ジェームズ・マカヴォイの演じる刑事の人物造型がものすごく荒っぽいのが気になります。エキセントリックな刑事のようなのですが、もう少ししっかり人物を作り上げてくれないと。対する大物犯罪者マーク・ストロングの方は、これはもう、出てきただけで、この人はこういう人、とわかるので、こちらの人物造型はOKです。
ライズブローはマカヴォイの同僚の女性刑事ですが、彼女はOKですが、マカヴォイとの関係があまりじっくり描かれてないのが難です。ピーター・ミュランやデヴィッド・モリッシーも、出てきただけで存在感があるので、まったくOK。彼らの以外の俳優や、ちょっとしか出て来ないおばあちゃんとか、みんないい役者で、彼らの演技を見るだけでごっつあんな感じ。これだけのメンツだと、人物造型が荒っぽくても、ストーリーが荒っぽくても、無問題になってしまうくらいです。
一番得してるのはストロングだなあ。後半、特によい。ライズブローはもったいない使われ方です。
ストーリーはまあ、ハリウッド映画によくある展開で、特に驚きはしませんが、イギリスの俳優たちの存在感と演技を楽しめれば、それなりに面白いです。
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