2013年3月4日月曜日

バスの中、リムジンの中

車の中がおもな舞台の映画を2本見た。
1つはミシェル・ゴンドリー監督の「ウィ・アンド・アイ」。
もう1つはデイヴィッド・クローネンバーグ監督の「コズモポリス」。
前者はニューヨーク、ブロンクスの高校の夏休みの前日、帰宅する高校生たちを乗せたバスの中で起こる出来事を描く群像劇。出演者はみな無名で、フランスの「パリ20区、僕たちのクラス」に似ているな、と思っていたら、プレスの中に、「「パリ2区、僕たちのクラス」のローラン・カンテ監督も、この映画に満足するにちがいない」という「プルミエール」誌のコメントが書かれていた。
フランス出身のゴンドリーは、「エターナル・サンシャイン」は傑作だったが、あとはどれもイマイチで、あまり感心しない監督であったのだが、これは「エターナル」以来の、そして「エターナル」とはまったく違うタイプの傑作だった。
一方のクローネンバーグの映画は、原作がアメリカ文学、ドン・デリーロの同名小説の映画化。しかも、クローネンバーグは原作のせりふが気に入り、せりふを書き抜いてから、それをもとに脚本を書いたそうで、だからか、出てくるせりふが文学的というか、哲学的というか、とにかくむずかしい。小説ならじっくり時間をかけてせりふの意味を考えながら読めばいいのだが、映画はどんどん進んでしまうので考える時間がない。そんなわけで、原作を読んでから見た方がよかったかな、と思った。
こちらも舞台はニューヨークで、物語は朝から始まる。若くして巨万の富を築いた実業家がいつものように白いリムジンに乗り込み、仕事に出かける。というか、リムジンで仕事をするのだが、そのリムジンに愛人が乗ってきたり、途中で妻と食事したり、というふうに、リムジンでニューヨークの町を進みながら、そこにさまざまな人が現れる、という設定。そうした中で、この主人公の事業は失敗し、彼は一気に奈落の底に突き進んでいくのだということがわかる。しかも、彼の命を狙う暗殺者もいる。
カナダのトロントでの映画製作にこだわり続けるクローネンバーグは、ニューヨークが舞台の「コズモポリス」もトロントで撮影したそうだ。舞台はおもにリムジンの中、ということで、リムジンのセットを作り、窓の外の景色は別撮りの映像になっている。しかも、リムジンの速度がやけに遅い。しかもよくとまるみたいだ。全然揺れないし、なんだか舞台劇みたいでもある。映画は朝から始まり、夜に終わるが、その一日の時刻の変化が車窓の風景にはほとんど現れてはいない。いつのまにか暗くなってますね、というくらいなのだ。
それに対し、「ウィ・アンド・アイ」は舞台となるニューヨークのブロンクスで実際にバスを走らせ、撮影している。車窓の風景はおそらく合成ではないのだろう。途中で渋滞に巻き込まれたりもする。生徒は学校から家に帰るのだから、寄り道はできない。しかも、停留所に着くたびに降りる生徒がいるので、しだいに数が減っていく。そういうふうにして、登場人物が多い群像劇であるが、しだいに数が減ることで、生徒たちの言動が変わったり、残った生徒同士の間にさまざまなドラマが起こったりする。途中で回想シーンのようなものが入ったり、また、同じときに起こる複数の出来事が順番に描かれたりするので、上映時間(103分)よりは短い時間なのだろうが、せりふによると、1時間くらいのようだ。「コズモポリス」が朝から夜までだったのに対し、こちらはまだ明るい昼間から日没後の夕暮れまでの1時間ほどである。しかし、さすがにバスを走らせて撮っただけあって、窓ガラスから差し込む西日や、日没後の夕暮れがリアルにとらえられている。
話はどちらも面白い。ただ、私は「ヴィデオドローム」の頃からのクローネンバーグ・ファンなので、どうしても点が辛くなる。前作「危険なメソッド」も評判はよかったけれど、私には無難な出来で、クローネンバーグらしい凄みが感じられなかった。それと同じで、「コズモポリス」も、過去のクローネンバーグを連想させるシーンが時々あるだけに、なんだかボルテージが下がったなあ、と思ってしまうのだ。
「ウィ・アンド・アイ」はその点、オリジナリティにあふれている。路線バスなので一般客も乗っているのだが、わがままし放題のワルガキたちが騒ぐ前半、そのワルガキたちがだんだん減っていき、他の高校生たちの人生が垣間見えてくる後半といったストーリーの変化や人物の多様さも見ものだ。特にこの映画を見て感じたのは、ブロンクスの貧しい若者たちの現実。大学に行くために海兵隊に入る者、軍隊に入ることを薦められる者、父親を失った少年、そして、バスに乗っていない仲間が町で刺殺されたというニュース。演じている若者たちもまた、貧しい生活の中でいろいろな問題に直面しているらしい。プレスシートの監督インタビューにある、「自分の子供やその友人たちと彼らを比べて考えてみる」という言葉が印象に残った。中流から上の裕福な家に育ち、当たり前のように大学へ行き、軍隊に入る必要もないエリート層の子供と、貧しさゆえの問題に直面し、高校を出てもいい就職がないので軍隊に入る子供。日本の教育問題や若者問題についてのネットの記事を見ると、アメリカはいい、それに比べて日本は、と書いてあるものがよくあるのだが、その「アメリカ」とは、高校を出て大学に行けるので、軍隊に入ってイラクに行くこともなく、大学を出てもすぐに就職せずにいろいろな体験ができる裕福な若者たちだったりするので驚くことがよくある。
「コズモポリス」はそうしたアメリカのエリート層の堕落を描いているのだろうが、同じニューヨークに住むこういう底辺の人々の映画も合わせて見るべきだとあらためて思った。