今、クリストファー・イシャウッドの「シングルマン」を原書で読んでいます。コリン・ファース主演の映画とはかなり違う。原作の方がビターで、マイノリティである主人公の、マジョリティに対する怒りや憎しみが書き込まれていて、映画のソフトでもの悲しい感じとはかなり違います。設定などもだいぶ違う。
例の東京都の条例について、どんな意見が出ているか、検索しているのですが、思ったほどまっとうな批判文がないこと、そして、今回は民主党が賛成にまわり、可決の可能性が大だというニュースに気分が重くなります。
そんな中、反対する人のまともな意見をいくつか読み、中には、幼い頃に性的虐待を受けた女性が、こんな条例を作っても被害者は減らない、自分のような立場の人間を利用して条例を可決しないでほしい、と訴えているのには、涙が出そうになりました。
また、この条例にマイノリティへの差別を見ている人の少々難解な論文数点も読みましたが、たまたま、「シングルマン」を読んでいたこともあり、この2人がどちらもマイノリティの問題に踏み込んでいるところにいたく共感しました(リンク、わからなくなって、貼れませんが)。
今回の改正案は、性描写を取り締まるだけにとどまらず、マジョリティの考える普通の性愛以外をすべて悪だと断じてしまうようなところがあります。「シングルマン」の主人公、ジョージの、マジョリティに対する怒りの描写を読むにつれ、あの条例の背後にいる、時代遅れの偏屈な、差別主義者たちの姿が見えるような気がしてならない。ジョージはコリン・ファースのようなおだやかな人ではありませんでしたね、原作では。
追記 ツイッターで見つけたもの
dragoonyouie 「社会規範に反するものを規制」てのはものっすごく簡単にマイノリティ差別に転換する。というより社会規範上模範的てのはマジョリティの理屈でしかないから社会規範に反すると言った時点でマイノリティの拒絶そのものなのね。そこに差別感情が無いなんてことあるわけないと思うの。
けっこうみんな、問題点に気づいているみたいなので、少しほっとした。