今、スパカツバーガーと一緒に期間限定で食べられるザンギバーガー。
北海道では鶏の唐揚をザンギと呼ぶそうで、そこから生まれたザンギバーガー。
それはこれだ!
で、食べてきました。が、写真は撮りませんでした。スパカツバーガーと違い、モスのサイトの写真とほとんど同じです。
スパカツはもう、あれをスパカツと呼ぶか???というくらいの違いでしたが、検索したら、北海道のモスで食べた方のブログ記事があって、これもタルタルソースが多すぎだったそうな。でも、さすが北海道というか、うちの近所のモスよりはスパゲッティが多かったようです。
期間限定のバーガーは、材料がなくなったら終わりなので、スパカツの場合、スパゲッティがなくなったら終わりなので、それでスパゲッティをあまり載せずに作っているのではないか、と疑いたくなります。まあ、モスは同じ商品でも店によってだいぶ違うという、当たり外れのあるチェーン店なのですが。
で、ザンギバーガーですが、これは上の写真と同じでした。スパカツのような派手さはありませんが、なかなかおいしかったです。ソースが濃いので、鶏肉の味わいがあまり感じられないのが残念ではありましたが。
これも近所のモスだったのですが、実はこの近所のモス、スパカツかザンギのバーガーを買うとスクラッチカードをくれます。必ず当たるカードなのか、前回、スパカツのときはSドリンクが当たりました。そして今回のザンギのときは、なんと、A賞の次回の期間限定バーガーが当たった! こりゃ楽しみです!
というわけで、スパカツでがっかりのあとのザンギは、A賞当たりもあって大成功、というところです。北海道シリーズ、あと10日ほどなので、ぜひご賞味あれ。
さてさて、アイスホッケーのアジアリーグは早くも開幕まであと1週間あまり。しかも9月末には新横浜でクレンズ、ブレイズ、ハルラ、ハイワンの日韓集結が! 前売は土曜日からです。
しかし、新横浜かあ。遠い…。それに、土日のうち日曜の方は予定があって行くのは無理だ。
今季は試合数が多いので、見るチャンスは増えそうですが、東伏見開催が減ったのね。
あと、日韓集結、去年まではブレイズとバックス、クレインズとイーグルスだったのに、ブレイズとクレインズになったのは、ブレイズの大会運営のひどさにバックスがうんざりして一緒に開催するのやだとか言い出したんじゃあるまいな???
クレインズは人がいいからなあ、大丈夫かい、おい? とか思ってしまうんですけどね。
釧路の試合増えたみたいなので、釧路行きたいなあ。そして泉屋でスパカツを食べるのだ! ああ、行きたい、釧路、なのです(しかし、先立つものとスケジュールの問題が)。
2012年8月31日金曜日
2012年8月30日木曜日
最初の人間(映画)の覚書
中学時代、一番好きな作家はアルベール・カミュだった。
なんのきっかけで読むことになったのかはさだかではないが、おそらく、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「異邦人」が公開されて、たまたま家に世界文学全集のカミュがあったからだと思う。
私の両親は学歴がなく、また、戦争のせいで(東京大空襲とか)自分の持ち物が焼けてなくなってしまったりして、蔵書をほとんど持っていなかった。そんな中、父が持っていた数少ない蔵書が黄色い箱に入った新潮社の世界文学全集のうちの4冊で、それは「異邦人」「ペスト」「転落」「誤解」の入ったカミュ、「悲しみよこんにちわ」「ある微笑」「一年ののち」「ブラームスはお好き」の入ったフランソワーズ・サガン、そしてロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」上下巻だった。「異邦人」がきっかけでカミュの4作品をすべて読み、テレビでサガンの映画化「悲しみよこんにちわ」「ある微笑」「さよならをもう一度」(「ブラームスはお好き」)を見たのでサガンも読んで、「ジャン・クリストフ」だけは読まなかった。たぶん、それは、私が「狭き門」でアンドレ・ジッドのファンになったからだと思う。いや、ただ単に長いから読まなかったのだと思うが、のちに英文学の先生から、ジッドが好きかロランが好きかに分かれると言われ、それで妙に納得したのだった(ロランは短い作品を読んでいますが、ジッドほど惚れなかった)。
とにかくカミュには夢中になり、自分で文庫本を買ってさらに読んだりしたのだが、私は1人の作家をえんえんと追いかけるということが苦手で、要するに移り気なので、次々と別の作家に惚れていくので、その後はカミュから離れてしまった。
第一、私が中学生の頃にはもうとっくにカミュは死んでいたし、カミュの故郷アルジェリアはとっくに独立していた。アルジェリア戦争が背景にある「シェルブールの雨傘」もすでに古い映画で、テレビ放映やリバイバルで見た。
そんなわけで、過去に惚れた作家の1人になってしまっていたカミュであるが、未完の遺作「最初の人間」が映画化され、試写状が来たときはちょっとばかり震えた。試写状の写真、カミュの分身と思われる主人公を演じるジャック・ガンブランの、いかにもアルジェリアのフランス人という風貌にもそそるものを感じた。
ちなみに、原作の「最初の人間」は1994年にフランスで出版、日本では96年に翻訳が出たが、私は読んでいなかったので、たまたま図書館で見つけて借りてきた。なんだか日本ではとっくに絶版になってたみたいで、映画に合わせて文庫化されるようだが、カミュもなんだか日本じゃ過去の作家になってしまっているのかな?
で、映画の最初の試写が水曜日にあったので、万難を排して駆けつけた。
原作は試写に行く直前に借りたので、試写を見たあと、最初の方だけ読んだところだけれど、小説は主人公ジャックがアルジェリアの村で生まれるシーンから始まり、次に40歳になったジャックがフランスで戦死した父親の墓参りをするシーンとなるのが、映画は父親の墓参りから始まり、ジャックが生まれるシーンは後半になっている。
小説は書きかけの草稿にすぎないようなので、映画は小説をもとにアルジェリア問題でのカミュの立場を加えたストーリーに作り変えているような気がするが、映画の大半は少年時代のジャックの物語になっている。原作と違い、ジャックは両親の最初の子になっているが、この最初、ル・プルミエという言葉が「最初の人間」のル・プルミエ・オムと重なるように映画では描かれている。
ジャックが生まれた翌年、父親は戦死、ジャックと母親は母方の祖母の元に身を寄せる。祖母と母と叔父(母の弟)は貧しい暮らしをしていて、祖母は非常に厳格。ジャックは小学校を出たら働きに出るはずのところを、彼の優秀さに着目した教師が奨学金を得て進学することを提案、ジャックは貧しい環境の中から大学まで進み、やがて作家として成功する。
監督はイタリア人のジャンニ・アメリオだが、この貧しい少年時代の暮らしがいかにもイタリア映画のお家芸といった感じのリアリズムで描かれ、かといってお涙頂戴の感傷はいっさいなく、淡々として、しかもアルジェリアの光に満ちた美しい映像が見入ってしまうほどのすばらしさ。フランス、イタリア、アルジェリアの合作なのだが、これはやはりフランス映画というよりはイタリア映画のよさが出ているなあ、という感じなのだ。
作家として成功したジャックは故郷アルジェリアに帰り、そこでアルジェリア独立問題に直面する。これはカミュ自身の問題でもあったようで、カミュはこの問題についてはあまり積極的にかかわらず、そのために批判も受けたようだ。アルジェリアを植民地にしておきたいフランスの欲望というものが映画からも垣間見えるが、支配者のフランス人やフランス軍に虐げられるアラブ人に同情しつつも、アラブ人側のテロにおびえる主人公の迷いは、21世紀の今だから描けるものかもしれない。
かつて、ジャックの誕生を手伝ってくれた農場の主は今はマルセイユに移住し、その息子はアラブ人との共存を望んでいるといったエピソード。貧しさの中、そこから脱していく甥を見て苛立ちを感じる叔父が、のちに何をしたかがわかるエピソード。そして、アルジェリア問題についてのカミュ自身の言葉をジャックが言うクライマックス。これらのシーンやエピソードが鮮烈に印象に残る。
虐げられたアラブ人を支持し、正義を信じるというジャック(=カミュ)が、しかし、母を傷つけたら自分はアラブ人の敵になる、と言ってしまうのは、正義や民主主義などより家族の女性を守るという、アルジェリアの男の気持ちなのではないかと、ふと思う。もう何年も前になるが、姉を侮辱されたと思ったジダンが相手選手に頭突きを食らわしたことがあったが、実存主義の文学者カミュも本質的なところではアルジェリアの男なんだと、なんとなくそんな感じがしたのだ(映画の中での話だが)。
まだ原作の最初の方しか読んでいないので、とりとめのない感想になってしまっているが、原作を全部読んだら、もう一度、考えてみたい。
ちなみに、「最初の人間」というのは、親が無名であり、貧しく何もないところに生まれた人はゼロからスタートする最初の人間という意味であるらしい。実際、カミュもジャックも何もないところから教師の助力で教育を得て作家になっていったのだが、私自身、親の蔵書がほんのわずかしかなく、6畳一間に家族で住んでいたという貧しい暮らしだったので、自分もまた「最初の人間」だったのだということに気づいたのだった。
なんのきっかけで読むことになったのかはさだかではないが、おそらく、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「異邦人」が公開されて、たまたま家に世界文学全集のカミュがあったからだと思う。
私の両親は学歴がなく、また、戦争のせいで(東京大空襲とか)自分の持ち物が焼けてなくなってしまったりして、蔵書をほとんど持っていなかった。そんな中、父が持っていた数少ない蔵書が黄色い箱に入った新潮社の世界文学全集のうちの4冊で、それは「異邦人」「ペスト」「転落」「誤解」の入ったカミュ、「悲しみよこんにちわ」「ある微笑」「一年ののち」「ブラームスはお好き」の入ったフランソワーズ・サガン、そしてロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」上下巻だった。「異邦人」がきっかけでカミュの4作品をすべて読み、テレビでサガンの映画化「悲しみよこんにちわ」「ある微笑」「さよならをもう一度」(「ブラームスはお好き」)を見たのでサガンも読んで、「ジャン・クリストフ」だけは読まなかった。たぶん、それは、私が「狭き門」でアンドレ・ジッドのファンになったからだと思う。いや、ただ単に長いから読まなかったのだと思うが、のちに英文学の先生から、ジッドが好きかロランが好きかに分かれると言われ、それで妙に納得したのだった(ロランは短い作品を読んでいますが、ジッドほど惚れなかった)。
とにかくカミュには夢中になり、自分で文庫本を買ってさらに読んだりしたのだが、私は1人の作家をえんえんと追いかけるということが苦手で、要するに移り気なので、次々と別の作家に惚れていくので、その後はカミュから離れてしまった。
第一、私が中学生の頃にはもうとっくにカミュは死んでいたし、カミュの故郷アルジェリアはとっくに独立していた。アルジェリア戦争が背景にある「シェルブールの雨傘」もすでに古い映画で、テレビ放映やリバイバルで見た。
そんなわけで、過去に惚れた作家の1人になってしまっていたカミュであるが、未完の遺作「最初の人間」が映画化され、試写状が来たときはちょっとばかり震えた。試写状の写真、カミュの分身と思われる主人公を演じるジャック・ガンブランの、いかにもアルジェリアのフランス人という風貌にもそそるものを感じた。
ちなみに、原作の「最初の人間」は1994年にフランスで出版、日本では96年に翻訳が出たが、私は読んでいなかったので、たまたま図書館で見つけて借りてきた。なんだか日本ではとっくに絶版になってたみたいで、映画に合わせて文庫化されるようだが、カミュもなんだか日本じゃ過去の作家になってしまっているのかな?
で、映画の最初の試写が水曜日にあったので、万難を排して駆けつけた。
原作は試写に行く直前に借りたので、試写を見たあと、最初の方だけ読んだところだけれど、小説は主人公ジャックがアルジェリアの村で生まれるシーンから始まり、次に40歳になったジャックがフランスで戦死した父親の墓参りをするシーンとなるのが、映画は父親の墓参りから始まり、ジャックが生まれるシーンは後半になっている。
小説は書きかけの草稿にすぎないようなので、映画は小説をもとにアルジェリア問題でのカミュの立場を加えたストーリーに作り変えているような気がするが、映画の大半は少年時代のジャックの物語になっている。原作と違い、ジャックは両親の最初の子になっているが、この最初、ル・プルミエという言葉が「最初の人間」のル・プルミエ・オムと重なるように映画では描かれている。
ジャックが生まれた翌年、父親は戦死、ジャックと母親は母方の祖母の元に身を寄せる。祖母と母と叔父(母の弟)は貧しい暮らしをしていて、祖母は非常に厳格。ジャックは小学校を出たら働きに出るはずのところを、彼の優秀さに着目した教師が奨学金を得て進学することを提案、ジャックは貧しい環境の中から大学まで進み、やがて作家として成功する。
監督はイタリア人のジャンニ・アメリオだが、この貧しい少年時代の暮らしがいかにもイタリア映画のお家芸といった感じのリアリズムで描かれ、かといってお涙頂戴の感傷はいっさいなく、淡々として、しかもアルジェリアの光に満ちた美しい映像が見入ってしまうほどのすばらしさ。フランス、イタリア、アルジェリアの合作なのだが、これはやはりフランス映画というよりはイタリア映画のよさが出ているなあ、という感じなのだ。
作家として成功したジャックは故郷アルジェリアに帰り、そこでアルジェリア独立問題に直面する。これはカミュ自身の問題でもあったようで、カミュはこの問題についてはあまり積極的にかかわらず、そのために批判も受けたようだ。アルジェリアを植民地にしておきたいフランスの欲望というものが映画からも垣間見えるが、支配者のフランス人やフランス軍に虐げられるアラブ人に同情しつつも、アラブ人側のテロにおびえる主人公の迷いは、21世紀の今だから描けるものかもしれない。
かつて、ジャックの誕生を手伝ってくれた農場の主は今はマルセイユに移住し、その息子はアラブ人との共存を望んでいるといったエピソード。貧しさの中、そこから脱していく甥を見て苛立ちを感じる叔父が、のちに何をしたかがわかるエピソード。そして、アルジェリア問題についてのカミュ自身の言葉をジャックが言うクライマックス。これらのシーンやエピソードが鮮烈に印象に残る。
虐げられたアラブ人を支持し、正義を信じるというジャック(=カミュ)が、しかし、母を傷つけたら自分はアラブ人の敵になる、と言ってしまうのは、正義や民主主義などより家族の女性を守るという、アルジェリアの男の気持ちなのではないかと、ふと思う。もう何年も前になるが、姉を侮辱されたと思ったジダンが相手選手に頭突きを食らわしたことがあったが、実存主義の文学者カミュも本質的なところではアルジェリアの男なんだと、なんとなくそんな感じがしたのだ(映画の中での話だが)。
まだ原作の最初の方しか読んでいないので、とりとめのない感想になってしまっているが、原作を全部読んだら、もう一度、考えてみたい。
ちなみに、「最初の人間」というのは、親が無名であり、貧しく何もないところに生まれた人はゼロからスタートする最初の人間という意味であるらしい。実際、カミュもジャックも何もないところから教師の助力で教育を得て作家になっていったのだが、私自身、親の蔵書がほんのわずかしかなく、6畳一間に家族で住んでいたという貧しい暮らしだったので、自分もまた「最初の人間」だったのだということに気づいたのだった。
2012年8月28日火曜日
ウォリスとエドワード(ネタバレ大あり)
「英国王のスピーチ」の主人公、ジョージ六世が王になったのは、兄エドワード八世が離婚歴のあるアメリカ人ウォリス・シンプソン夫人と結婚するために退位したため、というのは映画にも描かれている通りです。そして、退位してウィンザー公となったエドワードはウォリスと結婚するものの、2人はイギリスから追放され、故郷に帰ることを許されず、そうしたこともあって夫妻は一時ナチスと交流を持ったという話も調べれば出てきます。
そのためか、「英国王のスピーチ」ではウィンザー公はあまり好意的に描かれていなかったのですが、そのウィンザー公とウォリスの生涯を描くのが映画「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」。監督はあのマドンナ。衣装がすばらしく、アカデミー賞の候補にもなりました。
映画は1998年、ニューヨークのサザビーズでウィンザー公夫妻の遺品のオークションが行われる、というところから始まります。かつてサザビーズで学芸員をしていたウォリスは、自分と同じ名前のウィンザー公夫人に興味を持ち、毎日のように彼女の遺品を見に行きます。ウォリスは裕福な精神分析医と結婚して仕事をやめたものの、子供が欲しくない夫は夫婦関係もまともにせず、かわりに外で性欲を始末している男で、夫婦の間には寒風が吹いているという設定。毎日遺品を見に来るウォリスにしだいに惹かれていくのが警備員のロシア人、エフゲニ。やがて夫の暴力にあったウォリスを彼が助け、ウォリスは夫と離婚して新しい人生を歩む、というのがメインのストーリー(ネタバレ)。
そして、このメインのストーリーにはさまるのがウィンザー公夫妻、ウォリスとエドワードの生涯です。
こちらのウォリスは最初の結婚に失敗、次に億万長者と結婚し、イギリスへ行ったときに皇太子だったエドワードと知り合い、恋に落ちます。やがて皇太子は即位してエドワード八世となり、そして、というのはすでにご存知のとおりですが、ウォリスの側から描かれているのが面白いところです。
映画ではこのウォリスが現代のウォリスの前に現れ、彼女に助言したりするというファンタジーな設定もあります。現代のウォリスが過去のウォリスの生涯を知るうちに、新しい人生を見出す、というのがこの映画の特徴。
この過去のウォリスを演じるアンドレア・ライズブローという女優がとにかくすばらしくて、彼女1人がこの映画を支えていると言っても過言ではありません。もともとウォリスは美人ではなく、皇太子と知り合ったときはすでに37歳。皇太子は2つ年上でしたが、弟(のちのジョージ六世)がすでに結婚して子供(のちのエリザベス二世)がいるのに皇太子はいまだ独身で、人妻と不倫しているという子供っぽいところのある男で、そういう彼にとって美人ではないが着こなしがうまく、包容力のあるウォリスが魅力的だったというのが画面からひしひしと伝わってくるのです。
演じるライズブローはまだ30歳くらいで、実年齢より老けたメイクをしているのだろうと思いますが、ウォリスという伝説的な女性の存在感をみごとに体現しています。
実は、この映画は観客にとってあまり親切な映画ではありません。ネタバレ大ありで書こうと思ったのは、その辺を説明した方がいいと思ったからです。
映画を見ていて、字幕で気になったのは、すでに皇太子が即位して国王になっているシーンで、陛下(マジェスティ)という言葉を何度も殿下と訳しているシーンがあったことです。陛下はマジェスティ、殿下はハイネスで、これは英語の基本中の基本、あまりにも初歩的なミスで、いったいどうしてこうなったのか不思議ですが(翻訳者のミスなのか、他の人のミスなのかは不明)、この映画にはエドワードが即位するシーンがないのですね。もともとウォリスとエドワードの物語は断片的に、ときには時間の順序が入れ替わって登場するので、しっかり見てないとわかりにくいところもあるのですが、エドワードが即位したのは1936年1月で、その年の終わりには退位しています。なので、1936年は陛下なわけですが、この時期のシーンでマジェスティが何度も殿下と訳されているので、もう気になってしかたありませんでした。こうした不備は試写中に指摘されてわかったりするので、公開までには訂正されていると思いますが。
そんなわけで、ウォリスとエドワードの部分も日本の観客にはわかりにくい、即位のシーンを入れたりしてわかりやすくしない、といったところがありますが、現代のシーンでも説明せずにわかる人だけわかればいいという感じで描いているところもあります。
たとえば、サザビーズでのオークションは1998年に実際に開かれたのですが、実はこれは前年1997年に予定されていたのが、遺品の所有者であり、ハロッズのオーナーでもあるモハメド・アルファイドの息子ドディが97年にダイアナ元妃とともに交通事故死、そのため、オークションが翌年に延期されたのだそうです。モハメド・アルファイドはウィンザー公夫妻が住んだ屋敷を買い取り、遺品をオークションに出したのですが、映画の中ではウォリスの手紙が発見され、現代のウォリスがそれを読みたいとアルファイドに直訴するシーンがあります。
現代のウォリスが夫と別れ、画廊の仕事につき、エフゲニとの間に子供ができるという結末も、非常にさらっと描かれるので、人によってはわかりにくいかもしれません。夫と別れたということを直接描かず、他のできごとでそれを暗示しているのです。
こういう即位とか結婚とか離婚とかいったシーンをわざと入れず、他のシーンでそれをわからせるという手法は、シドニー・ポラックの「追憶」がそうでした。「追憶」はわかりやすい映画なのですが、主人公の2人が同棲から結婚に移るシーンで、結婚式のシーンはなく、ただ、結婚を示す置物が部屋に飾ってあるのを見せるだけで表現しています。ハリウッド映画のこういう、ぼけっと見ている人にまでわかるようには説明しない手法が私は好きなのですが、最近のハリウッド映画はやたら親切な映画もあるので、「ウォリスとエドワード」の手法が逆に気に入りました。
「追憶」はウィンザー公とウォリスの結婚についてのせりふが出てくる映画でもあります。2人の結婚は1937年なので、「追憶」のこのシーンが1937年であることを示しているのですが、同時に、愛を選ぶか仕事や地位などを選ぶかの選択がこの映画の重要なテーマになっていくことを暗示しています。仕事や地位か、愛か、という選択では、従来は男は仕事や地位、女は愛を選ぶというのが普通と考えられていました。しかし、エドワードは国王の地位と仕事を捨てて愛を選んだ、というのが、当時の人々には衝撃的だったわけです。一方、「追憶」のヒロインはやがて、愛か生き方かという選択を迫られ、愛する夫と別れて自分の生き方を選択します。エドワードとは男女が逆なのですが、一般に考えられていた選択とは違う選択をするという共通点があるのです。
というわけで、いろいろと面白いところのある映画「ウォリスとエドワード」なのですが、内容自体は古いメロドラマと言われてもしかたないところはあります。
「英国王のスピーチ」評で書いたことと重なりますが、この映画も男と女に関する古い価値観の映画です。エドワードは退位したあと、多額の年金をもらって悠々自適に過ごせるのですが、そうした自分に不満です。仕事をしなくても楽に暮らせれば幸せというものではないからです。そうした夫の悩みにウォリスも気づいて悩むというシーンもありますが、ウォリス自身は仕事をする女性、社会活動をする女性ではない。また、現代のウォリスも専業主婦で、子供を作ることしか考えていない。そうした古いタイプの女性の話にすぎないと言われればそれまでなわけです。
むしろ、現代のウォリスの夫が、結婚しても子供を欲しがらない男性であるのが注目といえば注目。最近見たウディ・アレンの「恋のロンドン狂騒曲」にもそういう男が出てきましたが、子供を欲しがらない男性というのは意外に多い。私が若い頃(ン十年前)にもけっこういました。ところが世間は、少子化の原因は女性が子供を欲しがらないからとか、女性が子育てしにくい社会だから、ということしか言わず、子供を欲しがらない男性が意外に多いということは決して言われないのです。
子供を欲しがらない男性が少なくないということは、要するに、人間は人口が増えすぎると子供が欲しくなくなるということではないか、つまり、少子化は自然現象、というのが私の考えです。
最後にトリビア。この映画ではエドワードの父、ジョージ五世をジェームズ・フォックスが演じていますが、エドワードの弟(のちのジョージ六世)を、ジェームズの息子ローレンス・フォックスが演じています。「英国王のスピーチ」では兄弟は全然顔が似てませんでしたが、エドワードを演じたジェームズ・ダーシーはローレンス・フォックスと顔がわりと似ていて、こっちの方が兄弟らしいです。
そのためか、「英国王のスピーチ」ではウィンザー公はあまり好意的に描かれていなかったのですが、そのウィンザー公とウォリスの生涯を描くのが映画「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」。監督はあのマドンナ。衣装がすばらしく、アカデミー賞の候補にもなりました。
映画は1998年、ニューヨークのサザビーズでウィンザー公夫妻の遺品のオークションが行われる、というところから始まります。かつてサザビーズで学芸員をしていたウォリスは、自分と同じ名前のウィンザー公夫人に興味を持ち、毎日のように彼女の遺品を見に行きます。ウォリスは裕福な精神分析医と結婚して仕事をやめたものの、子供が欲しくない夫は夫婦関係もまともにせず、かわりに外で性欲を始末している男で、夫婦の間には寒風が吹いているという設定。毎日遺品を見に来るウォリスにしだいに惹かれていくのが警備員のロシア人、エフゲニ。やがて夫の暴力にあったウォリスを彼が助け、ウォリスは夫と離婚して新しい人生を歩む、というのがメインのストーリー(ネタバレ)。
そして、このメインのストーリーにはさまるのがウィンザー公夫妻、ウォリスとエドワードの生涯です。
こちらのウォリスは最初の結婚に失敗、次に億万長者と結婚し、イギリスへ行ったときに皇太子だったエドワードと知り合い、恋に落ちます。やがて皇太子は即位してエドワード八世となり、そして、というのはすでにご存知のとおりですが、ウォリスの側から描かれているのが面白いところです。
映画ではこのウォリスが現代のウォリスの前に現れ、彼女に助言したりするというファンタジーな設定もあります。現代のウォリスが過去のウォリスの生涯を知るうちに、新しい人生を見出す、というのがこの映画の特徴。
この過去のウォリスを演じるアンドレア・ライズブローという女優がとにかくすばらしくて、彼女1人がこの映画を支えていると言っても過言ではありません。もともとウォリスは美人ではなく、皇太子と知り合ったときはすでに37歳。皇太子は2つ年上でしたが、弟(のちのジョージ六世)がすでに結婚して子供(のちのエリザベス二世)がいるのに皇太子はいまだ独身で、人妻と不倫しているという子供っぽいところのある男で、そういう彼にとって美人ではないが着こなしがうまく、包容力のあるウォリスが魅力的だったというのが画面からひしひしと伝わってくるのです。
演じるライズブローはまだ30歳くらいで、実年齢より老けたメイクをしているのだろうと思いますが、ウォリスという伝説的な女性の存在感をみごとに体現しています。
実は、この映画は観客にとってあまり親切な映画ではありません。ネタバレ大ありで書こうと思ったのは、その辺を説明した方がいいと思ったからです。
映画を見ていて、字幕で気になったのは、すでに皇太子が即位して国王になっているシーンで、陛下(マジェスティ)という言葉を何度も殿下と訳しているシーンがあったことです。陛下はマジェスティ、殿下はハイネスで、これは英語の基本中の基本、あまりにも初歩的なミスで、いったいどうしてこうなったのか不思議ですが(翻訳者のミスなのか、他の人のミスなのかは不明)、この映画にはエドワードが即位するシーンがないのですね。もともとウォリスとエドワードの物語は断片的に、ときには時間の順序が入れ替わって登場するので、しっかり見てないとわかりにくいところもあるのですが、エドワードが即位したのは1936年1月で、その年の終わりには退位しています。なので、1936年は陛下なわけですが、この時期のシーンでマジェスティが何度も殿下と訳されているので、もう気になってしかたありませんでした。こうした不備は試写中に指摘されてわかったりするので、公開までには訂正されていると思いますが。
そんなわけで、ウォリスとエドワードの部分も日本の観客にはわかりにくい、即位のシーンを入れたりしてわかりやすくしない、といったところがありますが、現代のシーンでも説明せずにわかる人だけわかればいいという感じで描いているところもあります。
たとえば、サザビーズでのオークションは1998年に実際に開かれたのですが、実はこれは前年1997年に予定されていたのが、遺品の所有者であり、ハロッズのオーナーでもあるモハメド・アルファイドの息子ドディが97年にダイアナ元妃とともに交通事故死、そのため、オークションが翌年に延期されたのだそうです。モハメド・アルファイドはウィンザー公夫妻が住んだ屋敷を買い取り、遺品をオークションに出したのですが、映画の中ではウォリスの手紙が発見され、現代のウォリスがそれを読みたいとアルファイドに直訴するシーンがあります。
現代のウォリスが夫と別れ、画廊の仕事につき、エフゲニとの間に子供ができるという結末も、非常にさらっと描かれるので、人によってはわかりにくいかもしれません。夫と別れたということを直接描かず、他のできごとでそれを暗示しているのです。
こういう即位とか結婚とか離婚とかいったシーンをわざと入れず、他のシーンでそれをわからせるという手法は、シドニー・ポラックの「追憶」がそうでした。「追憶」はわかりやすい映画なのですが、主人公の2人が同棲から結婚に移るシーンで、結婚式のシーンはなく、ただ、結婚を示す置物が部屋に飾ってあるのを見せるだけで表現しています。ハリウッド映画のこういう、ぼけっと見ている人にまでわかるようには説明しない手法が私は好きなのですが、最近のハリウッド映画はやたら親切な映画もあるので、「ウォリスとエドワード」の手法が逆に気に入りました。
「追憶」はウィンザー公とウォリスの結婚についてのせりふが出てくる映画でもあります。2人の結婚は1937年なので、「追憶」のこのシーンが1937年であることを示しているのですが、同時に、愛を選ぶか仕事や地位などを選ぶかの選択がこの映画の重要なテーマになっていくことを暗示しています。仕事や地位か、愛か、という選択では、従来は男は仕事や地位、女は愛を選ぶというのが普通と考えられていました。しかし、エドワードは国王の地位と仕事を捨てて愛を選んだ、というのが、当時の人々には衝撃的だったわけです。一方、「追憶」のヒロインはやがて、愛か生き方かという選択を迫られ、愛する夫と別れて自分の生き方を選択します。エドワードとは男女が逆なのですが、一般に考えられていた選択とは違う選択をするという共通点があるのです。
というわけで、いろいろと面白いところのある映画「ウォリスとエドワード」なのですが、内容自体は古いメロドラマと言われてもしかたないところはあります。
「英国王のスピーチ」評で書いたことと重なりますが、この映画も男と女に関する古い価値観の映画です。エドワードは退位したあと、多額の年金をもらって悠々自適に過ごせるのですが、そうした自分に不満です。仕事をしなくても楽に暮らせれば幸せというものではないからです。そうした夫の悩みにウォリスも気づいて悩むというシーンもありますが、ウォリス自身は仕事をする女性、社会活動をする女性ではない。また、現代のウォリスも専業主婦で、子供を作ることしか考えていない。そうした古いタイプの女性の話にすぎないと言われればそれまでなわけです。
むしろ、現代のウォリスの夫が、結婚しても子供を欲しがらない男性であるのが注目といえば注目。最近見たウディ・アレンの「恋のロンドン狂騒曲」にもそういう男が出てきましたが、子供を欲しがらない男性というのは意外に多い。私が若い頃(ン十年前)にもけっこういました。ところが世間は、少子化の原因は女性が子供を欲しがらないからとか、女性が子育てしにくい社会だから、ということしか言わず、子供を欲しがらない男性が意外に多いということは決して言われないのです。
子供を欲しがらない男性が少なくないということは、要するに、人間は人口が増えすぎると子供が欲しくなくなるということではないか、つまり、少子化は自然現象、というのが私の考えです。
最後にトリビア。この映画ではエドワードの父、ジョージ五世をジェームズ・フォックスが演じていますが、エドワードの弟(のちのジョージ六世)を、ジェームズの息子ローレンス・フォックスが演じています。「英国王のスピーチ」では兄弟は全然顔が似てませんでしたが、エドワードを演じたジェームズ・ダーシーはローレンス・フォックスと顔がわりと似ていて、こっちの方が兄弟らしいです。
2012年8月26日日曜日
新しい携帯で撮った写真
7月に前の携帯が使用できなくなるので、強制的に機種交換させられたのですが、新しい携帯はカメラがすごい。ものすごく大きなサイズの写真が撮れる。しかし、携帯の悲しさよ、ピントがあまり合わないのですね。ただ、暗いところでもわりとよく撮れる。7年前に買った一体型のデジカメより暗さに強いです。写真は縦横それぞれ30パーセントに縮小してありますが、この方が原寸大よりきれいです(クリックすると大きくなります)。
まずは、8月初旬、バーン=ジョーンズ展へ行った帰りに東京駅の前で撮った夜景。満月が出ています。
ベルリン美術館展のチケットで見に行った西洋美術館の常設展。前に行ったときとは展示されている絵が少し変更されていました。これはドラクロワらしい。中央に光が当たっていて、とても美しい絵です。今回初めて見ました。絵葉書なくて残念。
モネの部屋。壁にはモネの絵、中央にはロダンの彫刻。
常設展では、ベルリン展と合わせてドイツの小さな版画の企画展をやっていました。虫眼鏡が置いてあって、それで見るという、ほんとに小さい絵です。
金曜の夜でしたが、ベルリン展、かなり混んでいるようですね。世間も真珠の首飾りの少女の魅力に気づいたか? そのベルリン展の人が常設展にもまわってくるので、こちらも思ったより人が多かったです。
写真撮影は常設展のみOKです。ただし、フラッシュ、三脚の使用は禁止。写真の商業的な使用も禁止です。
まずは、8月初旬、バーン=ジョーンズ展へ行った帰りに東京駅の前で撮った夜景。満月が出ています。
ベルリン美術館展のチケットで見に行った西洋美術館の常設展。前に行ったときとは展示されている絵が少し変更されていました。これはドラクロワらしい。中央に光が当たっていて、とても美しい絵です。今回初めて見ました。絵葉書なくて残念。
モネの部屋。壁にはモネの絵、中央にはロダンの彫刻。
常設展では、ベルリン展と合わせてドイツの小さな版画の企画展をやっていました。虫眼鏡が置いてあって、それで見るという、ほんとに小さい絵です。
金曜の夜でしたが、ベルリン展、かなり混んでいるようですね。世間も真珠の首飾りの少女の魅力に気づいたか? そのベルリン展の人が常設展にもまわってくるので、こちらも思ったより人が多かったです。
写真撮影は常設展のみOKです。ただし、フラッシュ、三脚の使用は禁止。写真の商業的な使用も禁止です。
スパカツバーガー
前の記事に書いた、モスバーガーのスパカツバーガー。携帯で撮った写真です。
運ばれてきたところ。右はウーロン茶。
タルタルソースがたっぷりかかっていて、スパゲッティが見えません。
斜め横から撮影。左の方になんとかスパゲッティがちらっと見えます。スパゲッティ、ほんとに少なかったよ。前の記事のモスのサイトの写真と見比べてください。
運ばれてきたところ。右はウーロン茶。
タルタルソースがたっぷりかかっていて、スパゲッティが見えません。
斜め横から撮影。左の方になんとかスパゲッティがちらっと見えます。スパゲッティ、ほんとに少なかったよ。前の記事のモスのサイトの写真と見比べてください。
2012年8月24日金曜日
北海道釧路発
モスバーガーのスパカツバーガー。
モスさまの公式サイトより写真。
8月21日から東日本で発売、というので、絶対食うぞ、と思っていましたが、木曜日、近くのモスで食べてきました。
携帯で写真撮ったけど、パソコンに移すツールがまだないので、写真はあとで。
さて、スパカツといえば、北海道釧路市にあるレストラン、泉屋の名物料理であります。
日本製紙クレインズの応援で釧路アイスアリーナに行くようになり、試合を見たあと、近くのスーパーが入った建物にあるレストラン、泉屋に入ったのが初めての体験。右も左もわからない私はとりあえず、ビーフシチューと牡蠣フライの定食を注文。しかし、他のお客さんはなぜかみなスパゲッティ。湯気の立つ山盛りのスパゲッティを食べているのです。
あとでわかったのだが、それが釧路名物スパカツ。スパッと勝つってんで、クレインズの応援にもよろしい。何の変哲もないスパゲッティの上にカツが載っているというメニューであります。
しかし、私はまだこのスパカツを一度も注文していません。もう泉屋には何度足を運んだかわからない。アリーナのそばの店はもちろん、釧路駅近くの有名な幣舞橋のあたりにある本店にも何度も行ってますが(釧路駅周辺は夕食を食べる場所がほとんどないので、ここをよく利用)、いまだ食べていないスパカツ。
理由は、他の定食メニューに添えてあるスパゲッティがまずいから。
うーん、泉屋のスパゲッティは、基本的に、限りなくうどんに近いです。麺が太くてやわらかい。味付けはケチャップ基本。で、定食に添えてあるスパゲッティは冷えているのでまずいので、スパカツのように熱々で湯気が立ってるのはとってもおいしいのだそうです。「アルデンテってなに?の世界ですが」と地元の方はおっしゃりますが、まあ、いわゆるイタリアのスパゲッティとはちと違うスパゲッティではあるらしいけど、でもスパカツはうまいそうです。
そんなわけで、いつかは食べたいスパカツですが(でも、あの量にめげる)、モスバーガーにスパカツバーガーができたとなれば、食べないわけにはいかない!
というわけで、食べてきましたが、上の写真と私が撮った写真は違いすぎる!
私の前に現れたのは、タルタルソースがたっぷりかかって、スパゲッティはほとんど見えませんでした。で、そのスパゲッティは、泉屋タイプではなく、そこそこアルデンテな普通のスパゲッティでした(麺は細くこしがある)。ただ、スパゲッティの量は上の写真ほど多くなくて、釧路発を名乗るならもっとスパゲッティは大盛りに、と注文をつけたくなります。でも、まあ、全国区的な味付けになっていますね。
ちなみに、クレインズの本拠地のアリーナのそばには、かつて、モスバーガーがありました。しかし、数年前に火事で焼けてしまいました。もしも、モスバーガーがあったら、泉屋のそばでスパカツバーガー売ることになったのになあ、残念。
モスさまの公式サイトより写真。
8月21日から東日本で発売、というので、絶対食うぞ、と思っていましたが、木曜日、近くのモスで食べてきました。
携帯で写真撮ったけど、パソコンに移すツールがまだないので、写真はあとで。
さて、スパカツといえば、北海道釧路市にあるレストラン、泉屋の名物料理であります。
日本製紙クレインズの応援で釧路アイスアリーナに行くようになり、試合を見たあと、近くのスーパーが入った建物にあるレストラン、泉屋に入ったのが初めての体験。右も左もわからない私はとりあえず、ビーフシチューと牡蠣フライの定食を注文。しかし、他のお客さんはなぜかみなスパゲッティ。湯気の立つ山盛りのスパゲッティを食べているのです。
あとでわかったのだが、それが釧路名物スパカツ。スパッと勝つってんで、クレインズの応援にもよろしい。何の変哲もないスパゲッティの上にカツが載っているというメニューであります。
しかし、私はまだこのスパカツを一度も注文していません。もう泉屋には何度足を運んだかわからない。アリーナのそばの店はもちろん、釧路駅近くの有名な幣舞橋のあたりにある本店にも何度も行ってますが(釧路駅周辺は夕食を食べる場所がほとんどないので、ここをよく利用)、いまだ食べていないスパカツ。
理由は、他の定食メニューに添えてあるスパゲッティがまずいから。
うーん、泉屋のスパゲッティは、基本的に、限りなくうどんに近いです。麺が太くてやわらかい。味付けはケチャップ基本。で、定食に添えてあるスパゲッティは冷えているのでまずいので、スパカツのように熱々で湯気が立ってるのはとってもおいしいのだそうです。「アルデンテってなに?の世界ですが」と地元の方はおっしゃりますが、まあ、いわゆるイタリアのスパゲッティとはちと違うスパゲッティではあるらしいけど、でもスパカツはうまいそうです。
そんなわけで、いつかは食べたいスパカツですが(でも、あの量にめげる)、モスバーガーにスパカツバーガーができたとなれば、食べないわけにはいかない!
というわけで、食べてきましたが、上の写真と私が撮った写真は違いすぎる!
私の前に現れたのは、タルタルソースがたっぷりかかって、スパゲッティはほとんど見えませんでした。で、そのスパゲッティは、泉屋タイプではなく、そこそこアルデンテな普通のスパゲッティでした(麺は細くこしがある)。ただ、スパゲッティの量は上の写真ほど多くなくて、釧路発を名乗るならもっとスパゲッティは大盛りに、と注文をつけたくなります。でも、まあ、全国区的な味付けになっていますね。
ちなみに、クレインズの本拠地のアリーナのそばには、かつて、モスバーガーがありました。しかし、数年前に火事で焼けてしまいました。もしも、モスバーガーがあったら、泉屋のそばでスパカツバーガー売ることになったのになあ、残念。
2012年8月21日火曜日
希望の国(覚書・少しネタバレ)
園子温監督の新作「希望の国」。
前作「ヒミズ」は見ていないのだけれど、企画段階で東日本大震災が起こり、震災を取り入れたとのこと。
そして、新作「希望の国」では本格的に原発問題を描いている。
「冷たい熱帯魚」にしろ、「恋の罪」にしろ、過去に起こった事件をもとにフィクションとして作られた映画だが、「希望の国」も福島原発事故をもとにしたフィクションである。
しかし、違うのは、「希望の国」では福島原発事故が起きてから数年後、今度は長島県という架空の県で、やはり地震による原発事故が起きたという設定になっていること。
福島原発事故のときはこうだった、という話が再三、登場する。マスコミは本当のことを伝えていなかった、などなど。
そして、福島原発事故のときと同じことがこの長島県とその周辺でも起きている。住民の避難の問題、放射能を心配する人を笑いものにする人々、放射能を心配していたのにすぐに忘れる人々、真実を伝えないテレビ、専門家。
福島原発の事故の後、今度は長島原発で事故があり、この2つの原発事故のために、もう日本には住める場所がない、という前提が、暗にこの映画にはある。
原発からちょうど20キロのところにある酪農家では、老いた両親は最後までそこにとどまる決意をするが、息子夫婦は遠くへ逃げさせる。一家の主である老人は、原発ができたときから事故を心配し、ガイガーカウンターを買い(そのすぐわきに猟銃があるのが示唆的だ)、放射能についての本を何冊も買い揃えていた。息子夫婦はガイガーカウンターと本を持って逃げるが、逃げた先にも放射能はやってくる。妻は、放射能は南の方から来ると言って、南側の窓を密閉する。
映画は避難地域に指定されても避難しない老夫婦と、どこまでも遠くへ逃げる息子夫婦と、そして、立ち入り禁止区域に家族を探しに行く若い女性とその恋人の3組の男女の物語を並行して描いている。この中ではやはり、避難しようとしない老夫婦の物語が胸を打つ。老いた妻は認知症らしく、「うちに帰ろう」という言葉を繰り返し、結婚する直前の若い時代に戻ったつもりでいる。老夫婦はもともと原発に反対だったが、何もすることができず、ただ、事故が起こることを不安に思って暮らしてきたのだろう。そして事故が起こり、避難してくれと言われても、彼らはそこを動けない。
チェルノブイリの事故でも、その後、立ち入り禁止区域に老人が戻ってしまっているというが、老人は土地を離れられないというのは日本だけでなく、世界的に普遍的な真実なのだろう。老人なので放射能の影響が少ない、あっても、その前に寿命が来る、という考えもあるだろう。しかし、行政は個々の人間のことを何も考えてくれない。国も県も市も村も頼りにならない、と老人は切って捨てる。それはあの震災と原発事故で、多くの日本人が感じたことでもある。
老人は自分たちを木にたとえる。木は大地から抜いて移動させることができない。老人の家の庭には花壇があり、その中心に夫婦の木が立っている。クライマックス、この花壇と木が俯瞰で眺められるとき、それは世界の縮図であることがわかる。木は世界樹であり、生命の木(ツリー・オブ・ライフ)であり、そして花壇は楽園なのだ。その木に火がついて燃え上がるクライマックスは、その直前の悲劇とあいまって、悲痛なまでの美しさとなる。
園監督の映画としては、これまでとは違う映像の美しさがある映画だ。それは人工的ではなく、自然のかもし出す美だ。雪の中の被災地を映し出す映像も美しい。
箱庭のような花園と木の庭を持つ老夫婦の物語と、雪の被災地をさまよう若いカップルの物語はまるで神話のように描かれる。それに対し、放射能から逃げる若い夫婦の物語は現実を映し出す。
神話のような2つの物語に比べ、現実の物語がいくぶん、弱いと感じられるのは、描写の仕方がわりと単純だからだろう。現実の人間はもっと複雑で、たとえば、放射能を心配する人をばかにする人も心の奥では不安に思っているといった複雑さがあるはずなのだが、現実の物語では人間はわりと単純化され、紋切り型になっている。そこが弱点といえば弱点だが、今の段階ではまだここまでかとも思う。
最後に、試写室で配られたプレスシートにあった監督のインタビューから
原発事故を題材にした映画を作るうえで、どんな困難がありましたか。
「製作的には、資金調達がこれまで以上に大変でした。やはり、いまの日本ではこういった映画を作ることが困難なんだな、と。みんなでがんばって前へ進もうという作品なら違ったのかもしれませんが、暗部を見せるものにはみんな尻込みする。ただ、そうでなければやる意味がないですからね。最終的に、海外資本の協力を得ることになりました」
「希望の国」は日本・イギリス・台湾の合作となっている。
映画の中に登場するテレビ番組では、放射能なんか気にせずにどーんと生きましょう、みたいなことが言われている。昨年暮れあたりから、放射能無害論が増えてきている。
この映画は、福島原発事故から日本は何も変わらず、また原発事故が起こる、という設定なのだ。
前作「ヒミズ」は見ていないのだけれど、企画段階で東日本大震災が起こり、震災を取り入れたとのこと。
そして、新作「希望の国」では本格的に原発問題を描いている。
「冷たい熱帯魚」にしろ、「恋の罪」にしろ、過去に起こった事件をもとにフィクションとして作られた映画だが、「希望の国」も福島原発事故をもとにしたフィクションである。
しかし、違うのは、「希望の国」では福島原発事故が起きてから数年後、今度は長島県という架空の県で、やはり地震による原発事故が起きたという設定になっていること。
福島原発事故のときはこうだった、という話が再三、登場する。マスコミは本当のことを伝えていなかった、などなど。
そして、福島原発事故のときと同じことがこの長島県とその周辺でも起きている。住民の避難の問題、放射能を心配する人を笑いものにする人々、放射能を心配していたのにすぐに忘れる人々、真実を伝えないテレビ、専門家。
福島原発の事故の後、今度は長島原発で事故があり、この2つの原発事故のために、もう日本には住める場所がない、という前提が、暗にこの映画にはある。
原発からちょうど20キロのところにある酪農家では、老いた両親は最後までそこにとどまる決意をするが、息子夫婦は遠くへ逃げさせる。一家の主である老人は、原発ができたときから事故を心配し、ガイガーカウンターを買い(そのすぐわきに猟銃があるのが示唆的だ)、放射能についての本を何冊も買い揃えていた。息子夫婦はガイガーカウンターと本を持って逃げるが、逃げた先にも放射能はやってくる。妻は、放射能は南の方から来ると言って、南側の窓を密閉する。
映画は避難地域に指定されても避難しない老夫婦と、どこまでも遠くへ逃げる息子夫婦と、そして、立ち入り禁止区域に家族を探しに行く若い女性とその恋人の3組の男女の物語を並行して描いている。この中ではやはり、避難しようとしない老夫婦の物語が胸を打つ。老いた妻は認知症らしく、「うちに帰ろう」という言葉を繰り返し、結婚する直前の若い時代に戻ったつもりでいる。老夫婦はもともと原発に反対だったが、何もすることができず、ただ、事故が起こることを不安に思って暮らしてきたのだろう。そして事故が起こり、避難してくれと言われても、彼らはそこを動けない。
チェルノブイリの事故でも、その後、立ち入り禁止区域に老人が戻ってしまっているというが、老人は土地を離れられないというのは日本だけでなく、世界的に普遍的な真実なのだろう。老人なので放射能の影響が少ない、あっても、その前に寿命が来る、という考えもあるだろう。しかし、行政は個々の人間のことを何も考えてくれない。国も県も市も村も頼りにならない、と老人は切って捨てる。それはあの震災と原発事故で、多くの日本人が感じたことでもある。
老人は自分たちを木にたとえる。木は大地から抜いて移動させることができない。老人の家の庭には花壇があり、その中心に夫婦の木が立っている。クライマックス、この花壇と木が俯瞰で眺められるとき、それは世界の縮図であることがわかる。木は世界樹であり、生命の木(ツリー・オブ・ライフ)であり、そして花壇は楽園なのだ。その木に火がついて燃え上がるクライマックスは、その直前の悲劇とあいまって、悲痛なまでの美しさとなる。
園監督の映画としては、これまでとは違う映像の美しさがある映画だ。それは人工的ではなく、自然のかもし出す美だ。雪の中の被災地を映し出す映像も美しい。
箱庭のような花園と木の庭を持つ老夫婦の物語と、雪の被災地をさまよう若いカップルの物語はまるで神話のように描かれる。それに対し、放射能から逃げる若い夫婦の物語は現実を映し出す。
神話のような2つの物語に比べ、現実の物語がいくぶん、弱いと感じられるのは、描写の仕方がわりと単純だからだろう。現実の人間はもっと複雑で、たとえば、放射能を心配する人をばかにする人も心の奥では不安に思っているといった複雑さがあるはずなのだが、現実の物語では人間はわりと単純化され、紋切り型になっている。そこが弱点といえば弱点だが、今の段階ではまだここまでかとも思う。
最後に、試写室で配られたプレスシートにあった監督のインタビューから
原発事故を題材にした映画を作るうえで、どんな困難がありましたか。
「製作的には、資金調達がこれまで以上に大変でした。やはり、いまの日本ではこういった映画を作ることが困難なんだな、と。みんなでがんばって前へ進もうという作品なら違ったのかもしれませんが、暗部を見せるものにはみんな尻込みする。ただ、そうでなければやる意味がないですからね。最終的に、海外資本の協力を得ることになりました」
「希望の国」は日本・イギリス・台湾の合作となっている。
映画の中に登場するテレビ番組では、放射能なんか気にせずにどーんと生きましょう、みたいなことが言われている。昨年暮れあたりから、放射能無害論が増えてきている。
この映画は、福島原発事故から日本は何も変わらず、また原発事故が起こる、という設定なのだ。
2012年8月20日月曜日
書かなくちゃ
と思いつつ、なかなか書けない…。
いや、別に依頼原稿はありませんが、ブログは書いてますが、そうではなくて、自分で書いて、これ載せてくださいと頼む、それをしなければ、と思いつつ、していません。
ま、それはともかく…
どこのブログだったか忘れてしまったが、学生がレポートを下書きせずに書いて出すという大学の先生の悩みに対し、あるブログの人が、下書きと清書の両方を出させる、という提案をしていた。そして、下書きと清書を同じものにする学生がいるので、それを防ぐために、下書きと清書では長さを変えるのだそうだ。下書きの方が長くなるようにするんだそうです。
うわあああああ、もしも私が大学生だったら、そんなレポート書けない…。
白状しましょう、私は下書きをしません。
まあ、ワープロがなかった頃は、清書はしてました。でも、それは、とりあえず下書きを書いて、それを推敲して清書するのではありませんでした。
ああだこうだ考えながら、レポートなり論文なり映画評なりを仕上げるのですが(ワープロがなかった頃にもすでにプロで映画評や文庫解説書いてましたので)、最後まで書けたら、それはもうほとんど推敲の必要がないのが常でした。なので、あとはほとんど変えずに清書。提出。終わり。
そのかわり、最後まで書くのが大変で、ワープロがなかった頃は、最初の5行書いては原稿用紙を破って捨て、それを5回も10回もやって、って感じでした。出だしがOKなら、あとは自動的に最後まで行きます。
つまり、原稿はすでに頭の中に出来上がっていて、あとはそれを文字に打ち出すだけなんです。
ワープロになってからは、ほとんど白紙の原稿用紙を何枚もむだにすることがなくなり、大変助かりました。
まあ、確かに、大学生の中には文章を書くのが苦手な人は多いです。昔から文章を書くのが苦手な学生はいましたが、最近は昔に比べて義務教育のときに作文をあまりしてないみたいですね。それで苦手だったり、昔だったら考えられない非常識な作文行為やレポート作成行為がある。また、先生もパソコンから打ち出したレポートを許可したりする(あるいは、テキストデータをメールで送らせる)。それだと誰かが書いたレポートを何人もがパソコンで打ち出して提出するわな。手書きだと、もとが同じでも多少は個性が出るものです。つか、そこで個性出さないと不可、と私なら言うわ。ついでに筆跡鑑定やって、明らかに同じ筆跡のが複数あったらそれは全部落とします。
なんか、先生の方が、あるいは、先生の助言してるブログの人の方が、文章書くの苦手なんじゃないのかなあ、いや、一応大学の先生だから論文くらい書いてるだろうし、好きでブログやってるんだから書くのは好きなんだろうけど、下書きして推敲して清書って、私できない……(小さな変更とかはしてますよ、もちろん、でも、長さが大幅に変わるような変更はできない)。
私が好きなのはミケランジェロの逸話で、石の中にダビデがいるから彫りだすのだ、といって彫刻を作ったという話です。私の頭の中にある文章を打ち出すのだ(←だから書けよ!)。
いや、別に依頼原稿はありませんが、ブログは書いてますが、そうではなくて、自分で書いて、これ載せてくださいと頼む、それをしなければ、と思いつつ、していません。
ま、それはともかく…
どこのブログだったか忘れてしまったが、学生がレポートを下書きせずに書いて出すという大学の先生の悩みに対し、あるブログの人が、下書きと清書の両方を出させる、という提案をしていた。そして、下書きと清書を同じものにする学生がいるので、それを防ぐために、下書きと清書では長さを変えるのだそうだ。下書きの方が長くなるようにするんだそうです。
うわあああああ、もしも私が大学生だったら、そんなレポート書けない…。
白状しましょう、私は下書きをしません。
まあ、ワープロがなかった頃は、清書はしてました。でも、それは、とりあえず下書きを書いて、それを推敲して清書するのではありませんでした。
ああだこうだ考えながら、レポートなり論文なり映画評なりを仕上げるのですが(ワープロがなかった頃にもすでにプロで映画評や文庫解説書いてましたので)、最後まで書けたら、それはもうほとんど推敲の必要がないのが常でした。なので、あとはほとんど変えずに清書。提出。終わり。
そのかわり、最後まで書くのが大変で、ワープロがなかった頃は、最初の5行書いては原稿用紙を破って捨て、それを5回も10回もやって、って感じでした。出だしがOKなら、あとは自動的に最後まで行きます。
つまり、原稿はすでに頭の中に出来上がっていて、あとはそれを文字に打ち出すだけなんです。
ワープロになってからは、ほとんど白紙の原稿用紙を何枚もむだにすることがなくなり、大変助かりました。
まあ、確かに、大学生の中には文章を書くのが苦手な人は多いです。昔から文章を書くのが苦手な学生はいましたが、最近は昔に比べて義務教育のときに作文をあまりしてないみたいですね。それで苦手だったり、昔だったら考えられない非常識な作文行為やレポート作成行為がある。また、先生もパソコンから打ち出したレポートを許可したりする(あるいは、テキストデータをメールで送らせる)。それだと誰かが書いたレポートを何人もがパソコンで打ち出して提出するわな。手書きだと、もとが同じでも多少は個性が出るものです。つか、そこで個性出さないと不可、と私なら言うわ。ついでに筆跡鑑定やって、明らかに同じ筆跡のが複数あったらそれは全部落とします。
なんか、先生の方が、あるいは、先生の助言してるブログの人の方が、文章書くの苦手なんじゃないのかなあ、いや、一応大学の先生だから論文くらい書いてるだろうし、好きでブログやってるんだから書くのは好きなんだろうけど、下書きして推敲して清書って、私できない……(小さな変更とかはしてますよ、もちろん、でも、長さが大幅に変わるような変更はできない)。
私が好きなのはミケランジェロの逸話で、石の中にダビデがいるから彫りだすのだ、といって彫刻を作ったという話です。私の頭の中にある文章を打ち出すのだ(←だから書けよ!)。
2012年8月19日日曜日
NIFTY-serve25周年
だそうで、こんなイベントがもう明日から。
http://www.niftyserve.com/event/
5月に復活してたのね。
私も一応、パソコン買ってからすぐにニフティサーブに入りましたが、フォーラムとか、たまにのぞくくらいで、ほとんど利用しませんでした。
で、「(ハル)」の上映会はないのか…。
森田芳光が生きてたらきっとゲストだったのにな。
http://www.niftyserve.com/event/
5月に復活してたのね。
私も一応、パソコン買ってからすぐにニフティサーブに入りましたが、フォーラムとか、たまにのぞくくらいで、ほとんど利用しませんでした。
で、「(ハル)」の上映会はないのか…。
森田芳光が生きてたらきっとゲストだったのにな。
2012年8月18日土曜日
exciteのあとを追うgoo(追記あり)
エキサイトブログに広告が入るようになってしまい、やむを得ず、ここに引っ越したのが2年前。そのとき、広告が入らないブログとして候補に挙がっていたのがグーブログでした。
グーはメールアドレスを持っているので簡単にブログが作れるのですが、作ろうとしてみて少し不安を感じたので、以前に別のブログをやっていて、そのIDで新しいブログが作れるこのブロガーにしたのです。
そして、ついに、グーブログにも広告が!
エキサイトのように記事の中に、ではないが、記事と記事の間に出るので、限りなくエキサイトに近いです。
そういえば、グーはメールでもエキサイトの後追い、それもエキサイトが大失敗して元に戻したリニューアルをそっくりそのまままねてやってしまい、非難ごうごう、結局、以前のような形に戻したという経緯があります。今回も、広告の出し方とか、エキサイトに似ています。
実は、1980年代からの映画評や小説論などで、現在、入手困難になっているものを順次アップするブログを考えていました。そこで候補に挙がっていたのがグーだったのですが、これでグーは却下です。
グーブログといえば、ここのアクセス数と訪問者数が水増しだという指摘がネットのあちこちに出ています。実際、長い間更新していないにもかかわらず毎日300を超えるアクセスがある人が疑問に思い、調べたところ、どうやら、グーブログは機械が閲覧している分までアクセス数に数えているので、1桁低く見た方がよいとのこと。実際、私も、この人、1ヶ月以上更新してないのに、このアクセス数は異常、と思うことがあったので、納得できました。最初はねえ、うちのブログの10倍、100倍のアクセスがある、そんなに人気あるのかなあ、このブログ?と思っていましたが、同じような内容、更新頻度なのに他のブログの10倍アクセス数がある、と感じるものが多かったので、納得です。
そうでなくても、自分のブログのアクセス数を見て、時々、これって正確なのかな、と思うことがありますね。グーでなくてもあまり信用しない方がいいのかもしれません。
機械が閲覧している、というのは、グーグルやヤフーが検索のために自動的に機械が閲覧しているのだそうで、だから、一度アクセスが増えると、その後減っても機械は閲覧し続けるので、表面上の数が減らないのだそうです。
アクセス数を気にする方は、グーブログに広告が入ったからとよそへ移転すると、アクセス数が激減してショックを受けるかもしれない、ということですね。
追記 デジャヴ
http://blog.goo.ne.jp/staffblog/e/fc596923d2e0f7ebde0e43bb3e02f613
グーブログの広告表示についてのコメント欄ですが、2年前のエキサイトブログの記憶がまざまざとよみがえりました。しかし、エキサイトの場合はコメント数はこんな少なくはありませんでした。やはりエキサイトブログはユニークな歴史があり、それを支えてきた人たちの思いがハンパじゃなかった、愛してた、というのがよくわかります。経営者が代わったというのが大きな背景としてあったようです。
無料だから文句言うな、というコメントがあるのも同じですが、エキサイトのときはそういうコメントに対して、エキブロ愛好者がまさしくエキサイトしていましたが、グーではそれはありません。淡々としています。
広告の入り方がエキサイトと非常に似ているし、一番上の記事だけじゃないこと、ひどい広告が出ることなども同じです。あっちはインタレストマッチ、こっちはグーグルだが、変わりはないようだ。
グーは60日間更新がないとテンプレートまで変わってしまうようで、それはエキサイトはないと思うが、思うが、あとで確かめないと…。
あと、グーはどうでもいい機能がたくさんついていて、それを消せないとか、うーん、エキサイトの方がましだったかも(ではなかったとあとで判明)。
ブロガーはグーグルの持ち物なので、実は編集画面には広告が出ますが、今のところ、それ以外は出ないですね。日本語ユーザーが少ないので、世界のユーザーの思惑しだいなのでしょう。
それにしても、グーのユーザーの反応と、2年前のエキサイトのユーザーの反応の違いを見ると、日本人はすでにツイッターやフェイスブックに移ってしまい、ブログは廃れつつあるのだということを感じます。ツイッターを始めたらブログの更新をほとんどしなくなった人とか、少なくないですよね。
追記 エキサイトブログへ行ってみたら、グーブログと同じ余計な機能が全部ついていた…。もうこの2つは見分けがつきません。更新しないと変な項目がサイドに出るので、時々ログインして消さないとだめなのね。
グーはメールアドレスを持っているので簡単にブログが作れるのですが、作ろうとしてみて少し不安を感じたので、以前に別のブログをやっていて、そのIDで新しいブログが作れるこのブロガーにしたのです。
そして、ついに、グーブログにも広告が!
エキサイトのように記事の中に、ではないが、記事と記事の間に出るので、限りなくエキサイトに近いです。
そういえば、グーはメールでもエキサイトの後追い、それもエキサイトが大失敗して元に戻したリニューアルをそっくりそのまままねてやってしまい、非難ごうごう、結局、以前のような形に戻したという経緯があります。今回も、広告の出し方とか、エキサイトに似ています。
実は、1980年代からの映画評や小説論などで、現在、入手困難になっているものを順次アップするブログを考えていました。そこで候補に挙がっていたのがグーだったのですが、これでグーは却下です。
グーブログといえば、ここのアクセス数と訪問者数が水増しだという指摘がネットのあちこちに出ています。実際、長い間更新していないにもかかわらず毎日300を超えるアクセスがある人が疑問に思い、調べたところ、どうやら、グーブログは機械が閲覧している分までアクセス数に数えているので、1桁低く見た方がよいとのこと。実際、私も、この人、1ヶ月以上更新してないのに、このアクセス数は異常、と思うことがあったので、納得できました。最初はねえ、うちのブログの10倍、100倍のアクセスがある、そんなに人気あるのかなあ、このブログ?と思っていましたが、同じような内容、更新頻度なのに他のブログの10倍アクセス数がある、と感じるものが多かったので、納得です。
そうでなくても、自分のブログのアクセス数を見て、時々、これって正確なのかな、と思うことがありますね。グーでなくてもあまり信用しない方がいいのかもしれません。
機械が閲覧している、というのは、グーグルやヤフーが検索のために自動的に機械が閲覧しているのだそうで、だから、一度アクセスが増えると、その後減っても機械は閲覧し続けるので、表面上の数が減らないのだそうです。
アクセス数を気にする方は、グーブログに広告が入ったからとよそへ移転すると、アクセス数が激減してショックを受けるかもしれない、ということですね。
追記 デジャヴ
http://blog.goo.ne.jp/staffblog/e/fc596923d2e0f7ebde0e43bb3e02f613
グーブログの広告表示についてのコメント欄ですが、2年前のエキサイトブログの記憶がまざまざとよみがえりました。しかし、エキサイトの場合はコメント数はこんな少なくはありませんでした。やはりエキサイトブログはユニークな歴史があり、それを支えてきた人たちの思いがハンパじゃなかった、愛してた、というのがよくわかります。経営者が代わったというのが大きな背景としてあったようです。
無料だから文句言うな、というコメントがあるのも同じですが、エキサイトのときはそういうコメントに対して、エキブロ愛好者がまさしくエキサイトしていましたが、グーではそれはありません。淡々としています。
広告の入り方がエキサイトと非常に似ているし、一番上の記事だけじゃないこと、ひどい広告が出ることなども同じです。あっちはインタレストマッチ、こっちはグーグルだが、変わりはないようだ。
グーは60日間更新がないとテンプレートまで変わってしまうようで、それはエキサイトはないと思うが、思うが、あとで確かめないと…。
あと、グーはどうでもいい機能がたくさんついていて、それを消せないとか、うーん、エキサイトの方がましだったかも(ではなかったとあとで判明)。
ブロガーはグーグルの持ち物なので、実は編集画面には広告が出ますが、今のところ、それ以外は出ないですね。日本語ユーザーが少ないので、世界のユーザーの思惑しだいなのでしょう。
それにしても、グーのユーザーの反応と、2年前のエキサイトのユーザーの反応の違いを見ると、日本人はすでにツイッターやフェイスブックに移ってしまい、ブログは廃れつつあるのだということを感じます。ツイッターを始めたらブログの更新をほとんどしなくなった人とか、少なくないですよね。
追記 エキサイトブログへ行ってみたら、グーブログと同じ余計な機能が全部ついていた…。もうこの2つは見分けがつきません。更新しないと変な項目がサイドに出るので、時々ログインして消さないとだめなのね。
2012年8月14日火曜日
猫写真(追記あり)
最近、猫写真を出していないのですが、もう1ヵ月半、外出にデジカメを持っていっていません。
暑くて写真撮るどころじゃないのと、猫に会いに行くのが日没後になってしまったからです。携帯のカメラでは少し撮ってますが。
その前から、猫写真をブログに出すことにある種の抵抗を感じるようになっていて、あまり出さなくなっていました。
そして、先日、某猫スポットに、「猫の写真をネットで公開しないでください」という立て札が立っている、ということが書かれたブログを見ました。ネットで公開すると、捨て猫が増えるからだそうです。
実際、捨て猫防止と野良猫増殖防止のために始まった地域猫活動が、逆にそこへ猫を捨てに来る人が増えて問題に、というのは全国で起きていて、多数の捨て猫の世話をしているあるお寺では、援助を申し出る人にしかお寺の住所を教えないそうです。
もう、これからは捨て猫防止、避妊去勢手術による野良猫増殖防止のための活動は、アンダーグラウンドで行うしかない、という感じです。
もともと、地域猫活動の地域が写真や映像で紹介されたのは、この活動への理解を深めるためと、捨て猫防止や動物愛護のためだったと思われます。そしてまた、かわいい猫の写真や映像が、見る人をなごませたのでしょう。私も一時、猫の写真集とか買ってました。
そういう写真や映像に写るのは、世話をされているきれいな猫で、しかも、人間受けする容姿の猫。これでは捨て猫問題の悲惨さはわかりっこないわけなんですが。
前にもブログでちょっと書いたことですが、その猫スポットで、猫の写真を撮る人とエサやりさんの口論を目撃してしまったことがあって、その立派な一眼レフを持った人は、自分が撮る猫がこんなにきれいなのは誰のおかげかまるでわかってなくて、自己正当化の言葉を叫んでいました。
また、だいぶ前のブログで書いたことですが、某国営放送局が動物写真家とスタッフとその他大勢の若い女性とともにやってきて、いやがる猫を無理やり撮影という怒り心頭のシーンに遭遇したこと。
そして、こちらは無邪気な方なのでしょうが、猫スポットで通りかかる人に、「ブログやってます、見てください」と、アドレスを書いたカードを配っている人。
そういうのを見ていると、自分も写真を撮っているけど、写真を撮る人は基本的に傲慢なんじゃないかと思うようにもなりました。私がだんだん猫写真をアップしなくなったのはそのせいです。
そんなわけで、これからも猫の写真は公開しないのを基本としていきますが、問題は、某スポットでカメラを持っていると、たとえ花の写真や風景の写真を撮りに来ていても、ブログに猫の写真を公開するかもしれないと疑われることですね。私はけっこうトラブルを呼ぶタイプなので、心配です。
以前、フランス人の監督が作った日本の猫事情のドキュメンタリー映画を見ましたが、そこでは猫カフェが批判の対象になっていました。でも、かわいい猫の写真集を出したり、テレビで番組を作ったり、ブログで写真を見せたりというのは、ここで批判されていた猫カフェの延長上にあるものではないかというのが私の考えです。直接的な金銭のやりとりはありませんが、かわいい猫に触れたい、見たい人の欲求があって、写真集や番組はその欲求に対して商売をしているのだし、ブログも商売ではないけれど、そういう見たい欲求と、自分の見せたい欲求が一致して成立しているわけです。
実際、某スポットで撮った猫写真のブログを作り、そこで写真を使った絵葉書やグッズを売っているサイトもありました。猫スポット近くの飼い猫まで写真に撮って絵葉書にして売ってるやつまでいるとか??? もしもこれが猫じゃなく人間(幼女とか少女とか少年とか)だったら犯罪!
そんなわけで、しばらく前から、写真の公開を控える気持ちになっていたのですが、一方、写真だけが自己表現である人が写真の公開を控えるというのはつらいだろうというのもわかります。撮るだけで公開しない、というのは、私のように写真が自己表現でなく、文章が自己表現な人間だから言えること。逆に私も、もう10年も小説の翻訳ができないこと、だいぶ前から雑誌に映画評を書くこともほとんどできなくなっていることにフラストレーションを感じます。さらに、ブログで文章を書くな、と言われたら、自己表現を完全に奪われることになります。
猫写真の公開については、見られる人を限定するようなタイプのブログでやるとか、上にも書いたアンダーグラウンド的方法をとるのが一番であるように思います。ただ、猫写真を公開する人には、たくさんのアクセスがほしいという欲望がある人もいるので、そういう人はアンダーグラウンドはいやだろうね。
話は変わりますが、ミニシアターのような限定公開の映画を試写で見て、ネタバレありとかなしとかいう言葉をつけて記事をアップすると、大変な数のアクセスがあります。先週末公開のある映画なんか、1ヶ月くらい前からものすごい数のアクセスです。しかし、公開後に書いた映画の記事はあまりアクセスがありません。試写で見て書くとこれだけの人が情報を求めて来てくれるのだけど、映画館で見てからではだめなのか、と思うと、自称・評論家の特権がなくてもやっていける自信はないのが現実です。こっちは事実上、一部限定された読者のためのアンダーグラウンドになってるのか…。
追記
その後、日没後に猫スポットに行き、立て札を確認してきました。
わりと小さい立て札で、猫写真家が集まる場所の入り口付近にありましたが、これでは気づかない人が多いのではないかと思いました。
街灯の明かりに照らされていたので、携帯で写真を撮りました。全文を掲載してもいいのですが、場所を特定する言葉もあるので、要約すると、
「猫の写真を撮影する方へ。雑誌やインターネットに写真が掲載されると捨て猫や虐待が増え、猫が不幸になり、大変迷惑しています。撮影は自重してください。**管理所」
ということで、撮影自体を自重してほしいとのことでした。
もちろん、花見に来た人が猫を見て写真を撮り、「花見に行ってきました、猫がいました」てなことを知り合いしか読まないブログに書くのまでだめなのか、とか、いろいろ判断がむずかしいと思いますし、たまたま通りかかった人が猫を見て、携帯で撮影しているだけで、注意する人がいて、けんかになるとか、そういうことも心配なんですが、ただ、一眼レフで追い回すとか、出版関係者やテレビなどのマスコミが来るのは前からいやだったんで、これはほんとに自粛してほしいです。
暑くて写真撮るどころじゃないのと、猫に会いに行くのが日没後になってしまったからです。携帯のカメラでは少し撮ってますが。
その前から、猫写真をブログに出すことにある種の抵抗を感じるようになっていて、あまり出さなくなっていました。
そして、先日、某猫スポットに、「猫の写真をネットで公開しないでください」という立て札が立っている、ということが書かれたブログを見ました。ネットで公開すると、捨て猫が増えるからだそうです。
実際、捨て猫防止と野良猫増殖防止のために始まった地域猫活動が、逆にそこへ猫を捨てに来る人が増えて問題に、というのは全国で起きていて、多数の捨て猫の世話をしているあるお寺では、援助を申し出る人にしかお寺の住所を教えないそうです。
もう、これからは捨て猫防止、避妊去勢手術による野良猫増殖防止のための活動は、アンダーグラウンドで行うしかない、という感じです。
もともと、地域猫活動の地域が写真や映像で紹介されたのは、この活動への理解を深めるためと、捨て猫防止や動物愛護のためだったと思われます。そしてまた、かわいい猫の写真や映像が、見る人をなごませたのでしょう。私も一時、猫の写真集とか買ってました。
そういう写真や映像に写るのは、世話をされているきれいな猫で、しかも、人間受けする容姿の猫。これでは捨て猫問題の悲惨さはわかりっこないわけなんですが。
前にもブログでちょっと書いたことですが、その猫スポットで、猫の写真を撮る人とエサやりさんの口論を目撃してしまったことがあって、その立派な一眼レフを持った人は、自分が撮る猫がこんなにきれいなのは誰のおかげかまるでわかってなくて、自己正当化の言葉を叫んでいました。
また、だいぶ前のブログで書いたことですが、某国営放送局が動物写真家とスタッフとその他大勢の若い女性とともにやってきて、いやがる猫を無理やり撮影という怒り心頭のシーンに遭遇したこと。
そして、こちらは無邪気な方なのでしょうが、猫スポットで通りかかる人に、「ブログやってます、見てください」と、アドレスを書いたカードを配っている人。
そういうのを見ていると、自分も写真を撮っているけど、写真を撮る人は基本的に傲慢なんじゃないかと思うようにもなりました。私がだんだん猫写真をアップしなくなったのはそのせいです。
そんなわけで、これからも猫の写真は公開しないのを基本としていきますが、問題は、某スポットでカメラを持っていると、たとえ花の写真や風景の写真を撮りに来ていても、ブログに猫の写真を公開するかもしれないと疑われることですね。私はけっこうトラブルを呼ぶタイプなので、心配です。
以前、フランス人の監督が作った日本の猫事情のドキュメンタリー映画を見ましたが、そこでは猫カフェが批判の対象になっていました。でも、かわいい猫の写真集を出したり、テレビで番組を作ったり、ブログで写真を見せたりというのは、ここで批判されていた猫カフェの延長上にあるものではないかというのが私の考えです。直接的な金銭のやりとりはありませんが、かわいい猫に触れたい、見たい人の欲求があって、写真集や番組はその欲求に対して商売をしているのだし、ブログも商売ではないけれど、そういう見たい欲求と、自分の見せたい欲求が一致して成立しているわけです。
実際、某スポットで撮った猫写真のブログを作り、そこで写真を使った絵葉書やグッズを売っているサイトもありました。猫スポット近くの飼い猫まで写真に撮って絵葉書にして売ってるやつまでいるとか??? もしもこれが猫じゃなく人間(幼女とか少女とか少年とか)だったら犯罪!
そんなわけで、しばらく前から、写真の公開を控える気持ちになっていたのですが、一方、写真だけが自己表現である人が写真の公開を控えるというのはつらいだろうというのもわかります。撮るだけで公開しない、というのは、私のように写真が自己表現でなく、文章が自己表現な人間だから言えること。逆に私も、もう10年も小説の翻訳ができないこと、だいぶ前から雑誌に映画評を書くこともほとんどできなくなっていることにフラストレーションを感じます。さらに、ブログで文章を書くな、と言われたら、自己表現を完全に奪われることになります。
猫写真の公開については、見られる人を限定するようなタイプのブログでやるとか、上にも書いたアンダーグラウンド的方法をとるのが一番であるように思います。ただ、猫写真を公開する人には、たくさんのアクセスがほしいという欲望がある人もいるので、そういう人はアンダーグラウンドはいやだろうね。
話は変わりますが、ミニシアターのような限定公開の映画を試写で見て、ネタバレありとかなしとかいう言葉をつけて記事をアップすると、大変な数のアクセスがあります。先週末公開のある映画なんか、1ヶ月くらい前からものすごい数のアクセスです。しかし、公開後に書いた映画の記事はあまりアクセスがありません。試写で見て書くとこれだけの人が情報を求めて来てくれるのだけど、映画館で見てからではだめなのか、と思うと、自称・評論家の特権がなくてもやっていける自信はないのが現実です。こっちは事実上、一部限定された読者のためのアンダーグラウンドになってるのか…。
追記
その後、日没後に猫スポットに行き、立て札を確認してきました。
わりと小さい立て札で、猫写真家が集まる場所の入り口付近にありましたが、これでは気づかない人が多いのではないかと思いました。
街灯の明かりに照らされていたので、携帯で写真を撮りました。全文を掲載してもいいのですが、場所を特定する言葉もあるので、要約すると、
「猫の写真を撮影する方へ。雑誌やインターネットに写真が掲載されると捨て猫や虐待が増え、猫が不幸になり、大変迷惑しています。撮影は自重してください。**管理所」
ということで、撮影自体を自重してほしいとのことでした。
もちろん、花見に来た人が猫を見て写真を撮り、「花見に行ってきました、猫がいました」てなことを知り合いしか読まないブログに書くのまでだめなのか、とか、いろいろ判断がむずかしいと思いますし、たまたま通りかかった人が猫を見て、携帯で撮影しているだけで、注意する人がいて、けんかになるとか、そういうことも心配なんですが、ただ、一眼レフで追い回すとか、出版関係者やテレビなどのマスコミが来るのは前からいやだったんで、これはほんとに自粛してほしいです。
2012年8月11日土曜日
手紙を書く女
初めてこの目で見た実物のフェルメールは何だったのだろうと、ずっと考えていた。
それは1980年代後半の西洋美術館の展覧会のはずで、なぜなら、私がフェルメールを知ったのはピーター・グリーナウェイの映画「ZOO」を見たときだからだ。
「ZOO」は1985年の作品で、私が見たのは1986年だと思う。すぐにフェルメールの本を買って(当時は日本ではあまり人気なかったので、本は少なかった)、ああ、こういう絵を描く人なのか、と確認。中でも「窓辺で手紙を読む女」と「恋文」にはそそられました。
でも、私が見たのはこの2つではないのは確かで、なんだろう、なんだろうと思いつつ、検索したら、1960年代末からのフェルメール来日履歴を載せているサイトがあって、そこにあったのが、
1987年 国立西洋美術館 「西洋の美術 その空間表現の流れ」 「手紙を書く女」
これだ!
「真珠の首飾りの少女」と同じ黄色い服を着ています。
これと関連する作品として、マウリッツハイス美術館所蔵の別の画家の「手紙を書く女」が現在、東京都美術館のマウリッツハイス展に展示されています。絵の雰囲気は全然違いますが。
で、だんだん思い出したんだけど、そうだ、「窓辺で手紙を読む女」や「恋文」、つまり手紙を読む方が見たかったけど、「手紙を書く女」の方が来たので、少しがっかりだったりしたっけ。でも、これもフェルメールを代表する傑作の1つだったのね。美術展のタイトルからわかるように、西洋美術を概観する展示で、いろいろなものがあって、ようやくフェルメールにたどり着くと、この絵がけっこう小さくて、そこに人が群がっていて、あまりゆっくり見れなかったのでした。当時は人気が今ほどなかったとはいえ、これが目玉の1つだったのは確かです。
この3年前、1984年に、「真珠の耳飾りの少女」が「青いターバンの少女」として来日していました。当時はフェルメールはたまに来る感じで、今みたいにしょっちゅう来るようになったのはいつからのことなのか。その履歴を見ると、2000年頃からのようです。2000年代なかばには「窓辺で手紙を読む女」と「恋文」も来てたのか。
というわけで、マウリッツハイス展に来ている「ディアナとニンフたち」を含めてまだ4点しか見ていないフェルメールですが、やはりベルリン美術館展の「真珠の首飾りの少女」が一番のお気に入りです。
それは1980年代後半の西洋美術館の展覧会のはずで、なぜなら、私がフェルメールを知ったのはピーター・グリーナウェイの映画「ZOO」を見たときだからだ。
「ZOO」は1985年の作品で、私が見たのは1986年だと思う。すぐにフェルメールの本を買って(当時は日本ではあまり人気なかったので、本は少なかった)、ああ、こういう絵を描く人なのか、と確認。中でも「窓辺で手紙を読む女」と「恋文」にはそそられました。
でも、私が見たのはこの2つではないのは確かで、なんだろう、なんだろうと思いつつ、検索したら、1960年代末からのフェルメール来日履歴を載せているサイトがあって、そこにあったのが、
1987年 国立西洋美術館 「西洋の美術 その空間表現の流れ」 「手紙を書く女」
これだ!
「真珠の首飾りの少女」と同じ黄色い服を着ています。
これと関連する作品として、マウリッツハイス美術館所蔵の別の画家の「手紙を書く女」が現在、東京都美術館のマウリッツハイス展に展示されています。絵の雰囲気は全然違いますが。
で、だんだん思い出したんだけど、そうだ、「窓辺で手紙を読む女」や「恋文」、つまり手紙を読む方が見たかったけど、「手紙を書く女」の方が来たので、少しがっかりだったりしたっけ。でも、これもフェルメールを代表する傑作の1つだったのね。美術展のタイトルからわかるように、西洋美術を概観する展示で、いろいろなものがあって、ようやくフェルメールにたどり着くと、この絵がけっこう小さくて、そこに人が群がっていて、あまりゆっくり見れなかったのでした。当時は人気が今ほどなかったとはいえ、これが目玉の1つだったのは確かです。
この3年前、1984年に、「真珠の耳飾りの少女」が「青いターバンの少女」として来日していました。当時はフェルメールはたまに来る感じで、今みたいにしょっちゅう来るようになったのはいつからのことなのか。その履歴を見ると、2000年頃からのようです。2000年代なかばには「窓辺で手紙を読む女」と「恋文」も来てたのか。
というわけで、マウリッツハイス展に来ている「ディアナとニンフたち」を含めてまだ4点しか見ていないフェルメールですが、やはりベルリン美術館展の「真珠の首飾りの少女」が一番のお気に入りです。
鏡と窓・「真珠の首飾りの少女」追記
ここに、この絵についての大変すばらしい解説があったので、ご紹介します。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2704
この絵について、私が最も注目したいのは、鏡と窓、です。
画面左側に鏡と窓があり、窓から光が射しているわけですが、画面左側からの光というのはフェルメールの定番のような気がします。
しかし、その窓のすぐ手前に、鏡があり、少女(英語題名ではヤング・レディ、ちなみに耳飾の少女はガール)は鏡を見ながら身支度をしているところでしょう。
上の記事にもあるように、自分の姿に恍惚となっているような女性。まあ、おしゃれが好きな女性なら誰でもそうなるでしょうが、この鏡を見る女性というのは、ヨーロッパの芸術や文学では大きなテーマなのです。
それは、自分ばかり見ている女性。
鏡ばかり見ていた女性が、窓の外を通る騎士ランスロットの姿に気づき、窓の外を見たら、鏡が横にひび割れて、という有名な詩があります(アガサ・クリスティーの小説の題名にもなった)。
すぐ隣に外の光の射す窓があるのに、少女は鏡に映る自分を恍惚と眺めている。でも、いつか、少女は窓の外を見るようになるだろう、と思わせる絵なのです。
鏡の下にある中国製の陶器とか、テーブルの上に置かれたものとか、少女以外の物にも注目なのですが、テーブルの下の白いものが何なのか、絵を見たときからずっと考えています。本物を見ると、けっこう目立つんですよ、この白いものが。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2704
この絵について、私が最も注目したいのは、鏡と窓、です。
画面左側に鏡と窓があり、窓から光が射しているわけですが、画面左側からの光というのはフェルメールの定番のような気がします。
しかし、その窓のすぐ手前に、鏡があり、少女(英語題名ではヤング・レディ、ちなみに耳飾の少女はガール)は鏡を見ながら身支度をしているところでしょう。
上の記事にもあるように、自分の姿に恍惚となっているような女性。まあ、おしゃれが好きな女性なら誰でもそうなるでしょうが、この鏡を見る女性というのは、ヨーロッパの芸術や文学では大きなテーマなのです。
それは、自分ばかり見ている女性。
鏡ばかり見ていた女性が、窓の外を通る騎士ランスロットの姿に気づき、窓の外を見たら、鏡が横にひび割れて、という有名な詩があります(アガサ・クリスティーの小説の題名にもなった)。
すぐ隣に外の光の射す窓があるのに、少女は鏡に映る自分を恍惚と眺めている。でも、いつか、少女は窓の外を見るようになるだろう、と思わせる絵なのです。
鏡の下にある中国製の陶器とか、テーブルの上に置かれたものとか、少女以外の物にも注目なのですが、テーブルの下の白いものが何なのか、絵を見たときからずっと考えています。本物を見ると、けっこう目立つんですよ、この白いものが。
ベルリン国立美術館展
木曜日のマウリッツハイスが物足りなかったので、連ちゃんで、金曜は西洋美術館のベルリン国立美術館展へ行ってきました。
公式サイト
http://www.berlin2012.jp/tokyo/index.html
西洋美術館前の写真(私が撮ったのではありません)。
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」初来日、レンブラントの「ミネルヴァ」初来日、と銘打っています。「真珠の首飾りの少女」はこれね。
そして、なぜか、レンブラントの「ミネルヴァ」の画像はネット上に見つからないのです。
レンブラントというと、「夜警」のせいか、おっさんばっかというイメージでしたが、ミネルヴァは女神。そして、マウリッツハイスの方からは「スザンナ」という絵が来てまして、実は私はマウリッツハイス展の中ではこれが一番気に入りました。が、絵葉書がない! 絵は女性の裸身がもっと光り輝いていて、この画像ではイメージが伝わりません(公式サイトにある画像が元の絵に近い色合いです)。
マウリッツハイス展のスザンナ。
さて、ベルリンの方ですが、彫刻が多くて、これがすばらしくて、大満足です。特に2番目の部屋にあった、菩薩のような微笑を浮かべる女性の彫刻がすばらしい。絵葉書ほしい、と思いましたが、絵葉書になってなかった。彫刻、あれだけ多いのに、絵葉書になっているのはほとんどなくて、がっかりです。
彫刻は360度ぐるりとまわって見るのが基本ですが、この展覧会の彫刻の中には、しゃがんで下から見上げると面白いのもあって、なかなか楽しめました。ほかの人たちも一応、まわりをまわったりしていましたが、しゃがんで見てるのは私だけだった。
そして絵画。ベラスケスがあったのがうれしかった。公式サイトにも画像が出ています。
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」の前はやはり大混雑で、なかなか人が動かない。「耳飾り」と違って、こっちは特に行列させたりはしてないのですが、人が動かないとどうしても人がたまってしまい、係員が動いてくださいという一幕も。ただ、この絵以外はそれほど人がたまることはなく、そこそこ混んではいましたが、わりと自由に見られました。金曜は夜8時までなので、6時半頃に入り、ぎりぎりまでいましたが、閉館15分前くらいになると「首飾りの少女」の前もわりとすいています。西洋美術館は逆走可能(いや、走ってはいけませんが)なので、ひととおり見てからまた引き返して、気になる絵をいくつか再見したあと、最後にこの絵をもう一度じっくり見ました。
「首飾りの少女」は、光の射す窓の前に人物がいるというフェルメールの定番の構図で、「耳飾りの少女」よりもフェルメールらしさが味わえます。部屋の中にいろいろな物が置いてあって、それが何を意味するのか考えるのもまたフェルメールの面白さで、それに比べると、「耳飾りの少女」はアイドルのブロマイドみたいな感じ。少女も「首飾り」の方が自然です。
というわけで、私のお薦めは「真珠の首飾りの少女」のベルリン国立美術館展。展覧会全体としても、こっちの方がテーマがあって、作品も数が多く、見ごたえがあります。絵葉書もたくさんあったので、6枚も買ってしまった。カタログほしかったなあ。企画展のチケットで常設展も入れるので、また行くから、そのとき買ってもいいんだけど(あの女性の彫刻を2方向から撮った写真が載っている)。
ところで、上野駅の公園口を出て、東京文化会館の前に行くと、あの「真珠の耳飾りの少女」のマウリッツハイス展の大きなポスターが柱に貼ってあります。あれは、「耳飾り」を見に来た人が文化会館前の西洋美術館の「首飾り」の方に行ってしまうのを防ぐためだろうか。東京都美術館はちょっと奥まったところにあるのでねえ。
公式サイト
http://www.berlin2012.jp/tokyo/index.html
西洋美術館前の写真(私が撮ったのではありません)。
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」初来日、レンブラントの「ミネルヴァ」初来日、と銘打っています。「真珠の首飾りの少女」はこれね。
そして、なぜか、レンブラントの「ミネルヴァ」の画像はネット上に見つからないのです。
レンブラントというと、「夜警」のせいか、おっさんばっかというイメージでしたが、ミネルヴァは女神。そして、マウリッツハイスの方からは「スザンナ」という絵が来てまして、実は私はマウリッツハイス展の中ではこれが一番気に入りました。が、絵葉書がない! 絵は女性の裸身がもっと光り輝いていて、この画像ではイメージが伝わりません(公式サイトにある画像が元の絵に近い色合いです)。
マウリッツハイス展のスザンナ。
さて、ベルリンの方ですが、彫刻が多くて、これがすばらしくて、大満足です。特に2番目の部屋にあった、菩薩のような微笑を浮かべる女性の彫刻がすばらしい。絵葉書ほしい、と思いましたが、絵葉書になってなかった。彫刻、あれだけ多いのに、絵葉書になっているのはほとんどなくて、がっかりです。
彫刻は360度ぐるりとまわって見るのが基本ですが、この展覧会の彫刻の中には、しゃがんで下から見上げると面白いのもあって、なかなか楽しめました。ほかの人たちも一応、まわりをまわったりしていましたが、しゃがんで見てるのは私だけだった。
そして絵画。ベラスケスがあったのがうれしかった。公式サイトにも画像が出ています。
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」の前はやはり大混雑で、なかなか人が動かない。「耳飾り」と違って、こっちは特に行列させたりはしてないのですが、人が動かないとどうしても人がたまってしまい、係員が動いてくださいという一幕も。ただ、この絵以外はそれほど人がたまることはなく、そこそこ混んではいましたが、わりと自由に見られました。金曜は夜8時までなので、6時半頃に入り、ぎりぎりまでいましたが、閉館15分前くらいになると「首飾りの少女」の前もわりとすいています。西洋美術館は逆走可能(いや、走ってはいけませんが)なので、ひととおり見てからまた引き返して、気になる絵をいくつか再見したあと、最後にこの絵をもう一度じっくり見ました。
「首飾りの少女」は、光の射す窓の前に人物がいるというフェルメールの定番の構図で、「耳飾りの少女」よりもフェルメールらしさが味わえます。部屋の中にいろいろな物が置いてあって、それが何を意味するのか考えるのもまたフェルメールの面白さで、それに比べると、「耳飾りの少女」はアイドルのブロマイドみたいな感じ。少女も「首飾り」の方が自然です。
というわけで、私のお薦めは「真珠の首飾りの少女」のベルリン国立美術館展。展覧会全体としても、こっちの方がテーマがあって、作品も数が多く、見ごたえがあります。絵葉書もたくさんあったので、6枚も買ってしまった。カタログほしかったなあ。企画展のチケットで常設展も入れるので、また行くから、そのとき買ってもいいんだけど(あの女性の彫刻を2方向から撮った写真が載っている)。
ところで、上野駅の公園口を出て、東京文化会館の前に行くと、あの「真珠の耳飾りの少女」のマウリッツハイス展の大きなポスターが柱に貼ってあります。あれは、「耳飾り」を見に来た人が文化会館前の西洋美術館の「首飾り」の方に行ってしまうのを防ぐためだろうか。東京都美術館はちょっと奥まったところにあるのでねえ。
2012年8月9日木曜日
マウリッツハイス美術館展
公式サイト
http://www.asahi.com/mauritshuis2012/
「8月中は6時30分まで開室しています」
あ~れ~、知らなかった。チケットには5時半までと書いてあったので、急いで4時すぎに到着。5時半までに出なければ~と思いながらまわったのですが、5時半頃、外へ出たら、まだ人が入っていく…。5時頃からなんとなくすいてきたのに、残念。公式サイトをちゃんと確かめないといけないですね。これから行く人は平日の5時からがよいですよ(金曜は夜8時まで)。
混み具合は、木曜日の4時から5時くらいはやはり混んでますね。最前列で全部見ようと思うと亀の行進になります。適度に遠くから見たりなら大丈夫ですが。
「真珠の耳飾りの少女」だけは、最前列で見たい人は行列に並びます。そうでない人も、最前列の人の後ろくらいから見られますが、最前列の列に並ぶと絵の前で立ち止まれません。なので、じっくり見たい人は最前列じゃないところから見た方がよいです。私は両方から見ましたが、最前列じゃないところの方が立ち止まってゆっくり見れました。混む美術館はオペラグラスか双眼鏡を持っていくといいですね。
「真珠の耳飾りの少女」は最前列でも絵のすぐ前までは行けません。写真だと真珠のイヤリングが目立っていますが、実物は真珠は意外と目立ちません。「青いターバンの少女」の方が正しい名称だ。
東京都美術館は昔は階段が多くて大変でしたが、今はエスカレーターで上がっていきます(3階まである)。ただ、全部まわってから前に見たのをまた見たいと思っても逆走はできないような感じです。今回はまた見たいと思うほど気に入った作品はなかったからよかったけど。
美術展全体としては、「真珠の耳飾りの少女」メインで、あとはイマイチというか、レンブラントの肖像画がいくつかあったけど、風景画にしろ、静物画にしろ、少しずつそろえているだけで、マウリッツハイス美術館の一部をご紹介、という感じでしょうか。オランダ絵画をあまり見てない人はいいと思いますが、ほかの美術展でいろいろ見てると物足りないです。特に静物画はオランダの静物画ばかり集めた展覧会を前に見ていて、今回来た静物画に比べてずっと迫力があったので、ちょっとがっかり。「真珠の耳飾りの少女」も、私はそんなに好みじゃないしなあ。
東京都美術館は外から見るとおしゃれに見えたけど、敷地内に入るとおしゃれじゃないのもがっかり。レストランがいくつもあります。ショップも、展示会のショップと、美術館全体のショップがあって、グッズは多いです。でも、マウリッツハイスの方は絵葉書の種類が少なくてがっかりでした。値段も1枚150円と、高い。
バーン=ジョーンズ展の三菱の美術館の狭さにまいったので、東京都美術館の展示室の広さはよかったです。でも、やっぱり私はバーン=ジョーンズの方が好きだ。また行きたいな。あと10日間か。
ところで、この美術展の初日の前日、たまたま美術館のそばを通ったら、奏楽堂の前の通りに上の絵のファイルを持った黒いスーツの男性が数人立っていて、その先のあまり車の通らない通りに黒塗りのベンツとか外車がずらっと並んでいました。きっとお偉いさんが一足早く美術展を見るのだろうと思いつつ、そばを通ったのでした。
http://www.asahi.com/mauritshuis2012/
「8月中は6時30分まで開室しています」
あ~れ~、知らなかった。チケットには5時半までと書いてあったので、急いで4時すぎに到着。5時半までに出なければ~と思いながらまわったのですが、5時半頃、外へ出たら、まだ人が入っていく…。5時頃からなんとなくすいてきたのに、残念。公式サイトをちゃんと確かめないといけないですね。これから行く人は平日の5時からがよいですよ(金曜は夜8時まで)。
混み具合は、木曜日の4時から5時くらいはやはり混んでますね。最前列で全部見ようと思うと亀の行進になります。適度に遠くから見たりなら大丈夫ですが。
「真珠の耳飾りの少女」だけは、最前列で見たい人は行列に並びます。そうでない人も、最前列の人の後ろくらいから見られますが、最前列の列に並ぶと絵の前で立ち止まれません。なので、じっくり見たい人は最前列じゃないところから見た方がよいです。私は両方から見ましたが、最前列じゃないところの方が立ち止まってゆっくり見れました。混む美術館はオペラグラスか双眼鏡を持っていくといいですね。
「真珠の耳飾りの少女」は最前列でも絵のすぐ前までは行けません。写真だと真珠のイヤリングが目立っていますが、実物は真珠は意外と目立ちません。「青いターバンの少女」の方が正しい名称だ。
東京都美術館は昔は階段が多くて大変でしたが、今はエスカレーターで上がっていきます(3階まである)。ただ、全部まわってから前に見たのをまた見たいと思っても逆走はできないような感じです。今回はまた見たいと思うほど気に入った作品はなかったからよかったけど。
美術展全体としては、「真珠の耳飾りの少女」メインで、あとはイマイチというか、レンブラントの肖像画がいくつかあったけど、風景画にしろ、静物画にしろ、少しずつそろえているだけで、マウリッツハイス美術館の一部をご紹介、という感じでしょうか。オランダ絵画をあまり見てない人はいいと思いますが、ほかの美術展でいろいろ見てると物足りないです。特に静物画はオランダの静物画ばかり集めた展覧会を前に見ていて、今回来た静物画に比べてずっと迫力があったので、ちょっとがっかり。「真珠の耳飾りの少女」も、私はそんなに好みじゃないしなあ。
東京都美術館は外から見るとおしゃれに見えたけど、敷地内に入るとおしゃれじゃないのもがっかり。レストランがいくつもあります。ショップも、展示会のショップと、美術館全体のショップがあって、グッズは多いです。でも、マウリッツハイスの方は絵葉書の種類が少なくてがっかりでした。値段も1枚150円と、高い。
バーン=ジョーンズ展の三菱の美術館の狭さにまいったので、東京都美術館の展示室の広さはよかったです。でも、やっぱり私はバーン=ジョーンズの方が好きだ。また行きたいな。あと10日間か。
ところで、この美術展の初日の前日、たまたま美術館のそばを通ったら、奏楽堂の前の通りに上の絵のファイルを持った黒いスーツの男性が数人立っていて、その先のあまり車の通らない通りに黒塗りのベンツとか外車がずらっと並んでいました。きっとお偉いさんが一足早く美術展を見るのだろうと思いつつ、そばを通ったのでした。
善も悪もチャラにする「ダークナイトライジング」
警告
このエントリーはネタバレ大ありです。
いや、ネタバレそのものについてのことしか書かれていません。
これから映画をご覧になる方はスルーすることをお勧めします。
というわけで、クリストファー・ノーランの「バットマン」シリーズ完結編「ダークナイトライジング」であります。第1作「バットマンビギンズ」については初代さーべる倶楽部の2005年6月末か7月初めのところで書いているはずですが、このブログは現在、見られないエントリーが多く、おそらく探せないと思います。そして第2作「ダークナイト」は2008年8月末、さーべる倶楽部2に書いたと思います。これは探せば見られるはずです。
で、すでにお読みになった方はご存知のとおり、私はノーランのこのシリーズについては評価が低いです。ノーランの映画は「フォロウィング」、「メメント」の頃から大好きで、なんらかの形で批評を書き、また、「インソムニア」はノベライズの翻訳までしていますが、どうもこの「バットマン」シリーズはいかん。個人的にはティム・バートンのシリーズが大好きなので、それと比較して不満が多い、というのもありますが、一番気に食わないのは、ノーランの善とか悪とか正義とかヒーローとかに関する考え方があまりにもヌルイというか、いいかげんというか、こいつ、真剣に考えてないだろ、「バットマン」だからそういうの入れないといけないと思って、設計図に入れて作ってるだけだろ、と言いたくなるようなテイタラクなのです。
そんなわけで、前2作の文章はどちらもノーランのそうした善や悪についての姿勢のヌルさ、底の浅さを批判するものになっていました。
そして第3作「ダークナイトライジング」。今度も善と悪についてヌルいことやってたらもう見放すぞ、ノーラン、と思って臨んだのですが…。
あれ、今回は妙にさらっと軽くやってるじゃん、善とか悪とか正義とか。
一応、善と悪、正義についてのご宣託のせりふは出てきますけどね。悪役のベインという人物が「自分は必要悪だ」と言ったり、その他、人間の善性を試す、みたいな、前作でジョーカーがやったようなこともしてますけどね。でも、なんか軽いの。このベインがマスクしていて顔がわからんのだが、丸顔で、スキンヘッドで、筋肉デブって感じで、全然怖くないし、憎たらしくもない。きっと、マスク取ったらカワイイ顔だよ、この人、と思ってたら、演じてるトム・ハーディ、やっぱ素顔はカワイイわ。
あと、人を殺すシーンとかははっきり映さないのですね。レイティングの関係かな、と、見てるときは思ったんですが…。
そしていよいよネタバレ(以下、文字の色変えます)。
ベインを追い詰めたバットマン、こいつが一番の大物だ、と思ったら、なんと、バットマンことブルースの恋人のミランダが黒幕だったのだ。
ベインは第1作でリーアム・ニーソンが演じた人物が恋した女性の息子、と思われていたが、実はミランダが彼の娘だったのだ。
ミランダは父の意思を受けて、ゴッサム・シティを葬ろうとしていたのだ。そしてベインは、牢獄で生まれた彼女を愛し、守り続けた男だったのだ。
彼女の母はニーソン演じる男と恋に落ち、身ごもった罪で、牢獄に入れられ、そこで非業の死を遂げていた。
以上、ネタバレ。どんでん返し。意外な結末。
いやあ、参った。黒幕がミランダになったおかげで、善とか悪とか正義とか、ノーランが苦手だけど無理して入れてたテーマが全部、ここで吹っ飛んだのです。
ミランダは別に善とか悪とか正義とか、まったく関係ない人。単に、父親の意思とか、自分を守ってくれた男とか、そういうことしか考えてない、っていうか、ミランダが何考えてるんだか、ツッコミどころ満載なんですが、そこはそれぞれ、突っ込んで楽しんでください。
んなわけで、善と悪のテーマはすべてチャラになり、あとはバットマンがいかにして中性子爆弾と化した小型原子炉を始末するかになります。
始末の仕方は「ブラック・サンデー」と同じですが、放射能のことをまったく心配してないのがいかにもハリウッド映画。あそこで爆発させたら海も大気も大汚染。アニメの「鉄腕アトム」の最終回みたいに、太陽まで持っていかないとだめよ。で、太陽に突っ込んだアトムが戻ってきたように、バットマンも(ここもネタバレだけど、これは誰でも予想できるでしょう)。
そんなわけで、
ベイツはバートン版のペンギンを思わせるところがあるのだけど(原作にベインという悪役がいるようですが、ペンギンが入っている感じはします)ミランダはもう1人のキャットウーマンじゃないかと思う。キャットウーマンはアン・ハサウェイが演じていますが、彼女は根は善人で、バットマンを助ける(原作ではこの設定らしい)。ミランダの方はむしろ、悪のキャットウーマンという感じか。服も黒っぽいのを着てるし。
それはともかく、ベインの言う善と悪って、なんだか軽いなあ、と思っていたら、最後にミランダが善と悪をすべてチャラにしてくれたってわけです。
個人的には、チャラにしてくれてよかったです。突っ込みどころ満載なのも、楽しくていい。ノーランが無理して善とか悪とか正義とかやってるの、見ていられなかったもの。彼のほかの映画見れば、こういうテーマに興味ないの、わかりきっているもの。
ノーランの映画に一貫して登場するモチーフは、「インセプション」の映画評でも書いたんだけど、それはむごたらしい死を遂げた女性です。「フォロウィング」からそれはずっと一貫している。この「ダークナイトライジング」でも、むごたらしい死を遂げる女性がいるんですね。彼女のエピソード、カナダ映画でアカデミー賞外国語映画賞候補になった「灼熱の魂」のパクリじゃないかと思うんだけど、とにかく、そういう女性の死があって、実は善や悪や正義よりも、その方がノーランの映画に共通するモチーフなのです。
ベインを演じるハーディ、ミランダを演じるマリオン・コティヤール、そして実はロビンだとわかる若い警官を演じるジョゼフ・ゴードン・レヴィットは、いずれも「インセプション」に出てた人。
コティヤールは体重増やしてますが、ベイツともども、悪役は太めってモチーフか?
ベインは最後、涙まで見せちゃって、この2人、やっぱり本物のワルじゃないのよね。
結局、ノーランは本物の悪を描けないというか、ヒース・レジャーのジョーカーは、あれはノーランからはみ出したもの、レジャーが創造した悪なんだな、と思う。あのへたな塗り絵みたいなメイクは、きっちりとした作りをするノーランの対極にある。ノーランなら、塗り絵はばっちり、色をはみ出さずにきれいに塗るだろう。実際、レジャーがいなかったら、ノーランのシリーズは面白い映画の域を出なかっただろう。
「ダークナイトライジング」は、内容的にはバートンの「バットマンリターンズ」に呼応するというか、ペンギンとキャットウーマンが出ているという意味でそうなんだけど(ベインにペンギンが入っていると仮定してですが)、ベインとミランダが本物のワルじゃない、かわいそうなところもある、とは言っても、バートンの描く異形の人の悲しみにはとうてい及ばない。ノーランもそれはわかってるので、無理しないで、最後は無理してたテーマもチャラにして、面白いアクション映画として終わらせたのだと思う。最後、カーテンコールみたいで、見続けた人にはそれなりの感慨があるだろう。
このエントリーはネタバレ大ありです。
いや、ネタバレそのものについてのことしか書かれていません。
これから映画をご覧になる方はスルーすることをお勧めします。
というわけで、クリストファー・ノーランの「バットマン」シリーズ完結編「ダークナイトライジング」であります。第1作「バットマンビギンズ」については初代さーべる倶楽部の2005年6月末か7月初めのところで書いているはずですが、このブログは現在、見られないエントリーが多く、おそらく探せないと思います。そして第2作「ダークナイト」は2008年8月末、さーべる倶楽部2に書いたと思います。これは探せば見られるはずです。
で、すでにお読みになった方はご存知のとおり、私はノーランのこのシリーズについては評価が低いです。ノーランの映画は「フォロウィング」、「メメント」の頃から大好きで、なんらかの形で批評を書き、また、「インソムニア」はノベライズの翻訳までしていますが、どうもこの「バットマン」シリーズはいかん。個人的にはティム・バートンのシリーズが大好きなので、それと比較して不満が多い、というのもありますが、一番気に食わないのは、ノーランの善とか悪とか正義とかヒーローとかに関する考え方があまりにもヌルイというか、いいかげんというか、こいつ、真剣に考えてないだろ、「バットマン」だからそういうの入れないといけないと思って、設計図に入れて作ってるだけだろ、と言いたくなるようなテイタラクなのです。
そんなわけで、前2作の文章はどちらもノーランのそうした善や悪についての姿勢のヌルさ、底の浅さを批判するものになっていました。
そして第3作「ダークナイトライジング」。今度も善と悪についてヌルいことやってたらもう見放すぞ、ノーラン、と思って臨んだのですが…。
あれ、今回は妙にさらっと軽くやってるじゃん、善とか悪とか正義とか。
一応、善と悪、正義についてのご宣託のせりふは出てきますけどね。悪役のベインという人物が「自分は必要悪だ」と言ったり、その他、人間の善性を試す、みたいな、前作でジョーカーがやったようなこともしてますけどね。でも、なんか軽いの。このベインがマスクしていて顔がわからんのだが、丸顔で、スキンヘッドで、筋肉デブって感じで、全然怖くないし、憎たらしくもない。きっと、マスク取ったらカワイイ顔だよ、この人、と思ってたら、演じてるトム・ハーディ、やっぱ素顔はカワイイわ。
あと、人を殺すシーンとかははっきり映さないのですね。レイティングの関係かな、と、見てるときは思ったんですが…。
そしていよいよネタバレ(以下、文字の色変えます)。
ベインを追い詰めたバットマン、こいつが一番の大物だ、と思ったら、なんと、バットマンことブルースの恋人のミランダが黒幕だったのだ。
ベインは第1作でリーアム・ニーソンが演じた人物が恋した女性の息子、と思われていたが、実はミランダが彼の娘だったのだ。
ミランダは父の意思を受けて、ゴッサム・シティを葬ろうとしていたのだ。そしてベインは、牢獄で生まれた彼女を愛し、守り続けた男だったのだ。
彼女の母はニーソン演じる男と恋に落ち、身ごもった罪で、牢獄に入れられ、そこで非業の死を遂げていた。
以上、ネタバレ。どんでん返し。意外な結末。
いやあ、参った。黒幕がミランダになったおかげで、善とか悪とか正義とか、ノーランが苦手だけど無理して入れてたテーマが全部、ここで吹っ飛んだのです。
ミランダは別に善とか悪とか正義とか、まったく関係ない人。単に、父親の意思とか、自分を守ってくれた男とか、そういうことしか考えてない、っていうか、ミランダが何考えてるんだか、ツッコミどころ満載なんですが、そこはそれぞれ、突っ込んで楽しんでください。
んなわけで、善と悪のテーマはすべてチャラになり、あとはバットマンがいかにして中性子爆弾と化した小型原子炉を始末するかになります。
始末の仕方は「ブラック・サンデー」と同じですが、放射能のことをまったく心配してないのがいかにもハリウッド映画。あそこで爆発させたら海も大気も大汚染。アニメの「鉄腕アトム」の最終回みたいに、太陽まで持っていかないとだめよ。で、太陽に突っ込んだアトムが戻ってきたように、バットマンも(ここもネタバレだけど、これは誰でも予想できるでしょう)。
そんなわけで、
ベイツはバートン版のペンギンを思わせるところがあるのだけど(原作にベインという悪役がいるようですが、ペンギンが入っている感じはします)ミランダはもう1人のキャットウーマンじゃないかと思う。キャットウーマンはアン・ハサウェイが演じていますが、彼女は根は善人で、バットマンを助ける(原作ではこの設定らしい)。ミランダの方はむしろ、悪のキャットウーマンという感じか。服も黒っぽいのを着てるし。
それはともかく、ベインの言う善と悪って、なんだか軽いなあ、と思っていたら、最後にミランダが善と悪をすべてチャラにしてくれたってわけです。
個人的には、チャラにしてくれてよかったです。突っ込みどころ満載なのも、楽しくていい。ノーランが無理して善とか悪とか正義とかやってるの、見ていられなかったもの。彼のほかの映画見れば、こういうテーマに興味ないの、わかりきっているもの。
ノーランの映画に一貫して登場するモチーフは、「インセプション」の映画評でも書いたんだけど、それはむごたらしい死を遂げた女性です。「フォロウィング」からそれはずっと一貫している。この「ダークナイトライジング」でも、むごたらしい死を遂げる女性がいるんですね。彼女のエピソード、カナダ映画でアカデミー賞外国語映画賞候補になった「灼熱の魂」のパクリじゃないかと思うんだけど、とにかく、そういう女性の死があって、実は善や悪や正義よりも、その方がノーランの映画に共通するモチーフなのです。
ベインを演じるハーディ、ミランダを演じるマリオン・コティヤール、そして実はロビンだとわかる若い警官を演じるジョゼフ・ゴードン・レヴィットは、いずれも「インセプション」に出てた人。
コティヤールは体重増やしてますが、ベイツともども、悪役は太めってモチーフか?
ベインは最後、涙まで見せちゃって、この2人、やっぱり本物のワルじゃないのよね。
結局、ノーランは本物の悪を描けないというか、ヒース・レジャーのジョーカーは、あれはノーランからはみ出したもの、レジャーが創造した悪なんだな、と思う。あのへたな塗り絵みたいなメイクは、きっちりとした作りをするノーランの対極にある。ノーランなら、塗り絵はばっちり、色をはみ出さずにきれいに塗るだろう。実際、レジャーがいなかったら、ノーランのシリーズは面白い映画の域を出なかっただろう。
「ダークナイトライジング」は、内容的にはバートンの「バットマンリターンズ」に呼応するというか、ペンギンとキャットウーマンが出ているという意味でそうなんだけど(ベインにペンギンが入っていると仮定してですが)、ベインとミランダが本物のワルじゃない、かわいそうなところもある、とは言っても、バートンの描く異形の人の悲しみにはとうてい及ばない。ノーランもそれはわかってるので、無理しないで、最後は無理してたテーマもチャラにして、面白いアクション映画として終わらせたのだと思う。最後、カーテンコールみたいで、見続けた人にはそれなりの感慨があるだろう。
2012年8月6日月曜日
私の原子力ヒストリー、またはストーリー
せっかくですから、広島・原爆の日に書いてしまいましょう。
子供の頃、私がなりたかった職業は2つあって、1つは漫画家、もう1つは物理学者でした。
小学2年のとき、テレビで「鉄腕アトム」のアニメが始まり、原作漫画も読むようになり、手塚治虫にあこがれた私は、手塚治虫がもともとは医師だったと知って、漫画家と物理学者になりたいなあ、と子供っぽく考えていたわけです。
医師ではなく、物理学者だったのは、やはり「アトム」をはじめとするSFのせいです。
当時(1960年代前半)、原子力という言葉は、子供心にも魅力的に聞こえていました。それは未来の科学で、要するに、現実のものじゃないという感覚で魅力的だったのです(私には)。
また、原子力エネルギーを使ったものでも原爆は悪だが、善の原子力があるという漠然とした空気が当時はありました。
あとで調べたら、原子力の平和利用が提言されたのが1950年代はじめ。それからアメリカ、イギリス、ソ連であいついで原子力発電が実用化されます。日本で原子力発電が実用化されるのは1960年代なかば。まさに私が原子力は未来の科学と思っていた時代に、日本は原発実用化にむけて着々と歩みを進めていたのです。原子力の平和利用、善の原子力という空気はそうした中から生まれていたのでしょう(当時はまだ原発の悪い面などはあまり気づかれていなかったかもしれません)。
そして1965年、小学5年生のとき、遠足で、東海村の原子力施設のそばの博物館へ行きました。中に入ると、係員が子供たちに原子力の明るい未来について熱心に説明していました。
そのときの私の反応
原子力って、未来の科学じゃなかったんだ。
原子力って、ただの電気を作る装置にすぎなかったんだ!
原子力のすばらしさを説明する博物館が、皮肉にも、私の原子力への夢を打ち砕いたのです。
同じ頃、親が買ってくれた国語辞典に、原爆でケロイドを負った人の写真が出ていました。その写真がとても怖くて、私はそのページを見ることができませんでした。そこで原爆と原子力の平和利用がくっつくことはありませんでしたが、ある種のトラウマになりました。
1970年代になると反原発運動が盛んになり、放射能汚染の問題や使用済み核燃料の問題が語られるようになります。私が反原発を意識したのもこの頃です。高校生でした。
すでに漫画家になるのは中学生であきらめ、物理学者も高校の物理の成績のひどさにあきらめていましたが、量子力学や素粒子物理学には興味がありました。もちろん、高校の物理もわかってないのだから本当にはわかってないのですが、原子の世界への興味は宇宙への興味と結びつき、大変魅力的に感じられました。特に1920年代の量子力学発展の時代は、ハイゼンベルクをはじめとする若い科学者たちが天才を発揮し、新しい科学を打ち立てるという、本当に魅力的な時代で、それに関する本をよく読んでいました。
量子力学はやがて原爆開発へとつながります。ナチスを逃れたユダヤ人科学者たちがロスアラモスで原爆を作り、ドイツに残ったハイゼンベルクはナチスのために原爆開発をしていたと疑われる。それをテーマにした2冊の本を夢中になって読み、それからだいぶたって、これをテーマにした劇「コペンハーゲン」についての書評をBookJapanに書くことになります。
原発に関しては、日本はとにかく、原爆と原発を分けていたので、私も1つとは考えていませんでした。3・11以後、原爆と原発を1つのものと考える言説が、反原発派にも、反原発批判派にも増えていますが、3・11前は、日本人は原爆と原発は違うものと考えていた、そういうふうに洗脳されていたと私には思えます。実際、毎年8月に2回も原爆被害者慰霊を行い、非核三原則を掲げ、原爆を落とされた国だから原爆絶対反対を唱える国が、原爆と原発を分けないはずがないと思います。日本人が原発依存になったのは、この2つを分けたのが最大の原因だと、私は思っています(そこには政府、電力会社、マスコミによる洗脳があり、原発推進CMも洗脳に一役買ったと思う)。私も反原発でありながら、分けるという洗脳には引っかかってしまいました。
以上がヒストリーというかストーリーというか、積極的に反原発のために何かしたわけじゃないし、適度に洗脳もされてたわけですが、これが私のバックグラウンドです。
広島と長崎には何度か行ったことがあります。最初に広島を訪れたのは高校の修学旅行。記念館の展示を見てまわるとき、女子生徒の中にはこわくて見ることができず、目をつぶったまま、友達に手を引かれている人もいました。原爆についてはこのように積極的に見せているのですが、原発については見せない。アメリカはどっちも見せないんだけど、このあたりにも日本は2つに分けてきたというのがわかります。
子供の頃、私がなりたかった職業は2つあって、1つは漫画家、もう1つは物理学者でした。
小学2年のとき、テレビで「鉄腕アトム」のアニメが始まり、原作漫画も読むようになり、手塚治虫にあこがれた私は、手塚治虫がもともとは医師だったと知って、漫画家と物理学者になりたいなあ、と子供っぽく考えていたわけです。
医師ではなく、物理学者だったのは、やはり「アトム」をはじめとするSFのせいです。
当時(1960年代前半)、原子力という言葉は、子供心にも魅力的に聞こえていました。それは未来の科学で、要するに、現実のものじゃないという感覚で魅力的だったのです(私には)。
また、原子力エネルギーを使ったものでも原爆は悪だが、善の原子力があるという漠然とした空気が当時はありました。
あとで調べたら、原子力の平和利用が提言されたのが1950年代はじめ。それからアメリカ、イギリス、ソ連であいついで原子力発電が実用化されます。日本で原子力発電が実用化されるのは1960年代なかば。まさに私が原子力は未来の科学と思っていた時代に、日本は原発実用化にむけて着々と歩みを進めていたのです。原子力の平和利用、善の原子力という空気はそうした中から生まれていたのでしょう(当時はまだ原発の悪い面などはあまり気づかれていなかったかもしれません)。
そして1965年、小学5年生のとき、遠足で、東海村の原子力施設のそばの博物館へ行きました。中に入ると、係員が子供たちに原子力の明るい未来について熱心に説明していました。
そのときの私の反応
原子力って、未来の科学じゃなかったんだ。
原子力って、ただの電気を作る装置にすぎなかったんだ!
原子力のすばらしさを説明する博物館が、皮肉にも、私の原子力への夢を打ち砕いたのです。
同じ頃、親が買ってくれた国語辞典に、原爆でケロイドを負った人の写真が出ていました。その写真がとても怖くて、私はそのページを見ることができませんでした。そこで原爆と原子力の平和利用がくっつくことはありませんでしたが、ある種のトラウマになりました。
1970年代になると反原発運動が盛んになり、放射能汚染の問題や使用済み核燃料の問題が語られるようになります。私が反原発を意識したのもこの頃です。高校生でした。
すでに漫画家になるのは中学生であきらめ、物理学者も高校の物理の成績のひどさにあきらめていましたが、量子力学や素粒子物理学には興味がありました。もちろん、高校の物理もわかってないのだから本当にはわかってないのですが、原子の世界への興味は宇宙への興味と結びつき、大変魅力的に感じられました。特に1920年代の量子力学発展の時代は、ハイゼンベルクをはじめとする若い科学者たちが天才を発揮し、新しい科学を打ち立てるという、本当に魅力的な時代で、それに関する本をよく読んでいました。
量子力学はやがて原爆開発へとつながります。ナチスを逃れたユダヤ人科学者たちがロスアラモスで原爆を作り、ドイツに残ったハイゼンベルクはナチスのために原爆開発をしていたと疑われる。それをテーマにした2冊の本を夢中になって読み、それからだいぶたって、これをテーマにした劇「コペンハーゲン」についての書評をBookJapanに書くことになります。
原発に関しては、日本はとにかく、原爆と原発を分けていたので、私も1つとは考えていませんでした。3・11以後、原爆と原発を1つのものと考える言説が、反原発派にも、反原発批判派にも増えていますが、3・11前は、日本人は原爆と原発は違うものと考えていた、そういうふうに洗脳されていたと私には思えます。実際、毎年8月に2回も原爆被害者慰霊を行い、非核三原則を掲げ、原爆を落とされた国だから原爆絶対反対を唱える国が、原爆と原発を分けないはずがないと思います。日本人が原発依存になったのは、この2つを分けたのが最大の原因だと、私は思っています(そこには政府、電力会社、マスコミによる洗脳があり、原発推進CMも洗脳に一役買ったと思う)。私も反原発でありながら、分けるという洗脳には引っかかってしまいました。
以上がヒストリーというかストーリーというか、積極的に反原発のために何かしたわけじゃないし、適度に洗脳もされてたわけですが、これが私のバックグラウンドです。
広島と長崎には何度か行ったことがあります。最初に広島を訪れたのは高校の修学旅行。記念館の展示を見てまわるとき、女子生徒の中にはこわくて見ることができず、目をつぶったまま、友達に手を引かれている人もいました。原爆についてはこのように積極的に見せているのですが、原発については見せない。アメリカはどっちも見せないんだけど、このあたりにも日本は2つに分けてきたというのがわかります。
2012年8月5日日曜日
役に立たない精神分析
って、なんでこんなに人気あるの?
斎藤環氏の原発精神分析。
http://togetter.com/li/347020
8月末に出る本で詳しく書いてるそうですが、200ページもないのに1680円て、ぼったくりか?
批判するには買わなくちゃならないからなあ。めんどくさいし、批判してもあまり効果ないというか、精神分析ゲーム自体、社会的な影響はさほどないからほっときゃいいか。
キネ旬の例の講演採録で、「太陽を盗んだ男」の分析を読んで、こんなので原発論じられちゃたまらんと思ったが、おそらく新著はこの線で行くだろうとそのとき思った。
要するに、原子力はマッチョの世界っていうのは、確かにそうらしいけど、日本人の多くはマッチョじゃあるめえ、第一、日本人の半分は女で、女の多くはマッチョじゃねえ。
斎藤氏は「父殺しはあるけど母殺しはないから」とかで、「すべての母は毒母である」という本を出して、これもいろいろ言われているが、そのせいか、私がブログに書いた「母親の罪と母殺し」という記事に少しアクセスがあります。少しね。
でもまあ、斎藤氏はカルトの範囲内だからいいのかな。その線、越えないでね、ってとこか。
フロイトに始まった精神分析は現在では患者の治療には役に立たないので、今はみんな行動療法の研究をしているのだそうです。精神分析はいまや現代思想とか表象文化とか、そういうマイナーな哲学やそれを利用した物語の世界になっているようだ。どんな事象も精神分析でやると、物語になる。例の、アカハラだかセクハラだかで解雇になった某大学非常勤講師の現代思想・表象文化論の先生も、自分の陥った状況を精神分析や現代思想の言葉で書いていて、それが面白いストーリーになっていたのだが、私に言わせれば、あれは「風と木の詩」だ。学生がジルベールで、その父がオーギュで、先生がセルジュ。もろ、そうなんだけど、そういう反応はなかった。現代思想と表象文化のジャーゴンで書かれてるから誰も気づかなかったのか、あるいは、「風木」がすでに古いのか。このストーリー、もう削除されてしまったけど。
追記 ドイツ映画「コッホ先生と僕らの革命」という映画を見ました。19世紀後半、ドイツにサッカーをもたらした教師を主人公にした映画で、サッカーを通じていじめの問題を解決したりという内容になっています。ところで、斎藤環先生は、いじめをなくす方法の1つとして、学校の体育から球技をはずせ、と言っているのです(これは私は理解できるところがある)。なので、ぜひ、先生にはこの映画と、球技がいじめの原因という自論をからめて論じていただきたいものです。
追記2
「なぜ原発は推進されるのか」という記事。http://www.nuketext.org/suishin.html
その中の「政策決定に市民が参加しようとしないから」http://www.nuketext.org/suishin.html#reason7
ここに書いてあるさまざまな理由、市民が原発に反対しない、無関心の理由は、たぶん、日本の一般市民が原発を許してきた大きな理由として、多くの人が納得できるものでしょう。
また、その上にあるさまざまな理由(1-6)も、よく言われてきたことです。
それらを無視して、日本人は原発や原子力が大好きだ、危険な美女のようなものだから、という本を書くことに何の意味があるのか、あるいは講演で語り、映画雑誌に採録することに、ということを、問いたいわけなんですが、でもまあ、トンデモだと思えばいいのか。しかし、この期に及んでトンデモを原発で…。
追記3 あるツイッターから「世俗的な原発論はすぐれてどうでもいいので、ラカン的に読むとどうなるのか興味がある」ふうむ、なるほど。
追記4 実は、ラカンとかドゥルーズとかジジェクとか、いわゆる「現代思想」を愛する方のブログに、斎藤環氏の原子力享楽論について書いてあるのを見つけました。
が、この人はゴジラやガンダムには興味ないのか、「享楽」の部分にしか興味ないみたいで、なんだか的外れな議論をしてましたね(実際は、この人の考えが斎藤氏のメインだったりするかもしれないけど)。
そういえば、「あの空の花」の監督も、インタビューで、斎藤氏のアニメや漫画や怪獣ものと原子力の関係につながるようなことを言ってましたね。案外、同じ考えかもしれませんが、「昔は原子力に非常に魅力を感じたから原発推進のCMに出てしまったが、その後、考えが変わった」とはおっしゃってはいませんでした。
あの監督さんのCMについては、リアルタイムで見た人の話をネットで複数読むことができるのです。それを読むと、インタビューのようなきれいごとではないなと思うのですが、まあ、ふた昔も前のことで、それをほんの数行とはいえ、映画評の中に書いたのはけしからん、と、熱狂的ファンやその他の人が思うのも無理ないでしょう。私も、今では、あの映画評を書かなければよかったと思っています(ブログに書こうと思っていたとき、依頼が来て、かなり迷ったのだが、やはりブログの方がよかった)。私が書いたから、ではなく、監督さん自身が自分で決着をつけてほしかった。まさか、私の文について、その後、インタビューで質問するとは思ってなかったのでね。
この追記を書いているのは、広島・原爆の日。この日は毎年、私の誕生日の翌日なので、生まれてこのかた、私はいつも、暗い誕生日を迎えています。
私と原子力の歴史というか、ストーリーについては、そのうち、書きます。
斎藤環氏の原発精神分析。
http://togetter.com/li/347020
8月末に出る本で詳しく書いてるそうですが、200ページもないのに1680円て、ぼったくりか?
批判するには買わなくちゃならないからなあ。めんどくさいし、批判してもあまり効果ないというか、精神分析ゲーム自体、社会的な影響はさほどないからほっときゃいいか。
キネ旬の例の講演採録で、「太陽を盗んだ男」の分析を読んで、こんなので原発論じられちゃたまらんと思ったが、おそらく新著はこの線で行くだろうとそのとき思った。
要するに、原子力はマッチョの世界っていうのは、確かにそうらしいけど、日本人の多くはマッチョじゃあるめえ、第一、日本人の半分は女で、女の多くはマッチョじゃねえ。
斎藤氏は「父殺しはあるけど母殺しはないから」とかで、「すべての母は毒母である」という本を出して、これもいろいろ言われているが、そのせいか、私がブログに書いた「母親の罪と母殺し」という記事に少しアクセスがあります。少しね。
でもまあ、斎藤氏はカルトの範囲内だからいいのかな。その線、越えないでね、ってとこか。
フロイトに始まった精神分析は現在では患者の治療には役に立たないので、今はみんな行動療法の研究をしているのだそうです。精神分析はいまや現代思想とか表象文化とか、そういうマイナーな哲学やそれを利用した物語の世界になっているようだ。どんな事象も精神分析でやると、物語になる。例の、アカハラだかセクハラだかで解雇になった某大学非常勤講師の現代思想・表象文化論の先生も、自分の陥った状況を精神分析や現代思想の言葉で書いていて、それが面白いストーリーになっていたのだが、私に言わせれば、あれは「風と木の詩」だ。学生がジルベールで、その父がオーギュで、先生がセルジュ。もろ、そうなんだけど、そういう反応はなかった。現代思想と表象文化のジャーゴンで書かれてるから誰も気づかなかったのか、あるいは、「風木」がすでに古いのか。このストーリー、もう削除されてしまったけど。
追記 ドイツ映画「コッホ先生と僕らの革命」という映画を見ました。19世紀後半、ドイツにサッカーをもたらした教師を主人公にした映画で、サッカーを通じていじめの問題を解決したりという内容になっています。ところで、斎藤環先生は、いじめをなくす方法の1つとして、学校の体育から球技をはずせ、と言っているのです(これは私は理解できるところがある)。なので、ぜひ、先生にはこの映画と、球技がいじめの原因という自論をからめて論じていただきたいものです。
追記2
「なぜ原発は推進されるのか」という記事。http://www.nuketext.org/suishin.html
その中の「政策決定に市民が参加しようとしないから」http://www.nuketext.org/suishin.html#reason7
ここに書いてあるさまざまな理由、市民が原発に反対しない、無関心の理由は、たぶん、日本の一般市民が原発を許してきた大きな理由として、多くの人が納得できるものでしょう。
また、その上にあるさまざまな理由(1-6)も、よく言われてきたことです。
それらを無視して、日本人は原発や原子力が大好きだ、危険な美女のようなものだから、という本を書くことに何の意味があるのか、あるいは講演で語り、映画雑誌に採録することに、ということを、問いたいわけなんですが、でもまあ、トンデモだと思えばいいのか。しかし、この期に及んでトンデモを原発で…。
追記3 あるツイッターから「世俗的な原発論はすぐれてどうでもいいので、ラカン的に読むとどうなるのか興味がある」ふうむ、なるほど。
追記4 実は、ラカンとかドゥルーズとかジジェクとか、いわゆる「現代思想」を愛する方のブログに、斎藤環氏の原子力享楽論について書いてあるのを見つけました。
が、この人はゴジラやガンダムには興味ないのか、「享楽」の部分にしか興味ないみたいで、なんだか的外れな議論をしてましたね(実際は、この人の考えが斎藤氏のメインだったりするかもしれないけど)。
そういえば、「あの空の花」の監督も、インタビューで、斎藤氏のアニメや漫画や怪獣ものと原子力の関係につながるようなことを言ってましたね。案外、同じ考えかもしれませんが、「昔は原子力に非常に魅力を感じたから原発推進のCMに出てしまったが、その後、考えが変わった」とはおっしゃってはいませんでした。
あの監督さんのCMについては、リアルタイムで見た人の話をネットで複数読むことができるのです。それを読むと、インタビューのようなきれいごとではないなと思うのですが、まあ、ふた昔も前のことで、それをほんの数行とはいえ、映画評の中に書いたのはけしからん、と、熱狂的ファンやその他の人が思うのも無理ないでしょう。私も、今では、あの映画評を書かなければよかったと思っています(ブログに書こうと思っていたとき、依頼が来て、かなり迷ったのだが、やはりブログの方がよかった)。私が書いたから、ではなく、監督さん自身が自分で決着をつけてほしかった。まさか、私の文について、その後、インタビューで質問するとは思ってなかったのでね。
この追記を書いているのは、広島・原爆の日。この日は毎年、私の誕生日の翌日なので、生まれてこのかた、私はいつも、暗い誕生日を迎えています。
私と原子力の歴史というか、ストーリーについては、そのうち、書きます。
2012年8月4日土曜日
バーン=ジョーンズ展
東京駅近くの三菱一号館美術館で行われているバーン=ジョーンズ展に行ってきました。
http://mimt.jp/bj/
今月から木曜と金曜は6時以降が1000円とお安くなっています。しかし…
美術館が狭い!
1つの展示室に10人も入ると大混雑。落ち着いて見られない。
床がうるさい!
足音が響く床なので、音がうるさいです。うるさいので、自然と、話し声も大声に。落ち着いて見られない。
客が…
かなり人がいたのだが、なぜか、チケット売り場でチケットを買って入ったのは私1人だった。ほかはみんなご招待? まあ、それはいいんですけど、上野の美術館には絶対に来ないようなお客さんばかりだった。美術も、背景の文学・神話・伝説も、全然興味なさそうなお客さんのような雰囲気。
いや、別にいいんですけどね。マナーはよかったし、これをきっかけに興味持ってくれれば、くれれば、くれれば…。
絵はよかったですが、上のように、とにかく落ち着いて見られない。館内もまずエレベーターで上がり、3階から階段を降りていく感じで、狭い展示室をまわっていくのですが、途中、自動ドアがやたら多くて、展示室だけでなく、通路も階段も狭くて、引き返して一度見た絵をまた見に行くのはむずかしい感じでした(上野ではいつもやっていたのだが、ここではできなかった)。
そして、最後のショップがまた狭いのなんのって、絵葉書売り場の前に3、4人いたら、もうほかの人は手を伸ばせません。絵葉書も種類が少ない。
いや、絵はほんとによかったです。やはり夜の回よりは平日の昼間の回の方がゆっくり見られるのかもしれません。
さて、美術展の案内の表紙に使われているこの絵。ペルセウスがアンドロメダを救うために海蛇と戦っているのですが、ここに書かれたキャッチフレーズが、「英雄ペルセウス、丸の内で、奮闘中」
なんか、ギリシャ神話が、丸の内のオフィスストーリー、サラリーマンとOLの話になったみたいに感じるのは私だけでしょうか?
上野で今やっている「マウリッツハウス美術館展」のポスターは、フェルメールの「真珠の耳飾の少女」の絵に、「この少女に恋をしよう」とかなんとかいうキャッチフレーズなんですが、ロリコンのおじさんが多数押しかける図を想像したのは私だけか?(つか、今はロリって、若者が幼女に、という話なのか…)。
まあ、美術展も、下世話な世界になったのですね。
帰りに、東京駅の赤レンガの駅舎がよく見えるところに出たら、その向こうに満月が昇っていたので、携帯で写真を撮りました。その赤レンガの駅舎に、かつて、東京ステーション・ギャラリーという美術館があって、私は大好きだったのですが、だいぶ前になくなってしまいました。
「マウリッツハウス」は一応、行こうかな、と思っているのだけど、会場の東京都美術館は昔行ったとき、やたら階段が多くてまいったのです。でも、改装されて、まわりやすくなっているかもしれません。
ところで、バーン=ジョーンズ展、クピドとプシュケの連作、というのがあって、最初、クピドって何?と思いましたが、キューピッドでした。でも、これって、キューピッドとサイキ(英語読み)か、アモールとプシュケって言わないか、普通?
http://mimt.jp/bj/
今月から木曜と金曜は6時以降が1000円とお安くなっています。しかし…
美術館が狭い!
1つの展示室に10人も入ると大混雑。落ち着いて見られない。
床がうるさい!
足音が響く床なので、音がうるさいです。うるさいので、自然と、話し声も大声に。落ち着いて見られない。
客が…
かなり人がいたのだが、なぜか、チケット売り場でチケットを買って入ったのは私1人だった。ほかはみんなご招待? まあ、それはいいんですけど、上野の美術館には絶対に来ないようなお客さんばかりだった。美術も、背景の文学・神話・伝説も、全然興味なさそうなお客さんのような雰囲気。
いや、別にいいんですけどね。マナーはよかったし、これをきっかけに興味持ってくれれば、くれれば、くれれば…。
絵はよかったですが、上のように、とにかく落ち着いて見られない。館内もまずエレベーターで上がり、3階から階段を降りていく感じで、狭い展示室をまわっていくのですが、途中、自動ドアがやたら多くて、展示室だけでなく、通路も階段も狭くて、引き返して一度見た絵をまた見に行くのはむずかしい感じでした(上野ではいつもやっていたのだが、ここではできなかった)。
そして、最後のショップがまた狭いのなんのって、絵葉書売り場の前に3、4人いたら、もうほかの人は手を伸ばせません。絵葉書も種類が少ない。
いや、絵はほんとによかったです。やはり夜の回よりは平日の昼間の回の方がゆっくり見られるのかもしれません。
さて、美術展の案内の表紙に使われているこの絵。ペルセウスがアンドロメダを救うために海蛇と戦っているのですが、ここに書かれたキャッチフレーズが、「英雄ペルセウス、丸の内で、奮闘中」
なんか、ギリシャ神話が、丸の内のオフィスストーリー、サラリーマンとOLの話になったみたいに感じるのは私だけでしょうか?
上野で今やっている「マウリッツハウス美術館展」のポスターは、フェルメールの「真珠の耳飾の少女」の絵に、「この少女に恋をしよう」とかなんとかいうキャッチフレーズなんですが、ロリコンのおじさんが多数押しかける図を想像したのは私だけか?(つか、今はロリって、若者が幼女に、という話なのか…)。
まあ、美術展も、下世話な世界になったのですね。
帰りに、東京駅の赤レンガの駅舎がよく見えるところに出たら、その向こうに満月が昇っていたので、携帯で写真を撮りました。その赤レンガの駅舎に、かつて、東京ステーション・ギャラリーという美術館があって、私は大好きだったのですが、だいぶ前になくなってしまいました。
「マウリッツハウス」は一応、行こうかな、と思っているのだけど、会場の東京都美術館は昔行ったとき、やたら階段が多くてまいったのです。でも、改装されて、まわりやすくなっているかもしれません。
ところで、バーン=ジョーンズ展、クピドとプシュケの連作、というのがあって、最初、クピドって何?と思いましたが、キューピッドでした。でも、これって、キューピッドとサイキ(英語読み)か、アモールとプシュケって言わないか、普通?
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