大久保訳は最初は新潮ではなかったと思うが(私が途中まで読んでやめてしまったのは河出書房の文学全集だった)、1970年代に新潮文庫に入ってからはこれがスタンダードになっていた。
今度の新訳は書評家としても有名で人気のある人で、新訳が出れば当然、旧訳は絶版になるだろう。もっとも、書店では大久保訳の文庫も棚に置いてあるので、気になる人は今のうちに買っておけばいい(私はねえ、この小説、あまり読む気にならないのだよね)。
そして、驚いたことに、なんと、岩波文庫からも新訳が4月から出るのだという。新潮も岩波も全6巻のようで、一度に全部ではなく、1~2巻ずつ出していくようだ(訂正 新潮は全5巻で、4か月で完結。岩波は全6巻で、完結までには半年以上かかるらしい)。岩波の翻訳者はアメリカ文学、特に黒人文学の研究者で、年齢は私より1世代上くらいだからかなりのご年配の方。ただ、文学史的な解説はこちらの方が期待できる。特にこの小説は作者が黒人に対する差別意識を持っていて、それが小説にあらわれているということがアメリカ文学者の間では普通に言われているからだ。ただ、映画はさすがに黒人俳優が多数出演することもあって、差別的な部分は変えてある。なので、映画だけ見ている分には「風と共に去りぬ」に人種差別的な面があることはあまりわからない。むしろ、映画は黒人女優ハティ・マクダニエルが黒人初のアカデミー賞を受賞するという、ハリウッドの黒人の歴史に名を残すものとなった。
ただ、訳文自体は新潮文庫の方が一般人向けだろうし、訳者の知名度も、岩波文庫のアメリカ文学者もその世界では有名な人だが、やはり新潮文庫の翻訳家の方が断然上。岩波の方はアメリカ文学の背景解説を充実させ、地味に売っていくことになるのだと思う。
というわけで、「風と共に去りぬ」新訳が2つの文庫から同時出版だけれど、ねらうターゲットがまったく違うと思うので、両方出るのはよいことかもしれない。ただ、大久保訳は確実に絶版になるので、気になる人は買っておけ、と再度言う(もっとも、古本で手に入る、キンドルになる、といった可能性もある)。
というわけで、新訳が出ること自体は悪いことではないのだが、そのために過去の名訳が絶版になってしまうこと、そして、問題のある新訳がスタンダードになってしまう可能性がどうしても気になる。
村上春樹が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を訳したとき、白水社は野崎孝訳も残すと決めた。同じ出版社だけれど、両方残すことにしたのだ。また、村上が「グレート・ギャツビー」を白水社で訳したが、野崎孝の旧訳は新潮文庫で生き続けている。しかし、早川書房で村上がチャンドラーを訳し始めると、早川の旧訳はやはり消える運命にあるだろう(訂正 今のところ、旧訳も残されているようです)。幸い、私の好きな「大いなる眠り」の旧訳は創元推理文庫だから無事だろう(だよね?)。
この新訳を出すことで同じ出版社の旧訳が消えるというのは、私が若い頃にもすでにあって、アイザック・アシモフの「裸の太陽」が文庫に入るときに新訳になってしまったのはショックだった。私はポケット版の旧訳を愛読していたからだ。他のアシモフは新訳にならないのに、なぜこれだけが、という疑問もあった(翻訳者の知名度だろうか?)。
最近の新訳では、新潮文庫が出した「賢者の贈りもの」がショックだった。オー・ヘンリーの短編集は新潮文庫から大久保康雄訳で出ていて、これが長らくスタンダードだったのだが、新訳が出れば当然、大久保訳は消える運命にある(同じ出版社だから)。それでも新訳がそれなりによいものであればいいのだが、この「賢者の贈りもの」という短編の訳文、最後がひどいのだ。私は原文も知っているが、これはないだろう、と思うような訳なのだ。なんだか、それまでの話をすべてぶち壊すような訳文なんである。これじゃ余韻も何もない、あんまりだ。オー・ヘンリーは翻訳がたくさん出ているが、やっぱり新潮文庫が一番強い、一番スタンダードになりやすいのだから困る。まあ、大久保訳は図書館にあるし、原文読めるんだから別にいいんだけど。
新訳が次々と3つも出た「フランケンシュタイン」について言えば、31年前の創元推理文庫は確かにマニア向けで、普通の読者にはとっつきにくいかもしれないと思う。特にNHK教育で放送され、ごくごく普通の人にまで興味を持たれたとき、ごくごく普通の人にはやはり新潮文庫が一番とっつきやすい。光文社古典新訳文庫はこの文庫のブランドがあって、そのファンが選ぶと思う。一方、NHKの放送が終わる頃に出た角川文庫は不利なように見える。もともと角川文庫は古典のブランドがないし、翻訳者の知名度もイマイチ。てゆーか、角川文庫の翻訳ものって、書店にあまり置いてないのよ。去年、解説書いた「猿の惑星新世紀」でよくわかったのだけど。
書店に置いてないといえば、創元推理文庫と岩波文庫も置いてない文庫の双璧で、岩波文庫なんて大書店にしかないし、創元は「フランケンシュタイン」の入った背中が灰色の怪奇と幻想ジャンルは特に置いてない。
そんなわけで、「フランケンシュタイン」はこれからは新潮文庫がメイン、光文社文庫がサブ、そして私が解説を書いた創元推理文庫は消える運命なのかな、というさびしい思いがわいてくる。31年前の出版とはいえ、訳文も解説も古くないんだけどね。つか、古いのではなくてマニア向けなのだ。
追記 「風と共に去りぬ」新潮と岩波を書店で見比べてみたが、岩波文庫の方は買おうかなと思い始めた。というのも冒頭の訳文が岩波の方が普通の訳でとっつきやすい感じだったのと、解説などが非常に充実しているようだったから。1巻の3分の1くらい解説や資料のような感じ。一方、新潮は冒頭のページですでに「容」と書いて「かんばせ」と読ませるといった、鴻巣氏の世界炸裂で、その上、「うざい」とか「ビュア」とかいった現代語も出てくるらしいから、鴻巣氏の世界が好きな人向けという気がした。なので、とりあえず物語を知りたい、という人にとっても新潮はイマイチじゃないかという気がしている。物語+資料解説なら岩波文庫だろう。
ちなみに新潮の「フランケン」の訳は、短い原文にやたらと装飾的尾ひれをつけている印象がある(立ち読みだが)。なので、他の文庫よりページ数がやたら多い。立ち読みして、なんだか原文と違う、と思い、創元訳を読むと納得という感じなのだ。創元訳は原文と一番近い長さと雰囲気になっている。
参考(5月30日記)
「フランケンシュタイン」新訳の問題、特に新潮文庫が長すぎることについて、次のような指摘があった。
http://honto.jp/netstore/pd-book_26466539.html
2015/03/15 09:10
読み易くて楽しんだが原文と比較してかなりの付け足しがされている翻訳である。字が大きめとはいえ他社の物に比べて数十ページも増えないだろうと思っていたが数ページ程原文と比較して納得した。ただしそれが悪いとは言わない。芹澤氏のフランケンシュタインはこうであるという翻訳だろう。フランケンシュタインという小説を楽しむ上での不都合は感じなかった。同様の訳ばかり出ても仕方がないのでこれはこれでよい。ただし付け足しが多い故に研究目的での使用には向かない。(追記)
全文を比較したがちょっと足しすぎである。文章も軟らかくて親切なようだが固く冷たい原文とは異質のものに感じられた。何らかの意図が有って故のことであろうが残念ながらそれは見えず、ただ付け足しの多い訳であるようにしか感じ無かった。同時に他の訳も比較したが光文社新訳文庫版は非常にライトで新潮社版とは逆に少々細部が削除されていた。創元推理文庫版と角川文庫版の新訳は程よい訳であると感じた。これから読む人にはこの両者どちらかをお薦めする。