2016年4月30日土曜日

「真夏の夜の夢」(1935年版)

「レヴェナント」をシネコンで見たあと、ショッピングセンターなどを見ていたら、特設会場でCDとDVDを売っていた。数年前に出たらしいシェイクスピアの映画化作品のDVDがあり、1枚500円くらい。その中にはるか昔、テレビの深夜放送で見た「真夏の夜の夢」があった。ジェームズ・キャグニーやオリヴィア・デ・ハヴィランド、ミッキー・ルーニーなどが出演のワーナー映画で、ずっと見たいと思っていたので、ローレンス・オリヴィエ主演のイギリス映画「お気に召すまま」と一緒に買った。
テレビの深夜放送で見たのは1960年代末で、90分枠だったから相当カットされていたはず。でも、幻想的な映像とメンデルスゾーンの音楽に魅せられた。「真夏の夜の夢」は20世紀末にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの映画や、ケヴィン・クライン主演のハリウッド映画を見たが、この1935年のワーナー映画が一番好きだった。
初めてアカデミー賞作品賞にノミネートされたシェイクスピアの映画化とのことで、今見ても映像のすばらしさに驚かされる。1939年の「オズの魔法使」も創意工夫の映像にびっくりさせられるのだが、このモノクロの「真夏の夜の夢」も幻想的な映像の数々に惹きつけられる。
メンデルスゾーンが書いた劇音楽「真夏の夜の夢」をふんだんに使い、さらにメンデルスゾーンの有名な「春の歌」も入っている。ミュージカル仕立てで、歌のうまい俳優を使っている。ミュージカル「ヤンキー・ドゥードル・ダンディ」でアカデミー賞主演男優賞を受賞したキャグニーも歌を披露。ギャング役者として有名だったキャグニーがここで少しミュージカル俳優の本領発揮したというところか。映画初出演のオリヴィア・デ・ハヴィランドは映画のもとになった劇で同じ役を演じたというが、新人らしからぬ貫録がすでにある。このあと、彼女は「ロビン・フッドの冒険」のヒロインを経て、「風と共に去りぬ」のメラニーとなり、そして、2度のアカデミー賞受賞となる。
シェイクスピアで、ミュージカル仕立てということで、シェイクスピア劇らしい役者、歌のうまい役者を使っているが、オベロン役のヴィクター・ジョリーのセリフまわしがいかにもシェイクスピアで聞き惚れた。バレエシーンもすばらしい。ミッキー・ルーニーのやたらテンションの高いパックは記憶どおりだった。メンデルスゾーンの音楽をコルンゴルドが編曲てのも豪華。
133分なので、昔のテレビ放送では半分くらいカットされていたのではないかと思うが、最後のピラマスとシスビーの劇(「ロミオとジュリエット」のような悲劇が、役者の演技で喜劇になってしまう)は丸ごとカットされていた。今回初めて見て、キャグニーのピラマスとジョー・E・ブラウンのシスビーのかけあいに笑ってしまった。シスビーは女性だが、シェイクスピアの時代は女優がいなかったので(「恋におちたシェイックスピアに描かれたように)、シスビーを男性が演じるのだが、大口で有名だったブラウンのシスビーというのがいい。
幻想的なシーンも、恋人たちの騒動も、そして最後のドタバタ芝居も、本当に楽しかった。役者は知らない人もけっこういたが、みな実力のある俳優のようだった。
ずっと昔に見たきりの映画を、こんな形で完全版で見られるとは、本当に幸運だった。シネコンの帰りにふらっと立ち寄った場所で見つけたので、ラッキーだったとしか言いようがない。

2016年4月28日木曜日

あまり言うことのない傑作

レディース・デーの昼間に「レヴェナント 蘇えりし者」を見た。
レディース・デーなのに観客はシニア男性が多い。それもそのはず、のっけから痛そうな殺し合いのシーンが続くのだ。でも、とにかく映像はすごい。
話の内容はわりと単純で、人物も深みがないが、映像と音楽で魅せてしまう。
2時間半以上もあるので飽きるかと思ったが、それはまったくなかった。ただ、シネコンの椅子の具合が悪かったので、そっちが苦痛だった。
うーん、しかし、この映画、傑作なんだけど、語りたくなるようなことがほとんどない。
言えるのは、

圧倒的な映像美!
血まみれ、土まみれ、びしょ濡れの満身創痍のディカプリオ演技。
自然の過酷さと美しさ。
坂本龍一の決して出しゃばらない荘厳な音楽。
白人と先住民、白人同士、先住民同士が殺し合う野蛮な世界。
それでも善と正義は残っている。
ディカプリオの脳裏に浮かぶ回想や幻想のシーンの魅力。ちょっとテレンス・マリックふうか? 壊れた教会のシーンがいい。
死んだ馬の体の中に入って寒さをしのぐシーンは「馬々と人間たち」の二番煎じなのでここはちょっとね。
息子の仇を取ろうと必死でサバイバルする主人公のメイン・ストーリーのほかに、白人にさらわれた娘を探す先住民のサブ・ストーリーがあるが、この2つが最後に交差するのは「アモーレス・ペロス」や「バベル」のイニャリトゥらしい。

と、これだけ書いて、あとは見に行ってください、としか言えないのだ。
こういうタイプの傑作は、昔はヨーロッパのマイナーな国が低予算で作り、ヨーロッパの映画祭でグランプリを取ったりして、日本では岩波ホールで公開、というのが定番だったと思うのだが、いまやハリウッドでお金をふんだんにかけて作れるのか、というのが率直な感想。
ハリウッドだったら、一番近いのはテレンス・マリック。
実際、何度もマリックの「シン・レッド・ライン」が頭をよぎった。
ただ、マリックの映画にしろ、マイナーなヨーロッパの芸術映画にしろ、語りたいことはたくさんあったのに、この映画は傑作なのは確かだが、語ることへの欲求が出てこないというのがどうにも引っかかる。意外に早く忘れてしまいそうなのだ。

それにしても、このところ、立て続けにドーナル・グリーソン出演の映画を見ているのだが(「SW/フォースの覚醒」、「ブルックリン」、「エクス・マキナ」、「レヴェナント」)、役によってずいぶん雰囲気の違う人だ。もっとも、それはトム・ハーディなどにも言えることだけど。

2016年4月25日月曜日

IKEA10周年

イケア10周年というので、日曜夕方に出かけてみました(写真はイケアのサイトから)。
先着1000名にプレゼントのトートバッグは朝から行かないと無理だろうと思ったけど、ソフトクリーム無料券があるので、それだけでも食べようかと。実際は交通費が高いので、得とは言えないのだけど、レストランのサラダのブロッコリーをいっぱい食べたかったのもあって、出かけました。
イケアはレストランがくつろげるし、ショールームを眺めるのも楽しいのだけど、イマイチ欲しい商品がなくて、結局、何も買わずにニトリに寄って、ニトリで買ったものをイケアの青いバッグに入れて帰るという、私にはニトリの方が確かに向いているのだが、それでもイケアは買い物しなくても楽しいのです。
まあ、10周年とはいっても、すごいバーゲンがあるわけでもなく、いつもよりは混んでいるかなって程度。イケアは原則、車じゃないと持ち帰るのが不便、送ってもらうと送料がバカ高いので、電車で来る人は少ないのか、駅からイケアへ行く人も、イケアから駅に帰る人も少ない。駅前の歩道橋でイケアの人がチラシ配ってましたが、あまり効果なさそうでした。
さて、今回はまずソフトクリームを食べて、それから商品を見ていたら、紙製の組み立て式収納が激安になっていて、それを4つほど黄色いバッグに入れたらもう重くてそれ以上は何も買えなくなってしまいました。椅子とかテーブルとか買いたかったのだけど。
イケアは軽くすることを考えていない、とどこかに書いてあったけど、グラスやカップも手に持つと重いです。ニトリなどでは軽い食器を売っているのに。スウェーデンとはいっても、やっぱり欧米型のでかい重いは避けられない感じです。

ところで、イケアは実は1974年に一度日本に進出したものの、当時はあまり受けず、12年で撤退してしまったのだそうです。私はこの74年には最初に出店した船橋市の隣に住んでいたのだけど(しかもそのイケアは市境またいですぐそこってくらいの距離だった)、イケアなんて聞いたこともなかったです。まあ、学生には用がない店だけど、そんな近くにそんなものができていたのにまったく知りませんでした。
そして10年前の2006年、イケアが再び日本進出。最初と同じ船橋市に1号店ができたのが始まりとか。その船橋のイケアはイケア船橋からイケアトーキョーベイに名前が変わるのだと。東京ディズニーランドといい、千葉県の県名の存在感のなさといったら(あ、チバットマンがいたか)。まあ、遠方の人は神奈川県ではわからないので、神奈川県民は横浜じゃなくても横浜って言っておくとかいう話を聞いたことはありますけどね。遠方の人は首都圏のことを東京というので、神奈川県のことを横浜でもま、いっかってところでしょう。一方、ださいたまの埼玉は逆に有名じゃないのかなあ。埼玉新都心とか、けっこう県名顕示してますね。浦和も大宮もさいたま市になったしなあ。
そのイケアトーキョーベイも一度行ってみたいです。

イケアといえば、ヒトラーが現代にタイムスリップするというブラックコメディ、「帰ってきたヒトラー」という映画の試写を見たのですが、その中で、ネオナチの若者たちと会ったヒトラーが、「あいつらはイケアの家具も作れない」というセリフを言うのですが、これって、イケアの家具職人にもなれない、という意味なのか、それとも、イケアの家具を買ってきても自分で組み立てられないという意味なのか。最初は前者の意味かと思ったけど、だんだん、後者かもしれないと思えてきました。
ちなみに、イケアはヒトラーが死ぬ少し前に誕生していますが、当時はスウェーデンの小さな企業だったはずなので、ヒトラーは現代に来てイケアを知ったということですね。
この映画、ヒトラーを演じる俳優が背が高すぎるのが違和感ありますが、なかなか面白かったです。ドイツの現代事情を知っているともっと面白そう。

2016年4月20日水曜日

ライ麦畑

団地の小さな公園の藤棚が満開だった。

ここは以前はよく通ったが、しばらく通ってなかったので、運がよかった。

藤棚といえば、去年の4月、江ノ島で見たみごとな藤棚を思い出す。あのときはまだ引越のことなど考えておらず、のんきにすごしていた。思い立って出かけた江ノ島で生シラスと釜揚げシラスのハーフ丼を食べた。また行きたいけど、江ノ島は遠くなった。

いつもの自然公園へ。ここへ行くとなんだかここだけで十分と思ってしまう。アゲハチョウが2羽。

公園の農業紹介地区にライ麦が植えられていたので、どうなるのか楽しみにしていたが、左手前がライ麦。その奥が大麦。手前にアイリスが咲いている。

生まれて初めて見るライ麦畑。大麦が腰の高さなのに対し、ライ麦は私より背が高い。下はライ麦畑の前に立って撮った写真。向こう側が見えない。

誰かさんと誰かさんがライ麦畑、チュチュチュチュしている、というのがよくわかった。
ライ麦畑にキャッチャーが必要なことも。ライ麦畑の向こうが断崖絶壁でも、これではわからない。
人生は、ライ麦畑の中に入ってしまうように、先が見えないということだったのか。
ライ麦の穂。

こちらは大麦の穂。

レンゲが咲いている。

翼を広げるアオサギ。この日は2羽のアオサギが同時に見えた。

もう1羽はこちらで翼を広げている。

右奥と、左手前にアオサギ。

2016年4月17日日曜日

「ルーム」@日曜のシネコン

私のイチオシ映画「フランク」の監督の新作「ルーム」をそろそろ見に行かなければと思ったが、比較的近くの松竹系のシネコンではやっていない。東宝のシネコンはどこも遠く、結局、以前行った日本橋のシネコンを予約。が、当日は暴風雨で電車が遅れ、少しあせった。以前は地下鉄オンリーだったけれど、今は地上を走るJRなので、天候の影響が大きい。
「ルーム」は脚本も書いた原作者の作品という感じで、「フランク」のような変わった映画の監督の個性は感じられなかったが、監禁部屋で生まれ、外の世界を知らず、母親以外の人間と話をしたことのない5歳の少年の見た世界として面白い。
母親である若い女性は少年を絶対に監禁の犯人に会わせない。犯人を父親として認めたくないからだ。また、犯人が少年に父らしい感情を抱いたり(実際、ラジコンのプレゼントを差し入れする)、少年が犯人を父と思ったりするのを徹底的に排除している。17歳で誘拐され監禁された女性にとって、少年は犯人とは無縁の自分だけの子供であり、その息子を生きがいとしてなんとか生き抜いている。
犯人は実は住宅街に住んでいて、納屋を改造して外に音が漏れない部屋を作っているようだ。また、部屋の鍵も番号式で、番号は犯人しか知らない。そんなわけで、息子をいつまでもこの狭い世界にいさせるわけにはいかない、外の世界に行かせたいと思った女性はついに脱出を決意。が、その方法というのが息子が死んだことにして、敷物にくるんで、男に死体を外に持ち出すように言う、というのだけど、これはけっこう危険な方法のような気がしたが、それ以外に方法はないようだった(そのくらい、男が周到に準備して誘拐したので、しかも、男は最近失業して金がないようなので、今脱出しないとこれからどうなるかわからないということもあったのだろう)。
とにかく脱出に成功。男は逮捕されるが、母子の苦難はそれからも続く。
監禁されていた7年間の間に、女性の両親は離婚して、母は再婚していた。救い出された娘と孫を見て、母親は無条件で孫を受け入れるが、父親は孫が犯人の息子だと思うと顔を見ることができない。救いは母親の再婚相手で、子供を扱うのがうまく、義理の孫と打ち解けるようになる。
一方、マスコミの対応は日本とは違って遠慮がなく、マスコミ対応にお金がかかるので女性にテレビ出演を持ちかけるとか、日本ではちょっとありえない。その収録で女性はひどいことを言われる。子供が生まれたときに、犯人に、病院の前に置いていってくれと言えばよかったのに、自分のために子供を手元に置いた、みたいなことを言われ、女性は自殺未遂を起こす。
全般に、子供に対するケアはあるのに女性に対するケアがないと感じるが、救出されたときにはすでに成人とはいえ、相当なケアが必要なのにテレビに出すとか、ちょっと非常識だ。
そうしたなかで5歳の少年が成長し、母親以外の大人ともつきあえるようになり、やがて同世代の友達もできる。母親の力になろうとさえ思うようになる。この少年の健気さと成長が救いになる。
舞台はアメリカだが、アイルランドとカナダの映画で、おもにカナダで撮影されたようだ。そのあたりの根っこがどこかわからない感じが、少し不満が残る。

2016年4月14日木曜日

「エクス・マキナ」(ネタバレ大有り、読んだら危険)

アカデミー賞脚本賞候補、視覚効果賞受賞の「エクス・マキナ」を見てきた。
これ、SFものに強い人だったらあまり驚かないというか、既視感ありすぎな話なのだが、SFに詳しくない人には予想のつかない展開かもしれないし、そうでなくても事前にネタバレを見ない方が絶対にいい映画なので、映画を見るつもりの人は事前に読まない方がいいと思うが、一応、見て感じたところを書いておこうと思う。以下、さしさわりのない人だけ、読んでください。なお、ネタバレ部分は色を変えます。

2016年4月13日水曜日

アオサギの飛翔

久々にすっきりした青空が広がった火曜日。
チューリップ。赤白黄色の歌どおり。

もうこんなのが咲いている。

痛そうなカラタチ。

レンゲも咲いてきた。

アオサギ。

こういう格好をしているときは 飛び立とうとしているのだということがわかってきた。

飛びました。

飛んでいる鳥はうまく撮れないのだけれど、今回はわりとよく撮れた。

このあと、カメラが壊れた。おととしに修理に出したとき、また壊れたらもう修理できないと言われたので、もうだめかな、と思ったけれど、帰宅してさっきいじっていたら直った。同じ症状が去年から出ていて、何度かいじると直ったのだけど、今回は上の場所で何度いじってもだめだったのだ。
だから、さっき直ってもまただめかもしれない。次は10万円くらいのを買うことになりそうだけど、きついな。郊外に引っ越して家賃は安くなり、そのかわり交通費がかかるようになったけれど、それでも去年の7月まで住んでいたマンションに比べたら2万円くらい節約になっているはずなのに、なぜか去年と変わっていない。ほとんど使っていないSurface3の分割払いと通信費が8000円くらいなのだが、あと12000円何に使っているのだろう。そういえば、以前は帰りにコンビニで軽く買い物して帰るだけだったのに、今は駅前に大きなスーパーがあって、いろいろなものを安く売っているから、ついつい買ってしまうのだ。この日もスター・ウォーズのハンドタオルが1枚200円の投げ売りになっていたから同じ絵柄のを2枚買ってしまった。こんなふうにしてお金が出ていってしまうのだ。でも、500円のフェイスタオルは買うのを我慢した。つか、あのスーパー、スター・ウォーズのグッズはあまり売れてなかったような気がする。

2016年4月11日月曜日

カラタチ

カラタチのトゲは痛いよ、という歌がありますが、たしかに痛そう。

カラタチの林。間を通る気になれない。

ここは日本タンポポが多いが、西洋タンポポもあるので、心配。綿毛になったばかりのタンポポは初めて見た。

ソメイヨシノが散る頃に咲き始める別種の桜たち。

ここから場所変わります。かなり散ってしまったソメイヨシノをバックに緑の桜。


八重桜は花盛り。

またまた場所変わります。葉桜になりつつある夜桜。

今年は花見のピーク時が天気が悪く、晴れてもきれいな青空が広がらない花曇りの多い日々でした。

2016年4月8日金曜日

「世界征服のススメ」(ネタバレ大有り)

最近このブログのページビューが激減しているのですが、どこかのセキュリティソフトに有害サイト認定されてしまったのでしょうか?
いやいや、単に興味を持たれなくなっただけでしょ? ならいいんですけどね。

というところで、マイケル・ムーアの新作「世界征服のススメ」。
第二次世界大戦のあと、まったく戦争に勝てなくなったアメリカ。じゃあ、マイケル・ムーアが世界の国々を侵略してアメリカの役に立つものを奪ってきましょう、という設定で、ムーアがおもにヨーロッパの国々をまわります。
有給休暇の多いイタリア、小学校の給食がすばらしいフランス、大学の学費が無料のスロベニア、ホロコーストの過去を忘れないよう努めるドイツ、女性が活躍するアイスランド、北アフリカのチュニジアなどをムーアが訪問、アメリカにないよいものを持ち帰るというストーリーです。
見ているうちに、だんだん、これはアメリカの話じゃなくて日本の話じゃないの?と思えてくるから怖い。
アメリカには有給休暇や出産休暇が法律で定められていない、だからそういう休暇を出すかどうかは会社しだい、というのは知りませんでしたが、日本は定められているけど取りにくいという点ではアメリカに近いのではないかと思いました。
授業料がただのスロベニアの大学には、学費が払えずアメリカの大学を退学したアメリカ人が多く学んでいるようです。授業も英語が多いとか。そして、スロベニアが授業料を有料にしようとしたら、大学生のデモが起き、撤回させたとか、他の国も大学の授業料を上げようとしたら学生がデモ。それに対し、授業料が高く、学生ローン(日本では奨学金と呼ばれているものと同じ)を背負っている学生が多いアメリカでは、学生がデモもしないで芝生に寝そべっているシーンが。
大学の授業料の高さと学生ローン(日本での別名・奨学金)の問題は日本でも深刻になっていますが、こういうところがアメリカと日本は同じに見えてきます。
イタリアの有給休暇にしても、労働者の闘いが過去にあったわけで、ヨーロッパの国が何もせずによいものを手に入れているわけではないことをムーアは押さえています。映画の後半は女性の活躍する国を訪れますが、そこでも女性たちの闘いが過去にあって、今があるということが強調されています。
このほか、フィンランドの学力の高さも考えさせられます。フィンランドでは宿題を出さない、授業料を取ることを認めない(だから私立が少なく、金持ちの子供も普通の公立へ行くので、いろいろな階層の人々を知ることができる)、勉強ばかりしていないで遊ばないとだめ、ということで、勉強漬けでもない。なのに学力は非常に高い。
フィンランドでは統一テストがなく、学校の偏差値とか順位もないそうです。子供にとって一番いい学校は近くにある学校で、どの学校も同じレベルなのだとフィンランドの先生たちは言います。そして、アメリカは教育がビジネスになっているという指摘。うーん、これも日本に当てはまる。統一テストして偏差値や順位をつけて、競争を煽って、そこで儲けている教育産業が確かにあるのです。
とまあ、ムーアはアメリカにないものを探しに出かけたのですが、実はこれらの国が実施しているよいことはアメリカ発祥なのだと言われます。
そうか、アメリカにないすばらしいものを探しに行ったら、それはみんなもとはアメリカにあったものだったのだ、とムーア。普通だったらそこで「青い鳥」が出てくるところですが、そこはアメリカ、あのMGMの映画「オズの魔法使」が出てきて、「やっぱりおうちが一番」で幕となります。
エンドクレジットでは、「アニーよ、銃をとれ」の「Anything You Can Do I Can Do Better」。映画のベティ・ハットンではなく、舞台のエセル・マーマンの歌で。「Yes, You Can」のオバマが頭に浮かびますが、やればできる、というムーアの主張です。
ムーアにしては楽しめる、希望が持てる、ポジティヴな映画ですが、やっぱり考えてしまうのは、日本はアメリカの悪いところばかり入れているんじゃないかということ。ほんと、この映画のアメリカを日本に置き換えても通っちゃうものね。
フィンランドの教育については日本でも本がいろいろ出て話題になっているし、ドイツのホロコーストを忘れない活動が日本ではなくアメリカと比べられているのも新鮮。アメリカも自国の悪いところあまり反省してないらしい。
もちろん、これらの国のも問題はあるわけで、いいところばかり見せているという批判は当然あります。また、警官が銃を持たず、刑務所が開放的なノルウェーで大量殺人事件が起こってしまったというエピソードは、全体的に楽観的なこの映画の中では異色というか苦い味を残します(それでもノルウェーの今のやり方を貫くと登場する人々は言っているのですが)。
ベルリンの壁が壊されるなんて、マンデラが釈放されて大統領になるなんて、想像もしなかった、だから世の中は変わるんだ、という思いは、確かにそれを見てきた人には実感できるものです。どうやって変えるか、それがむずかしいんだけど。

2016年4月6日水曜日

借りてきた本

今日というか、火曜日に借りてきた本。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0-%E9%99%B8%E4%BA%95-%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4480855610/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1459872603&sr=1-1&keywords=%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0

「トランボ」を見て、マッカーシズムについての本を探していたら、この本に行き当たりました。
アマゾンのサイトを見てわかるように、すでに絶版。
こういうときに頼りになるのは図書館です。
早速あちこちの図書館を検索。
昨年秋まで住んでいた某区の図書館はまだ使えるので、まずそこを検索。
あった。ただ、目白だった。遠い。
次は、近所にある県立図書館。ここは理系の専門書や文学全集、そして洋書がある通好みの図書館。そのかわり、普通の図書館にあるような文庫や新書、単行本はない。そこを検索。
あった! さすが県立図書館。
早速登録して借りてきました。
著者は第二次大戦終戦直後からマッカーシズムについて調べている人で、年季が違う。洋書の参考文献もばっちり出ているので、今後の参考になります。出版は1990年なので、それまでの資料だけれど。
この本ではトランボは大きく扱っていませんが、ハメットやヘルマンなど、映画界以外の人も大きく扱っています。
まだ読み始めたばかりですが、非米活動委員会は1930年代からあって、その頃は人種差別主義者や白人至上主義者、親ナチなどが集まるトンデモ集団だったので、批判されたり揶揄されたりしていたのが、戦後の冷戦の時代になって反共のもと、力を得てしまった過程が興味深いというか、ナチスの台頭になぞらえる人もいて、いろいろ考えさせられます。
スペイン内戦でフランコ政権に反対する共和制派を支持したから共産主義者とか、反ナチだから共産主義者とか、トンデモだわ。
もともと人種差別主義でナチのシンパで反ニューディール政策の連中が非米活動委員会って、こいつらの方がよっぽど非米活動してるだろ、という感じですが、同じような状況が日本でも起こっているのでやはり考えさせられます(ため息)。

今のところに引っ越して、通勤や試写通いが時間がかかって大変になったけど、図書館環境はとても恵まれていることがわかりました。最近、あまり勉強していなかったので、よい機会になりそうです。

2016年4月5日火曜日

「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」

ダルトン・トランボの伝記映画「トランボ」を見てきた。
トランボといえば優れた脚本家で、アメリカが共産主義にかかわった人々を弾圧したマッカーシズムの時代に非米活動委員会のブラックリストに載せられた最初のハリウッド映画人、ハリウッド・テンの1人。ハリウッドで仕事ができなくなったあとも偽名で脚本を書き続け、「ローマの休日」と「黒い牡牛」がアカデミー賞を受賞、本人は名乗り出ることができなかったが、やがて「スパルタカス」と「栄光への脱出」で完全復活、のちに2つのオスカーも正式に彼のものになる。また、小説「ジョニーは戦場へ行った」の作者であり、自ら監督して映画化した。
マッカーシズムを題材にした映画はこれまでもいくつか作られているが、題材が題材なのでどうしても悲壮感漂うものが多い(というか、全部そうかも)。が、この「トランボ」は悲壮感がまるでなく、悲運に見舞われてもしたたかに生きる主人公の強さと明るさと人間臭さがなんとも魅力的。演じるブライアン・クランストンはこれでアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが、ディカプリオの年じゃなかったら彼が受賞したかも、と思わせる。
映画はマッカーシズムがハリウッドにも影響を及ぼしてきた1947年から始まる。ハリウッドにはマッカーシズムに同調する者と、そうでない者がいたが、トランボたちがブラックリストに載せられ、公聴会での証言を拒否して投獄されるあたりからしだいにハリウッド全体がマッカーシズムに傾いていく。トランボたちに味方していたエドワード・G・ロビンソンも仕事欲しさに彼らを裏切る。一方、ジョン・ウェインやコラムニストのヘッダ・ホッパーらは積極的にマッカーシズムを支持し、意に沿わない者たちを追い詰める。
という具合に、悲壮感たっぷりな話なのだが、なぜか暗い感じがしない。
優れた脚本家であるトランボが投獄されるシーンには多少の悲壮感があるが、1年後にシャバへ出てきてからはとにかく精力的に仕事をする。ブラックリスト入りしているので本名では仕事はできないが、B級映画の製作会社で偽名で、格安のギャラで次から次へと脚本を書く。同じように干されている仲間の脚本家にも仕事をまわす。いくつもの偽名を使い、不眠不休で書き続け、妻や子供たちにも電話の応対や脚本を届けるなどの仕事をさせる。
とにかくエネルギッシュなのである。バスタブにつかり、薬と酒をあおりながら書き続ける。妻や子の都合も考えないので、ついに妻や子がキレたりするが、それでも家族の絆は固い。家族でモメてても全然悲壮感がないのだ。
悲壮感がないと言えば、トランボは投獄される前に「ローマの休日」の脚本を友人のイアン・マクラレン・ハンターに託し、アカデミー賞をハンターが受賞することになるが、そのときも素直に喜んでいて、あまり悲壮感がない。「黒い牡牛」はまったくの偽名で脚本を書き、それがオスカー受賞したときも素直に喜んでいて、オスカーを手にできないことの悲壮感があまりない。
「ローマの休日」のオスカーはトランボの死後に正式にトランボのものとされたが、そのとき、ハンターの息子がオスカーを返さないとか、確かそういうトラブルがあったと聞いているが、この映画ではハンター自身がトランボにオスカー像を渡そうとするが、トランボは断るというシーンがある。ハンターもその後ブラックリスト入りさせられてしまったそうだが、ハンターはトランボの栄誉を盗んだのではなく、親友であり同志だったのだなとわかった。
トランボは共産党員なのだが、共産主義者のイメージとは程遠い人物だ。ガチな共産主義者の友人も登場するが、トランボは脚本家として成功してブルジョワの生活をしているし、資本主義を否定していないが、ただ、弱者救済とかそういうところでは共産主義的な主張をする人なのだろう、ということが娘との会話でわかる。
刑務所から出たあと、トランボ一家は周囲から嫌がらせを受けたり、子供が苦労したりしたようだが、そういった暗い面や深刻な面はさりげなく知らせるだけになっている。このあたりも悲壮感がない。
トランボを悲劇のヒーローとして描かず、転んでもただでは起きないタフガイとして、家族を愛しているが困った親父でもある人間臭い男として描いているのがいい。マッカーシズムの被害者たちの中には自殺したり家族離散したりと悲しい運命をたどった人が少なくないと聞いている(最後のクレジットにもそう書かれている)。そんな中でトランボは才能とバイタリティで生き抜いたサバイバーであり、成功者だった。それは少ない例の1つなのかもしれないが、悲惨な時代にも生き残れる、悲惨な時代を終わらせることはできる、という希望を与えてくれる。
脇役ではジョン・グッドマン演じるB級映画会社の社長がとてもいい。金と女にしか興味がない、ヤクザっぽい男だが、こういう人物がトランボのような人を救うというのが面白いのだ。
ヘッダ・ホッパー役のヘレン・ミレンも、本来なら感じ悪い女だろうホッパーを三枚目的な魅力で演じていてすばらしい。
トランボを復活させたカーク・ダグラスやオットー・プレミンジャーも登場するが、この2人も面白い。
悲壮感がないのはたぶん、トランボも含め、人物がどこかコミカルに描かれているからだろう。マッカーシズムをコミカルに描くことができる時代になったということなのだと思う(これまではコミカルに描けなかったから悲壮だったのだ)。
前にちょっと書いた「ヘイル・シーザー」と合わせて見ると面白いかもしれない。というか、「トランボ」を見て、「ヘイル・シーザー」を見ると、「ヘイル・シーザー」がわかるんじゃないかな。映画としては「トランボ」の方が断然いいと思うけど。

2016年4月4日月曜日

久々、商業誌に映画評

久々に商業誌に映画評を書きました。
この前の「の・ようなもの のようなもの」ガイドブックでは極私的エッセイで、映画評ではなかったので、おととしの暮れの「天国は、ほんとうにある」プログラムの作品評以来となります。
作品は、このブログでも書いた「スポットライト」。
ブログではとりあえずの紹介みたいな感じでしたが、こちらではもっと詳しく書いています。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E6%97%AC%E5%A0%B1-2016%E5%B9%B44%E6%9C%88%E4%B8%8B%E6%97%AC-No-1714/dp/B01D1TP5Z6/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1459779790&sr=1-1&keywords=%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E6%97%AC%E5%A0%B1

2016年4月3日日曜日

3 Types of Hanami

昨年9月、団地の部屋を契約したとき、担当者から、春には団地の前の桜並木がみごとですよ、と言われたので楽しみにしていた。
が、よく見ると、その通りは大型車も通るせいか、桜の木は枝が切られていて、これでは桜はショボイだろうと思った。まだ若い細い木も多い。
そしてついに訪れた桜祭り。この土日、朝から花火だか爆竹だかが盛大に鳴り、3キロにわたって通りが歩行者天国になり、その沿道には屋台の数々、食べ物屋だけでなく金魚すくいとか射的とか、とにかくすごい数。そして、訪れる人の数が半端ない。駅に電車が来るとどっと人が降りてくる。2車線の通りは人でいっぱい。ただ、宴会はしてないのでお酒のにおいはなく、酔っ払いもいないのできわめて健全。ファミリーやカップルや友達グループが多い。
しかし、桜は、上に書いたように、ショボイです。場所によってはみごとな桜もあるけど。昔はきっと桜のトンネルがえんえんと続いていたのかもしれないなあ。
そして訪れた人たちは桜も見てはいるのですが、目的はどうも食べ物にあるよう。神社のお祭りの縁日とか、そういう雰囲気。
これまで花見は上野公園のような宴会型か、宴会禁止の鑑賞型しか知らなかったので、こういう縁日型は初めてだった。
とにかく人が多いので、地元の桜祭りは土曜にあまり混んでいないところを少し見る程度にして、日曜は毎年行っていた上野公園へ。いや、こっちもすごく混んでるんだけど、さすがに毎年行っていて勝手知ったる自分の家のようなところがあるので、同じ混んでいてもこっちの方が動きやすい。ただ、外国人がすごく増えていて、あちこちでいろいろな外国語が飛び交っていた。

というわけで、土日に見てきた花見の3つのタイプ。
1 宴会型。
2 縁日型。
3 鑑賞型。

1 宴会型の王者はやはり上野公園。もしも上野公園が宴会禁止になったら暴動が起こるだろうと思った。

天気が悪い上、夕方なので、薄墨の桜になってしまった。この下の両側が大宴会中。その間を大勢の人が歩いていく。

そして、上野公園の不忍池弁財天は縁日型だった。これ見たらとても下に降りていく気にはならない。

2 縁日型の地元の桜並木。ここは比較的桜がみごと。

上は歩行者天国だが、途中から歩行者天国でなくなる。下は車が走っているけど、ここは桜がきれい。ただ、こちらも天気が悪くて薄墨の桜。

3 鑑賞型は有名どころがいろいろあるけれど、かつては宴会型だったのが鑑賞型になった谷中霊園(写真は先週半ばのもの)。以前はこの道の両側にブルーシートが敷かれ、上野公園のような宴会場になっていたが、参加者のマナーがあまりに悪く、地元から苦情が殺到、墓地にもふさわしくないので、数年前から宴会禁止に。今は歩いて桜を眺める場所になっている。