「ワンダーウーマン」について、ドイツ兵が虫けらのように殺されるのはやはり気になった。
ハリウッド映画はかつては西部劇でアメリカ先住民を虫けらのように殺し、先住民はだめだとなるとメキシコ人を殺し、それもだめだとなると、という具合に次々と虫けらのように殺していい人々を探しているようにも見える。
見ていないのだけど、「ハクソーリッジ」では日本兵がその役割になっているらしい。
「ハクソーリッジ」については、民間人の犠牲が大きかったのにそれがまったく描かれていない、という指摘もあるが、沖縄に関してはアメリカ対日本のような単純な図式ではくくれない。日本軍が沖縄の人を大量に死なせたという事実がある。そういった事情があるので、ハリウッド映画ではそれが限界ということになるのだろう。
「ワンダーウーマン」の場合、第一次世界大戦のドイツ軍にはユダヤ系ドイツ人の兵士がいたはずなので、ダイアナたちが虫けらのように殺すドイツ兵の中には必ずユダヤ系ドイツ人がいたと思われる。ナチスドイツの時代と違って、第一次大戦ではユダヤ系も他のドイツ人とともに戦ったのだ。
第一次大戦では非があったのはドイツで、また、ドイツは毒ガス兵器を大規模使用した最初の国なので、その点で悪役にされてもしかたないところはあるが、ナチスドイツのような徹底的な悪役にはならない。
映画では悪に侵されているのはドイツ人だけではない、というせりふもあるし、ダイアナの仲間にアメリカ先住民がいて、イギリスなどから来た白人に家族が殺されたことを話すシーンもある。仲間にアラブ人がいるのもそのあたりの配慮だろう。
だからダイアナを演じるガドットがイスラエル人だからドイツ兵を殺していいという理屈は成り立たないし、実際、ダイアナはドイツ兵に攻撃されているから戦うので、これは戦闘だからということでご勘弁、で基本よいとは思う。
ドイツ軍も将軍たちは和平交渉を模索しているのに、1人の狂気の将軍が和平を拒み、和平交渉をしようとする将軍たちを皆殺しにしてしまう。なんだか「日本のいちばん長い日」のようだ。
そんなわけでドイツ人=悪というわけではないのだけれど、でも、結局、これは一部の人間だけが悪い、ということになり、ダイアナが信じていた悪の軍神さえ倒せば、みたいなところへ行ってしまい、善も悪もあるというテーマとは自己矛盾に陥っているわけだ。
とまあ、そういう欠点があるのは確かだけど、ダイアナの一途な思いと、スティーヴとの愛の描写のすばらしさはやはり感動的。
女性監督ということでフェミニズムを期待した向きもあるようだけど、この映画は特にフェミニズムではない。むしろ、フェミニズムを通過したあとの余裕が感じられる。