2017年8月18日金曜日

「ル・コルビュジエとアイリーン」+1(ネタバレ大あり)

木曜は「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」の試写へ。
上野の国立西洋美術館が世界遺産になったことで一般にも多少は知られるようになったフランスの建築家ル・コルビュジエ。そのル・コルビュジエが理想とする建築を自分が実現する前にやってしまった女性建築家アイリーン・グレイの物語。
実は私もル・コルビュジエの名を知ったのは西洋美術館が世界遺産になるとかならないとか言っていた頃で、今はもうない渋谷パンテオンの緞帳がル・コルビュジエのデザインとは知らなかった(今はヒカリエの中のシアターに縮小したレプリカがあるという)。
去年だったか、図書館で「ル・コルビュジエを遠く離れて」と題した建築についての本を借りて読んで、そこではル・コルビュジエについては西洋美術館設計のために日本を訪れたときの話くらいしか書いてなかったが、それでもそこに掲載された写真などから、どうもこの人変人みたい、キモイ男かも、と思った記憶がある。
映画ではヴァンサン・ペレーズがル・コルビュジエを演じていて、海パン一丁で歩き回る、やっぱりキモイ変人っぽい男に描かれている。
試写状にはル・コルビュジエが自分の理想の建築を実現したアイリーンに嫉妬する、というような解説があったので、ロダンとカミーユ・クローデルみたいな関係かな、と思ったら、アイリーンの方がル・コルビュジエより10歳近く年上で、彼が駆け出しの建築家のときに彼女はすでにインテリア・デザイナーとしての名声を得ていた。ル・コルビュジエの理想を実現できたのも彼女の方に余裕があったからだろう。
アイリーンは最初、レズビアンのように描かれているが、その後、建築評論家のジャン・バドヴィッチと恋仲になり、彼にすすめられて建築を学び、ル・コルビュジエの理想を実現した家を作る。が、バドヴィッチはその家の特集雑誌にアイリーンの名前を出さず、家も彼が所有し、ル・コルビュジエの作品のように紹介してしまう。
映画はアイリーンとバドヴィッチの関係をル・コルビュジエがクールに観察するようなモノローグを時々入れている。ル・コルビュジエとバドヴィッチは同じ女性を愛人にしたりしているが、ル・コルビュジエのアイリーンへの思いは男女の愛憎ではなく芸術家としての愛憎のようだ。
その後、建築の巨匠となったル・コルビュジエはアイリーンの作った家の白い壁にエロチックな壁画を描いてしまう。所有者であるバドヴィッチの許可を得てやったことだが、アイリーンは当然激怒。しかし裁判には持ち込まず、そのまま第二次世界大戦が始まり、といった具合に話は進む。
ル・コルビュジエの壁画はピカソっぽい絵なのだが、プレスシートの解説によると彼は以前から壁画をあちこちで描いていて、これもその延長でやったような感じなのだが、同時にアイリーンの作った家に壁画を描くことでこの家を完全に自分のものにしようとした感じもある。映画では持ち主のバドヴィッチが死去したとき、この家を自分のものにしようと躍起になるル・コルビュジエが描かれる。
ル・コルビュジエとアイリーンの建築に関する考え方の違い、彼は家は機械のようなものだと言い、彼女は家は人を守る殻だと言う。アイリーンは家は周囲の環境との調和が必要であり、人の暮らしとの結びつきを強調するが、ル・コルビュジエは家を単独の芸術作品と考えているようだ(映画ではそう描かれている気がする)。
アイリーンの作った家は白を基調とするシンプルな建物で、なんだか無印良品を愛する女性が好みそうな家だ。それにカラフルでエロチックな壁画を描いてやりたいと思うル・コルビュジエは、無印良品のような世界に反発する人のようで、私は少し共感するが、同時に、もしも映画「摩天楼」のゲーリー・クーパーがアイリーンだったら、ル・コルビュジエが壁画を描いた家をダイナマイトで吹き飛ばしたに違いないと思う(アイリーンが友人から爆破しろと言われるシーンもある)。
実際には家はル・コルビュジエが知り合いの女性に買い取らせ、彼はその家の近くの海で亡くなる。アイリーンが亡くなるのはそれからさらに10年以上先。
プレスの解説によると、ル・コルビュジエはアイリーンの建てた家を愛し、守ったとのことだが、ル・コルビュジエのコンセプトに従って家を建てたアイリーンと、その家をわがものにしたがったル・コルビュジエの関係がなかなかに興味深い(映画ではその辺、イマイチ描写不足の感があるが)。
映画の原題は「欲望の値段」。冒頭、アイリーンのデザインした椅子がオークションにかけられるシーンがあり、大変な金額で落札される。その間、えんえんと映画のスポンサーと思われる企業名が画面中央に字幕で登場し、いったいいつまで続くの、これ、と思っていると、オークションが終わった後、莫大な金額で競り落とした女性がそのことについて聞かれ、「欲望の値段よ」と答える。
そしてタイトル、「The Price of Desire」。
Priceは値段であると同時に代償でもある。
アイリーンの建てた家をわがものにしたいというル・コルビュジエの欲望の代償、アイリーンの椅子を手に入れたい人の欲望の値段、そして、映画という金のかかるものを作ろうという欲望の値段と代償。企業名をえんえんと見せられてうんざりした冒頭だが、最後にはその意味がよくわかった。
(なお、ル・コルビュジエとアイリーンが実際にどのように考えていたのかはわからない。映画の作り手の想像の部分も多いように思う。)

さて、木曜になると「君の名は。」が見たくなるというか、先週は木金と川崎チネチッタへ行ったのだけど、今週も試写のあと、キネマ旬報シアターへ行ってしまった。
今週は「君の名は。」は夜9時からのレイトで、日曜と月曜も新海誠特集でレイトショーを見たので、ここのレイトに慣れてしまった。ここはレイトショーは午後7時から適用で、一般1300円。が、お客さんはやはり少ない。それでも「君の名は。」は10人以上いたように思う。
川崎チネチッタのライヴザウンドだと蝉の声や虫の音、背景の人の声がはっきりと聞こえるが、今回は通常音声なのでそういうのはあまり聞こえない。でも、そういう音が入っているのだと意識が芽生えたせいか、今回はそういう音に少し注意して見ていた。あと、レイトだと人少ないので落ち着いて見られる。来週は夕方の上映で、いよいよ来週でおしまい。また行くかな?

追記
ネットにあがっている新海誠のアマチュア時代の短編「彼女と彼女の猫」にはまっています。
チョビという猫にミミという子猫のガールフレンドができるシーンが特に好きで、このミミが「ケッコンして」とか「またあいにきてね」とか、かわいい。
チョビとミミの続編を作ってほしい!と思ってしまいます(いまさら無理だろうけど)。
追記2
ミミのせりふ、「また遊びにきてね」「絶対きてね」だったかな。これでチョビはミミが面倒になって会いに行かなくなるのか。