新しくできたTOHOシネマズ上野。1日と2日に「君の名は。」を見に行ったあと、3日の文化の日はアート系のアニメとして評価の高い「ゴッホ 最期の手紙」を見た。
1日と2日は平日なのでわりと閑散としていたが、3日はものすごい混雑。というか、休日のアメ横周辺の混雑はものすごい。上野駅に着いたときはまだよかったが、歩道橋から丸井の電光掲示板に気温29度の文字を見てまずびっくり。そして丸井から外に出るともう大混雑。前に進めないくらい。
それでもなんとか松坂屋そばにたどり着いたが、TOHOシネマズのエレベーターの入口に行列ができている。こりゃ大変だ、と思ったが、エレベーターは複数利用されていたので、わりとすぐに7階へ。が、このロビーが大混雑。ロビーでも前に進むのが大変。そして、「ゴッホ」開場します、のアナウンスで入口に行くと、なぜか「ゴッホ」じゃない人が何人も並んでいて、みんなはじかれていくのだ。
どうも、映画館慣れしていない人がたくさん来ているような感じ。
それよりも何よりも、ネットですでにわかっていたのだが、「ゴッホ」のようなアート系アニメになんでこんなに客が来るの、っていうくらい予約率が高い。確かに今、上野の東京都美術館でゴッホ展やっているのだが、お客さんがどうもゴッホって感じじゃないのだ(?)。配給にパルコがかかわっているようなので、下のパルコヤで優待券とか出していたのだろうか?(追記 「ゴッホ」は他の劇場でも満席かそれに近い状況だったらしい。ゴッホ好きが多いのに劇場の数が少ないのだろうか。)
実は隣町のシネコンでも「ゴッホ」やっているのだが、こちらは吹替版。それで字幕版の上野に来たのだけど、こんなに混むとは思わなかった。
「ゴッホ」は純粋に絵を楽しみたかったら字幕の出ない吹替版の方がいいかもしれない。絵の上に字幕が出て一部が見えない、イライラ、というシーンが多少はあった。
ただ、この映画は俳優が演じた実写の映像をもとにゴッホの絵のようなアニメにしているので、声は実際に演じている俳優のもの。なので、やはり俳優の声も聴きたい。ということで、字幕と吹替両方見るのがいいのかもしれない。
内容は、ゴッホの死後、ゴッホの最期の手紙を遺族に届けるためにゴッホが亡くなった地にやってきた青年が、ゴッホの死の真相を探るというもの。
果たしてゴッホは自殺だったのか、それとも?
というところで、ああ、思い出したわ、あれだ。
1991年にモーリス・ピアラが監督した「ヴァン・ゴッホ」という映画が2013年に日本公開されたときにプレスに書いてあったので知った話。
その映画を見たときの記事がこれですが、思いっきりネタバレしてますのでご注意。
https://sabreclub4.blogspot.jp/2013/07/blog-post_30.html
で、以下は上に書いたことと同じネタバレ、そしてこの映画のネタバレを含みます。
上の記事にあるように、2011年に、ゴッホの死因は実は少年たちが誤ってゴッホを銃で撃ってしまい、ゴッホは少年たちを守るために真相を告げなかったという説が現れた。
今回のアニメ「ゴッホ 最期の手紙」にもこの話は出てくる。
主人公の青年がゴッホの死に疑問を持ち、いろいろな人から話を聞く。そしてこの、少年たちに銃で撃たれた説が出てくる。
しかし、映画はさらに進んで、ゴッホの手当てをしたガシェ医師がゴッホの体内の弾を取り出そうとしなかったこと、そこから、ガシェ医師がゴッホの死にかかわっていたのではないかという疑問が出てくる。
ガシェはもともと画家志望だったが、才能がなく、医者になった人物で、ゴッホの才能を見抜くだけの目を持っていた。実際、ゴッホの模写も描いていたようだ。また、ゴッホの遺族とも親しかったらしい。映画は、本来は妻子のために使うべきお金を兄ゴッホのために使っていた弟テオが梅毒の末期で長く生きられない状態だったことをガシェが語り、テオのためにゴッホが死んだような印象になっている。実際、テオはゴッホの死後に亡くなっている。
最後に登場するゴッホの2つの手紙、1つは若い頃に書かれた手紙で、そこではゴッホは何ものでもない自分が絵を残すことについての抱負を語り、もう1つの最期の手紙では死について語っている。ゴッホの死は少年たちと、そしてテオとその家族を守るための犠牲的な死だったのか。
この映画のゴッホはとてもやさしい人のようで、狂気の芸術家のようなところがない。
映画におけるゴッホ像がいろいろと変わってきているのか、それが美術界での人間ゴッホに対する変化なのか。この辺、全然わからないし、映画の創作もあるかもしれないし、興味深いところではる。
映像は真相を探る青年の部分がゴッホの油絵のようなカラー、回想の部分がモノクロの映像になっている。どちらも美しい。