2019年2月28日木曜日

4K「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」そして海へ

今日28日で終了した午前十時の映画祭「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。TOHO市川での4K上映を水曜に見て見納めにしようと思っていたが、結局、最終日の木曜も行ってしまった。2日連続早起き。寝不足です。
今週はじめに日経新聞でとりあげられたそうで、そのせいかどうか知らないけど、水曜も木曜も客が増えていた。おかげでトイレに行く人をひんぱんに目にしたり、今日なんか上映中にビニール傘を持って場内をうろうろしている人がいたり、休憩と出て、でもまだ音楽が鳴ってるのにスタッフが入ってきて「駐車券について」とかでかい声でいうので余韻も何もない。まあ、エンドロールでは立つ人は少なく、余韻を味わえました(例のビニール傘持ってうろうろの人はエンドロールが始まるとすぐに立った)。
駐車券について、というのは、普通は3時間駐車料金無料だけど、「ワンス~」は4時間以上あるので5時間無料とのことです。
というわけで、2週間で通常上映1回、4Kを3回見たわけだけど、もう映画館では見られないかもしれないので、やはり悔いのないようにしておきたかった。
さすがにこれだけ続けて見ると、細かいところまでよくわかって、いろいろと感慨にふける。
少女デボラが少年ヌードルスに聖書の雅歌を引用しながら話すシーンは、私の恋人になりたければまともな人になって、というデボラの愛の告白でもある。その直後、マックスが迎えに来て、ヌードルスは一緒には行かないと言ってデボラのところに戻るつもりだったが、町を仕切るチンピラに襲われて、その結果、デボラから拒否されてしまう。
それからマックスたちと大金を稼ぐようになり、カバンにお金を入れて駅のロッカーに入れるとき、カバンの上に手を重ねていくのだが、ヌードルスは少しためらってから手をのせる。そして、マックスの言葉にみんなが「Agreed」と同意の言葉を言うときも、ヌードルスは少しためらってから言う。ここで犯罪の道に入ってしまうとデボラの恋人になれないという思いが彼をためらわせているのだな、と思った。
そして、そのあと、一番年下の少年がチンピラに殺されて、逆上して相手を刺殺した上、警官まで刺してしまい、おそらく12年くらいの刑になってしまったのではないかと思う(チンピラだけなら正当防衛的な部分もあるので、数年だったのでは?)。
このナイフを突き刺すシーンが、休憩前のデボラに対するレイプと重なる。怒りで自分を失ってしまったときのヌードルスで、刺すという行為がそっくりそのままレイプになっている。
ディレクターズ・カットで加わったシーンについての考え方も、何度も見ているうちに少し変わってきた。
デボラとデートに行く前の運転手との会話は、ヌードルスが犯罪や悪行を正当化する人間になっていることを示していて、これがレイプという行為の伏線にもなっている。
イヴと出会うシーンも、これがないとヌードルスとイヴの関係がどの程度のものなのかわからないが、このシーンでイヴが彼に同情し、同情が愛に変わり、ヌードルスと愛し合うようになったのだということがわかる。
「カッコーの巣の上で」のオスカー女優ルイズ・フレッチャーをわずかな出番で起用したのは、このシーンではデ・ニーロに匹敵する存在感を示せる女優が必要だったからだろう。フレッチャーの存在感はみごとだ。
ほかにもいろいろ考えたことがあるけれど、とりあえず、今はこのくらいで。

先週金曜に見に行ったとき、映画のあとで海へ行けばよかった、と思ったので、水曜は海へ行く予定でカメラを持って行った。
シネコンのある市川コルトンプラザの屋上。スカイツリーが見える。ニトリの文字が反転して映っているのは、背後にニトリがあるから。

電車で南船橋へ。東京湾の海と港。駅からけっこう歩きます。

鳥もいます。

遠くに停泊する船。

港から駅に戻り、今度は逆方向へ。海の水が入り込んだ谷津干潟。夕方が干潮であることを前もって調べておいた。今回はかなり干上がっている。

真ん中にコサギ。

コサギのまわりにいる鳥。

こちらはダイサギ。

水曜は曇りだったけれど、今日は雨だった。

2019年2月23日土曜日

「翔んで埼玉」

こういうおふざけ映画は好きなので、早速見てきました、「翔んで埼玉」。
亀有で見たのだけど、クライマックスで都内へ攻め込むシーンで「亀有」のテロップが。
前半では列車が走るシーンに「常磐線」のテロップで、ご当地ならではの笑いが起こる。
出てくる地名がギャグになっているのだけど、首都圏以外の人はどのくらい笑えるのかな。
一都三県全部住んだ私でも、所沢や春日部でなぜ笑いが起こるのかイマイチわからないし、川をはさんでの合戦にふなっしーが出ていたと言われても、ふなっしー自体をよく知らない。
でも、この合戦シーンではいろいろなのぼりが立っていて、何度も見るといろいろ発見がありそう。
内容は、現代の埼玉県熊谷市の家族が、娘の結納のために車で南に向かっていて、その間にカーラジオから聞こえてくる埼玉の昔話が映画内ドラマになるという構成。
そのラジオが埼玉のナック5なんだけど、ナック5って、昔は聞いたことあるような気がするけど、あまりよく知らない。
一方、田無とか与野とか、合併で消えてしまった市の名前が出てくる。浦和と大宮がけんかして、与野が仲裁に入ると「与野は黙ってろ」とか、あの辺の事情知らないとわからないよね。駅名は残っているのか。
神奈川県が東京都とグルになっているんだけど、その神奈川県が完全に横浜のことで、他の神奈川県ガン無視。
群馬は秘境として出てくるのですが、栃木と茨城は名前だけ。
最後の方に、埼玉県発祥の企業や商品がいろいろ出てきますが、これらすべてを映画のスポンサーにしてるのか、強い、と思った。映画の中でCMやってるようなもの。
同じ監督の「テルマエ・ロマエ」に比べるとスケールは小さいですが、「バリー・リンドン」のテーマ曲になったヘンデルのサラバンドを使って、「バリー・リンドン」などの歴史絵巻映画みたいな映像に仕立てていたり、いろいろなところで遊んでいて楽しい。衣装や美術もなかなかです。
亀有のシネコンは満席にはならなかったけれど、かなり入っていました。
都心では丸の内東映以外は狭いところでしかやらないので、上野や六本木は早々と売り切れ、錦糸町なども売り切れたようです。ご当地、埼玉県の映画館は軒並み売り切れや残りわずかになっていたようで、埼玉県民が見れないとか。千葉県もご当地になるので、こちらもけっこう入ったようです。
今日の入場者数は「アリータ」を超えて1位になるのは間違いなさそうで、でも、関東以外はあまり入ってないんじゃないかと思うと、関東だけでもこれだけのヒットにできるってのはまたすごいんじゃないかという気がします。都心に席が少ないということを考えると、首都圏郊外の勝利なのでしょうか。

2019年2月22日金曜日

4K「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

TOHO市川コルトンプラザは今日から「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ディレクターズカットが4Kによる上映。
先週の金曜も行ったけれど、これは行かねば。
というわけで、朝に弱い私が2週続けて金曜に午前10時開始の「ワンス・アポン~」を見に行った。
先週は久しぶり、ほんとうに久しぶりの映画館での上映、しかも完全版プラスアルファのディレクターズカットとあって、なつかしさで何度も泣きそうになったが、実は、画質が悪いのが気になっていた。まあ、35年も前だからね、しかたないね、と思っていたのだ。
が、しかし、今日見てきた4K版。もう最初から違う。画像くっきり、細部の質感、暗いシーンもよく見える。冒頭の阿片窟のシーンなんか暗いのに細部がよく見えてきれい。
なんで最初からこれをやってくれなかったの?
でも、1週間でもこれをやってくれてうれしい。というか、また見に行きたくなってしまう。

前回は市川で「ワンス・アポン~」見たあと錦糸町に移動して「女王陛下のお気に入り」を見るというハシゴをして、いろいろ問題があったので、今回は「ワンス~」のあとに「翔んで埼玉」をハシゴなんてことはいたしません。
同じ市川で1時間半後に始まるというよいスケジュールだったけど、ハシゴしたら余韻ぶち壊しだからね。「埼玉」は明日見ます。

で、今回は落ち着ける喫茶店で2時間くらいぼーっとしていたい、と前に書きましたが、シネコンの入っているコルトンプラザには喫茶店らしきものがない。しかたないので入口にあるマックのカウンターそばのテーブル席で外を眺めながら過ごしたけれど、わりと落ち着けて悪くなかった。
よく考えたら、海が近いのだから海へ行けばよかったのだな。ヌードルスたちのように。
ディレクターズカットで追加されたシーンの中では、車で海に突っ込んだ後、ヌードルスの姿が見えなくてマックスたちが探すシーンが一番好きだ。直前で、ヌードルスとマックスの間にちょっとしたいさかいがあり、無邪気な少年時代が失われてしまったと感じさせるシーンがあるが、そのあとのこのシーンではマックスたちが少年時代に戻ったように見える。
ヌードルスがイヴと初めて出会うシーン、結末近くのマックスとジミーのシーンも好きだ。
そのヌードルスとイヴが一夜をすごしたあと、イヴがデボラの名前で書いた置手紙が映るが、なぜか、私はずっと以前にその手紙の内容を知っていた記憶があるのだ。その手紙の部分はこのディレクターズカットで初めて加わったはずなのに、35年前、キネ旬で分析採録したときに、その手紙の文面を見たような気がするのだ。採録のための台本にあったのだろうか?

ほかにもいろいろ気づいたことがあって、35年後にファットモーに会いに来たヌードルスが「時計の鍵を返す」というシーン。ヌードルスたちは駅のロッカーの鍵を時計の鍵につけてモーに預けていて、ヌードルスは逃げるときにその鍵を持って駅に行き、カバンの中身が新聞紙に変わっていることを知り、そのまま逃亡する。だからモーの店の時計の鍵は彼が持って行ってしまっていたのだが、35年ぶりにモーが時計の鍵を回すと時計が動き出す=止まっていた時間が動き出すということだ。
鉄道の駅の外にあったバスの切符売り場が、35年後に訪れたらレンタカーの案内所に変わっているとか、時代の流れを感じさせるシーンがいくつもある。
そしてラストのヌードルスの大きな笑顔。そのときに流れる音楽はヌードルスとデボラの愛のテーマと呼ぶべき曲で、実はこの笑顔は、あのような別れ方をしたデボラが自分を思っていてくれたとわかった喜びの笑顔であるのかもしれない。この映画はヌードルスとデボラの愛の物語であり、同時に彼とマックスの「愛」の物語でもある。


さて、昨日は、MOVIX亀有での「ボヘミアン・ラプソディ」最大箱シアター10での上映最後の日だったので、月曜にも行ったけど、また見に行ってしまった。これで22回目。
今日からは2番目に大きい箱に移ったけれど、今週月曜から木曜は最大箱でやってくれていた。
月曜はちょっと近くの客が迷惑だったのと、私自身がいろいろ頭にあって集中できなかったので、リベンジのつもりでまた行ったら、今度はほぼベストの状態で見ることができた。音響も月曜より大きくなっていた。
というわけで、いつまでやるのか「ボヘミアン」、また最大箱でやることもあるのか亀有?

2019年2月21日木曜日

運もないし賭けにも負けた

例のベローチェのレシートでもらえる猫クリアファイル。9月の木登り猫が5枚も出てしまい、その後はレシート集めに専念していました。
15枚もらったうち5枚が9月。それでも12枚目までは9月以外はかぶっていなかったのが13枚目からは新しいものがまったく出なくなり、これはコンプリートは無理ではないかと。
ツイッターで検索すると、最初のうちはファイルもらったという喜びの声や、8枚もらってまだかぶりなしという幸運な人の声があふれていましたが、最近は同じものばかりが出るといった愚痴が多くなってきています。やはり同じものが何度も出る人が少なくないらしい。例の5枚も出た9月は他の人もかぶっているようで、どうも出やすい月とそうでない月がある模様。
ただ、2枚もらうと5月と6月みたいに続いて出るようなので、12枚もらえる分のレシートをためれば一気にコンプリートできるのではないか、とか、持ってない月の直前のが出たら、そのあとももらえば持っていない月が手に入るのではないか、とか思い、しばらくレシートをためてまとめてもらおうとしていました。
が、昨日、ベローチェで、まだ手に入っていない1月の直前の月である12月を手に入れた人がすぐそばにいたので、これはチャンスだ、すぐ行けば1月から4月が手に入るかも、と思い、たまっていたレシートを持ってレジへ。
持っていないのは1月、3月、4月の3枚。12月が出た人のすぐあとに4枚もらえば、うまくすればコンプリート、そうでなくても1枚か2枚は持っていないものがあるだろう、と期待に胸をふくらませ、帰宅して中を見たら、なんと、5月から8月の4か月だった。
1月から4月を他の人に取られたとは考えにくいので、1月から4月はなかったとしか思えない。
これまでは9月ばかり出るのは運が悪いと思っていましたが、今回は12月をもらった人を見て、ある意味、賭けに出て、4枚もらったのですが、この賭けには完全に負けてしまいました。
でも、1月から4月が最初からないのだとしたら、運がないわけではないし、賭けに負けたわけでもない。(ない店でもらったのは運がないし、ない店に賭けたのだから賭けに負けたともいえるが。)
もしも12枚分のレシートをためて、それを持っていっても、1月から4月がない店だったら、5月から12月で12枚、うち4枚はだぶることになります。
実際、今回は5月から8月の4か月分続けて出ているわけなので、並んで出るのは間違いない。ただ、1月から4月が抜けていた、としか思えない。
その店は以前にももらったことがありましたが、5月から9月の間のものでした。
そして、他のもらった店もチェックしてみると、1店舗あたりの枚数が少ないのでなんともいえませんが、5月から12月以外の月が出たのは某所の2店舗のみ。この2店舗ではどちらも2月が出ました。
1月から4月で今まで出たのは2月のみ。そして出たのが某所の至近距離にある2店舗。
まあ、なんとなく傾向が見えてきたような見えないような。
店による、のだったら、もう、どうしようもないですね。

仲間同士でかぶったのを交換し合ってコンプリートした人もいるようです。その一方で、ヤフオクにコンプリートのセットがいくつも出品されていて、コーヒー飲むよりここで買った方が早いという意見も。また、なんでこんなにセットが出品されているのか、という疑いも出ているようで、景品というのはこういうものなんだろうなあとも思います。

私の場合、最初の4枚で欲しい絵柄ベスト3(2月、7月、12月)が出そろってしまい、そこでやめた方が精神衛生上よかったと思うのですが、5枚目にダブリの9月が出て、それが悔しくて、集め始めてしまった感じ。9月が出ると次は新しいのが出るという具合に、9種類までは集まりましたが、その後はダブリしか出ないし、今回、もともと店にないのではないかという疑問も浮かんだので、そろそろやめどきかもしれません。

2019年2月19日火曜日

ベローチェで停電&「ボヘミアン・ラプソディ」21回目

久々「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行く。
一時はしょっちゅうリピートしていたけれど、さすがに最近はリピートしておらず、約3週間ぶり、21回目の「ボヘミアン」。場所は亀有。
亀有では長いこと「ボヘミアン」優遇で、最大箱のシアター10で上映していたが、さすがに年末からは新作に譲り、しだいに箱も小さくなっていたけれど、時々、思い出したように最大箱で上映してくれる。1月中旬にも最大箱になったときがあったが、そのときはさすがにこれが最後だろうと思って見に行った。
が、2月に入ってまたまた最大箱。月曜から木曜、1日1回午後の回とはいえ、ありがたや、とまた見に行ったのでした。
が、どうも、最近は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や「女王陛下のお気に入り」やベローチェの猫クリアファイルが気になっていて、以前ほど身が入らない。せっかくの亀有最大のスクリーンで、音響もかなりよいというのに。
1月末に見たのがIMAXだったので、ちと見劣りするというのもある。
いつまでやってるのかな、「ボヘミアン」。

ということで、「ボヘミアン」の前にベローチェでコーヒーを飲んでいたら、いきなりの停電。昼間とはいえ、薄暗い店内。少し待っていたけど電気つかないし、そろそろ行かなければ、と思って外に出たら、その辺一帯が停電していた。
まさかシネコンも停電じゃないよね?
と思いつつ、亀有のシネコンへ向かう。
実はベローチェからシネコンまでは約2キロの道のり。ひと駅分の距離。しかも初めて歩く道。
いやこれが、なかなかたどり着かないのですね。
途中までは静かな住宅地を歩いていくのですが、途中から広い道路になり、ここをまっすぐ行けばシネコンのあるショッピングセンターに着くはず。
が、その広い道路に出てからが長く感じる。まっすぐなので余計そう感じる。いつになったらショッピングセンターが見えてくるの?と思いつつ、ひたすら前へ前へ。
そのうち亀有駅が左の少し遠方に見えてきて、駅前のヨーカドーも見えたので、道は間違ってないと思い、そのまましばらく歩くと環七通りとの交差点が見えてきた。その交差点の向こうがショッピングセンター。時計を見ると徒歩20分余りだったけれど、ずいぶん長く感じた。いやもう、二度と歩きたくないね、この道、と思いました。
前の晩、寝不足だったのと、ここで速足で歩いたので疲れたせいで、今回は少し集中力を欠いた鑑賞になってしまったのが残念。
停電はその後すぐ直ったようだし、シネコンの方には影響はなかったようです。ただ、シネコンに向かう前に銀行のATMを使おうと思ったら、停電の影響で今は使えませんと言われてしまった。
シネコンのあるショッピングセンターは冬のイルミネーションも終了し、アイススケートのリンクも片付けの最中でした。春は近いのだと実感しました。

2019年2月17日日曜日

「女王陛下のお気に入り」2回目:想像以上に「バリー・リンドン」だった

一昨日に続いて、別のシネコンで「女王陛下のお気に入り」2回目を鑑賞。
驚いた。スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」と共通するところがいろいろとある。
1回目は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の余韻で頭がいっぱいな状態で見たのと、席が前すぎて下から見上げる形で非常に見づらく、そのせいもあって、内容があまり理解できなかった。なので、映像がとにかく奇妙だけど気になる、衣装や美術や音楽が「バリー・リンドン」級、そして3人の女優の名演技、くらいしか理解していなかった。
ただ、とにかく映像が奇抜で、魚眼レンズみたいに歪んでるとか、なぜか下からのアングルばかりとか、カメラがパンするときも魚眼レンズみたいとか、その辺がものすごく気になり、下から見上げる状態ではなく、きちんと正面から見たいと思って、2回目の鑑賞となった。

いや、ほんと、見に行ってよかったです。
1回目のときはランティモス監督の前作「聖なる鹿殺し」が好みでなかったせいもあって、自分の好きな映画とは思えなかったのだけど、2回目を見たら、これは私好みの映画、しかも私の守備範囲ドンピシャリ!とわかったのでした。

以下、ネタバレ大有りなので、注意してください。

時代は「バリー・リンドン」よりも少し前で、イギリスがフランスと戦争をしていた18世紀。アン女王(オリヴィア・コールマン)を操る親友のモールバラ公爵夫人サラ(レイチェル・ワイズ)は夫が司令官であることもあり、増税してでも戦争を続けるよう女王を説得しようとする。一方、政治家のハーレー(ニコラス・ホルト)はそれには反対で、イギリスが勝利したのだから和平を結ぶべきであり、増税したり戦争を続けたりすれば国民の怒りを買う、と主張。そんなときにアン女王の前に現れたのが貴族から身を落としたアビゲイル(エマ・ストーン)。親戚であるサラを頼って宮廷に下女として入り、やがて女王に気に入られて侍女となる。アビゲイルはさまざまな手を使って女王の寵愛を受け、サラを窮地に陥れて追い出す。

アビゲイルは「バリー・リンドン」の原作者サッカレーが好んで描いたピカロ(男性)またはピカラ(女性)に相当するタイプの人物で、「バリー・リンドン」の主人公や「虚栄の市」のベッキー・シャープに当たる。彼らは没落した中産階級で、才覚でのしあがっていく魅力的なワルである。アビゲイルはまさにピカラなのだ。
しかし、「女王陛下のお気に入り」はもうひとひねりした「バリー・リンドン」とでも言えるところがある。それは映画の最後の部分、アビゲイルの策謀で追い出されたサラを女王が心の底では思っていて、サラの手紙を心待ちにしているあたりだ。「バリー・リンドン」ではレディ・リンドンを思いのまま操っていたバリーがやがて落ちぶれ、レディ・リンドンの連れ子のブリンドン子爵に追い出され、その後、ブリンドンが母を支配するが、母レディ・リンドンは心のどこかで夫のバリーのことを思っているように描かれる。このラストの部分が、「女王陛下~」ではアン女王がレディ・リンドン、女王を操るアビゲイルがブリンドン、追い出されたサラがバリーに見える。流れるクラシックの曲も「バリー・リンドン」のラストに流れるシューベルトのピアノ三重奏を想起させるような音楽。
だが、「女王陛下~」はここでまたひとひねりする。
サラの手紙を女王に渡さずに燃やしたアビゲイルはうさぎを足で押さえつけるが、その後、女王から脚をもむように言われ、もんでいるとき、女王はアビゲイルの頭を押さえつける。結局、アビゲイルは女王に押さえつけられる存在だということを暗示して映画は終わる。

もうだいぶ昔のことになるが、「バリー・リンドン」についての英語の評論を読んだとき、主人公が左から右に移動するときは上昇だが、右から左に移動するときは没落になっている、と書いてあって、たいそう感心したことがある。
「女王陛下~」では落ちることが没落のシンボルになっている。
アビゲイルは宮廷に馬車で着いたとき、押されて馬車から落ちて泥だらけになる。その後も前半は落とされたり倒されたりするシーンがある。
ところが後半になると、アビゲイルに毒を盛られたサラが気絶して落馬し、そのまま馬にひきずられて泥だらけになる。
前半の落ちたり倒れたりするアビゲイルは、貴族から身を落とした状態を表しているが、後半では今度はサラがアビゲイルの策略で没落するのを落馬で表している。
そして、ラスト、今度は女王がベッドから落ちる音がして、アビゲイルが女王のもとへ行き、そこから脚をもむシーンになるのだが、ここでは女王が落ちるということで、一見、女王が没落したかに見えるが、そのあと、アビゲイルが女王に頭を押さえつけられるという逆転になる。
落ちることが要所要所でポイントになり、女性たちの上昇や没落を表現している。

「女王陛下~」はクラシックを使った音楽も「バリー・リンドン」を連想させるもので、想像以上に「バリー・リンドン」だったが、映画全体のモチーフはかなり違っている。
この映画は最初の映画会社のロゴが出てくるときに鳥の声のような自然の音が響いているのだが、1回目に見たときは鳥の声だと思った。が、2回目に見たら、確かに鳥の声もあるけれど、中心になっている音はうさぎの声じゃないかという気がした。映画が始まると、女王の部屋の17羽のうさぎが登場し、確かにあれはうさぎの声だったとわかった。
そしてラストは、女王の脚をもむアビゲイルと、それを見下ろす女王の顔がだぶり、そこに無数のうさぎの映像がだぶって、しだいにうさぎの映像が2人の顔を消していく。
脚をもむというのは、アビゲイルが結婚したあと、初夜に夫に手淫するシーンと対応していて、脚は男根の象徴でもあるのだが、夫に手淫するシーンはアビゲイルが夫を支配しているのに対し、女王の脚をもむシーンではアビゲイルは頭を押さえつけられていて、完全に女王に支配されている。その前に、アビゲイルがうさぎの頭を足で押さえつけるシーンがあり、うさぎを支配しているつもりの彼女もまたうさぎと同じという意味だとわかる。
そして、うさぎが画面を覆い尽くすラストのあと、暗転してエンドロールが始まるのだが、バックに流れるのがエルトン・ジョンの「スカイライン・ピジョン」。
その歌が終わると、今度は鳥の鳴き声や羽ばたきが響いてくる。
うさぎの声で始まり、鳥の声と羽ばたきで終わる映画なのだ。
鳥の声と羽ばたきは、「空へ羽ばたかせてほしい」と歌う「スカイライン・ピジョン」とみごとに呼応する。
羽ばたかせてほしいのはアビゲイルだが、脚が悪い女王も、夫ともども追放される運命のサラも、自由に羽ばたかせてほしいのかもしれない。
うさぎであるということは不自由なのだ。
そして、人間は結局、みな、うさぎなのか?
(うさぎは裕福な上流階級に支配される庶民という見方もできる。)
下からのアングルは、やはり、地面をぴょんぴょん跳ねるうさぎの視点なのだと思う。
魚眼レンズのゆがんだ画面も、うさぎの目で見た世界ではないだろうか。

増税してまで戦争を続けるかどうか、という政治的な部分は映画の中ではあまり重要ではなさそうだ。国民の怒りを買うとして反対したハーレーも、別に立派な人物には描かれていない。そこにあるのはただ、ちまちまとした権力争いだけなのだ。

錦糸町のシネコンではエンドロールが始まるとお客さんがどんどん帰ってしまったが、今回のシネコンも多少帰る人はいたけれど、錦糸町ほどではなかった。最後の鳥の声と羽ばたきまでしっかりと聞いてから席を立ってほしい。

それにしても、1回見ただけではわかりにくい映画だけど、2回見るととても面白い。映像も細部まで凝っていて、一度では全部見切れないから、2回見た方がじっくりあちこち注意して見られる。
もしも最初から今回のシネコンで見ていたら、こんなものかくらいの感想を抱いて、2回は見なかっただろう。錦糸町で見づらい思いをして、たまたま次が無料のポイント鑑賞だし、好きなスクリーンでやってるから、ということで2回目を見に行ったのだが、行って本当によかった。特に今回は音響がかなりよくて、非常に満足。

2019年2月16日土曜日

5枚目の木登り猫

ベローチェのドリンク2杯分のレシートでもらえる猫クリアファイル。ついに9月の木登り猫が5枚になってしまった。
15枚もらって3分の1がこれ。以前はこれ以外はダブリがなかったのだけど、最近は他にもダブリが2種類出て、15枚で9種類。残り6枚がダブリ。
まだ16日なのにもう15枚ももらってるのがすごいんですけど。
しかし、もらえばもらうほどダブリが出るのはしかたないとして、なぜ9月ばかりが出るのか、それも3回に1回の割合で。しかも、最初からこれが3回に1回の割合で出てました。つか、1回おきにこれが出て、たまにそうじゃないのが出て、平均すると3回に1回。
ツイッターなどで他の人の様子を見ると、7、8枚もらってまだダブリなしとかいう人もいて、私は異常にダブってる感じ。それも1種類だけが異常にダブってる。
キャンペーンが終わった頃にダブったものを知人友人にプレゼントする予定なので、別にいいのだけれど、袋を開けて9月だと本当にがっかりして、落ち込みが激しいです。精神衛生上よくないからもう集めるのやめた方がいいのかな。残りは1月、3月、4月で、すごく欲しかったのはもう手に入れているので。

以下がベローチェに置いてあるチラシにもある12か月の季節の猫一覧。
2段目の9月が5枚も出ちゃったんですね。絵柄は好きだし、猫はかわいいんだけど。
4月と5月が欲しいという人が多いみたいですが、私はこういうおすまし猫よりはひっくり返ったりしてる猫の方が好きです。ただ、4月は裏のふちねこシルエットがふちねこ第2弾のときの猫パンチで、第2弾は出遅れて5種類のうち3種類しか手に入らず、猫パンチはもらえなかったので、4月は欲しいなあと思ってるのですが、3月4月あたりは絶望的に出そうにない。5月6月は最近出ましたが、奇跡的な感じでした。
ちなみに、5枚目の9月が出た店は最初に9月が出た店でした。なんとなく、今日はもらわずにレシートだけ持って帰ろうかな、と思いつつ、もらってしまったので余計悔しい。

さて、明日はもう一度、「女王陛下のお気に入り」を見る予定。お気に入りのスクリーンのいつもの席を無料のポイント鑑賞で予約。昨日は下から見上げる感じで、魚眼レンズの湾曲が見上げてるせいなのかもともとなのか最初はわからなかったくらいなので、今度は正面からしっかりと映像のゆがみを鑑賞してきます。
最初からこっちのシネコンにすればよかったんですよね。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はもう一度行きたいけれど、今度は終わったあと、落ち着ける喫茶店で2時間くらい余韻にひたってぼーっとしていたいです。

2019年2月15日金曜日

至福の251分「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(&「女王陛下のお気に入り」「魂のゆくえ」)

午前十時の映画祭の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。TOHO錦糸町に行こうかと思っていたけれど結局行かず、今日からのTOHO市川へ行ってきました。
実はそのあとTOHO錦糸町へも行ったのです。今日から始まる「女王陛下のお気に入り」を見るために。市川でもやっているのですが、開始が午後2時半。「ワンス~」終了が2時半で、予告の時間に移動はできるものの、「ワンス~」の余韻も冷めぬうちに「聖なる鹿殺し」の監督の変な映画を見たくない、と思い、探した結果、錦糸町だと約1時間半後に開始とわかり、移動を決意。

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ディレクターズカットは本当に至福の時間でした。完全版を試写で2回見たのが1984年、カットされた日本公開版は日劇には見に行かず、レーザーディスクを買って見ていましたが、その後、昔の文芸坐で上映があり、2回見に行きました。いつごろだったのだろう。たぶんその文芸坐での上映が日本で最後の上映だったのではないかと思いますが、まさにそれ以来の、しかも完全版より長いディレクターズカット。堪能しました。
いやもう、最初の方の、店の中のファットモーの姿を外から撮っていて、それからカメラが移動して電話ボックスのヌードルスを映し出す、あそこでまず泣きそうになります。
それから、一番年下の幼い少年が殺されてしまうところ。仲間たちが稼いだお金をカバンに入れて、その上に手を重ねたあと、「もう一回見ていい?」と言う。いやもう、かわいい。その幼い少年が、ギャングに殺されてしまう。ヌードルスの怒りも当然なわけですが、ヌードルスはギャングを殺しただけでなく、警官も刺してしまったので、刑期が長くなったのですね。おそらく10年以上刑務所にいて、出てきたときはまわりがすっかり変わっていた。そして禁酒法時代の終わりに起こった事件のせいで、35年間の逃亡と隠遁生活。ヌードルスの失った時間の長さにがくぜんとします。娑婆で自分自身として暮らせていた時間はわずかだったのだと。
だから、この映画がヌードルスの見た夢だという解釈は、彼が夢を見るしかなかった時間の長さのことなのかもしれない。
復元されたヌードルスがイヴと出会うシーンから休憩前の駅のシーンも泣けます。復元シーンで、イヴをデボラと呼んで抱こうとしたヌードルスが抱かずに寝てしまい、イヴがそんな彼に好意を感じるシーン。そのあと、デボラに完全に嫌われたと思ったヌードルスがデボラをあきらめ、イヴと恋人になるのも、復元シーンがあると非常に説得力がある。
この休憩が開始から2時間55分後なので、その前の謎のフリスビーの少し前あたりでトイレに立つ人が少しいますね。休憩もみんなぞろぞろとトイレへ。私は5時間くらいは平気なのですが、おなかがすいてしまい、バッグの中にあった小さいお菓子を食べていました。
後半ではヌードルスがデボラの楽屋を訪れるシーン。ここでデボラのテーマであるアマポーラとヌードルスのテーマである主題曲が交互に流れ、絶妙な音楽効果。そのあとの復元されたマックスとジミーのシーンもすばらしく、ジェームズ・ウッズとトリート・ウィリアムズの演技がみごと。ウッズはデ・ニーロとの次のシーンだとあまりいい演技に見えないけれど、この復元されたシーンでの演技はすばらしい。
そして、老いたヌードルスとマックスが再会するシーンで、少年時代の回想シーンが出るあたりからまた泣けてしまうのです。
あともう1回は見たい。朝起きられさえすれば何度でも見られるのに。
(追記 クリームケーキの少年について勘違いしていたので、そこを削除しました。)

TOHO市川は駅からかなり歩くのがちょっと大変なのだけど、余韻をかみしめながら駅に向かい、総武線で錦糸町へ。が、錦糸町に着いたとたん、余韻がぶち壊しになることが次々と(たいしたことではないけど)。
錦糸町で映画を見たのは過去にはただ1度だけで、高校時代に古い映画館で2本立てを見ただけでした。そんなわけで、本当に久々の錦糸町。スカイツリーが大きく見える。以前から気になっていた墨田区の体育館はここだったのか、と思いながら映画館へ。
「女王陛下のお気に入り」はスクリーンが小さいみたいだったので、前の方にしたら、ものすごく見上げる格好になり、かなり後悔。この映画、下からのアングルの映像が多くて、しかも魚眼レンズ使ってるらしく、上方にゆがんでいたり、左右にゆがんでいたりする映像。それを下から見上げるから、その変わった映像がさらに増幅されてちょっと気分が悪くなるほど。それに、朝早く起きたせいか、ちょっと眠くなるシーンも。
やっぱりハシゴするんじゃなかった、日をかえて近場のシネコンで見ればよかった、とまたまた後悔。TOHOは次が無料の回だから、もう一度見に行ってもいいんだけど、鳥を撃ち殺すシーンとか、あまり気分のよくないシーンが多い。「聖なる鹿殺し」ほどではないけれど。
ただ、映像や美術や衣装、それにクラシックを使った音楽は「バリー・リンドン」級にすばらしいので、もう一度見ても悪くはない感じ。3人の女優の演技も見ごたえ十分でした。
下からのアングルが多いのは、痛風で座っていることの多いアン女王の視線と考えられますが、最後にうさぎがうようよ出てくるので、実はうさぎの視線かも。
脚が動かない、というのは「聖なる鹿殺し」にもあったし、誰かを排除しなければならないというのも同じパターンかなと思うし、いかにもランティモスの映画で、好きな人にはたまらないようです。
ラストのうさぎうようよがとにかくすごい。

さて、昨日はポール・シュレイダー脚本・監督の「魂のゆくえ」の試写を見てきました。
以下、ネタバレあり。

息子を従軍牧師にしてイラクで死なせてしまった牧師が、妊娠した妻が子供を産むことに反対する環境活動家の男を説得しようとして失敗、テロを計画していた男は自殺してしまい、しかも自分の所属する教会が環境破壊企業から多額の寄付を得ていると知って、しだいに狂気にとりつかれていく様子が描かれます。「タクシー・ドライバー」で狂気に陥っていく主人公に似ていますが、最後に彼を救うのは夫に自殺された妻メアリー。メアリーという名前が示すとおり、彼女は聖母マリアなのです。死んだ夫は環境破壊された地球に子供を送り出したくないと思って産むことに反対していたのだけれど、環境破壊された地球というのはエデンの園の外の世界。愛し合うようになる牧師とメアリーはエデンの園の外で生きなければならないアダムとイヴでもあり、牧師は最後にはキリストのように自分の体を傷つける。
牧師が環境破壊企業からの寄付のことを言うと、教会の人物から「君は庭の中にしかいない、外の世界を知らない」というようなことを言われる。庭の中というのはエデンの園、楽園の中ということであり、また、庭にしかいない人は世間知らずというのは、「ナイロビの蜂」の原題にある庭師という言葉にも表れています。
また、牧師が、万物に神は宿るといったアニミズム、汎神論もキリスト教と矛盾しないと言ったりするあたりは、一神教のキリスト教とは異なる考え方ではないかと思うので、その辺も気になりました。牧師が環境問題に関心を持ったためにこのような考え方が出てきたのかもしれません。
牧師に扮したイーサン・ホークは多数の賞を受賞していますが、狂気にとりつかれる人間を非常に渋い演技で見せているところが評価されたのでしょう。いかにもな狂気ではなく、だからこそ、最後にメアリーに救われるのが説得力があります。

2019年2月13日水曜日

その後の猫クリアファイル(追記あり)

シャノアール&ベローチェのドリンク2杯分のレシートでもらえる猫クリアファイル。
その後も集め続けているのですが、なんでこうなるの、という出来事が。
なぜかこの絵柄ばかり3つも続くんですよ。

もう9枚もらったのですが、3回目、5回目、7回目がこの木に登る猫。
他はまだダブリなしなのに、なぜかこの猫だけ1回おきに出る。
で、8回目に出たのはこれでした。

9回目、また木に登る猫が出るんじゃないかとドキドキしましたが、出たのはこれ。

実はこの猫ファイル、1月から12月までの季節の猫という設定で、木に登る猫は9月、その下の横になる猫は10月、その下の枯葉と猫は11月。
これで7月から12月は全部そろいました。が、1月から6月は2月しかもらえていない。
何か法則があるのではないかと思い、もらった店と時間を書きだしてみました。
すると、9月の猫をもらった時間がほぼ同じと判明(場所は全部別)。
10月と11月をもらった時間は9月のすぐあとの時間と判明。
一方、7月8月は9月より前の時間でした。
つまり、私がベローチェへ行く時間帯だとこのあたりが出やすい、特に一番行く時間に9月が出やすいようです。
ふちねこはお客さんが箱に手を入れて手探りで選ぶのですが、クリアファイルは店員さんが出すものをもらうだけで、自分で選べません。銀色の袋に入っていて、一度開けると開けたことがわかるようになっているので、中身は店員さんも知らない。でも、どうも1月から順番になっていて、それを順番に渡しているから、特定の時間帯に出やすいものがあるのではないかと。
ただ、私のこれまでの経験だと、この時間に9月の猫が出やすい、というのはわかったのですが、店によってファイルをもらうお客さんの数が違うだろうし、同じ店でも日によって違うだろうから、これまではこうだったというだけで、これからも同じパターンとは限らないでしょう。
というわけで、今までと違う時間帯に行ってみるか、と思っていますが、9月が出やすい時間帯は日に何度もあると思うので、違う時間に行ってもまた9月とかありうるし。
ツイッターを見ると、もうコンプリートに近づいている人もいるようですが、そういう人は相当ダブっているようです。
1軒だけ、上から順番じゃないやり方で手渡しているところがありましたが、手渡し方も店ごとに違うだろうから、なかなか予想はむずかしそうです。

2月14日追記
なんでこうなるの???
例の9月の木に登る猫のクリアファイル、またまた出てしまって、これで4枚。
3回目、5回目、7回目、11回目と、ほぼ1回おきにこの絵柄。もらった店はすべて別。
3枚目が出たときはこれは時間帯が悪いのだと思い、4枚目は午後3時くらいにもらったのですが、またしてもこれ。
こりゃもう祟られてるのか、猫だけに。
ダブリが出るのはしかたないにしても、なぜこの絵柄ばかり??? 他の絵柄はまだダブリなし。
とにかく、これでもう時間帯も関係ないことがわかったので、あきらめます。

2019年2月9日土曜日

「ファースト・マン」

今朝は7時すぎに目が覚めてしまい、午前十時の映画祭の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」に十分間に合うな。でも午後の「ファースト・マン」を予約してしまっている。「ワンス~」が終わるのが2時35分、「ファースト・マン」の本編開映が3時15分。ネットで調べてみたけど40分で移動は絶対無理。おまけに外は雪が降っている。
「ファースト・マン」は6回見たら1回無料の回なので、あきらめてもよかったけど(こんなに早く自然に目覚めること自体、自分にとっては奇跡)、やっぱり雪の中出かけるのはなんだかなあ、と思い、そのあとまた寝て、午後から「ファースト・マン」へ。
午後には雪もやんでいて、電車も平常運転。普通にたどり着けた。

「ファースト・マン」は予告見たときからあまり面白くなさそうだったけれど、デイミアン・チャゼル監督なので見ないわけにも行かず。シネコンでは「シティーハンター」が大人気のようで、「ファースト・マン」は予想どおりガラガラ。おまけにエンドロールが始まったとたん、数少ない観客がどんどん帰ってしまう。残った人わずか。
まあ、それも無理ないと思いました。
うーん、つまらないわけじゃないけど面白くもない。こういう映画が実は一番つまらない。明日の朝には忘れてしまいそう。
チャゼルの映画では、私は「セッション」にはちょっと辛めの評価をしていたけれど、そういう辛めのことを言いたくなる映画というのは噛み応えのある面白い映画なわけで、いろいろ文句つけたくなるけど面白い映画だった。
続く「ラ・ラ・ランド」もいろいろ欠点はあるけど、全体としては楽しい映画、好きな映画だった。
が、今回の「ファースト・マン」は、うーむ。
NASAの宇宙計画ものでは「ライトスタッフ」、「アポロ13」、「ドリーム」と、秀作があっただけに、「ファースト・マン」のなんとなく面白くなさが目立ってしまう。
そもそも、この4作を比べてみると、「ライトスタッフ」のマーキュリー計画の7人の宇宙飛行士とチャック・イエーガーや、「アポロ13」の登場人物は、それなりに有名な人たちなのだろうけれど、ニール・アムストロングほど有名ではないだろう。「ドリーム」に至っては、マーキュリー計画を陰で支えた黒人女性数学者たちの話ということで、こちらは知られざる功労者たちの物語が面白い。
つまり、それほど有名じゃないし、出来事も波瀾万丈だし、いろいろな差別と闘っていたりするし、また、1人が主役ではない群像劇なのもよかったのだと思う。
が、「ファースト・マン」は人類史上初めて月面に立ったアポロ11号のアームストロング船長1人に話をしぼっている。しかも、この話はあまりに有名というか、私も中学時代にテレビで生中継を見たが、とにかく有名すぎる。
おまけにアームストロングが品行方正な好人物で、よき妻と子供たちに恵まれ、幼い娘を病で失ったとか、同僚を事故で失ったとかいった悲劇はあるものの、波瀾万丈の人生とはちょっと違う。人物像も破天荒とかいろいろあったというわけでもない。だから、もともと映画の主人公に向かない人物だったのではないか、それでこれまで映画化がなかったのでは?と思わせる。
月面に星条旗を立てるシーンがないのでアメリカでは反発を食らい、それでヒットしなかったと言われているが、それだけじゃないだろう。(旗が立っているシーンはあるし、映画の冒頭では子供が星条旗を掲げるシーンがある。もちろん、地球上で。)
映画がアポロ11号の偉業をアメリカだけのものではなく、全世界の人類のものとして描いているのは明らかで、でも、アメリカが全世界を代表してやったんだから何もケチつけるものでもないのだが、このような偉業を描くことのむずかしさも感じる。黒人たちは飢えているのに白人は月へ行く、という批判が起こるシーンもある。でもそのあたりがどうも、こういう問題もありました、ていう程度でしかない。
で、結局、アームストロングが月面に降りたとき、彼は家族のこと、そして亡くなった娘のことを思い出して涙を浮かべるという、やっぱり家族が一番、な結論になっている。
この辺の家族の使い方がどうにも安易に見える。アメリカ万歳のかわりに家族万歳。
映画の冒頭の成層圏に向かうアームストロングのシーンと、中ほどの月面着陸の訓練でパラシュートで脱出するシーンが「ライトスタッフ」へのオマージュのようになっているが、「ライトスタッフ」がどれだけしっかりとしたコンセプトに立って作られていたかを再確認する結果になった。「ファースト・マン」にはそういう土台がないのである。

2019年2月8日金曜日

ベローチェのコーヒーゼリー

またまたベローチェでコーヒーゼリーと紅茶を頼んでクリアファイルをゲット。
今回は徒歩20分ほどの、現在唯一、自宅から歩いて行けるベローチェ。
で、コーヒーゼリーを見て、ああ、この前の都心の店のコーヒーゼリーはすごかったんだな、と思った。
とにかく、ソフトクリームの量が違う!
地元の店のコーヒーゼリーを見たら、この前の都心のやつはやっぱりソフトクリームが2倍だよ。
都心といっても、どこでもじゃないけどね。上野周辺の某店です。

まあ、別に、ソフトクリームがいっぱい食べたかったわけでもないんですが。
その前に県立図書館に寄って、予約していた本を借りて、それを読むためにベローチェへ行ったのです。
読んだのはジェームズ・ボールドウィンの「悪魔が映画をつくった」。あの「ビール・ストリートの恋人たち」の原作者による映画談議です。
なんか書き方がもってまわった感じなので、著者の真意を読み取るのがむずかしいのですが、「夜の大捜査線」など、映画としての良さや魅力は認めながらも、黒人問題としての誤りを指摘している文章。貧しい黒人として生まれ、白人からの差別に直面して生きてきた、でも、よい白人とも巡り合えてきた著者の、社会に対する怒りや、人種問題を抱えた社会への考察が非常に興味深い。
「手錠のままの脱獄」のラストに対する白人と黒人の反応の違いとか。
「奇妙な果実 ビリー・ホリデイ物語」についても詳しく書かれている。実際とは違う伝記映画なんだけど、主演の黒人俳優たちの演技は認めている。
「夜の大捜査線」は大学の授業でやっているんですが、いろいろ問題はあるとわかっているけど、学生にとっては勉強になるところも多いので。
黒人監督も多い今の映画をボールドウィンが見たらどう反応したのかも興味深いです。

さて、コーヒーゼリーと紅茶でゲットしたクリアファイルはこれ。

実はこれの前に1枚ゲットしていて、それがなんと、5枚目にしてダブりだったのです。
ショック。
まあ、そろそろダブりが出る頃だったのかな、という気もしますが。
でも、6枚目はダブりでなかったのでよかった。
もう欲しいのベスト3は手に入ったんで、あとは適当でいいんですが、やっぱりコンプリートをめざしたくなっているのかな。

2019年2月7日木曜日

雨の水曜日、久々の上野動物園

上野動物園の年間パスポートの期限が今月下旬に切れるので、その前に独り立ちしたシャンシャンを見に行きたいと思っていたが、昨年秋の親離れの訓練のあたりからパンダ舎の行列が異常な混雑になり、動物園から遠ざかっていた。
独り立ちしてからもしばらくは行列がすごかったのだけど、1月中旬くらいからしだいに待ち時間が短くなっていき、平日は40分程度になっていた。
そして雨の水曜日。雨の日は絶対にすいている動物園。午後2時くらいに行くと、待ち時間は20分。とりあえず並んで少しずつ前に進む。
入るとすぐにシャンシャンの狭い運動場、そして部屋。シャンシャンは部屋で食事中だったが、背中しか見えない。かろうじて少し横を向いたところ。

隣は父リーリーの部屋、その隣が母シンシンの部屋。
そしてその隣がシンシンの運動場。雨でガラスの雨滴にピントが合ってしまう。

さらにその隣がリーリーの運動場。雨、よく降っている。

あっという間に外に押し出され、カワウソを見に行く。

ゴリラの家族のところへ。手前が母と幼い息子。背後は姉かな?

反対側にまわる。カメラ目線。

端に陣取ると、幼い息子のリキがよく見えた。他のお客さんはなぜかもう片方の端に寄っている。そっちの方がゴリラには近いけれど、遠い端の方が顔がよく見えるのに。

ゴリラ舎を出ると、雨が上がっていたので、またパンダ舎に並ぶ。
待ち時間20分表示だったが、あと少しで中に入るときに列を切られ、パンダを室内に入れるのでその間待つことに。
ようやく中に入ると、シャンシャンはこっちを向いている。

もう大人と変わらない感じ。

隣はリーリーの部屋。豪快に食べている。舌を出しているところ。

シンシンは奥の方で横を向いている。

出てすぐにもう一度並ぶ。これが本日最終。横向きのシャンシャンにはまだ幼い面影が。

リーリー。

そして、竹を上手に割って食べるシンシン。


閉園まで残り時間はわずか。猿たちを見ながら西園に向かう。

東園と西園を結ぶいそっぷ橋の上から。この頃には日が差してきた。モノレールは先月車両故障を起こし、休業中だった。広いパンダ舎をモノレールのすぐそばに作る予定なのだけれど、モノレールは騒音があるので廃止した方がいいんじゃないだろうか。

タテガミオオカミ。

小獣館のマヌルネコ。

こういうちっちゃいのがいろいろいます。中は暗い。

フラミンゴのヒナ2羽が大きくなってきていた。


ペンギンのヒナも。

弁天門近くのオオワシ。

上野駅から動物園に行くと、西洋美術館の前を通る。今月19日からル・コルビュジエ展をやるらしい。帰りに上野の金券ショップをのぞいたら、前売券が100円引きなので、思わず買ってしまう。
ル・コルビュジエというと、「ル・コルビュジエとアイリーン」という映画に出てきた海パン一枚のメガネのおっさんが目に浮かぶが、先日の「人生フルーツ」にもこの人の言葉が出てきた。西洋美術館はル・コルビュジエの建築なので、興味深い美術展になりそう。

2019年2月6日水曜日

ベローチェ3軒ハシゴして、ついに

都心に出かけたので、ベローチェを3軒ハシゴして、ドリンク3杯とコーヒーゼリーでクリアファイル2枚をゲットした。
地元ではベローチェのハシゴをしようとすると必ず電車に乗らないといけないが、都心だと徒歩圏内に数軒の店がある場所も多い。
まずは2軒でコーヒーを飲み、1枚をゲット。これです。写真はキャンペーンサイトから。

うーん、一番欲しいのが出ない。イライラ。
至近距離にもう1軒あるから、そこで紅茶とコーヒーゼリーを買い、これでドリンク2杯分と勘定されるので、もう1枚もらおうと決意。
注文すると、コーヒーゼリーの上にソフトクリームがこれでもかというくらい山盛りになっていた。
他の店の2倍近くあるんじゃない?というくらいの豪華なコーヒーゼリー。もうこれだけでお腹いっぱい。うわあ、得した、といい気分になる。
そして、ついに出ました、一番欲しかった写真が。二重にありがとう、店員さん。

12種類コンプリートはまず無理、どうしてもコンプリートしたければ20枚か30枚はもらわないとだめだろうと思っているので、とにかく一番欲しいこのファイルをゲットしたかった。でも、10枚もらってもこれが出てこない可能性もあるわけで、かなり悲観的になっていたのでした。
しかし、4枚目にして手に入ったので、これでもうベローチェにシャカリキになって通う必要もなくなり、一安心。
こういうコレクションというのは、経済力のある大人の方がはまりやすいそうで、コンプリートめざしていくらでもお金をつぎ込んでしまいそう。なので、一番欲しいのが手に入った時点ではまるのはやめた方が精神的にも経済的にもよいのです。
3軒連続ハシゴしたわけでなく、間に用事があったりしているわけですが、それでもドリンク3杯とコーヒーゼリーはお腹にこたえる。懐だけでなくお腹にも負担がかかるのです。
でも、ソフトクリーム山盛りのコーヒーゼリーはおいしかった。あの店、また行こう、って、次は普通だったりして。

帰宅すると、キネマ旬報最新号(ベストテン特集号)が届いていました。
ベストテン選びをするようになってもう10年以上たちますが、私なんかが選んでいいのだろうかと毎年迷いつつ、この映画は自分が入れないと誰も入れないかもしれないと思って選んでいます(実際は私しか投票しない映画は非常に少ないのだけど)。
でも、今回はなんとしても参加させてほしいと思っていました。理由は、選評を見ればわかると思いますが(このブログを読んでいる人には)、昨年春からずっと、あの文章(選評にはなってない)を書きたいと思っていたのです。もしかしたら、誰もあの映画には触れないかもしれないから余計。

追記
キネ旬ベストテン特集号を見ていたら、日本映画封切作品一覧に「空海」がない。
え、と思って外国映画封切り一覧を見たら、「空海」がある。
しかし、ベストテン選考者には「空海」は日本映画とのお達しが来ていたのだ。
映倫でも「空海」は日本映画として登録されていて、それは字幕版も同じ。
なので、外国映画の選考者が「空海」に入れたくても入れられなかった。
なのに、「空海」は日本映画ではなく外国映画に入っているってことは、矛盾というかダブスタというか、全然実情と違うことになってしまう。
なんでこうなるの?
もう、ムカムカする。

2019年2月5日火曜日

「人生フルーツ」&「ともしび」(ネタバレあり)

久々、キネマ旬報シアターで「人生フルーツ」と「ともしび」をハシゴ。
どちらも老夫婦が主人公だが、ドキュメンタリーと劇映画の違いはあるとはいえ、あまりに対照的、明暗分かれる老夫婦物語。

「人生フルーツ」は1950年代から60年代に公団住宅の区画配置を手掛けた建築家、津端修一とその妻が暮らすスローライフを描いたドキュメンタリー。津端がかかわった愛知県のニュータウンのすぐそばで、野菜とフルーツを育てて生活している。あこがれる人が多いだろう自然体生活なわけだけど、私が興味を持ったのはそこではなく、3年半前に引っ越した今の団地が津端が活躍した時代の公団住宅で、津端はかかわっていないが、彼の設計を横目に見て造った団地と言われているからだ。
津端が手掛けた団地は建て替えによりなくなってしまったり、一部しか残っていないところも多いが、私が住んでいる団地は建て替えをしないことになっていて、あのスローライフに通じるゆったりとした空間、大地の起伏を残した空間がまわりにある。
そういう興味から見に行ったが、団地の話はあまりなく、津端夫妻のゆったりとした生活、愛情あふれる暮らしが描かれる。途中で津端が亡くなってしまい、奥さん1人でこの家と庭をきりもりできるのかな、と一抹の不安を感じるが、とりあえず、人があこがれるような豊かさの暮らしと夫妻の人生をほのぼのと描いた映画になっている。

「ともしび」は逆に、老いた夫が刑務所に収監され、妻が追い詰められていく物語。シャーロット・ランプリングは老いても美人という雰囲気があったが、今回はそういう雰囲気がなく、ひたすら老いが強調され、ヌードになって老いた肉体を見せるシーンもあって、見ていてつらいものがある。
夫がなせ刑務所に入ったのかはまったくわからない。「あんな幼い子供に」と叫ぶ女性がいるので、子供への性的虐待か?と思うが、その証拠もない。夫妻の息子など親族は夫妻を疎ましく思っているようだが、これも夫の逮捕のためなのか、それ以前からなのか、はっきりしない。
芝居のサークルの仲間や、家政婦に行っている家の人々、犬を譲り受ける親子など、つきあいの浅い他人からは特に邪険にされたりはしていない。しかし、スポーツジムの会員証が無効になっているのはやはり夫のせいなのか?
夫の罪に対して妻がどの程度責任があるのかもわからないが、妻は夫を見捨てていないし、孫に会いたいし、息子などとも仲良くしたいと思っているようだ。夫と子供と孫に囲まれた老後を求めていたのに、愛する者から疎外され、人生に苦しみしか見出せなくなっているという、「人生フルーツ」とは正反対の、最悪の老後という感じ。
ラスト、地下鉄の駅の中を、視覚障碍者用の黄色いブロックを追ってホームに降りていくシーン。オズの国の黄色いレンガの道はエメラルドの都に通じていたが、彼女の歩む黄色いブロックは死に向かっているように見えた。ホームに着いたとき、電車の来る音がすると、彼女が自殺してしまうのではないかと思ったが、反対側のホームに立つ女性がぼんやりと見える。ドアが開いて中に入ると、がらんとした車内。以前に地下鉄が登場したときは、赤い服を着た白人の男たちがまわりにいたり、1人で怒鳴っている黒人の女性がいたりと、どこか不安にさせる乗客がいたのに、最後は誰もいない車内。人は最後はひとりになるということであろうか。「人生フルーツ」の妻も最後はひとりになったのだが。

出かけたついでにベローチェもハシゴして、猫のクリアファイル2枚目をゲット。
今回はこれ(写真はシャノアールのキャンペーン・サイトから)。
これもわりと欲しかったのですが、12種類コンプは無理でも一番欲しいのが出るまでがんばってみようかと。なかなか出なかったらどうしよう。

2019年2月3日日曜日

クリアファイルをゲットしてから、「ビール・ストリートの恋人たち」の原作を読む。

シャノアールの罪な企画に載せられて、2日連続ベローチェへ。
が、その前に図書館に予約してあったジェームズ・ボールドウィンの「ビール・ストリートに口あらば」を含む文学全集を受け取りに近くの分館へ行き、それを読むのも兼ねてベローチェへ。

「ビール・ストリートの恋人たち」の原作「ビール・ストリートに口あらば」を含む集英社「世界の文学」の33巻はバーナード・マラマッドの短編、ソール・ベローの「その日をつかめ」、そしてボールドウィンのこの小説が入っている。訳者はマラマッドが西川正身、ベローが宮本陽吉、ボールドウィンが沼澤洽冶というなつかしい面々。若い頃に読んだなあ、この人たちの翻訳。
「ビール・ストリート」の原作を読んだら、映画の脚色はなかなかみごとであることがわかった。原作は若い黒人女性ティッシュの一人称で、映画もそれを踏襲したつくりになっている。映画同様、原作も恋人ファニーが無実の罪で投獄されている現在と、彼らの過去が交互に出てくるのだが、このあたりは小説の方がやはり自然で奥深い。映画では点景のように見えた他の登場人物は小説でもやはり点景的なのだが、小説の方がティッシュの語りの中で登場するので点景的には感じない。映画では役者が演じているので、点景のようなエピソードのように見え、物足りなさを感じてしまう。
そうはいっても、この小説の映画化としてはよくできた映画であり、黒人を取り巻く現実が現代もあまり変わっていないという点を取り入れた今日性も評価できる。
でも、やっぱり小説ってすごいなあと思ったのは、次のような描写だ。

・・・もしあの目が高い所から、いやおうなしに人を認め、その当人があの目の奥にある途方もなく凍てついた冬の世界に存在することにでもなったら、その人は絶体絶命にマークされてしまうのだ。黒いオーバーを着た人が、雪の上を這って逃げているようなもの。あの目は冬景色を汚す存在として、その人を不快に思う。じきに黒いオーバーは動かなくなり、血に染まる。雪も血で赤くなる。あの目はその光景自体をも不快に思い、一瞬きすると、もっと雪を降らせ、すべてをすっぽりと隠してしまう。

これはファニーに無実の罪を着せた白人のベル巡査についての描写。白と黒のたとえがみごと。映画ではこのベル巡査の描写がどうにも不十分で不満だったが、ボールドウィンの文章はすばらしい。映画、完全に負けてます。

それでもバリー・ジェンキンズの「ビール・ストリートの恋人たち」はうまい脚色で、原作を読みながら、昨年、試写で見た「未来を乗り換えた男」の場合と比べたくなった。
ドイツ映画「未来を乗り換えた男」はかなり評判のよい映画なのだが、私はどうも不満を感じ、すぐに図書館を利用して原作のアンナ・ゼーガースの「トランジット」を読んだ。これも古い文学全集に入っていたのを図書館で検索して見つけ、借りて読んだもの。
ナチスドイツの迫害を逃れようとする亡命者たちを描く原作を現代に置き換え、またまたドイツが侵略を始め、人々が難民となって逃れようとしているという設定になっている。
原作は主人公の亡命者の男の一人称で書かれていて、映画では最後にわかる衝撃の結末が、小説の冒頭でネタバレされてしまっている。
つまり、この小説も主人公の語りで読ませる作品なのだが、一人称を生かした「ビール・ストリート」と違い、こちらは主人公による一人称的語りを捨て、主人公を見守るある人物の語りで話を進めている。
プレスシートによると、監督のクリスティアン・ペッツオルトはキューブリックの「バリー・リンドン」のナレーションを参考にしたというが、「バリー・リンドン」のナレーションは原作者サッカレーの代表作「虚栄の市」の有名な全能の語り手をそのまま使ったもので(「バリー・リンドン」原作は主人公の一人称)、「未来を乗り換えた男」のナレーションとは本質的に異なるものだ。「未来~」のナレーションはむしろ「ミリオンダラー・ベイビー」に近い。
そして、「バリー・リンドン」や「ミリオンダラー・ベイビー」はナレーションが成功しているが、「未来~」ではこの傍観者的人物によるナレーションが成功していない。むしろ、邪魔であると私は感じた。
原作の主人公の一人称的表現をやめ、三人称の視点で主人公たちを描くこと自体は原作とは違うアプローチでよいのだが、あのナレーションが余計としか思えず、そこが残念な出来栄えと感じてしまったのである。

さて、ベローチェでもらったクリアファイルはこれでした。
例によって、写真は公式サイトから。
昨日アップした写真が1番欲しかったのだけど、2番目に欲しかったのがこれ。
しかし、ドリンク2杯でくれちゃうなんて。「ねことじいちゃん」とコラボしているので、映画会社からお金が出ているのだろうか? 数はふちねこと同じくらいみたいなので、なくなるのが早いかもしれない。

2019年2月2日土曜日

どこで見るか「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

2月1日から午前十時の映画祭で始まった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ディレクターズ・カット。
日本全国で午前十時からいっせいにこの映画が上映されているのかと思うと、初日の昨日は、今どのあたりのシーンかな、と思って落ち着きませんでした。
ああ、私も早く見たい。でも午前十時がきつい。まだ寝てる時間やん、普通は。
前半は1時間半はかかるシネコンばかりだけど、後半は1時間余りで行けるところでやるので、後半に行こうと考えていたのだけど、なんだか後半まで待てない。あせることはないんだけど待てない、と思い、前半の上映館で一番近い錦糸町はどうかなと、調べてみたら、自宅から錦糸町駅まで1時間で行けることが判明。TOHOシネマズ錦糸町は駅の目の前だから、これなら楽に行けるかな、というところ。
後半はTOHOシネマズ市川コルトンプラザかMOVIX三郷が近いのだけど、市川は駅から歩く。三郷は駅からバスで本数が少ない。三郷は駅からタクシーじゃないと無理そう。日本橋がよかったんだけど、例の天井落下でいつ営業再開かわからない状態。
タクシー使えば三郷が一番短時間で行けますが、ていうか、車があったら三郷はたぶん30分で行ける。車があったら毎朝通えるぞ。でも免許持ってない。
というわけで後半はたぶん市川になると思うけど、それまで待てない。というわけで、錦糸町が選択肢に入ってきたのでした。

さて、キネマ旬報2月上旬号に「ワンス・アポン~」ディレクターズ・カットについての記事を書きましたが、午前十時の映画祭公式ツイッターで紹介されていました。
https://twitter.com/asa10eiga/status/1087230796547543040

発売直後に紹介いただいたのですが、今日またこのツイートを再掲していました。
気に入ってもらえたのだろうか。
5日には次の号が出てしまうので、もう一度紹介してくださったのだと思います。
同じ日に始まった「パルプ・フィクション」の方がツイッターでは感想がにぎわっていて、「ワンス~」はやっぱり年齢高いのかな、お客さん、という感じも。
このディレクターズ・カットは欧米では一部の大都市で限定的に公開されただけのようで、今回のように1日1回とはいえ、日本全国で1か月上映というのは世界でも例がないようです。
ディレクターズ・カットは2012年にカンヌ映画祭でお披露目のあと、2014年にブルーレイが発売されたのですが、日本では限定生産のためすでに廃盤。輸入盤は手に入るという状態。でもそれは午前十時の映画祭で劇場公開するためだったのかな、という気もします。
日本では短縮版しか劇場公開されておらず、完全版はビデオなどのみでしたが、それを埋め合わせるためのディレクターズ・カット全国公開なのだろうな、きっと、映画業界の人たちもずっと、この映画をなんとか完全な形で劇場公開したいと思っていたのではないかな、と思います。
キネ旬ベストテンでも評論家と読者の両方に圧倒的に支持されたこの映画、日本全国で上映しているのだから、ぜひ、多くの人に見てほしいと思います。できればもっと遅い時間にもやってほしいなあ。午前十時の映画祭のあとにも名画座などで上映してほしい。

またまたシャノアールが罪な企画を

毎年2月にふちねこキャンペーンをやるシャノアール。今年はやるのかな、去年の秋にハロウィン版やったばかりだからやらないかな、と思いつつ、シャノアール系列のベローチェに行くと、なんと、岩合光昭初監督作「ねことじいちゃん」とコラボしたキャンペーンを始めていました。
サイトはこちら。
https://chatnoir-company.com/iwago2019/index.html

今回はドリンク2杯分のレシートで岩合光昭撮影の猫のクリアファイルがもらえる。
写真はすべて上記サイトからですが、表が写真で、裏にふちねこのシルエットが。
 そして、限定50セットの12種類コンプリートが当たる、と。


50セットじゃ当たるわけないだろ!
と思いますが、今回は12種類で、もちろん種類は選べず、コンプリートはほぼ無理。ふちねこのときのようなコンプしたい人のための救済策があるわけでもなし。

2杯でもらえるので、すぐなくなってしまうかな。もう1杯飲んで早くほしい。
特にこれ、すごくかわいい。

12種類の写真も上のサイトに出ています。
ただ、ふちねこほど欲しい人いないのか、捨ててあるレシートがけっこうあった。こっそり1枚とるとかはできませんでしたが。

というわけで、またまたシャノアールが罪な企画を、というお話。また散財してしまうかな。

2019年2月1日金曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」20回目@109木場IMAX

木曜日は109木場のIMAXで「ボヘミアン・ラプソディ」。この映画館では4回目、通算20回目とあいなりました。
昼間ごたごたしていたせいか、ぎりぎりに到着。外は雨なので深川ギャザリアの写真も撮れず。チューリップが花開いていた。
109木場は金曜からは「ボヘミアン」IMAXが1日1回、それも午前の回だけになってしまい、そして、来週木曜でIMAXは終了。となると、1月31日木曜日に行くしかなかったわけです。
さすがにもうあまり入っていないのですが、正月休み明けに行ったときよりは入っていました。
そして、なんと、今回が一番音大きい。のっけから重低音ガンガンきます。
今回は、ロバート・デ・ニーロが出ているというのを確認。フレディがジョン・リードをクビにしてしまい、バンドメンバーと言い争いになるシーンの背後の録音ブースにデ・ニーロが。頭にサングラスを載せていて、顔もちょっとアップになります。
このほか、冒頭のライヴエイドのところでチャールズ皇太子夫妻が座席につこうとする実際の映像で、背後にブライアンとロジャー本人がいるのも確認しました。
木場のIMAXよかったのになあ、もう見れないのか、残念。
日比谷はまだIMAX続映しそうだけど、あそこはスクリーンが小さいだけでなく、座席が狭い。シネコンであんなに狭い座席って初めてのような気がする。狭いところに席をたくさん入れているような感じ。重低音はよいんだけどね。
帰りは木場ではまだ雨だったけど、西船橋では雪になっていました。

今回で20回目の鑑賞となった「ボヘミアン・ラプソディ」ですが、1回目と2回目を見たTOHOシネマズ日本橋が今、大変なことに。
ネットで得た情報から推測するところによると、1月25日の夜に定期点検をしたら、スクリーン4の天井が落下。どうもスピーカーの音圧で天井に亀裂が入っていて、それで落下したのではないかと疑われている模様。で、翌26日はスクリーン4だけ閉鎖して他のスクリーンでは上映していたのですが、その後、夜6時以降の上映がすべて中止に。おそらく、スクリーン4だけの問題じゃない、他のスクリーンでも起こるかもしれない、と判断したものと思われます。
その後、映画館は営業休止となり、すでにチケットを売っていたライブビューイングを他の映画館に振り替えるなどしているようです。
映画館では当初、休業の理由を明らかにしていませんでしたが、都心の一等地のシネコンが営業中止で再開のめどもたっていないということで、1月30日にはヤフーニュースになり、ついに同日夜に天井の破損によるということをサイトで表明しました。
TOHO日本橋は2月1日から午前十時の映画祭で「パルプ・フィクション」を上映予定でしたが、再開のめどがたたないことから2月前半のこの映画と、後半の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ ディレクターズ・カット」が上映できない可能性があります。午前十時の映画祭は2つのグループに分かれていて、日本橋と同じグループにはほかに23区内の映画館がないのです。つまり、都心での上映がなくなってしまうということに。別グループには新宿と錦糸町がありますが、この2つは前半は「ワンス・アポン~」を上映、後半が「パルプ・フィクション」となるため、映画ファンがこっちに集中? 新宿の「ワンス・アポン~」はハコが小さいせいもあって、土日はすでに売り切れです(錦糸町はやや広めのハコで余裕あり)。次の週の3連休も新宿は席争奪戦になりそう。もうちょっと違う時間帯にもやってほしいんだが「ワンス・アポン~」。
TOHO日本橋のライブビューイングはユナイテッドシネマお台場に振り替えるものも出てきていて、TOHO以外にも影響が広がり始めているようだし、どうなることやらです。都心のシネコンの中では一番好きなところなので、早く再開できるようになってほしいです。
ちなみに、映画館の入っているコレド室町は今回の件とは無関係で、通常営業しています。