久々、キネマ旬報シアターで「人生フルーツ」と「ともしび」をハシゴ。
どちらも老夫婦が主人公だが、ドキュメンタリーと劇映画の違いはあるとはいえ、あまりに対照的、明暗分かれる老夫婦物語。
「人生フルーツ」は1950年代から60年代に公団住宅の区画配置を手掛けた建築家、津端修一とその妻が暮らすスローライフを描いたドキュメンタリー。津端がかかわった愛知県のニュータウンのすぐそばで、野菜とフルーツを育てて生活している。あこがれる人が多いだろう自然体生活なわけだけど、私が興味を持ったのはそこではなく、3年半前に引っ越した今の団地が津端が活躍した時代の公団住宅で、津端はかかわっていないが、彼の設計を横目に見て造った団地と言われているからだ。
津端が手掛けた団地は建て替えによりなくなってしまったり、一部しか残っていないところも多いが、私が住んでいる団地は建て替えをしないことになっていて、あのスローライフに通じるゆったりとした空間、大地の起伏を残した空間がまわりにある。
そういう興味から見に行ったが、団地の話はあまりなく、津端夫妻のゆったりとした生活、愛情あふれる暮らしが描かれる。途中で津端が亡くなってしまい、奥さん1人でこの家と庭をきりもりできるのかな、と一抹の不安を感じるが、とりあえず、人があこがれるような豊かさの暮らしと夫妻の人生をほのぼのと描いた映画になっている。
「ともしび」は逆に、老いた夫が刑務所に収監され、妻が追い詰められていく物語。シャーロット・ランプリングは老いても美人という雰囲気があったが、今回はそういう雰囲気がなく、ひたすら老いが強調され、ヌードになって老いた肉体を見せるシーンもあって、見ていてつらいものがある。
夫がなせ刑務所に入ったのかはまったくわからない。「あんな幼い子供に」と叫ぶ女性がいるので、子供への性的虐待か?と思うが、その証拠もない。夫妻の息子など親族は夫妻を疎ましく思っているようだが、これも夫の逮捕のためなのか、それ以前からなのか、はっきりしない。
芝居のサークルの仲間や、家政婦に行っている家の人々、犬を譲り受ける親子など、つきあいの浅い他人からは特に邪険にされたりはしていない。しかし、スポーツジムの会員証が無効になっているのはやはり夫のせいなのか?
夫の罪に対して妻がどの程度責任があるのかもわからないが、妻は夫を見捨てていないし、孫に会いたいし、息子などとも仲良くしたいと思っているようだ。夫と子供と孫に囲まれた老後を求めていたのに、愛する者から疎外され、人生に苦しみしか見出せなくなっているという、「人生フルーツ」とは正反対の、最悪の老後という感じ。
ラスト、地下鉄の駅の中を、視覚障碍者用の黄色いブロックを追ってホームに降りていくシーン。オズの国の黄色いレンガの道はエメラルドの都に通じていたが、彼女の歩む黄色いブロックは死に向かっているように見えた。ホームに着いたとき、電車の来る音がすると、彼女が自殺してしまうのではないかと思ったが、反対側のホームに立つ女性がぼんやりと見える。ドアが開いて中に入ると、がらんとした車内。以前に地下鉄が登場したときは、赤い服を着た白人の男たちがまわりにいたり、1人で怒鳴っている黒人の女性がいたりと、どこか不安にさせる乗客がいたのに、最後は誰もいない車内。人は最後はひとりになるということであろうか。「人生フルーツ」の妻も最後はひとりになったのだが。
出かけたついでにベローチェもハシゴして、猫のクリアファイル2枚目をゲット。
今回はこれ(写真はシャノアールのキャンペーン・サイトから)。
これもわりと欲しかったのですが、12種類コンプは無理でも一番欲しいのが出るまでがんばってみようかと。なかなか出なかったらどうしよう。