2023年8月30日水曜日

「ファルコン・レイク」(ネタバレ大有り)

 評判がいいので見に行った「ファルコン・レイク」。


カナダの、おそらくフランス語圏のケベック出身で(推測です)、フランスでまず女優として活躍し、この映画で長編初監督となったシャルロット・ル・ボンの作品。カナダのケベック州の湖のほとりを舞台に、フランスからバカンスに来た家族の長男と、地元の少女の淡い恋が描かれる。

原作はフランスのコミックで、日本のタイトルは「年上のひと」。これ、最初の部分が読めるのだけど、映画とは主人公たちの名前が違うし、舞台はどうもフランスの海辺のよう。最初にどちらの母親も流産の経験があるという話が出てくるが、これは映画には出てこない。

年上のひと (torch comics) | バスティアン・ヴィヴェス |本 | 通販 | Amazon

バカンスとはいっても、主人公たちが住むのは少女と母親の狭い家で、少年と幼い弟と少女は狭い部屋で同居。少年は13歳でもうすぐ14歳、少女は16歳で、2年ほど前に会ったときはまだお互い子どもだったが、今は思春期で、性への関心が高い。この年齢の少年少女を同居ってどうよ、と思う。そのほか、原作どおりのようだが、少女はタバコを吸い、お酒を飲み、少年も同じことをするようになる。

ケベック州はフランス語圏とはいえ、カナダだから英語が話せる。少女と友達の青年たちが英語で話している(青年たちは英語圏の人かもしれない)。青年たちの中には元カレがいて、少年は嫉妬するが、少女は彼が自分とやったと嘘をばらまいているので軽蔑している。彼女はまだ未経験の奥手で、彼も奥手。そんな2人がセックスまでは行かない淡い性と恋を体験していくのだが、少年が彼女とやったかと聞かれて、やったと嘘をついてしまい、そこから悲劇へと向かう。

監督のオリジナルの話ではなく、原作があるので、原作を読まないとなんとも言えない部分があるし、見ていてなんとなくもやもやしたまま終わってしまったので、ネットで他の人の意見感想をのぞいてみた。が、これまではわりと役に立っていたネタバレ解説がことごとくダメ。そして、ようやく役に立つと思えたのがこれだった。

『ファルコン・レイク』 - | ele-king

ネットの記事は字数制限がないので、あまりきちんと考えずにだらだらと長く書いてしまっているのが多くて、これもその欠点を免れていない。でも、プロの音楽評論家らしい、音楽と関係づけて論じている部分は音楽に疎い私にはためになった。

そして、それ以外の部分で、私がもやもやと考えていたことをはっきりした言葉に変えてくれていた。

冒頭から死のイメージがある、というのは、最初のシーンで少女が湖で死体のように浮いている場面、少女も少年も幽霊のコスプレをすること、子鹿の死体などで気づいていた。「シックス・センス」は私も連想した。

上の論考で特に秀逸なのは、インターネットとの関係を述べている部分で、少女は母親からスマホを禁じられ、少年はスマホは14歳になってからと言われているので、少年と少女はネットのない世界で生きる。しかし、周囲の人々はスマホを持っているので、少年の嘘はスマホで知れ渡ってしまう、という部分。

映画の中で、青年たちが、湖の幽霊は少女の嘘だ、なぜならインターネットを検索しても出てこないから、と言うと、少女がネットがすべてではないと反論する場面がある。ネットがすべての世界とそうでない世界の分断。

以下、ネタバレになるが、ラスト、自分の家族が湖を訪問する場面を見ていた幽霊になった少年がそのあと、湖のほとりにいる少女のところへ行く。後ろ姿の少女に呼びかける。髪の毛しか見えない彼女の顔がちらりと見える。

泳げない少年が、湖を泳いで対岸へ行った少女と青年たちを追って湖を泳ぎ始め、それで溺死してしまったことを示すシーンだ。上の記事も、他の記事も、少年は幽霊で少女は人間と解釈しているようだが、私は少女も幽霊なのではないかと思った。(原作冒頭の流産の話とつながるのでは?)

少女がスマホを禁止され、スマホを持たない少年とネットとは無縁の世界で生きるようになったとき、少女も少年もネットのある現実世界から見たら幽霊のような存在になったのではないか。そして「シックス・センス」のように、少年と少女は自分たちが幽霊であることを知らずに、現実を眺めながら、自分たちの世界を生きていたのだろう。ラストは少なくとも、その暗喩ではないかと思う。

「マイ・エレメント」に続き、日本橋で見た。終わったあと、また近くの神社へ。




風鈴がたくさん。


このあたりは座れる場所が多く、周囲にはやなか珈琲店などがある。ミストがある場所もあった。


またコレド室町テラスをのぞいて帰る。ここも座れる場所が多い。郊外だとショッピングセンターには座れる場所がたくさんあるけれど、都心はまるでなかったが、このあたりはそういう場所ができている。

2023年8月28日月曜日

見た映画

 オンライン試写で見せていただいた映画2本。公開はどちらも8月18日なので、見たのはその前です。


クローネンバーグの新作「クライムズ・オブ・ザ・フューチャー」。

痛みを感じなくなった世界、ということですが、痛みのない世界のリアリティがまったくない。

痛みを感じないから麻酔なしで手術ができて、それをショーにしてるとか、止血や輸血はどうすんの?と思うけど、この世界では血が出ないのか?

そういうところが私から見ると決定的にダメ。

映像も特にグロってわけではないし、なにか、全盛期のクローネンバーグにあった切実さみたいなものがない。

と私は感じるのだが、評論家のみなさんの点は高いのね。

クローネンバーグに限ったことではないんだけど、巨匠名匠だともう全盛期はすぎてさほどいい映画じゃなくても点が甘い。

私の若い頃もベルイマンだとみんな絶賛てのはあったけど、ベルイマンは衰えたって感じはなかったよね。つか、ベルイマンクラスだったら絶賛でもよいけどよお。

なんかさあ、今の評論家って権威や名前に弱くないか?

そして「ふたりのマエストロ」。

それなりに成功を収めたフランスの指揮者。が、今は息子の方が指揮者として人気がある。

その父親の方に、ミラノスカラ座から音楽監督就任の依頼。

あこがれのミラノスカラ座! 父親は有頂天になるが、実は息子への依頼を間違って父親のほうにしてしまったのだ。

これはもう、スカラ座のミスなんだから、当然、スカラ座が事情を説明して謝罪すべきだと思うのに、なぜか、スカラ座は息子に丸投げ。息子は母親に丸投げ。結局、母親が夫に説明することになる。

息子は、父親の方がベテランなので適している、とスカラ座に言うのだけど、スカラ座は若い人が欲しいという。そうなのよね、老兵は死なず、消え去るのみ。

息子の周辺にはマネージャーの元妻がいたり、第二ヴァイオリンの恋人がいたり、10代の息子がいたり、また、父親との確執もあり、父と母の間にも過去にはいろいろ問題が、と、人間模様はなかなかに面白い。

特に新しいところはないフランスの人情話なのだけど、こういうちょっといい話がフランス映画には多くて、そこがハリウッドリメイクの対象にされる理由なのだろう。

しかし、指揮者の最高峰は、「ター」のベルリン・フィルと、このミラノスカラ座なんだなあということをあらためて感じた。

追記

父息子で指揮者というと、エーリッヒとカルロスのクライバー父息子がいる。

実は私はカルロス・クライバー指揮のミラノスカラ座の日本公演を見ている。

1988年9月、ミラノスカラ座公演の千秋楽が、クライバー指揮の「ラ・ボエーム」。会場は神奈川県民ホールだった。

4つの演目のうち、3つは東京で見たが、「ラ・ボエーム」は神奈川だと東京よりいい席が取れそうなので、そこにしたのだ。

他はS席でも悪い席ばかりだったが、これだけは前方中央の席。しかも、千秋楽なので、最後に指揮者と歌手がはっぴを着てマス酒で乾杯。

クライバーがはっぴを着てマス酒で乾杯ですよ。

なんかいいものが見られました。

2023年8月26日土曜日

「白鯨」を阿部知二訳で読み直す。

 講談社文庫の新訳で「白鯨」を読んだら全然面白くなかったのだけど、原文の冒頭部分を見たら文章が詩になっていて、あれ、と思い、阿部知二訳だと面白いという話を聞いて、原文で読むのも大変だからとりあえず阿部知二訳を読むことにしました。

阿部訳は岩波文庫のほか、複数の全集に入っていて、全集は近くの図書館にあるのですが、文字が細かいし本は重いし。一方、岩波文庫は新訳が出たので、地元の市立図書館では旧訳は処分してしまったらしい。

そんなこんなでどうしようかと思っていたところ、たまたま読みたい絶版本があって、探したら、近隣のカードのある図書館では葛飾区立図書館にしかないことがわかり、そこには岩波文庫の阿部訳があるので、一緒に借りることにしました。ネットで予約し、翌日には資料の準備ができたのですが、なんと、上巻だけ貸出中だった!

とりあえず中下を借り、上巻の部分は全集で読むことも考えましたが、県立図書館の遠くの館に岩波の旧訳がある。そこで上巻を予約。県立は本の移動が週に2回しかないので、すぐに来ないことが多いのですが、たまたま予約した日の翌日が移動日だったので、すぐ借りられました。

そして、読み始めてびっくり! 新訳と同じ小説とは思えない。一字一句じっくり読んでしまうような名文。登場人物の一人一人がくっきりときわだっていて、物語の全貌がようやく見えたかのようです。

イシュメールの盟友クイークエグって高貴な野蛮人(ノーブル・サヴェッジ)だったのか!

インディアンやアフリカの黒人も高貴な野蛮人として描かれている。新訳ではまったくそうは見えなかったのに。

たまにちらっと出てくるエイハブも、新訳では感じられなかったものすごい存在感。

新訳やネットの解説ではクイークエグを高貴な野蛮人として解説してるのは見なかったな。探せばあるのかもしれないけど。

たぶん、野蛮人が今は差別語だからということもあるのだろうけど、そもそも「高貴な野蛮人」という概念が白人中心主義の差別的概念ではあるので、野蛮人を野生人と置き換えても本質は変わらない。でも、過去にはそういう伝統があったのに、それをなかったことのようにしてしまうのはどうなのだろう。差別的概念だということも含めて解説すべきなのではないだろうか。

まあとにかく、阿部訳は今だったら問題になる差別表現が満載なので、これはもう古典の名作として扱うしかないのは理解できます。新訳もほかのは読んでいないので、新訳でもよい訳があるのかもしれない。

新訳で読んだとき、「白鯨」に似た小説はスターンの「トリストラム・シャンディ」かな、と思ったのですが、阿部氏の解説に、メルヴィルがこの小説を愛読していたらしいことが書かれていて、我が意を得たりでした。が、私は「トリストラム・シャンディ」をとても面白く読んだのだけど、訳が朱牟田夏雄だったのだね。もしも新訳が出たら、面白く読めないかもしれない。

私が10代20代の頃はこの手の昔の名訳者の翻訳が普通に出回っていて、それを読んで外国文学を好きになったので、今の新訳では好きにならなかったのではないか、そんなことも考えてしまいました。昔の名訳者がいなかったら、英米文学の道に進むこともなかったかもしれない。

さて、県立図書館から借りた上巻(左)と、葛飾区図書館から借りた中下巻。


実は上巻は1964年、中巻は1986年の版です。上巻の方にはしおりがわりになる紐がついている。今は新潮文庫しかついていません。上の方にちらっと見えるのは、本を押さえるために置いた下巻。


上巻の鯨学の手前まで読みましたが、じっくり読んでいるので時間がかかりそう。でも、楽しい読書です。

2023年8月24日木曜日

リック・ジャネレットの訃報

 すっかりホッケーとはごぶさたで、今どうなっているのかさえ把握していなかったが、NHLのバッファロー・セイバーズ公式からのメールで、名物アナ、RJことリック・ジャネレットの訃報を知る。

2023年8月17日、81歳で永眠。

セイバーズでは1971年から2022年まで、実況アナウンサーをつとめた。

Sabres Hall-of-Fame play-by-play announcer Rick Jeanneret passes away (nhl.com)

ここの動画で彼の名せりふの数々が聞けるのだけど、例のデレク・プラントの劇的なOTゴールの動画も。これ、デレクのゴールよりもその状況が劇的だったのと、そしてなによりも、RJのコールがすばらしかったのだ。

8月27日にバッファローで追悼セレモニーがあるよう。画像は上のサイトから。


Rest in peace.

2023年8月23日水曜日

やっと「バービー」を

 見てきた。


「バービー」は全世界で大ヒットと言われているけれど実際は、

大ヒットしているのはバービーが人気のある地域。欧米、オセアニア、中南米といった白人文化中心の地域。

アジアなど、バービーがまったく人気がない地域ではコケている。中国ではヒットと言われているが、中国の映画興行から見たら小ヒットにすぎず、しかも中国への忖度があったので利害関係のあるベトナムでは上映禁止。

つまり、世界の半分での大ヒットなのが現実。バービーを知っているかどうかが分かれ目で、これが世界を分断していることがわかる。

映画の冒頭、「2001年宇宙の旅」冒頭シーンのパロディで、赤ん坊の人形で母親ごっこをしている幼い少女たちの前にバービーが降臨し、少女たちは赤ん坊の人形を壊してバービーを称える。

こうしてできたバービーランドは女性中心社会で、女性の理想を実現した?と思いきや、異変を感じたバービーがケンと一緒にリアルワールドへ行くと、そこは男性中心社会。そして、中学生の少女たちから「バービーはフェミニズムを後退させた」などといった批判を受けてしまう。

つまり、赤ん坊を育てる価値観から、スリムでスタイルのいい金髪の若い女性という価値観に変わっただけで、多様性とか女性の地位向上が実現されたわけではないという皮肉。

その上、バービーランドでは添え物扱いだったケンが男性中心社会に目覚めてしまう。

バービーの製造元マテル社も製作に加わっていて、自社への風刺も盛り込まれているこんな映画に加わるなんて、わが社は進んでいるでしょ、と言いたげな雰囲気も感じる。

実際、バービーは黒人のバービーや太ったバービーなどの多様なバービー人形を生み出しているが、結局は金髪美人の定番バービーが人気なわけで、多様性はやってます、みたいなポーズを感じるが、それでもOKしてしまうマテル社はすごいのかどうかわからん。

バービーの世界への風刺と皮肉、現実世界への風刺と皮肉、そして最後の部分では多様性と、一人一人が自分らしく生きることをせりふで長々と説明して終わる。

この最後の、せりふですべて説明して、というところが私にとってはかなりの減点部分。

私自身はバービーをまったく知らないので、バービーファンならわかる面白さとか笑える部分とか全然わからないので、そこがわかるとまた違うのかもしれないし、最後にバービーの生みの親の老婦人と出会うシーンとか、バービーファンには涙ものなのかなあ、とは思うけれど、とにかく、バービーを知っているかどうかで世界が分断されていることを実感する。

この映画のバービーランドとリアルワールドは映画がヒットしている白人文化中心の地域の中のもので、その外の世界、バービーになじみがなく、映画もヒットしていない非白人文化の地域はまったく描かれていない。

映画のリアルワールドはマテル社の重役たちが白人男性ばかりなのを見てわかるとおり、男性中心主義であると同時に、白人男性中心の世界でもある。そんな中で、バービーランドでは女性が活躍しているところを見せることで、男性中心社会を維持しているといった皮肉もある。こういう構図は日本などの「バービー」がヒットしていない世界にもある。

その一方で、この映画を見て強く感じるのは、これはバービーオタクのコミケワールドであり、その外の世界、映画がヒットしない非白人文化の地域ではこれがどう見えるかをまるで考えていないということだ。

オタクの人々はおおむね、オタクの世界を守るために、その外の世界にオタクの常識を持ち込まないようにする。コミケなどは特にそれを注意している。

しかし、バービーオタクの世界は世界の半分という、あまりに広い地域なので、「バービー」がヒットしない外の世界があるということに気づかないようだ。だからバービーと「バービー」の常識を外の世界にまで持ち込み、ヒットしない世界は遅れていると言い出す人がいたり、原爆とコラボして悪ふざけしたりする人が少なからずいるのだろう。もちろん、映画の作り手たちがやっているのではないが、それを容認してしまう雰囲気がある。そして、日本のフェミニストたちを怒らせた駐日大使の「バービーは全女性の代表」発言もまた、このバービーオタクの世界の浅はかな常識を押し付けたものだ(しかも、映画のテーマにも反している)。

映画がヒットしない地域が遅れている、と決めつけるのは、ネオ植民地主義と言われるものである。

映画がこれほどヒットしてしまうということがなければ、映画が大ヒットする白人文化中心地域と映画が大コケする非白人文化中心地域の分断みたいなものは見えてこなかったのではあるが。

2023年8月20日日曜日

幼少のみぎり

 もちろん、知っている言葉だったし、なんとなく意味や使い方もわかっていたのだけれど、きちんと確かめたくなって調べてみた。

主に高貴と見なされる人物の、幼いころを意味する語。(Weblio国語辞典)

思ったとおりでよかった。

砌(みぎり)という漢字は初めて知りました。石を切るのか。

2023年8月19日土曜日

読んだ本

 原爆に関する次の3冊を読んで、何かきちんとしたことを書こうと思っていたのだけど、どんどん時間が過ぎてしまうので、とりあえずの紹介を。(参考 右サイドの2023年8月の記事「これから読む本」)


右から順に読んだ。

「プロデュースされた〈被爆者〉たち」(2021年)は近くの県立図書館の映画書コーナーにあった。たまたまそこを見ていたときに発見したので借りることができた。

アラン・レネ監督の映画「ヒロシマ・モナムール」(「二十四時間の情事」)を分析しながら、原爆投下に関する日本とアメリカのギャップを明らかにしたもの。日本ではほとんど顧みられないこの映画が、なぜか北米では人気が高く、研究論文がよく書かれているらしい。しかし、この映画は原爆については最初の部分をのぞいてほとんど描かれておらず、むしろ、脚本のマルグリット・デュラスのフランスでの戦時体験が反映されている、デュラスの映画になっているとのこと。

しかし、著者の柴田優呼はこの映画はレネが「夜と霧」の広島版として、ドキュメンタリーとして作ろうとしたが、途中でデュラスが参加する劇映画に変えたこと、冒頭の記録映像が日本人によって撮られたものであり、その中には米軍に差し押さえられた幻の映像もあったことを明らかにする。そしてその上で、この映画の日本人男性とフランス人女性の2人の主人公に、最初はフランスの植民地となり、のちに日本の植民地となったインドシナを見る。そこからポストコロニアル批評を展開していく。

この映画の分析と並行して、著者は日本の初期の原爆映画や原爆文学について触れ、それに対してこの映画をはじめ、北米では被爆者が隠されていることを明らかにしていく。

映画「オッペンハイマー」では原爆の雲の下の被爆者がまったく描かれないことが一部で批判されたり、また、この映画とコラボした「バービー」の原爆悪ふざけがやはり被爆者のことをまるで考えていないとして日本から激しい反発を受けた。ちょうどそのときにこの柴田の著書を読み、北米では被爆者の存在はとことん無視されているのだということをあらためて知った。

この本で一番印象に残ったのは、あとがきに書かれたあるエピソードだ。著者がニューヨークで開かれた原爆についての国際会議に参加したとき、登壇者の白人女性が、「被爆体験を知るのは自分たちが被害をこうむったときに役立つからでしかない」と力説した。実際の被爆者はどうでもいいととれるこの発言に著者はショックを受けた。そして、そのあと登壇したカート・ヴォネガットが、ほとんど何も言わずに壇を降りてしまったのだという。

ヴォネガットは第二次大戦中、米軍捕虜としてドイツのドレスデン捕虜収容所にいたとき、連合軍による激しい空爆を受け、それをもとに「スローターハウス5」を書いた。ヴォネガットにとって、アメリカ人の自分がアメリカから空爆を受けるということがショックだったのだ。広島ではアメリカ人捕虜が、長崎では連合軍捕虜が原爆で亡くなっているが、自分の体験からそのことを話すつもりだったのかもしれない。しかし、実際の被爆者はどうでもいい、ととれる発言を聞いて、何も言えなくなったのではないか。

原爆の下にいた被爆者を無視する、いなかったことにする、というアメリカの風潮から考えると、被爆者を考えることを表明すること自体が、アメリカではできないこと、やったら自分の立場が悪くなるのではないか、と邪推してしまう。クリストファー・ノーランが被爆者を描かなかったのも、グレタ・ガーウィグが原爆コラボ騒動でノーコメントなのも、何か言えば立場が悪くなるからかもしれない。

同じ柴田優呼の「”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する」(2015年)は、「ヒロシマ・モナムール」と同じく、日本ではほとんど顧みられないジョン・ハーシーの「ヒロシマ」が北米や世界では原爆を扱った作品の正典となっていること、そして、日本の原爆に関する文学などがこの「ヒロシマ」に従うように書かれていることを明らかにしている。ハーシーの「ヒロシマ」はアメリカに受け入れられやすい原爆ものになっているが、日本の原爆ものもそれに追随してしまったことが書かれている。その一方で原爆を赤裸々に語る日本の書物も紹介されているが、こうした書物は北米ではほとんど読まれていない。ハーシーの「ヒロシマ」だけがずっと正典であるようだ。

柴田は日本人について、原爆の被害者としての面だけでなく、戦争の加害者としての面もきちんと受け入れなければ、被害を訴えても力がない、とも言っている。

一番左の「原爆で死んだ米兵秘史」は、広島の被爆者である著者が、広島で被爆死した米軍捕虜の存在をアメリカが認めず、長く隠していたことに憤りを感じ、被爆死した米兵の遺族と連絡をとったり、広島以外の場所にいたので助かった米兵と会ったりして書き上げた労作である。ここにもアメリカが被爆者の存在を認めない風潮が見える。

2023年8月15日火曜日

「マイ・エレメント」

 予告編を見たときはあまり興味が持てなかったのだが、その後、評判を聞いて、見に行くことにした「マイ・エレメント」。


原題は「エレメンタル」。なんでも「マイ」をつけるのが日本。

エレメントというのは英文学やってる人なら当然知っていることだけど、西洋の伝統にフォー・エレメンツ(四大元素)というのがあって、火、水、風、土のこと。

それを人種に置き換えてやっているのがこのアニメーションで、舞台となるエレメント・シティというのはどうしても「オズの魔法使い」のエメラルド・シティを連想してしまう名前。

そのエレメント・シティに火の夫婦がやってくるが、まだ火の人々はあまり来ていないようで、他のエレメントから邪険にされ、空き家に住んでそこを店にすると、その後、そこが火の人々の住む地域になるという、アメリカの移民をそのままなぞったような展開。

夫婦に娘が生まれ、娘はやがて水の青年と恋に落ち、という展開だけれど、この世界はどうも水が一番はびこっていているような映像表現で、水の人々が一番裕福で立場も上みたいな感じ。つまり、水の人々が白人? でも、水の青年の声はアフリカ出身者のよう。

とはいっても、エレメントの違いを超えてみんな仲良く、というのがテーマなので、悪い人は出てこない。みんな話せばわかる。アジア人がモデルのような火の父親は家父長的かと思ったら、ほんとは娘の幸せを一番願っているとか。

というわけで、とてもハッピーに見られる映画で、クライマックスは映画の中も外も涙涙に包まれる。映像やせりふもいろいろ凝っていて、楽しめる。

近隣は吹替しかやっていないので、字幕を見るために日本橋まで出向いた。久しぶりにその周辺を歩き、神社の写真を。



近くのコレド室町テラスという新しい建物に初めて入った。広い書店や面白い雑貨や食料品の売り場があり、書店には私がかかわった本が3冊もあったので、うれしくなった。

いま住んでいる場所は、谷中の猫に会いにいくことを考えて選んだので、あの猫がいなくなったらもっと不便で家賃の安いところに引っ越すことを考えていたのだけど、なぜか、猫がいなくなったら、また都心に戻りたくなった。あのコレド室町テラスみたいな場所が恋しいのだ。ああいうところに安い交通費で毎日気楽に行けた時代が、いまとても懐かしい。最近、郊外の息苦しさを感じている。

2023年8月14日月曜日

真夏の夜の上野動物園2

台風接近中で、日曜日を逃すともう行けないかもしれない真夏の夜の上野動物園。水曜は大丈夫かもしれないけれど、混みそう。ということで、日曜にふたたび夜の動物園へ。

上野駅から動物園へ行く途中で雨が降り出し、中に入ったときには豪雨になっていた。



その後も断続的に降ったりやんだり。この前見られなかった夜のアザラシとトラと象を見られたからよしとしよう。トラは暗くて写真ほとんど撮れなかったが、すぐ目の前まで来たときもあった。





東園の夜の森。コロナ前に行ったときは誰もいなくて、動物は蝙蝠が寝てるだけだったけれど、今回は人もけっこういたし、動物もいろいろ起きていた。



西園の小獣館へまた行く。



小獣館は冷房が入っているので、そこを出てレッサーパンダへ行ったら、レンズが冷たくて結露してしまい、ぼけた感じの写真に。


3歳になった子猿3匹のうち、2匹が片方の母親にくっついている。まだまだ子ども。


雨なので人はわりと少なく、さるやまキッチンで久々にさるまん食べて生ビールを飲んで、短い時間ながら満喫しました。金曜は人が多くてフードとドリンクを買う長い列ができていたけれど、この日は東園も西園も並ばずに買える状態だった。

夜の動物園といっても、暗くなるのは7時なので、閉園の8時までの1時間しか夜を楽しめない。なので、何回も行かないと夜の動物を見られないのです。

2023年8月13日日曜日

真夏の夜の上野動物園

恒例の真夏の夜の上野動物園が8月11日から16日まで開催。

早速、初日に出かける。が、上野駅に午後5時に着いたら陽がガンガン照り付けて暑いので、西洋美術館の常設展で涼むことに。


6時近くに動物園に入る。



パンダ双子はもう観覧終了。親のリーリー、シンシンはまだ並べたので、一応並ぶか、と思って西園へ。途中にあった展示。


が、シンシンは奥の方で寝ていて、よく見えない。リーリーは奥の部屋に入っていて、まったっく見えない。



これで時間を使ってしまったので、もうあまり見れなくなってしまう。とりあえず、パンダのもり近くの小獣館へ。ここは夜行性の動物がいる。1階のマヌルネコ。


地下へ。ここは非常に暗くて、マヌルネコはこの程度しか見えない。


が、7時になったとき、突然、場内の照明がついて、明るくなった。夜行性動物にとっての昼間、寝る時間になったのだ。それまでよく見えなかった動物たちがよく見えるようになり、場内は「かわいい、かわいい」の声でいっぱいに。





このあとレッサーパンダやハシビロコウやペンギンなどをちょっと見て、東園に戻ってニホンザルを見たりしたらもう閉園の8時。象とかトラとかアザラシとか見たかったのに。

コロナで2年間開催がなく、昨年は開催されたけれど知らない人が多かったのか、とてもすいていた。が、今年は大変な混雑で、コロナ前に戻っていた。

明日から台風で雨模様だけど、もう一回行ってみたい。

今回、ほんとうにあまり見れなくて、しかも、動物園を出たあとにいやなことが4回くらい起こった。うち3回はたいしたことではないのだが、最後のが。

実は今のところに引っ越してから8年間、2階下の頭のおかしい男にずっと軽いいやがらせをされていたのだが(軽いので無視していたが)、この日、そいつが毎晩、私が帰るのを部屋からずっと見ていたことがわかったのだ。その頭のおかしな男は自治会の役員か何かをしている高齢者の家族らしいのだが、たぶん、団地内の人はそいつのことはわかっているのではないかと思う。UR賃貸は民間では断られてしまうような人も入居しているので、よそへ引っ越してもこういうことはありそうだ。もともと、内見のときにも、隣がおかしいと思ってやめた部屋があったくらいなので。今のところは内見のときはわからなかったが、入居した直後からちょっとおかしかった。最初はその男ではなく、高齢者の方だったが。あとから入居してきた高齢者からいやがらせされたこともあって、その人はすぐにまた引っ越してしまったが、どうもこの団地、問題あるのかもしれない。

というわけで、最後はちょっとヤバイかもしれない話だけど、引越するといってもなかなか選択肢がないので、困ったものです。以前はヤバくなったら団地内で引っ越しと思っていたのだけど、去年の春からこの団地、5年の定期借家でしか借りられなくなってしまったのです。

2023年8月10日木曜日

変な夢

 酷暑のせいで、よく眠れなくて睡眠不足で、夢も見なかったが、最近、変な夢を見た。

この前見たのは、文庫に解説を書いたことがある某出版社から翻訳の依頼があった、といういい夢。もちろん、願望の表れで、現実にはあり得ない。その出版社とはかなり前に縁が切れている。

そして、昨夜というか、今日の午前中、二度寝したときに見たのが悪夢。

A出版社の男性編集者が2人、自宅に押し掛けてきて、私がB出版社に投稿という形で送った原稿で、私がA出版社を誹謗中傷している、と大変な剣幕。

この2人の男性編集者はまったく見覚えがなく、私が勝手に想像した架空の人物。そして、B出版社に原稿を送ったということもまったくないので、これも架空の設定

最後は、私が逆ギレして、2人を袋に入れて階段の踊り場に突き落とす、という結末。まあ、私らしい結末ですね。

前の夢は完全な願望だったけれど、この悪夢は今の私の状況から出てきた悪夢だった。

うーん、つまり、評論家・翻訳家として干されている状態が長く続いていて、その一方で完全に縁が切れて別のことをしているわけでもないので、不満が常にたまっている。その不満をどこかで吐露してしまいたいという願望もあるが、そんなことしたら完全に縁が切れちゃう。

でも、この状態、すでに10年以上続いているのに、なんで今まではあまり気にしていなかったのかな、と思ったら、15年間つきあった猫に会いに行けばすべての悩みが消えるからだった。

郊外に引っ越して交通費がばかにならなくなっても、週に2回は会いに行った。そして会えば、悩みは消え、来てよかった、と思って帰路につけた。

その猫がいなくなって5か月目に入った。

8月8日は世界猫の日だったそうな。

暑いから、涼しげな猫の写真でも貼っておこう。


柴田優呼の原爆に関する2冊の本はすでに読んだし、オンライン試写で見た映画もあるので、次は本と映画の話題で。

2023年8月6日日曜日

花火大会ご難の日

 8月5日は各地で花火大会が開かれましたが、板橋ではナイアガラの火が土手の枯れ草に引火して火事になり、中止。対岸の同時開催の戸田市は続行、最後まで行えたようです。

一方、千葉県150周年、松戸市80周年、国内最大規模の25000発打ち上げ、と派手に宣伝していた松戸市花火大会は、なんと、強風で途中中止。松戸から見えていた江戸川・市川、手賀沼(柏・安孫子)、そして戸田は完遂したのに。

松戸は25000発ということで、相当楽しみにしていたのです。コロナ前は対岸の三郷市で打ち上げ、松戸側の広範囲で大きな花火が見られるという、規模は小さいけれど楽しめる花火大会でしたが、去年の秋から打ち上げ場所が松戸市内の運動場になり、地形の関係で松戸側からは打ち上げ場所近く以外ではよく見えないことが予想されました。しかも、打ち上げ場所の運動場内は1万人かそこらしか入れない有料席、その周辺は広い範囲で立ち入り禁止。

そんなわけで、今年は三郷市側で見ることにします。

松戸駅から江戸川土手をてくてくと歩き、下流にある葛飾橋を渡ります。


ここから東京都。振り向くと千葉県。



橋の先は葛飾区。松戸から橋を渡って行く人は少ないですが、葛飾区民はどんどん北上していきます。おおかたは葛飾区内の土手に場所をとりますが、さらに北上する人も。私も土手を北上。ここから埼玉県三郷市。


歩行者通行止めの上葛飾橋のそばが打ち上げ場所に近いので、そこまで行こうかと思いましたが、同日開催の江戸川花火大会(江戸川区&市川市)から遠くなるのも、と思い、おそらくコロナ前には打ち上げ場所だったと思われるあたりに座ります。

なんと、手賀沼花火大会(柏市&我孫子市)が目の前。



松戸も始まりました。やはり距離が遠くなったので、以前に比べてかなり小さく見える。


江戸川も開始。最初の5秒間で1000発打ち上げという派手な大会で、江戸川区側90万人、市川市側50万人、計140万人という人出の、花火観客動員日本一の花火大会。テレビ放送もあったようで、あとでリプレイをネットで見ました。この花火大会は打ち上げがどちらも江戸川区側、打ち上げる花火会社も同じなので、花火に関しては完全な共催でしょう。ただ、会場が対照的で、江戸川区は事前場所取り禁止、有料席なし、屋台なし(飲食物持参)、市川市は事前場所取りOK、有料席あり、屋台あり、とのこと。


松戸も続いていましたが、このあと、まったく花火が上がらなくなります。


しかたないので、みんな立って江戸川を見てる。土手の下流なので、立たないと人で見えないのです。付近では、「25000発とかいって、もう終わったの?」の声。



だいぶたってから松戸、上がりましたが、すぐ終わり、また音なしの構え。


江戸川は派手にやっています。かなり遠くなのに、松戸と比べて花火があまり小さくない。松戸の花火が小さいことがよくわかる。


松戸、また上がりました。


が、手賀沼の方が花火の質が高い。江戸川、手賀沼と比べ、松戸の花火のしょぼさが。


松戸、どうもこれが最後だったみたいで、派手に。まだ予定では30分くらいあるはずなのに、このあとまったく音なし。結局3000発くらいしか上げられなかったらしい。ネットで、強風のため中止と出たようで、まわりは帰りじたく。



外環道の向こうに板橋区と戸田市の花火大会が見えてましたが、これを写したときには板橋は火災で中止になっていたことをあとで知る。これは戸田市の花火ということに。


江戸川のフィナーレ。


周辺の三郷市民(+都民&松戸市民?)の間からは松戸に対するがっかり感がものすごく感じられましたが、「市川はすごい」と言っていたので、千葉県の面目は保たれたよう。手賀沼も千葉県だし。来年は江戸川・市川にしようと、行き方を調べている人も。

松戸の花火大会は実は三郷中央駅から500メートルほど南下したあたりが一番いいとわかっていましたが、帰りの電車の混雑や、江戸川も見たいという思いから、葛飾橋を渡って北上するコースにしたのですが、来年以降、松戸の花火を見るかどうかは微妙。葛飾区からでも江戸川の花火はよく見えそうなので、来年からは葛飾区で江戸川を見るかもしれない。

参考に、2016年の松戸花火大会の記事を。このブログ、全然更新してない。

松戸市花火大会2016: 今日もピンボケ (cocolog-nifty.com)

現在の松戸花火大会は、有料席を買えた人以外は三郷市へ行った方が絶対いいです。遮蔽物がなくてよく見えるし、それほど混んでない。まあ、三郷市民と埼玉県警は迷惑だろうなあ。

葛飾区は松戸の花火大会に合わせて水元公園にキッチンカーを出しているようです。今回、飲食は松戸の有料席のみの会場内に屋台村があっただけ、それも実際にあったのはキッチンカーが少しで、飲食はかなり不便だったらしい。有料会場への出入りも面倒だったようで、有料の人たちの不満もちらほら(おまけに強風で中止)。

そして、この、強風で中止ですが、以下のような意見が。


私も、強風で中止の原因は、打ち上げ場所と観客席が近すぎたことだと思っています。

しかも、打ち上げ場所が客席の南にあるので、南からの強風では観客が危険です。

もしも、コロナ前の打ち上げ場所、三郷市の河川敷だったら、強風で中止はなかったと思います。打ち上げ場所の周辺はもちろん立ち入り禁止、見る人は対岸の松戸の土手で見るので、危険はないはず。

会場変更の理由は、以前の会場は松戸駅に近く、帰りの混雑がひどいこと、会場の土手が狭く危険だということですが、今回、遠くにして、帰りの混雑が緩和されたのか? 私の感覚では、遠くなった分、混雑の時間が後ろ倒しになり、いつまでも混んでいる、という印象でした。

また、会場が危険だったので、今の安全な会場にしたといいますが(その安全な会場が強風で危険にって、どうよ)、1万人余りのごく一部の有料席の人たちだけの花火ではないわけで、その人たち以外は土手は危険だから見るな、YouTubeで配信するからそれで見ろって、どうよ(公式にそう書いてある)。

多くの人が至近距離で見ることができた花火大会だから、花火がしょぼくても価値があったのだと思うのに、一部の人だけが間近で見れて、あとはYouTubeって、そんなもので見る価値のある花火かって話。現場にいた人は、江戸川や手賀沼の方が見る価値ありとはっきりわかったでしょう。

つか、ほんとは松戸市は花火大会やりたくないのじゃないかな。他の花火大会の公式と比べてすごい温度差があるよ。中止終了のツイートもさっさと消しちゃって、板橋の真摯なツイートとの差が。