2025年11月13日木曜日

いまさら「羊と鋼の森」

 なんとなく近くの市立図書館へ行ったら、だいぶ前から気になっていた「騎士団長殺し」があったので、それを借りることにし、近くを見たら映画化もされた「羊と鋼の森」があったので、それも借りた。

「羊と鋼の森」はすぐに読めた。


映画化も話題で、気になってはいたが、ピアノの調律師の話というのがどうも興味が持てず、原作も読まず映画も見ていなかった。

原作は、ピアノが好きな人や、ピアノを別のものに置き換えて共感できる人にはすっごくいい話だろうな、と思った。

そうでない人にとっても、癒される話で、文章も美しく、読者にいやな感じを与えるところがない。

ああ、こういう小説が受けるんだ、と思った。

私は、もっと、棘のある作品が好きで、人物のどろどろとか、重いテーマとか、そういうものを求めてしまう。

ピアノを習ったこともないのに調律師をめざし、実際に調律師になる主人公の青年は、自分は才能がないのではないかと思うことが多いが、周囲からは才能があると思われている。

それって、すごくいいことじゃない?

だって、普通は、自分は才能があると思うのに周囲からは認められないとか、あるいは、自分は才能がないのではないかと悩み、かつまた、周囲も才能があるとは思っていない、ってのが現実でしょう。

才能があるのに周囲から認めてもらえないと、ずっとずっとずっと、長い人生ずっと思っていた私にとっては、うらやましい限りです。

だから、共感できなかった。

また、調律師が全員男性で、女性は調律師の会社の事務員と、ピアノを弾く双子の高校生姉妹っていうのも、ジェンダー的にどうなのよ、と思う。

その辺の古さもまた、人気の秘密なんじゃないかとさえ、思ってしまうのだ。

ピアノを弾く姉妹のうち、世間的には才能があると思われていた妹がピアノが弾けなくなり、主人公が認めていた地味な姉の方が才能を開花させる、という展開も、正直、あまり感心しなかった。ピアノをあきらめて調律師をめざすという妹に、葛藤がなさすぎる。主人公の自己陶酔的成長物語がすべてな感じがする。

追記

ああ、そうか。自分は才能がないと思っている地味な人が、実は才能があって認められる、という話なのか。主人公の調律師もそうだし、地味な姉もそうだ。これが多くの人の願望なのか?