2026年9月19日土曜日

「モネと時間旅行」(ネタバレ大有り)

 とても楽しみにしていた「モネと時間旅行」。「新凱旋門物語」で音響と映像がよかったヒューマントラストシネマ有楽町までわざわざ出かけたのだけど、なんかすごくがっかり。



こういう過去の有名人や芸術家を都合よく利用したフィクションがそもそも嫌いなんだけど、モネのファンはこの映画を見てどう思うのだろう。満席に近い観客はほとんど女性だったが。

というわけで、これからはネタバレ大有りでどこが気に入らなかったかを書いていくので、差し支えない人のみ、どうぞ。この映画が好きな人は読まない方がいいかもです。


冒頭、モネの巨大な睡蓮の連作が楕円形の壁に沿って展示されているオランジュリー美術館のモネの睡蓮の前でプロモビデオを撮影するセブという青年。モデルは黄色いドレスを着ているが、これが背景の絵の色と合わないとモデルが言い、「服の色を変えようか」「いや、この服の宣伝なんだからだめ」「じゃあ、背景の色を変えよう」って、この会話からもう、だめ。

モネの絵の色を変えろって言ってるのよ。

しかもこのセブという青年、あとでわかるのだが、モネの子孫なのだ。青年時代のモネとセブを同じ俳優が演じている。

80年前に閉鎖された家と土地を買いたいというところが現れ、数十人の相続人がいることがわかり、セブら4人が相続人の代表となって家の中を調べると、古い写真と印象派の作品と思われる絵が出てくる。相続人たちは19世紀末にこの家を出てパリへ行ったアデルという若い女性の子孫であることがわかる。

アデルは1歳の時に生き別れになった母を訪ねてパリへ行くのだが、このアデルの過去の物語とセブたちの現代の物語が交互に描かれる。

現代の方はバラバラだった人々が親戚だとわかり、新しい人間関係ができる人情噺で、まあ、これはよい。

問題は過去の方なのよね。

アデルは故郷にボーイフレンドがいるのにパリで画家の卵と恋に落ちて、というのは別にいいのだが(でも、ずいぶん軽いというか、この軽さがモネとアデルのクライマックスの軽さでもあり、私はあまり感心しない)、アデルの母が画家と写真家とつきあっていて、画家との間に生まれたのがアデル。その画家モネは印象派の絵画を発表したばかりで酷評される。

アデルの母は1歳のアデルを祖母のところに置いて、モネではない別の男に数年間囲われ、その後捨てられて娼婦になったらしい。アデルが母を訪ねた頃にはモネはすでに有名になっているのだが、なぜか母親はモネを知らないみたい。

父親がモネであると知ったアデルはモネを訪ね、モネの庭で母親とモネが一緒にならなかった理由を聞く。するとモネは、「君も恋をしたことがあるならわかるだろうが、別の人を好きになってしまうこともあるのだ」と言うんだけど、これで、アデルの母が別の男を好きになってモネを捨てたの? それともモネが別の女性を好きになってアデルの母を捨てたの? どっちにしても、モネは父親としてアデルに対して責任があるはずなのに、育てるのはアデルの祖母任せって、父親も母親も無責任な。

アデルが故郷にボーイフレンドがいるのに、パリの画家と恋に落ちてしまう、ということからすると、アデルの母が別の男が好きになってモネと別れ、娘は祖母に預けてその男に囲われたってことなのかい? なんか、それを想像すると、この映画の表面的な妙なきれいごとが気になってしまう。

そんなわけでツッコミどころ満載なんだが、結局、アデルの母はモネの恋人だった、アデルはモネの娘だった、そして若き日のモネにそっくりのセブはモネの子孫で、映像の仕事をしている、って、モネにこんな関係の人たちがいたって、完全にフィクションでしょ? それとも何かモデルになることがあるのだろうか?

まあ、あの時代だからモネに隠し子がいたっておかしくはないんだろうが、要するに、この映画は、モネに隠し子がいました、っていう話なんで、それをどう評価するのか?

エンドロールで古い写真から現代のスマホの写真までがずらっと並んでいたり、同じ風景が過去と現代で切り替わるシーンとか、工夫はされてるけど、そんなにびっくりするほどのことでもないしな。ドビュッシーの曲が流れるのも印象派のお約束だし。

というわけで、モネ・ファンとしては受け入れがたい映画なんですが、映画が終わったあと、金曜は西洋美術館は午後8時までやってるので、口直しにモネの絵を見に行きました。

モネ没後100年の展示は23日まで。そのせいか、かなり混んでました。連休中はもっと混みそう。


最初の部屋に入ると、モネの初期の作品から展示されていて、ちょうど映画の舞台になったあたりの時代もありますが、絵の解説からは映画につながるものは何も感じられず。




西洋美術館のモネの絵で一番好きなのはこれ。


隣の部屋は西洋美術館の顔ともいえる睡蓮や舟遊び。ここにこれだけモネがあるのは松方コレクションのおかげで、松方はモネから直接絵を買っていたのだ。2枚の大きな睡蓮は松方がモネから譲ってもらったもの。





閉館30分前になってもまだ人がたくさんいて、15分前くらいになってようやく人が減ってきたので、写真を撮ったりじっくり見たりした。上の写真の多くはその最後の時間に撮っている。

ほとんどの人はスマホで撮っているのだけど、モネがスマホで撮られているってことは、あの映画には描かれなかったな。