はあ、クレインズも3連敗……それもホームで韓国勢に。うーん、試合間隔あきすぎなんだよね、きっと。あと、ハイワンがここに来て調子よくなってるみたいな気が。逆にハルラは下降線か、バックスが上昇傾向か。わかりません。
あとはまあ、読書。ベッキーさんシリーズは3冊目が手元にないので、先日、ブックオフで買った精神科医伊良部シリーズの3冊目、「町長選挙」を読みました。やっぱり面白いね、このシリーズ。1冊目「イン・ザ・プール」はけっこう毒があって、伊良部もトゲがあったのだけど、2冊目「空中ブランコ」では毒やトゲが抜けてその分、癒し系の雰囲気が急増していましたが、3冊目も癒されます。ナベツネみたいなプロ野球オーナーや、ホリエモンみたいなIT長者が、伊良部と出会って人間的に丸くなる話に加え、表題作の「町長選挙」は、小さな島の選挙を通して、都会とは違う世界のあり方を浮き彫りにする目からウロコのお話です。
というところで、今日は、ブログ休止中の7月から10月中旬までに撮った猫写真を。
まず、夏ですね、ってことで、ひまわり。そして、猛暑でも元気だった猫たち。
映画や日常生活のブログ。記事内の写真はクリックすると大きくなります。別ブログ(ログインできなくなった場合用)http://sabre26.cocolog-nifty.com/blog/
2010年10月31日日曜日
2010年10月30日土曜日
たまにはホッケーネタ行ってみようかね
負け続けのセイバーズの試合の話はしたくないけど、セイバーズの殿堂入りの話題ならよいでしょう。
2011年の殿堂入りは、アレクサンダー・モギルニーとジム・ケリーだそうです。来年1月1日のブルーインズ戦の前にセレモニーをするらしい。
ご存知、モギルニーは、まだ東西冷戦、鉄のカーテンがあった時代に、セイバーズによってドラフト指名を受けたソ連(当時)の選手。生まれはシベリアとかで、わりと日本に近い方だったみたいですね。指名した当時(1988年)はペレストロイカの時代だったとはいえ、ソ連や東欧の共産圏の選手が北米へ行けるかどうかは賭けだったのですが、それでもセイバーズは指名。そして、NHLでプレーしたかったモギルニーは、1989年、世界選手権のときに亡命、KGBを避けるためにセイバーズのGMと毎晩ホテルを替えての逃避行の末にアメリカに渡ったのでした(スパイ小説さながらだね)。
モギルニーは家族やチームメイトが逮捕されたりしないか、心配だったそうですが、時代はやはり変わっていて、半年後にはソ連に里帰りできたそうです。以後、ソ連東欧の選手が続々と北米へ渡ることになります。
貧乏チームのセイバーズは数年後には年俸の高くなったモギルニーを手放すことになるのですが、それまでの期間、ラフォンテーヌと組んで大活躍。パワープレーではこの2人にアンドレイチャクが加わって、最強のPPラインだったらしい。
もう1人のジム・ケリーですが、この人は「バッファロー・ニュース」の記者だった人ですが、なんといっても、1997年のプレーオフ、そうです、あの、オタワとのファーストラウンド、デレク・プラントのOTゴールで勝ちぬけたファンの記憶に残るシリーズの真っ最中に、ハシェックと対立、ハシェックにシャツを破られる暴行を受けたという人。ケリーは当時、セイバーズの番記者で、非常に優秀な記者だったようですが、あの時代はハシェックとテッド・ノーランHCが対立していて、ぐっちょんぐっちょんの時代だったんですが、ケリーはハシェックを執拗に批判していた記者だったのです。特にあのオタワとのシリーズでは、ハシェックが試合の途中でいきなり自ら降板。ハシェックはケガが多い人なんで、このときもケガだったらしいんですが、それをケリーが本当にケガなのかとか聞いて、怒ったハシェックが、という顛末なのだけど、でも、ケリーはこのときは単にケガかと聞いただけで、怒るような状況じゃなかった、原因はその直前にあったのではないか、とも言われています。この時代のぐっちょんぐっちょんについては当事者しかわからないような謎の部分が多く、ファンもいまだに首を傾げることがあるようです。たぶん、デレクは知ってただろうね。とにかく、これでハシェックはサスペンド(実際はケガで出場は無理だったが)、危機に陥ったセイバーズを第7戦で救ったのがデレク、というドラマチックな結果になったのでした。
この話は前のさーべる倶楽部(1から3のどれか)には何度も書いたし、モギルニーのことも書いたと思うけど、どこにあるかは私も探さないとわかりません。検索すれば出てくるかも。
モギルニーはすでにNHLを引退、ケリーもバッファローを離れて久しいのですが、モギルニーとケリーなら一緒にセレモニーやっても問題ないでしょう。
2011年の殿堂入りは、アレクサンダー・モギルニーとジム・ケリーだそうです。来年1月1日のブルーインズ戦の前にセレモニーをするらしい。
ご存知、モギルニーは、まだ東西冷戦、鉄のカーテンがあった時代に、セイバーズによってドラフト指名を受けたソ連(当時)の選手。生まれはシベリアとかで、わりと日本に近い方だったみたいですね。指名した当時(1988年)はペレストロイカの時代だったとはいえ、ソ連や東欧の共産圏の選手が北米へ行けるかどうかは賭けだったのですが、それでもセイバーズは指名。そして、NHLでプレーしたかったモギルニーは、1989年、世界選手権のときに亡命、KGBを避けるためにセイバーズのGMと毎晩ホテルを替えての逃避行の末にアメリカに渡ったのでした(スパイ小説さながらだね)。
モギルニーは家族やチームメイトが逮捕されたりしないか、心配だったそうですが、時代はやはり変わっていて、半年後にはソ連に里帰りできたそうです。以後、ソ連東欧の選手が続々と北米へ渡ることになります。
貧乏チームのセイバーズは数年後には年俸の高くなったモギルニーを手放すことになるのですが、それまでの期間、ラフォンテーヌと組んで大活躍。パワープレーではこの2人にアンドレイチャクが加わって、最強のPPラインだったらしい。
もう1人のジム・ケリーですが、この人は「バッファロー・ニュース」の記者だった人ですが、なんといっても、1997年のプレーオフ、そうです、あの、オタワとのファーストラウンド、デレク・プラントのOTゴールで勝ちぬけたファンの記憶に残るシリーズの真っ最中に、ハシェックと対立、ハシェックにシャツを破られる暴行を受けたという人。ケリーは当時、セイバーズの番記者で、非常に優秀な記者だったようですが、あの時代はハシェックとテッド・ノーランHCが対立していて、ぐっちょんぐっちょんの時代だったんですが、ケリーはハシェックを執拗に批判していた記者だったのです。特にあのオタワとのシリーズでは、ハシェックが試合の途中でいきなり自ら降板。ハシェックはケガが多い人なんで、このときもケガだったらしいんですが、それをケリーが本当にケガなのかとか聞いて、怒ったハシェックが、という顛末なのだけど、でも、ケリーはこのときは単にケガかと聞いただけで、怒るような状況じゃなかった、原因はその直前にあったのではないか、とも言われています。この時代のぐっちょんぐっちょんについては当事者しかわからないような謎の部分が多く、ファンもいまだに首を傾げることがあるようです。たぶん、デレクは知ってただろうね。とにかく、これでハシェックはサスペンド(実際はケガで出場は無理だったが)、危機に陥ったセイバーズを第7戦で救ったのがデレク、というドラマチックな結果になったのでした。
この話は前のさーべる倶楽部(1から3のどれか)には何度も書いたし、モギルニーのことも書いたと思うけど、どこにあるかは私も探さないとわかりません。検索すれば出てくるかも。
モギルニーはすでにNHLを引退、ケリーもバッファローを離れて久しいのですが、モギルニーとケリーなら一緒にセレモニーやっても問題ないでしょう。
2010年10月29日金曜日
本日発売らしい
昨日、ポストを見たら、キネ旬の封筒が入っていたので、あれ、まだ10月なのに、と思ったら、
キネ旬ムック「オールタイムベスト映画遺産アニメーション篇」(キネマ旬報社)
という本でした。今年の初めに投票依頼が来て、送ったのをすっかり忘れていた。
アニメに詳しい人から見たら、石投げられそうな偏った投票ですが、私が入れなかったら誰も入れないかもしれない、という思いから投票しました。外国映画は10本、日本映画は9本選んでますが、あとになって、日本映画で「カムイの剣」を入れればよかったと思った。
キネ旬ムック「オールタイムベスト映画遺産アニメーション篇」(キネマ旬報社)
という本でした。今年の初めに投票依頼が来て、送ったのをすっかり忘れていた。
アニメに詳しい人から見たら、石投げられそうな偏った投票ですが、私が入れなかったら誰も入れないかもしれない、という思いから投票しました。外国映画は10本、日本映画は9本選んでますが、あとになって、日本映画で「カムイの剣」を入れればよかったと思った。
2010年10月28日木曜日
紆余曲折の末
来ました。
「Starvation Lake」の続編です。
ベッキーさんシリーズを読んでからだから、週末のお楽しみかな。
このホッケー・ミステリー・シリーズ、ペーパーバックが出てからハードカバーが出るという、変則的な出版なのですね。なので、第1作はミステリーの賞のペーパーバック・オリジナル部門の賞を取っているようだ。
ペーパーバックだと安いので助かります。ハードカバーが先だと、早く読みたければ高いお金を払わねばならない。洋書で読む以上、新刊は翻訳が出る前に読むのが理想です。
「Starvation Lake」の続編です。
ベッキーさんシリーズを読んでからだから、週末のお楽しみかな。
このホッケー・ミステリー・シリーズ、ペーパーバックが出てからハードカバーが出るという、変則的な出版なのですね。なので、第1作はミステリーの賞のペーパーバック・オリジナル部門の賞を取っているようだ。
ペーパーバックだと安いので助かります。ハードカバーが先だと、早く読みたければ高いお金を払わねばならない。洋書で読む以上、新刊は翻訳が出る前に読むのが理想です。
近況
ブログを3カ月以上休んでいたので、訪問者が激減、その後、ここで再開してもあまり増えないのですが、たぶん、ホッケーネタがないからですね。でも、セイバーズがあんなていたらく(10試合やっていまだ3勝)ではねえ。ケガ人続出ではあるらしいけど。
そんなわけで、映画と本のネタ。
試写で見逃したドイツ映画「アイガー北壁」をDVDで見る。ナチスドイツが宣伝のために若者をアイガー北壁初登頂に挑戦させ、それで若者が次々と命を落としたという実話の映画化らしい。主人公の2人の若者は、登頂はあまり気乗りがしなかったのだが、うち1人の恋人が報道カメラマンをめざす新聞社の女性で、彼女が編集長に命じられて、2人に挑戦するようすすめる。いったんは断った2人だが、その後、2人は自分の意志で登頂を決意。しかし、不測の事態が次々に、という映画。
うーん、正直、無謀な若者の登山にしか見えませんでした。新聞社の編集長と女性カメラマンが山のふもとでスタンバッていて、特ダネをつかむことしか考えていない編集長と、カメラマンとしてよりは恋人として、遭難した若者を助けようとする女性といった、ビリー・ワイルダーの「地獄の英雄」を思わせる状況もあるのだが、こういうマスコミの悪辣さとか、ナチスドイツの背景とか、それほど大きくは描かれていない。特にナチスの件は途中で立ち消えになり、最後に字幕でちょっと出るだけに見える。
一番気になるのは、最初に若者たちをたきつけて登山させた女性カメラマンが、そのことについて全然悩まないこと。確かに若者たちはいったん断り、それから自分たちの意志で登る決意をしたので、女性には責任はないのだろうが、それでも、彼女が葛藤し、悩む姿がないのがどうにも納得できないのだ。悪いのは編集長だけで、彼女は清廉潔白なのだろうか。
試写で見た映画ではフィンランド映画「ヤコブへの手紙」が面白かった。終身刑だった女性レイラが恩赦で出所し、片田舎に住む盲目の牧師ヤコブの家で働く。ヤコブのもとには毎日、たくさんの手紙が届き、ヤコブは彼女にそれを読んでもらい、返事を代筆してもらう。そのために、ヤコブはレイラの恩赦を求めたようだ。世の中に背を向け、ふてくされたような態度のレイラは手紙の一部を捨ててしまったり、郵便配達員ともうまくいかない。そして、あるときから、手紙が1通も来なくなり、ヤコブは生きがいを失う。その姿を見たレイラは……
というような内容で、このあとはネタバレすると感動が半減すると思うので、書きません。もちろん、レイラが変化するのですが、単純な変化ではないし、それまでにいろいろあるし、最後は思いがけず、感動的な真実が暴露されるのです。
この映画は多くを説明しようとしない。レイラは郵便配達員がヤコブの金を盗んでいると疑うが、この郵便配達員がどういう人なのかもよくわからない。ヤコブのよき友だったのかどうかもわからない。たくさん来ていた手紙がいきなり、1通も来なくなる理由もわからない。このあたり、説明不足で不自然な感じもするが、映画全体がファンタジーのようなところがあるので、おとぎ話として見れば不自然ではないだろう。フィンランドの片田舎の風景がとても美しく、感動の結末とその美しさがみごとにリンクしている。
読書は今、北村薫のベッキーさん三部作を読んでいるところです。「街の灯」、「玻璃の天」、「鷺と雪」の3つの短編集からなる連作で、今は「玻璃の天」に入ったところです。
なんでこの連作を読もうと思ったかというと、ヒロインの令嬢・英子が新しく来た女性のお抱え運転手・別宮みつ子をベッキーさんと呼ぶのですが、それは、たまたまそのときに英子がサッカレーの「虚栄の市」を翻訳で読んでいて、ヒロインのベッキー・シャープに強い印象を受け、ベッキーのように自立した強い女性である別宮(べっく)をベッキーさんと呼ぶことにしたということ。
しかし、「虚栄の市」を読んだ人、あるいは、その映画化「悪女」(原題は「虚栄の市」)を見た人は、ベッキーさんはベッキー・シャープにはまったく似ていないことがわかるでしょう。ベッキーは男を惑わす妖艶な美貌の持ち主で、男を利用してステップアップしようとする野心的な女性、美貌と才覚を武器に社会に挑戦する魅力的な悪女です。
北村薫のベッキーさんはむしろ、「ベルサイユのばら」のオスカルに似ています。いや、厳密には、「ベルばら」のオスカルとアンドレを足したような存在です。彼女はマリー・アントワネットに仕えるオスカルのように令嬢・英子に仕えますが、その一方で、彼女は世の中のすべてのことを知っているスーパーレディで、オスカルがアンドレをはじめとする平民たちから世の中のことを学び、成長することを考えると、ベッキーさんから世の中のことを教わる英子にオスカルのこの部分が入っていて、英子に世の中のことを教え、英子を守るベッキーさんは、ここではむしろ、オスカルを守るアンドレなのです。
まだ途中までですが、この連作には必ずといっていいほど、映画や文学についての言及があり、それが物語の重要な要素になっています。それは、チャップリンの「街の灯」やシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のように明言されている場合もあれば、隠されている場合もあります。「ベルばら」のモチーフはまさにその隠されたモチーフの最大のものに思えますが、果たして?
そんなわけで、映画と本のネタ。
試写で見逃したドイツ映画「アイガー北壁」をDVDで見る。ナチスドイツが宣伝のために若者をアイガー北壁初登頂に挑戦させ、それで若者が次々と命を落としたという実話の映画化らしい。主人公の2人の若者は、登頂はあまり気乗りがしなかったのだが、うち1人の恋人が報道カメラマンをめざす新聞社の女性で、彼女が編集長に命じられて、2人に挑戦するようすすめる。いったんは断った2人だが、その後、2人は自分の意志で登頂を決意。しかし、不測の事態が次々に、という映画。
うーん、正直、無謀な若者の登山にしか見えませんでした。新聞社の編集長と女性カメラマンが山のふもとでスタンバッていて、特ダネをつかむことしか考えていない編集長と、カメラマンとしてよりは恋人として、遭難した若者を助けようとする女性といった、ビリー・ワイルダーの「地獄の英雄」を思わせる状況もあるのだが、こういうマスコミの悪辣さとか、ナチスドイツの背景とか、それほど大きくは描かれていない。特にナチスの件は途中で立ち消えになり、最後に字幕でちょっと出るだけに見える。
一番気になるのは、最初に若者たちをたきつけて登山させた女性カメラマンが、そのことについて全然悩まないこと。確かに若者たちはいったん断り、それから自分たちの意志で登る決意をしたので、女性には責任はないのだろうが、それでも、彼女が葛藤し、悩む姿がないのがどうにも納得できないのだ。悪いのは編集長だけで、彼女は清廉潔白なのだろうか。
試写で見た映画ではフィンランド映画「ヤコブへの手紙」が面白かった。終身刑だった女性レイラが恩赦で出所し、片田舎に住む盲目の牧師ヤコブの家で働く。ヤコブのもとには毎日、たくさんの手紙が届き、ヤコブは彼女にそれを読んでもらい、返事を代筆してもらう。そのために、ヤコブはレイラの恩赦を求めたようだ。世の中に背を向け、ふてくされたような態度のレイラは手紙の一部を捨ててしまったり、郵便配達員ともうまくいかない。そして、あるときから、手紙が1通も来なくなり、ヤコブは生きがいを失う。その姿を見たレイラは……
というような内容で、このあとはネタバレすると感動が半減すると思うので、書きません。もちろん、レイラが変化するのですが、単純な変化ではないし、それまでにいろいろあるし、最後は思いがけず、感動的な真実が暴露されるのです。
この映画は多くを説明しようとしない。レイラは郵便配達員がヤコブの金を盗んでいると疑うが、この郵便配達員がどういう人なのかもよくわからない。ヤコブのよき友だったのかどうかもわからない。たくさん来ていた手紙がいきなり、1通も来なくなる理由もわからない。このあたり、説明不足で不自然な感じもするが、映画全体がファンタジーのようなところがあるので、おとぎ話として見れば不自然ではないだろう。フィンランドの片田舎の風景がとても美しく、感動の結末とその美しさがみごとにリンクしている。
読書は今、北村薫のベッキーさん三部作を読んでいるところです。「街の灯」、「玻璃の天」、「鷺と雪」の3つの短編集からなる連作で、今は「玻璃の天」に入ったところです。
なんでこの連作を読もうと思ったかというと、ヒロインの令嬢・英子が新しく来た女性のお抱え運転手・別宮みつ子をベッキーさんと呼ぶのですが、それは、たまたまそのときに英子がサッカレーの「虚栄の市」を翻訳で読んでいて、ヒロインのベッキー・シャープに強い印象を受け、ベッキーのように自立した強い女性である別宮(べっく)をベッキーさんと呼ぶことにしたということ。
しかし、「虚栄の市」を読んだ人、あるいは、その映画化「悪女」(原題は「虚栄の市」)を見た人は、ベッキーさんはベッキー・シャープにはまったく似ていないことがわかるでしょう。ベッキーは男を惑わす妖艶な美貌の持ち主で、男を利用してステップアップしようとする野心的な女性、美貌と才覚を武器に社会に挑戦する魅力的な悪女です。
北村薫のベッキーさんはむしろ、「ベルサイユのばら」のオスカルに似ています。いや、厳密には、「ベルばら」のオスカルとアンドレを足したような存在です。彼女はマリー・アントワネットに仕えるオスカルのように令嬢・英子に仕えますが、その一方で、彼女は世の中のすべてのことを知っているスーパーレディで、オスカルがアンドレをはじめとする平民たちから世の中のことを学び、成長することを考えると、ベッキーさんから世の中のことを教わる英子にオスカルのこの部分が入っていて、英子に世の中のことを教え、英子を守るベッキーさんは、ここではむしろ、オスカルを守るアンドレなのです。
まだ途中までですが、この連作には必ずといっていいほど、映画や文学についての言及があり、それが物語の重要な要素になっています。それは、チャップリンの「街の灯」やシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」のように明言されている場合もあれば、隠されている場合もあります。「ベルばら」のモチーフはまさにその隠されたモチーフの最大のものに思えますが、果たして?
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