例のアインシュタイン伝の機械翻訳問題、8月に入って大手新聞のサイトでもニュースになってましたが、機械翻訳の部分がインターネットの自動翻訳に変わっていました。確かにこの方が誤解がない。
この件、さすがにもう下火だと思いますが、いろいろ見た感想、なかなかに考えさせられるものが多かったのですが、私が翻訳を出版拒否したように、自分の執筆部分の出版を拒否したライターがいることがわかったり、そのライターが、ライターは読者の方を向いていないといけないのに出版社の方ばかり見ている、と、きびしい指摘をしていたり、あるいは、産業翻訳者の方が、間に人が入れば入るほどおかしくなるという指摘をしていたり、と、うなずくことばかりでありました。
また、仕事を右から左に動かすだけで利益を得ている人が多すぎる、という指摘もあり、またまたうなずいたのですが、私が最初の約束と違うといって翻訳の出版拒否したときも、間に入っている人がそれまでの出版社より多かったのも特徴でした。具体的には、普通は(というか、それまでの出版社では)、翻訳者がいて、編集者がいて、2人でやりとりし、校正の段階で校正者が意見を言う、というやり方なのですが、その出版社では、出版社の編集者が私に翻訳を依頼、上がった原稿を外部のフリーの編集者に渡してリライトさせ、完全に別人の文章になったものを印刷所に入れてゲラを出し、それを私に送って校正をさせるという、異常としか言いようのないやり方でした(今、異常と書いたけど、実際はそれがかなりの割合でまかり通っているようだ)。特に、この外部の編集者の存在は、私が苦情を入れて初めて明らかになったもので、それまでは、出版社内部の編集者がやっているという建前になっていたのです。また、外部の編集者は、私のことも、私がどういう条件で引き受けたかも知らなかったのですが、出版社の編集者が責任逃れのために外部の編集者に責任をなすりつけ、何も知らずにリライトだけ引き受けた外部の編集者はパニックになったようです。そんな具合ですから、出版拒否は当然の帰結でした。その外部の編集者も被害者だと思います。その出版社内部の編集者はまさに仕事を右から左に動かすだけの人で、こういう人がいるところはだめだと思いました。
翻訳だけでなく執筆でも、時々、変な依頼が来るんですけど、明らかに、あっちこっちで断られて、もう締め切りがぎりぎりになっていて、とにかく穴を埋めなければ、埋めてくれれば誰でもいい、という感じで依頼が来たりします。たとえば、これから公開の映画についての記事だったら、その映画の試写を見ている人に依頼するのが筋で、試写を見せたわけでもなく、締め切りぎりぎりで試写を見てもらう時間もない相手に依頼するってのがおかしい。その上、記事の内容が誰にでも書けるものではない場合、その記事の企画を立てた段階で書く人を決めておかないといけないわけですし、仮にその人がだめになったら第2候補を用意するか、あるいは、ふさわしい人がいなければその企画は没にすべきなのに、誰でもいいから書いてくれ、みたいな依頼ってどうよ、と思ってしまいます。この場合も、その企画を立てた人が書く人を探すべきなのに、おそらく、そうでない人が、いったいどういう人に頼めばいいのかもわからずに探している、という感じがします。これもまた、間に人が入っているからスムーズに行かないのだろう、と予想してしまうのです。
なんにしても、仕事を右から左に動かすだけで、何も考えていない人と仕事をするほど危険なことはありません。