1990年代、渋谷の円山町で起こった東電OL殺人事件。原発事故で最近また注目された事件ですが、これをヒントにした映画「恋の罪」。「冷たい熱帯魚」が面白かった園子温監督の作品で、試写会場はその渋谷の円山町にある映画美学校の試写室。道玄坂の方から行ったもんだから、もろ、ラブホテル街を通っていく形になりましたよ。まあ、昼間ですから、健康的な雰囲気でしたけど。
で、映画はねえ、「冷たい熱帯魚」はほんとに、ほんとに面白くて、好きだったんですけどね、これはだめでした。
要するに、これって、レディスコミックのネタにすぎないんですよ。
人気作家を夫に持つ貞淑な若妻が、気晴らしにスーパーでバイトを始めたら、そこへモデルのスカウトが現れ、行ってみたらAVだった。でも、夫との関係に欲求不満な若妻は、ノリノリに……。
昼間は一流大学の助教授の女性が、夜は円山町で売春婦になる。エリート女性の2つの顔。
そして、円山町で起こった殺人事件を調べる女性刑事。夫もいれば子供もいる彼女は、自分を奴隷のように扱う男との不倫に溺れている……。
全部、どこかで聞いたことのあるネタ。レディスコミックの雑誌では、読者からネタを募集したりもするのですが、こういうネタ、いくらでもありそう。
もちろん、処理の仕方はレディコミではないわけです。レディコミはあくまで女性のポルノ。女性がエロティックな幻想にひたるのが目的で、女性が快感を感じるような方向ですべてが描かれているのですが、この映画はレディコミじゃないので、女性がうっとりするような方向には行かない。当然ですが。
で、それでは、どういう方向に行っているかというと、これがどうも、中途半端で燃焼不足で、ちっとも面白くならないのです。
売春婦になることで自分を解放するとか、たどりつけないカフカの城とか、言葉についての詩とか、言葉ばかりが空回りしていて、女たちの実体が見えてこない。言葉には肉体があると助教授は言うけれど、女は言葉以前に女という存在があって、その女という存在は、決して男の理屈では理解できないものなのに、男の理屈=言葉で解き明かそうとしている、そういう感じを強く受けてしまいます。
脇役の男たちも、「冷たい熱帯魚」みたいにもっとワルだったり、エキセントリックだったり、情けなかったりすれば面白いのですが、こっちもなんだか。
3人の女優さんたちは健闘しています。すばらしいです。もう1人、助教授の母に扮するベテラン女優がまたすばらしいです。でも、彼女たちのこれだけの存在感をもってしても、結局は、売春で自分を解放する女とか、本当の自分を発見する女とか、そういう紋切り型の女しか描けていない。
また、売春を描くとき、そこにはどうしても社会の問題、男性の問題、そしてフェミニズムが出てくる。そこを切り捨てて、女性だけの話にはできない。何不自由ない主婦やエリート女性が売春に走る背景には、やはり、彼女たちやその家庭だけでなく、社会の問題がある。東電OLは父親も東電の社員だったというが、この映画でも、助教授の女性は父親が同じ大学の教授だったということになっている。女性が出世するには、彼女の能力だけではだめで、必ず、父親の存在とか、別の条件とか、男性だったらそこまで七光りやら何やら必要ないのに、女性は必要になる。そういう、一見、女性が活躍しているように見えて、まだまだ女性は1人の人間として認めてもらいにくい。そういう背景が、3人のヒロインの背後にも必ずあるはずなのだ。女性刑事だって、警察では女性で苦労することがきっとある。そういう部分を切って、女のエロスだけ描くのだったら、それは男性向けポルノと同じでは、と思ってしまう(少なくとも、女性を満足させるレディコミにはなっていないのだから)。
と、私にしては妙にフェミニズムがかった批判をしてしまったけれど、映画自体は面白い部分もある。殺されたのは誰か、殺したのは誰か、という、ミステリーの部分の謎解きが最後に出てきて、この辺は面白い(ネタバレなしね)。見て損な映画ではない。
最後に、タイトルを検索にかけたら、水野美紀のフルヌードの話題ばっかり出てきた。なるほど、そういう話題の映画だったのか。水野美紀だけでなく、冨樫真と神楽坂恵もフルヌードですよ、お楽しみに。神楽坂恵は「冷たい熱帯魚」に続く主演で、前作ではバストばかり見てましたが(!)、今回は話が進むにつれて顔がどんどん変わっていくので、その演技が見ものです。