昨日は半蔵門の試写室に出かけましたが、駅を出ようとすると、出入り口にものすごい人。なにかと思ったら、土砂降りの雨だった。しかし、やむのを待っていたら試写に遅れる。傘をさして出て行こうとすると、「こりゃ傘さしてもだめだ」の声。なんのこれしき、と、歩くこと5分。ズボンはびしょぬれ。防水の靴でなかったので、中までびしょびしょ。試写室にたどり着いて無事、アラン・レネの新作「風にそよぐ草」を見ることができましたが、実は私が試写室にたどり着いたあと、もっとすごい雨になったことが判明。前が見えないくらいの豪雨だったそうで、電車や飛行機にも影響が出た模様です。
御年89歳のレネの新作は、フランス文学の映画化だそうで、初老の男女の奇妙な関係を描くもの。最初は初老の男がストーカーのように女につきまとうのだが、やがて恋に。とはいっても、普通の恋愛映画ではなく、最後の最後まで奇妙なままで終わります。ラスト、唐突に現れた幼い少女が、「猫になったら猫のエサ食べられる?」と母親に聞く。意味不明。でも面白い。
レネといえば、やはり、「二十四時間の情事」や「去年マリエンバートで」の名匠ですが、最近は「二十四時間の情事」ではなく原題の「ヒロシマモナムール」というのか。なんか雰囲気ぶち壊しな感じがするのだが。ただ、今の若い人には「情事」という言葉はピンと来ないでしょうね。インテリ女性がストーカーになる「危険な情事」が1980年代で、あのあたりが「情事」という言葉が生きていた限界かもしれません。グレアム・グリーンの「情事の終わり」が映画化されたとき、邦題は「ことの終わり」になりました。やはり「情事」は限界だったか。
「昼下りの情事」とか、「情事」という言葉のつく映画題名は多く、かつてはあやうい恋愛の代名詞のようでしたが、今はイミフかもしらん。
「情事」というのは、不倫とは限らないわけですが、いきずりの恋みたいな、どこかあやうい感じがある。普通に恋愛して、という感じではない。その辺の雰囲気がかつては受けたのでしょう。
「二十四時間の情事」はフランス人の女と日本人の男が広島で24時間すごすという話で、この2人はいきずりの恋だから情事とつけたのかな。「情事」は古いとしても、「ヒロシマモナムール」も味もそっけもない邦題だね。やはり、「ヒロシマ、わが愛」くらいにしてほしい。それでも古いのかな? モナムールとやられると、「マックス・モン・アムール」とかいうシャーロット・ランプリングがチンパンジーに恋する映画を思い出してしまうよ。
そういえば、今、台風がアベックで日本に近づいているのですが、アベックも死語。しかし、カップルとアベックは微妙に意味が違うんじゃ、と思うのは私だけだろうか。アベック台風というのは、私の子供の頃には言いましたが、カップル台風とは言わないだろう。
アベックはフランス語の「一緒に」という意味の言葉から来ていて、人前で一緒にいるのがアベック。カップルは愛情によりパートナーになっている男女または同性の2人のことで、一緒にいなくてもカップルというでしょう(たまたま一緒にいる2人のこともカップルといいますが)。アベックの方が、情事と同じように、ちょっと色っぽい感じがありますね。カップルは単にカップルなだけ。
追記 今、アベック台風でググってみたら、かなりたくさん出てきました。アベック台風は死語ではなかった、ということで、記事のタイトルも変更。
というわけで、以下は今週前半の猫写真。すでに6時過ぎで、薄暗い。
にらみあい。
このあと、シャム猫が出てきたが、もう光がない。
以下は別の日に上野公園で。完全に夜です。
ここの猫も世話をしている人たちがいるようで、わりと人間になれています。