注意:この文章には「小さいおうち」の原作と映画についての重要なネタバレが含まれています。というより、ネタバレそのものですので、差し支えない方のみお読みください。
前の記事「ただ今読書中」を書いたあと、朝までかかって原作を最後まで読んでしまった。
そして、映画では削除された性愛に関する部分が非常に心に残った。
前の記事に書いたように、原作では平井時子は子連れで再婚し、夫・平井は性愛に無関心な男で、時子とは夫婦の関係がないように描かれているが、映画では平井夫婦は初婚で、息子・恭一は平井の子供になっている。そのため、原作では、時子は夫とは肉体関係がないので板倉と恋に落ちたというのがすんなりわかるが、映画では夫は不倫しているわけでもなく、ただ会社人間で妻とは趣味が違うとか、その程度の違いで、夫婦間の不満はあまり大きくは描かれていない。だから、映画では時子と板倉の恋は「マディソン郡の橋」のような感じがする、と前の記事で書いた。
実際、ラストの年老いた恭一のシーンは、イーストウッドの映画「マディソン郡の橋」を連想させるものがある。
そして、最後まで読んで印象に残ったのは、同性愛だった。
映画でも時子の友人・睦子が男のような人と描かれているが、映画の睦子はどちらかというと宝塚の男役のような感じで、宝塚の男役とレズビアンは違うと私は思う。
しかし、原作では睦子は明らかに時子に同性愛的な思いを寄せていて、女中タキに対し、吉屋信子の言葉を引用する。そこでは、第一の路は異性愛、第二の路は同性愛、そして第三の路は性愛に生きずに仕事に生きることだと書かれているらしい。そして睦子は、自分やタキは第三の路を行くのだという。
面白いと思った。時子の夫・平井も、ある意味、性愛に生きずに仕事に生きる人間だからだ。しかし、平井が同性愛であるという暗示は、小説の中にはまったくない。世の中には性愛そのものに向かない人間もいるので、平井はそういう人間なのだろう(性愛に向かない男女が結婚し、子供はできないが、夫婦円満、という例はある)。
一方、睦子とタキはどちらも時子に同性愛的な思いを抱いてしまう、という点では、同性愛を封印して仕事に生きる人々だといえる。
以上のような同性愛に関することは映画ではまったく描かれていない。
そして問題の重要なシーン。
出征することになった板倉に会いに行こうとする時子をタキは止める。時子と板倉が会っていること(すでに肉体関係もある)は人に知られていて、会いに行くのはまずい、とタキはいう(誰が知っているかは映画と原作で変えてある)。しかし、自宅で会うなら大丈夫だろうから、手紙を書いてくれれば板倉に届けます、とタキはいう。しかし、タキはその手紙を板倉に届けなかったことがあとになってわかる。そして、そのことでタキが長い間、苦しんでいたことも。
タキはなぜ手紙を届けなかったのか。理由は2つ考えられる(原作にも書いてある)。
1 戦時下に不倫などけしからんという、当時の風潮に影響されたから。
2 タキは時子に恋をしていたので、板倉と会わせたくなかった。2人が肉体関係を結ぶのがいやだった。
タキの手記を読んだ親戚の青年・健史はタキの死後、板倉が戦後、日本に帰り、漫画家イタクラショージとして成功し、死後に記念館が建てられたことを知る。そこで板倉の描いた紙芝居「小さいおうち」を見ると、そこには平井一家の住んだ赤い屋根の家に時子とタキのような2人の若い女性と小さな男の子がいて、2人の女性は姉妹か恋人同士のように描かれていた。中央に丸く描かれた小さいおうちの世界の外には、板倉が戦地で体験したらしい恐ろしいことが描かれている。
板倉は生涯独身だったが、結婚しなかった理由については、戦地での体験によって自分は結婚に値しないと思っていたからというのが通説になっていた。しかし、健史は板倉は時子が忘れられなかったからだと思った。
私がむしろ気になったのは、板倉はなぜ、時子とタキを恋人同士のように描いたかということだ。
板倉はタキが時子に恋していたのを知っていたのだろう。自分と時子とのつながりより、時子とタキのつながりの方が強いと感じていたに違いない。平井はいないに等しいというか、空気のような存在だった。そして、板倉には入る余地がないと、彼は感じたのだと思う。
このイタクラショージ作「小さいおうち」は、映画からは完全に削除されているが、平井と時子に夫婦の関係がなく、恭一が平井の息子ではなく、タキが時子に同性愛的な感情を抱いていたことをすべて削除した以上、この紙芝居も削除する必要があった。
だいじなものが抜け落ちてしまった、と感じる人は多いにちがいない。
物語の主眼は、映画も原作も変わらない。それはラストの年老いた恭一のせりふにあらわれている。あの時代は誰もが不本意な選択を強いられた、不本意であるということに気づきさえしないで。
大本営とマスコミの報道に一喜一憂し、本当のことを知らなかった当時の人々、時代に流されるだけだった人々のリアルがタキの手記に描かれており、映画もそれを中心にしている。
映画と原作で大きく違うのは、タキが手紙を板倉に渡さなかった理由と、その後のタキの後悔の理由だろう。
原作では、タキが手紙を渡さず板倉と時子を会わせなかったのは、不本意ながら当時の風潮に従ったためであり、また、時子に同性愛的思いを抱いていたからだった。
映画では、そのシーンを見た瞬間に私が感じたのは、タキは平井一家が壊れるのを恐れたのだ、ということだった。この考えは原作を読んだ今も変わらない。
原作では時子は再婚で平井とは夫婦の関係がなく、恭一は前夫の子供である。だから、平井一家のつながりは濃くはない。平井は恭一をかわいがってくれるし、時子にとっては友達のような夫で、それなりの絆はあると思うが、別れて板倉と結婚するのはそれほどむずかしくないと思う。
恭一が平井の息子だと、それは違ってくる。離婚ということになれば、世間体がどうのという以上の厄介な問題が起こる。なにより、恭一がかわいそうだ。
平井一家を守りたい、恭一がかわいそう、これが映画のタキが手紙を届けなかった理由だろう。
タキにとって、平井一家は小さいおうちに住む理想の家族でなければならなかった。そのために、映画はこれにかかわる細部を原作とは変えている。1つは、平井夫婦が大空襲で死んだとき、防空壕で抱き合って死んでいた、と映画ではなっているが、原作では「抱き合って」という言葉はない。原作の夫婦は性愛とは違う絆で結ばれていたから、抱き合うはふさわしくない。しかし、映画では、夫婦は性愛で結ばれて子供をもうけたくらいの絆なのだから、抱き合って死ぬのがふさわしい。あるいは「抱き合って」は映画のタキが想像したのかもしれない。
そして、原作の恭一は成長するにつれてけっこう憎たらしい少年になっていくが、映画ではかわいいままである。原作なら、母が離婚しても恭一は全然かわいそうではない。
ラスト、原作の恭一は母親の不倫を察していた。母親の愛がすべて自分に向いていたわけではないことを感じ取っていた。しかし、映画の恭一はそういうことはいわない。それどころか、彼は、タキと板倉が一緒になると思っていたなどという。
原作では平井一家は一枚岩ではなく、どこか隙間のある関係で、それは時子が再婚だからというよりは、リアルな家族はだいたいそんなものなのだと思うが、映画は平井一家が一枚岩の家族であるという幻想を最後まで保とうとする。それはタキの幻想を守ることでもある。
タキはなぜ、手紙を渡さなかったことを後悔しているのか。
時子が板倉と会うことなく死んでしまったからだ。会わせてあげればよかったという思いであるのは原作も映画も同じだ。また、そうすることができなかった自分への悔しさ、不本意な選択をしてしまったことへの無念の思いも。
原作では、タキの時子への同性愛が2人を会わせなかった可能性を示唆していて、なおかつ、板倉がタキと時子の強い絆に気づいていたのでは、という点が加わる。
そして、健史が板倉の紙芝居に描かれた、2人の若い女性がまた嵐が来るのを予感しているような絵を見るとき、戦時中の時代がまた来るのではないかという不安がそれとなく表現される。「長生きしすぎた」と言ったタキの気持ちをがそこにかぶさる。
映画は同性愛の可能性を削除し、かわりに平井一家の安寧を願ったために時子を不幸にしたかもしれないという可能性を打ち出している。
また、映画が「長生きしすぎた」というタキの言葉を原作よりも強調していることも見逃せない。
長生きしすぎたためにまた日本が昔のようになるのを見るのではないか、というタキの無意識の思いが、原作よりも映画の方がはっきりと描かれていると思う。
最後の最後、「おばあちゃんが泣いていた本当の理由はなんだったのだろうか」というせりふが、原作の最後の部分を一言で切り取っているのはみごとだ。
ほかに気づいたこととして、原作では女性編集者や美術館のキュレーターの若い女性が感じが悪い。芸術を扱う人と、芸術に描かれた人の間の埋められない溝を表現している。映画と違い、健史は美術館とは深くかかわらず、恭一の住所も来館者記帳で見つける。恭一もまた、一来館者として来ただけで、美術館とはかかわっていない。映画では美術館は恭一のことを知っているし、健史にも親切だし、第一、健史は恋人と一緒に行動している。山田洋次の方が、原作よりも、家族の絆や人と人とのつながりを信じ、理想化しているように思う。
というわけで、原作を読んでの覚書。「日の名残り」との比較はまた別の機会に。