ツタヤで旧作100円で借りた最後のイギリス映画は、「戦場にかける橋」。
これ、大昔にテレビで見たきりだったのです。
テレビなので、当然、吹き替え、カット版で、きちんと見なければ、と思いつつ、歳月が経過。
その間、リバイバルもあったのに、なんとなく避けていた映画でした。
理由は、デイヴィッド・リーン監督作の中では、唯一、好きでない映画だったから。
なんで気に入らなかったかというと、くだらないことで大騒ぎしている話のように感じたからなのですね。
今回しっかり見て、確かにくだらないことで大騒ぎしているけど、やはり名作だと思いました。
「アラビアのロレンス」と共通する部分があり、脚本家に同じ人がいるとわかって納得。
主人公のニコルソン大佐(アレック・ギネス)はロレンスと同じタイプの人間で、しかも、ロレンスほど理想化されていません。ロレンスは若さゆえの情熱がやがて空回りし、むなしい結末を迎えますが、ニコルソンはもういい年で、ロレンスのように若さゆえのもろさとかそういう部分がない。
ロレンスはアラブ人の預言者となって、彼らとともにアラブの国を築こうと思って行動しますが、結局それは彼の思い込みでしかなく、結果的にイギリスに利用されただけに終わります。
ニコルソン大佐は日本軍捕虜収容所で、イギリス軍捕虜の力で立派な橋を作ることでイギリス軍の力を見せつけようとしますが、それは彼の壮大な勘違いにすぎないのです。
映画は最初から、ニコルソンの考え方が壮大な勘違いにすぎないことをはっきりさせています。ウィリアム・ホールデン扮するアメリカ軍人や、イギリスの軍医がそれを指摘しています。
一方、日本軍の側はどうかというと、ニコルソンが壮大な勘違いから立派な橋を作ってくれるわけだから、日本軍はウハウハのはずなのに、リーダーである斉藤大佐(早川雪洲)はウハウハどころか、イギリス軍人に負けた、くーっとかいって泣いているのです。斉藤の方もニコルソンの壮大な勘違いにつきあってしまっているというか、この斉藤大佐はどう見ても普通の日本人ではない。そして、ニコルソンもどう見ても普通のイギリス人ではない。つまり、どっちもフィクションならではの相当に誇張された人物なわけです。
全体に、この映画は人物が何らかの役割を背負っている、誇張された、象徴的な人間で、ホールデンのアメリカ軍人は誇張されたアメリカ人、後半、彼と一緒に橋爆破に行くカナダ人も、イギリス人ともアメリカ人とも違うカナダ人という特性を背負った象徴的な人物です。
こういうシンボリックなタイプの登場人物にリアルな人間の複雑さを求めてはいけません。そこが「アラビアのロレンス」とは違うところです(「アラビアのロレンス」は人間の複雑さを徹底的に描いています)。
昔はこういうことがわからなかったので、ニコルソンの壮大な勘違いについていけなかったのだと気づきました(上に書いたような人物造型の理論は大学に入って英文学をやるようになってわかったのだった)。
そういうことがわかってから見ると、この映画は本当にシンボリズムがよく機能したすばらしい傑作だとわかります。
映画の半ばで、橋建設に行き詰まった斉藤に対し、ニコルソンはイギリス軍将校の持つ技術を利用し、自分たちが指揮を執ると主張、斉藤も受け入れざるを得なくなり、そのあたりからニコルソンが主導権を握り、斉藤はそれを黙認するだけになり、斉藤は沈黙してしまいます(お茶や食事を要求することで指導権を握るシーンが面白い)。ニコルソンが「こうしたらどうか」という提案に、「そうしよう」とは言えないので、「命令は出した」と小さく言うだけになり、その後は沈黙。最後はあっけなく殺されてしまいます。
橋が完成したとき、ニコルソンは斉藤に、「28年間、軍隊にいたが、自分の人生は有意義だったのか疑問に思っていた」と心情を吐露し、この橋を完成させたおかげで自分の人生が有意義になったと語ります。黙って聞いていた斉藤は一言も言わずにその場を去り、筆で文書をしたためて、自分の毛髪を切ってそこに入れるのですが、おそらくこれは遺書で、彼は自殺を考えていたのではないかという気がします。ニコルソンに完全に主導権を握られ、これで自分の人生は有意義になったとまで言われたら、斉藤のようなタイプの人(現実にこういう日本人がいるとは思いませんが)なら死を選ぶだろうと、私は思うのです。
つまり、この映画は壮大な勘違いをしている2人の軍人の戦いであり、斉藤はニコルソンを理解していたが、ニコルソンは斉藤の気持ちなどまったく理解していないと、私には思えました。そういう意味では、ニコルソンは無邪気なのです。
この映画がニコルソンと斉藤の2人の戦いだけだったら、壮大な勘違いの映画になるところですが、そこにこの2人とは違う視点を持つ人物を配して、壮大な勘違いを冷静に見つめる視点を入れ、それによって戦争のむなしさを象徴的に浮き彫りにしたところが名作のゆえんでしょう。
ラスト、ニコルソンの勘違いを冷静に見つめていた軍医が、「マッドネス、マッドネス(狂気の沙汰だ)」と叫ぶのは、コンラッドの小説「闇の奥」で語り手マーロウが最後に「ザ・ホラー、ザ・ホラー」と言うシーンに重なります(「闇の奥」を元にした「地獄の黙示録」ではウィラード(マーティン・シーン)がこのせりふを言う)。ニコルソンと斉藤は、「闇の奥」のクルツ(「地獄の黙示録」ではカーツ大佐)であり、軍医はマーロウであり、ウィラードなのです。