2014年4月30日水曜日

最後のマイ・ウェイ

シナトラの歌で有名な「マイ・ウェイ」のオリジナルを作詞作曲し、歌ったフランスの歌手クロード・フランソワの伝記映画。試写状いただいたときから気になってましたが、日程的に試写に行けず、その後も映画館にも行かず、と、なんだか前に書いたのと同じなのですが、こちらはDVD借りて見ました。
「エディット・ピアフ 愛の讃歌」の2匹目のドジョウ、と言ったら言葉が悪いけど、たぶん、ピアフの映画の成功につられた企画では、と思いましたが、ピアフの映画がよかったからこっちも悪くなかろう、と思い、見始めたら、なんか最初の方の演出がベタで、おいおい、でしたが、だんだんよくなっていきます。ピアフの映画の方はとにかくマリオン・コティヤールの演技が鬼気迫るすごさなので、かなりの名作でしたが、こっちはそれに比べるとやや凡庸かな、という気はするものの、日本ではほとんど知られてなかったクロード・フランソワという歌手の短い人生を知るという点では見逃せない内容です。
注目すべきは、フランソワが歌手として成功する前に死んでしまった父親(フランソワは父に認められたかったが、その前に父は死んでしまった)と、あこがれの歌手シナトラの存在です。この点について、私が感じたのとまったく同じことがネットで書かれていました。
http://cinemanote.jp/TP/cloclo.html
映画評論家の粉川哲夫氏のサイトです。
以下、引用。


「クロードにとってフランク・シナトラは憧れの歌手だったから、彼が自分の恋人への想いをこめて作った「マイ・ウェイ」を歌ってくれたのを光栄に思う。が、シナトラのほうは、どうやら彼のことを知らなかったらしい。一度、ホテルのロビーでクロードがシナトラとすれちがうことがあるが、彼は声をかけない。それだけ、シナトラは彼にとって雲のうえの人だったのだ。この感情は、そのまま父親への距離感ともダブっており、だから、この映画では、マルク・バルベが演じる父親の風貌は、どことなくシナトラに似ている。映画には、ロバート・ネッパーが演じるシナトラの姿もあるが、この屈折した関係を考えるなら、マルク・ベルベがシナトラの役も演じたほうがよかったとわたしは思う。」


私も父親役の人がシナトラに似ていると思いました。


英語の歌詞を作詞したポール・アンカがまったく出てこないのですが(フランソワと交渉して権利を得たらしい)、映画の終わり近く、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、フランソワが「マイ・ウェイ」を英語とフランス語で歌うシーンが圧巻です。アンカがシナトラのために書いた英語の歌詞と、フランソワが書いたオリジナルの歌詞はまったく内容が違うのですが、このシーンでフランソワが英語で歌い出すと、英語の歌詞が彼のそれまでの人生にぴったりと重なるのです。英語の歌詞は人生の終わりに自分のやってきたことを肯定する内容ですが、フランソワも歌手としてだけでなく、さまざまな会社を手広く経営し、自分をプロデュースし、女性関係も派手で、脱税容疑をかけられたりと、波瀾万丈で苦難も多かったし、また本人も嫉妬深くわがままで困った人でもあったようですが(この辺、ピアフの伝記映画と同じで、主人公を美化しないところがよい)、そういうトラブルや苦難にあってもそれを利用して逆転してきた生き方を彼が後悔していない、まさに「マイ・ウェイ」の英語の歌詞にふさわしい生き方をしてきた、と感じさせるシーンです。そして、途中からオリジナルのフランス語の歌詞に変わると、彼がまだ老年ではなく、オリジナルの歌詞にふさわしい人生途中の悩み多い男であることもわかります。
フランソワは39歳の若さで、浴室で感電死してしまいます。彼が歌う「マイ・ウェイ」は、まさに、まだ人生途中の彼が人生の終わりに近づいていることを示しています。
映画を見ている途中、フランソワは病気持ちでもないし、酒や麻薬に溺れているわけでもないのになぜ若死にしたのだろうと思っていましたが、感電死だったとは。でも、日本じゃあのくらいでは感電しても死にはしないよね、と思っていたら、上のリンク先に理由が書いてありました。外国では電気に注意。