そうか、最近流行の古典新訳は、翻訳苦手な人のための新薬なのかもしれない。
患者「実は私、外国の小説がどうしても読めないんですよ。翻訳がどうも苦手で」
医者「ああ、そうですか、ではこの新薬はどうですか?」
患者「おお、これは読みやすい(飲みやすい)ですね。あっという間に読め(飲め)ちゃいました」
て感じで、この手の新訳文庫には「読みやすい」「あっという間に読めた」といった、これがレビューか!って感じのレビューがアマゾンに出ているのです。
「飲みやすい」「あっという間に効いた」というのとどこが違うのじゃ。
やっぱり新訳は新薬。
しかし、世の中には過去の訳と新訳を比べる人もいて、ものによっては新訳の問題点の指摘が多いものも。新薬、必ずしもよい薬とは限りません。
確かに「ロード・オブ・ザ・リング」が公開された頃、今の若い人は原作「指輪物語」の瀬田訳が読めない、という声が出てきていて、「指輪」ファンを唖然とさせたのですが、というのも、あの瀬田節にファンは酔いしれていたわけで。しかし、映画で「指輪物語」を知った若い人たちはもう瀬田訳が読めなくなっていたようです。ただ、瀬田訳があまりに浸透しているので、ほかの人は手が出せない、長いから大変、新訳出しても瀬田訳に勝てない、売れない、といった理由から出ないのではないかと思います。
さて、「フランケンシュタイン」の新訳各種、中身はほとんど見ていないので、比べることはできませんが、外観など、中身でないところをちょいと比べてみました。
◎角川文庫(2015年2月発行)
表紙 漫画家を使っているようで、若い人向けという感じ。
値段 一番安い。734円。キンドルあり。
◎新潮文庫(2014年12月発行)
表紙 怪奇小説らしい表紙。オーソドックス。
値段 二番目に安い。767円。キンドルなし。
◎光文社古典新訳文庫(2010年10月発行)
表紙 このシリーズはすべて抽象的な線画で、シリーズの特徴を表紙に出している。
値段 一番高い。843円。キンドルあり。
旧訳
◎創元推理文庫(1984年2月発行)
表紙 実は初版は怪奇小説ふうの絵だったが、その後、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた図をもとにしたデザインに変わり、現在に至っている。
(追記 そういえば、2009年に創元推理文庫50周年記念で、一時、違う表紙になっていたのだが、その表紙はかなりアレだったので、早くなくなればいいと思っていたのだった。)
値段 三番目に安い。799円。光文社が出る前は630円だったのに、光文社が800円以上で出したので700円以上にしてしまった。キンドルあり(激安300円)。
◎角川文庫の旧訳(かなーり昔)
現在はキンドルのみ(500円)。
なお、ページ数が違うのは文字の大きさなどによるためだと思います。創元は文字が一番小さく、新潮が一番大きい。新潮は文字を大きくしてページ数を増やしているので、ページ数のわりに値段が安く見えますが、実際はそうではないです。(下の追記参照)
ところでキンドルですが、現在は紙の本と同時にキンドル版も出すところが増えています。しかし、キンドル版のコンテンツはアマゾンが所有しているので、紙の本が絶版になったとき、キンドルのコンテンツの権利がどうなるのかということが立ち読みした雑誌に書いてありました。
私の本でキンドル版があるのは、解説を書いた創元推理文庫「フランケンシュタイン」と、同じく解説を書いた角川文庫「猿の惑星・新世紀」ですが、「猿の惑星・新世紀」は版権があるので、版権が切れると紙の本もキンドルも絶版になるはずですが、「フランケンシュタイン」は版権がないので、どうなるのかな。もちろん、コンテンツ自体は翻訳は翻訳家に、解説は解説者に著作権があります。それ以外の権利関係ですね。
以前、小学館で出した古典ミステリーの翻訳で絶版になっているものを電子書籍化したいという連絡が出版社から来たのですが、許可してしまうと、他の出版社で紙の本として出してもらえなくなるのがいやで承諾しませんでした。もちろん、その可能性はほとんどゼロではありますが、それでも、紙の本として再発行される可能性は残しておきたかったのです。
本、特に翻訳ものは本当に売れなくなって、新訳ブームも、版権とって翻訳出してもほとんど売れないから、それよりも知名度のある古典を新訳で、という背景があるということは容易に想像できるわけです。
追記(3月1日記)
「フランケンシュタイン」の翻訳を読み比べるくらいなら原文を読むので、読み比べはしないつもりだけれど、3つの新訳のうち、新潮文庫だけがページ数が多いのが気になっていた。
たまたま、あるサイトで3つの新訳を簡単に比べた文を見て、理由がわかった。
新潮文庫の新訳は説明訳なのだ。
たった1つの単語を20字くらい使って説明して訳している。他の文庫、創元の旧訳、光文社と角川の新訳はそのようなことはしていない。
ページ数に関していえば、創元は古いので字が小さく、行間も狭く、1ページあたりの字数が今の文庫よりずっと多い。それを考えると、創元で300ページの翻訳が今の文庫なら400ページくらいが妥当で、角川と光文社はそうなっている(光文社の方がページ数が若干多いのは、改行が多いのと、解説や年譜のためであると思う)。
新潮文庫の説明訳についていえば、これがこの翻訳者のやり方なのか、それとも新潮文庫の新訳シリーズのやり方なのかはわからない。ただ、同じ新潮の「二都物語」新訳で、1つの単語を長々と説明訳しているとの指摘があったので、新潮のやり方なのかもしれない(下の追記参照)。
新潮の新訳シリーズは一部に評判の悪いものがあって、「嵐が丘」が非難ごうごうなのだけど、これは書評家として有名な翻訳者の趣味のためのようだった。しかし、最近の新訳シリーズはむしろ、わかりやすさを求めた説明訳が裏目に出ているような気がする。もっとも、訳文がこなれていれば、読者は説明訳だとは気づかないので、こなれていないときだけ注目されるのだろう。
(さらに追記 その後、新潮の訳者は他の出版社の翻訳でも長々しい説明訳をしていることがわかったので、出版社の方針ではないかもしれない。)
また、3つの新訳は21世紀に入って訳された新しい訳であるにもかかわらず、日本語が古風なようだ。実際、サイトで目にした比較の訳文を見ると、創元の訳は別に古くないと思った。創元で「狭きしとね」と訳した部分が、3つの新訳では「狭い褥」とか「狭き褥」とかになってるのを見ると、新訳なら「窮屈な寝床」にしろよ、と思う。
また、「フランケンシュタイン」はゴシック小説とロマン主義詩の両方の伝統を受け継いでいるが、ロマン主義詩の影響がわかって訳してるのは創元だけのような気がする。創元の翻訳者は作者メアリの夫シェリーと同時代のロマン主義詩人キーツの研究家だった。また、私はハーディやフォースターのようなロマン主義詩の影響を受けた作家を研究していたので、解説ではロマン主義にも言及している。
参考(5月30日記)
「フランケンシュタイン」新訳の問題、特に新潮文庫が長すぎる点について、次のような指摘があった。
http://honto.jp/netstore/pd-book_26466539.html
2015/03/15 09:10
読み易くて楽しんだが原文と比較してかなりの付け足しがされている翻訳である。字が大きめとはいえ他社の物に比べて数十ページも増えないだろうと思っていたが数ページ程原文と比較して納得した。ただしそれが悪いとは言わない。芹澤氏のフランケンシュタインはこうであるという翻訳だろう。フランケンシュタインという小説を楽しむ上での不都合は感じなかった。同様の訳ばかり出ても仕方がないのでこれはこれでよい。ただし付け足しが多い故に研究目的での使用には向かない。(追記)
全文を比較したがちょっと足しすぎである。文章も軟らかくて親切なようだが固く冷たい原文とは異質のものに感じられた。何らかの意図が有って故のことであろうが残念ながらそれは見えず、ただ付け足しの多い訳であるようにしか感じ無かった。同時に他の訳も比較したが光文社新訳文庫版は非常にライトで新潮社版とは逆に少々細部が削除されていた。創元推理文庫版と角川文庫版の新訳は程よい訳であると感じた。これから読む人にはこの両者どちらかをお薦めする。
(なぜか記事の下に空白ができるようになってしまった。)