最近すっかりご無沙汰になっているのがホッケーの話。NHLのセイバーズはドラフト全体1位か2位ねらいの超低空飛行だし、クレインズもメンバー変わってよくわからなくなってるし、で、あまりホッケーのサイトを見なくなっていました。
が、ここに来て、予想外の展開が!
それは、クレインズがプレーオフ圏外の危機!
つか、もうほとんど終戦とファンのブログには書かれていますが、確かに無理そうな感じ。
今季は全日本選手権の決勝に北海道勢が2チームとも進出できず、バックス対ブレイズの本州勢対決、これはコクド対西武鉄道以来なのだそうで、私がアジアリーグ見始めたときには西武鉄道はとっくに廃部というか、コクドに吸収合併になってたので、かなーり昔の話。
で、クレインズがプレーオフ出れないと、いったい何年ぶり? 私が見始めたときはクレインズがファイナルの常連だったときだったので、これもかなーり前のはず。
いったいどうなっているのでしょうか、クレインズ。去年は優勝したんだよね。
いずれファンのブログや掲示板で総括されるのでしょうが、そういえば、以前は釧路のクレインズ・ファンのブログがいくつもあって、それを読んで情報を得たりしていましたが、ある時期からそれらのブログが更新をしなくなってしまい、うーん、ダーシが去ったあたりからだろうか、その頃から私も遠ざかってしまった気がします。
予想外の展開といえば、光文社文庫に続いて新潮文庫からも「フランケンシュタイン」の翻訳が出たので、すっかり売れなくなった創元推理文庫の「フランケンシュタイン」ですが、キンドルがあるので、もしかしたら紙の文庫本の方は絶版になってしまうかもしれません。創元とはとんとご無沙汰で、私は解説書いただけなので、その辺何もわかりませんが、文庫本は絶版だけどキンドルは健在という本が創元にはいくつかあることがわかりました。
創元の「フランケン」は出た当時(31年前の2月だね)はあまり売れず、数年で絶版かと思われていたのですが、どこかの学校が教科書に採用してくれたので増刷され、その後しだいに売れるようになって、27刷まで行ってます(1回あたりの増刷は2千部から3千部なので、27刷でも合計で7万部から8万部くらいだと思います。初版部数も1万8千と、当時の文庫としては少なかった。今は文庫でも1万切るのは普通らしい、って、私の小学館文庫の翻訳は1万切ってたわ)。
で、NHK教育で「フランケンシュタイン」の紹介番組が先週から始まって、それで新潮文庫も光文社文庫も売れ出したのですが、創元はキンドルが売れている(安いから)。うーん、もう紙は限界か(以上、アマゾンの話なので、書店も含めた実売はわかりません)。
正直、私の解説が30年以上も長持ちするとは思ってなかったので、ネットで今でも解説を絶賛してくださる読者がいるのはありがたいことなのですが、そしてキンドルがあれば今後も読みたい人には読んでもらえるのですが、でも、もしも紙の文庫が絶版になったら、あの解説を含めた本を出してみたいな、とか、ちらっと頭に浮かんだりもしたのでした。
翻訳は新潮文庫と光文社文庫は今ふうで読みやすいそうですが、創元の翻訳は古典の格調のある訳文で、ネットではこちらがいいと書いている人もいます。
追記
そういえば、以前、私は自分の書いたものなんか残らなくていい、と書いたのを思い出しました。
なのに創元の紙の文庫が絶版になったら解説入れた本を出したいって、違うじゃん!
でも、これだけは残したいのかな、なぜ、と思ったとき、実は、私の解説は英文学者の「フランケンシュタイン」に対するカウンターだからだ、と、以前から思っていたからだとわかりました。
私が解説を書いた頃は、まだ英文学で「フランケンシュタイン」をまともに研究する人は非常に少なく、英語の研究書もあまりなかったと思います。私は70年代の末に出た「フランケンシュタイン」についての評論集を参考にしましたが、それ以上に、オールディスの「十億年の宴」やアシモフのロボットもの、そして映画に力点を置いた解説を書きたいと思い、実際、出た当初はSFファンの間で評価されました。
英文学者の「フランケンシュタイン」は、創元の前に国書刊行会から出ていた翻訳がありましたが、これはゴシック・ロマンの翻訳全集の一部、つまり、ゴシックや怪奇小説として出版されたものでした(ゴシック・ロマンは当時も英文学史で触れられていましたが、ウォルポールやラドクリフの方が名前がでかかったな)。
「フランケンシュタイン」が英文学者の間でもてはやされるようになったのは、おそらく90年代以降だと思います(特に日本では)。70年代頃から英文学の世界でもフェミニズムが流行りだしていましたが、「フランケンシュタイン」がフェミニズム批評の格好の材料となったのが90年代かな、という感じ。90年代に非常勤講師をしていた大学の教授がフェミニズムで「フランケンシュタイン」を論じた共著を出していました。ただ、私は文学の中だけのフェミニズム論者というのは信用していなくて、実際、この教授の勤める大学は男女差別が激しかったのに、教授は論文ではフェミニズムを論じても現実では何もしていませんでした。私はこの種のフェミニズムは偽善だと思っています。
だいたい、「フランケンシュタイン」はフェミニズムに向かない作品で、それをフェミニズムでやると、どこかの英語圏の学者みたいに、男が子供を産みたいという欲望というわけのわからん説を出してきたりするわけです。しかも、それに反論するどころか、その説が独り歩きして、私の試験の解答に書く学生までいる(ネットか本で見た説のコピペだから、点はやらない)。
21世紀に入ってからは、京都大学の教授の書いた新書がよく売れていて、今では「フランケンシュタイン」論はこれみたいになっていますが、これは実は、ある洋書の内容を新書向けに日本語で書き直しただけのもの、その洋書とほとんど同じ内容らしいです。だからその京大教授のオリジナルなわけではなく、すでにある洋書の紹介みたいなものらしい。実は日本にはこういう本が時々あって、ある日本人が書いたクリント・イーストウッドについての評論書を読んだら、リチャード・シッケルの書いた本と同じ内容だった、という話もネットには出ていました。スタップ細胞じゃないけど、論文なら研究不正ですが、一般書レベルでは外国人の本の焼き直しでも批判されないのです(だから小保方は悪くないと思う人が多いのもわかる)。
そういえば、昔、無名の人が書いて自費出版で出した夏目漱石論が非常に評判がよかったのですが、その後、その無名の人の本を有名人が換骨奪胎して本を書いてしまった、という話を自費出版の会社の社長から聞いたっけ。日本人の本でも無名の人の本を有名人が盗むならやっちまって大丈夫なのね。
というわけで、英文学者が「フランケンシュタイン」に群がれば群がるほど、私の解説をカウンターとして残したい、という欲求が増すのですね。
しかし、新潮文庫から新訳はほんと、想定外、しかも、訳者が創元で大売れしているミステリー・シリーズの訳者だというのも想定外というか、光文社文庫は訳者が大学教授だったからね。新潮文庫でこの訳者だと、もうとどめを刺された感じです。光文社は古典文庫のファンがいるからまだ大丈夫かな? しかし、新訳が出るたびに、フランケンシュタインは怪物の名前じゃなかった、という感想が出るんだけど、どんなに訳が出ても、大学教授の新書が売れても、ボリス・カーロフには勝てないのだ。カーロフは永遠です。