2019年8月15日木曜日

理想の「天気の子」

「天気の子」に関するすばらしい文章。
http://towubukata.blogspot.com/2019/07/blog-post.html

「天気の子」はすばらしかったが、自分ならこう変える、という話。

これはすばらしい。
これなら欠点だと思っていたところがすべて改善される。
新海誠は社会をきちんと描いていない、世界というものを描けない、という不満も解消する。
拳銃とか警察とか唐突に出てきて違和感バリバリなのも解決する。
なにより、ヒロインが主人公の言葉に、自分を犠牲にしようと決意するあたりのシーンが、このブログの方が数億倍よい。
ヒロインが世界のために犠牲になろうとし、主人公が世界より君が大事と止める、というのがそもそも大風呂敷広げすぎでうんざりだったのだが、これならヒロインと主人公の間でのことで、非常に納得できる。しかも、貧困なども実際の映画よりうまく表現できる。

晴れ女と雨男という発想がすばらしいというか、「君の名は。」に匹敵する民話的世界になれたのに、新海はそこを、風俗だのラブホテルだのに頭が行ってしまって、「君の名は。」のような世界へ行くことができなかったのだ。
「天気の子」がどうも、新海が一人で頭の中でぐるぐる考えただけの話に見えたのはそのせいだったのだが、世間ではそれでも受けてるみたいなので、まあ、受ける人には受けるんだろうと思っていた。
しかし、こんな理想形がありえたのだ。
しかもこの理想形の方がはるかに新海誠の世界じゃないか!