2022年11月26日土曜日

「グリーン・ナイト」(ネタバレ大有り、追記あり)

(冒頭のヘレンとパリスの駆け落ちについて追記しました。)

 アーサー王伝説に登場するアーサーの甥で円卓の騎士の1人、ガウェインと緑の騎士の物語を描いた中世の詩、「サー・ガウェインとグリーン・ナイト」を自由に解釈した映画化。


流山おおたかの森で見ました。恒例のイルミネーションと、書店に飾ってあったすずめの椅子と猫。




「グリーン・ナイト」は、これはもう、私の世界なので、ネタバレ全開で解説していきます。

まず、ネタバレなしのポイント。

デイヴィッド・ロウリー監督の映像がすばらしい。円をモチーフにした映像はアーサー王の円卓であり、魔女の儀式の形でもある。

ジョン・ブアマンの「エクスカリバー」の影響を受けているので、比較するとわかりやすい。ロウリーはこれと「ウィロー」の影響を受けたらしい。

キツネがかわいい。で、キツネがしゃべると「名探偵ピカチュウ」になってしまう。

途中、カメラが180度回転して天地がさかさまになり、そのあとたどり着いた館で、ガウェインの肖像画がさかさまになっているシーンがあるが、これはタロットの吊るされた男。このタロットの意味については、以下のサイトが詳しい。

タロットカード【吊るされた男(ザ・ハングドマン)】の意味!恋愛/仕事/問題などの解釈も│電話占いおすすめ情報比較サイトキャラミル研究所 (jingukan.co.jp)

ほかにも解説しているサイトがいくつもありますが、要するに、これは努力、忍耐、自己犠牲を表す。で、正位置と逆位置についての解説も上にあるけど、ガウェインは逆位置の状態で、正位置にならないと騎士としてふさわしい人になれないのですね。それを表す天地逆転の映像とさかさまの肖像画だと思われます。最後の方のシーンで、さかさまでない肖像画が出てきますが、タロットの吊るされた男の場合、吊るされているのが正位置なので、最後の方のシーンのさかさまでない肖像画は逆位置ということになります(ややネタバレ気味)。また、木の緑についての解説も興味深いです。

以下はネタバレ全開でストーリーや人物を解説。

2022年11月24日木曜日

小説「ザリガニの鳴くところ」(ネタバレ大有り)

 先週末から公開の映画「ザ・メニュー」と「ザリガニの鳴くところ」。気になる映画なのだけど、コロナ後は映画はすべて映画館で見ていて、極貧の私にとっては映画代と交通費がばかにならない。なので、なんでも見るというわけにはいかず、この2本は迷った。

「ザ・メニュー」は評判はいいけど、どうも好みじゃない、なんとなくイヤな予感のする映画、なので、ネットのネタバレ紹介を読んだら、やっぱりイヤミスのようだったので、パスすることに。

そしてベストセラー小説の映画化「ザリガニの鳴くところ」。これ、ロッテントマトの評価がものすごく低い。どうやら原作どおりなのだが、あまりうまくいってない、特に、原作では最後に出てくる裁判シーンが映画ではかなり大きくなっているらしく、それがまたよくないみたい。

もっとも、観客の満足度は非常に高いので、観客にとっては満足できる映画化なのだろう。


ディーリア・オーエンズの原作は10月下旬に県立図書館で予約していた。市立図書館は予約数がかなり多かったが、県立は貸出中で予約は1番。が、なかなか本が来ない。県立図書館は本を回送するのが週に1日だけなので、本が返ってきてから予約の図書館に来るまでに最大1週間、予約者が受け取るのがそこから最大1週間、借りられるのは最大2週間、そして本が返ってきて次の予約図書館に回送するのに最大1週間、というわけで、私が予約する直前に誰かが予約していたら、私のところに連絡が来るまでに最大5週間かかってしまう。

というわけで、10月下旬に予約して、連絡が来たのが先週。日曜日に受け取って、やっと読めました。

翻訳で500ページもある長い小説だけど、すらすら読めるので、あっという間に読めてしまった。自然と動植物に関する描写はいいけれど、そこを抜いたら小説としては「マディソン郡の橋」レベルだな、だから受けるんだろうけど、というのが正直な感想。映画化はこれの劣化版だったら見なくてもいいや、という結論に(自然の映像は見てみたいのだが)。

というところでこの話は終わり、にしていいところなのだが、この小説、なにか既視感がある、どこかで読んだ話に似ている、という感じがつきまとっていた。

そして今朝、突然わかったのだ。

というわけで、以下、ネタバレ全開で行きます。

10月12日と11月9日の上野動物園

 10月上旬に大雨の中、上野動物園へ行ったあと、12日と11月9日に行きました。

年間パスポートが11月10日までだったのですが、なんで1か月近く空いたかと言うと、その間に失業の危機があったからです。とりあえず、法的な力を借りて解決しましたが、いまだにはらわたが煮えくり返る出来事で、また、一度こういうことがあると来年もまたあるかもしれないので、予断は許しません。こういうときは動物園へ行く気にはなれず、むしろ映画を見まくってました。ポール・ニューマン特集、何度も行ったのはそのせいもある。

シャンシャンは今年12月に返還予定だったのが、コロナ第8波の影響か、2月下旬か3月上旬に延期。しかし、これを小池都知事がテレビで大々的に発表したので、そのあとはシャンシャンはすごい行列で、23日の祝日も雨にもかかわらず1時間も早く並ぶのを締め切ったようです。平日も同じくらい混んでいるとのこと。逆に双子はそれほどでもないらしい。

そんなわけで、年間パスポートが切れる前に行った10月12日と11月9日はわりとゆっくり見られました。

まず10月12日。時間があまりなかったので、シャンシャンを3周しただけ。







そして11月9日。年間パスポートは8月31日まででしたが、コロナの休園で11月10日まで延びていました。10日は仕事なので9日に。


シャンシャンも双子もこの待ち時間。しかしいくらあの頃の平日とはいえ、この待ち時間は寝てるからです。


シャンシャンの寝姿。この日はシャンシャンはこの1回だけ。もしかして、これが見納めになるのかな。



アビシニアコロブスの赤ちゃん、もう完全に大人の姿かな、と思ったけれど、まだ白っぽいところが多かった。左はその前に生まれた子。


さるやまキッチンの前の広場でパンダ来園50周年の展示が。






西園へ。まずは庭リーリー。途中で部屋に入った。




次に双子の列に並びます。並んだときは待ち時間30分になっていた。リーリーの庭の前を通るときに写したリーリー。


シンシンは後ろ向きで食事、シャオシャオ、レイレイは寝てた。




再び庭リーリー。食事のあと、部屋に入りたいようだったけれど、ドアが開かず、ずっと庭をうろうろ。









木に上がってマーキング。



すいていたので40分くらい見ていたけど、ドアが開かないのであきらめて帰りました。

上野駅の恒例、パンダのクリスマスツリー。



リーリーとシャンシャン。


シンシンと双子、シャオシャオとレイレイ。



2022年11月13日日曜日

「すずめの戸締まり」いくつかの疑問点

 「すずめの戸締まり」を初日に見たあと、ネットで他の人の感想をいろいろ見ていたら、猫と草太のキャラの造型がだめだ、という意見がけっこうあった。

猫がだめだ、というのは2つ前の記事にも書いたように、私も大いに感じていたことだが、草太の方はあまり考えていなかったので、目からうろこだった。

確かに草太はすずめに次ぐ第二の主役なのに、影が薄い。前半は椅子に変えられてしまい、声だけになってしまうし、後半は存在そのものが消されてしまう。ネットでは草太がすずめを好きになる過程が描かれていないという批判もあった。私はその辺はまあ、お約束でいいのでは、と思ったが、確かに草太の存在感がこれだけ薄いと、対等の男女の関係になりにくい。新海誠の過去作で言うと、「秒速5センチメートル」で栃木県の少女が途中から消えてしまい、主人公の思いだけになるのと同じだ。そして、「秒速」では成長した少女は彼のことをほとんど忘れていて、2人はめぐりあうことはない。

「秒速」はそういう話だったからそれでいいのだが、「すずめの戸締まり」では困る。

もうひとつ、目からうろこだった意見に、「すずめ」はジブリ+「帝都物語」というのがあって、ああ、そうか、魔界を封じるとか結界とかの話でもあるな、と思った。

ジブリというのは、ジブリを意識した「星を追う子ども」の系統だからだが、魔界を封じる戸締まりというコンセプトを考えたとき、いろいろ疑問点が浮かんだ。

魔界を封じる物語では、扉の向こうから魔がやってくるのを防ぐ話になる。

しかし、新海誠がこだわった別世界は、「君の名は。」でも「天気の子」でも、向こうの世界からこちらの世界に魔物が侵入してくる魔界ではなく、主人公たちがこちらの世界からあちらの世界へ行くことだった。それは生の世界から死の世界へ行くことでもある。

そして、「すずめ」は魔界の扉を閉める話なのに、クライマックスではこちらからあちらの世界へ行く話になっている。「君の名は。」と「天気の子」では少年が愛する少女を救うためにあちらの世界へ行くが、「すずめ」ではすずめが草太を救うために扉の向こうへ行く(ネタバレ そこで過去の自分と対峙する)。

これが本来の新海のパターンなのである。魔物が侵入してくる魔界の扉を閉めるのではなく、こちらの世界からあちらの世界へ行くこと。

しかし、この映画では、魔物が侵入してくる扉を閉めることを物語の中心にした。そして、それがどうもうまくいっていないと感じる。

侵入してくる魔物を地震としたのは、東日本大震災を入れたかったからだろう。地震よりも津波の方が合うのだけど、関東大震災も入れたかったのだろう。しかし、地震は地下から来るものなのに、扉から出た赤黒い魔物は空に舞い上がり、地上に落ちると地震になる。これがどうにも不自然に感じる。

扉から出る魔物は疫病や放射能の方が合っているだろう。地震にするならもっと違う出方の方がふさわしいのではないか?

この赤黒い魔物のヴィジュアルもあまり感心しないのだが、この魔界を封じる物語自体が、新海誠は自分のものにできていない感じがする。荒俣宏や夢枕獏ならもっとうまくやったのではないか?

そういえば、あの白猫は夢枕獏原作の「空海」の黒猫から発想したのではないだろうね? RADWIMPSつながりだからきっと見てると思うんだが。あの白猫のコンセプトがだめなのも、この魔界封じがだめなのとつながっている気がする。

そして、草太の存在感が薄いのも、魔界封じのコンセプトがイマイチだからではないだろうか。

東日本大震災は「君の名は。」の原点であり、震災が風化しているので取り入れたい、と思った新海の気持ちは理解できるし、そのこと自体はよいことだと思う。でも、地震を描くにはもっと違うコンセプトが必要だったのではないか。出来上がった「すずめの戸締まり」は、地震と魔界封じと、あちらの世界とこちらの世界が中途半端に入り混じっている。本来なら2本の映画を作るべき題材だったのではないかと思う。


フードコートに新しくカレー屋さんが入っていた。おいしそうだったけれど、別の店の唐揚げ定食を食べてしまった。

2022年11月12日土曜日

借りている本

 図書館から借りている本。


左上 ジャン・コクトー全集(戯曲)

右上と左下 アニー・エルノーの「シンプルな情熱」と「嫉妬」。

右下 ウォルター・テヴィスの「ハスラー」。

コクトーはアルモドバルの「ヒューマン・ボイス」の原作の戯曲が入っているが、まだ読んでいない。他はすべて読んだ。

エルノーの2冊、「嫉妬」の方には映画化された「事件」(映画邦題「あのこと」、来月公開)も収録。「シンプルな情熱」も映画化されたが、見ていない。

エルノーの2冊は、100ページほどの中編が3作なのだけど、この3作を読んだだけではなぜこの作家がフランスで人気があって、ノーベル賞を受賞するほどなのかはよくわからない。おそらく、初期の両親を描いた小説などが高い評価を受けているのではないかと思うので、そちらを読もうとしたら図書館では予約中。予約数は少ないので、そのうち読めるでしょう。

「ハスラー」は映画の原作で、おおむね原作どおりなのだけど、エディがケンタッキーの金持ちと勝負に行くあたりからが映画とは違っている。ここは映画の方が断然いい。

続編映画の製作にあたり、テヴィスが続編「ハスラー2」を書き、日本ではこちらの方が先に翻訳されているのだけど(読んでない)、映画とはだいぶ違うようだ。原作は完全に前作の続きのようで、それだと映画の続きとしては合わないところが出てくるのではないかという気がする。映画ではサラは自殺してしまうけれど、原作ではサラは死なず、バートもそんなに悪いやつではなく、エディはサラとの結婚まで考えているから、これの続きでは映画の続きにならないだろう。

映画の方がトム・クルーズ人気にあやかって「カクテル」ふうの話にしたのも、メジャー映画じゃそうしないと、というのはわかる。

スコセッシの映画としては、「ハスラー2」や「ディパーテッド」は二番煎じなので、この2本があまり話題にのぼらないのは当然だろう。もっとよい映画があるのに、二番煎じでアカデミー賞取ってしまうのもなんだかなあ。

2022年11月11日金曜日

「すずめの戸締まり」(ネタバレあり)

 すぐに見なくてもいいかな、と思っていたけれど、IMAX以外はまったく混んでいないので、見に行ってしまった、「すずめの戸締まり」。

中央部分にちょこちょこっといるくらいで、全然すいていたにもかかわらず、本編始まる直前に隣にオタク風の男が座り、2時間ずっと大きな音をたててポップコーンを食べていた。

2時間ずっと、この男の息と唾液の飛沫がその周辺に漂っていたのだと思うと、2日後が思いやられる。混んでいても隣がマスクして静かに見ていてくれる映画館の方がよかった。このシネコンはいつもすいてるので、隣に人が来ることはめったにないのだが、たまに来ると100%迷惑客。本編始まる直前でなければ移動していたと思う。そういや、以前、ガラガラのIMAXで隣に男に来られて、他の席に移った女性がいたっけ。

で、「すずめの戸締まり」。



「天気の子」みたいに、見ている間ずっと不満があって、ということはまったくなく、見ている間は楽しめた。

が、見終わってみると、なんだか底の浅さを感じてしまう。

「君の名は。」と同じせりふ、同じ構図の映像がひんぱんに出てきて、そして最後は(ネタバレ)東日本大震災なので、ああ、これは「君の名は。」の別バージョンなんだな、と思う。

「天気の子」では男が女を助けに行く話だったのが、女が男を助けに行く話になっていて、主要人物は女性が多く、女同士の連帯が描かれるところがこれまでの新海誠と違うところだが、登場人物があまりに善良な人ばかりで、これまでの映画にあった屈折も深みもない。主人公に都合のいい人ばかりが出てくる。

愁嘆場になりそうになるとユーモアを入れて重くならないようにしているところがいくつかあって、そういうところはうまいし、見ている間は先が読めない面白さもあって、楽しめる。楽しめるんだけど、深みがないし、既視感のあるシーンが多い。

(ネタバレ)昔の自分と今の自分が出会うとか、子ども時代の母と出会う「秘密の森と、その向こう」を見てしまうとねえ。このシーンの泣かせの演出もベタすぎる。

誰かが犠牲になる、というのは「天気の子」だけでなく、「星を追う子ども」でもあったけど、こういうテーマを安易に使いすぎるのもどうだろうか。

ヴィジュアル的には、ミミズと呼ばれる赤黒い煙の描写がパッとしない。あのヴィジュアルはもっとなんとかならなかったのか。

それと、猫。予告見たときからこの猫、なんかイヤ、と思っていたのだが、この猫のキャラクタリゼーションがだめです(きっぱり)。

新海は猫好きで、アマチュア時代に作った「彼女と彼女の猫」という傑作もあるのだが、この映画の猫はコンセプトがきちんとできていない。

猫はすずめが好きだけど、すずめには好かれない、とか、扉を開けまくっていたのかと思ったらそうじゃなかったとか、そして最後の成り行きとか、キャラとしての一貫性がない。この猫、いったい何だったの?って感じで終わってしまう。

あともう一匹、猫が出てくるんだけど、あれもなんだかよくわからないキャラ。

九州から東北までのロードムービー仕立ても特に新しくなく、東北へのロードムービーは「寝ても覚めても」があるので二番煎じ感は否めない。

というわけで、見ているときはそれなりに楽しめるし、無難な作りなんだけど、全体としての浅さを感じてしまう。「天気の子」よりは好感度は高いが、「天気の子」よりいいかどうかは、うーん、と思ってしまうのである。

入場者プレゼントは読みごたえのある小冊子。


そして、ショッピングセンター内のクリスマスツリー。

追記しました。

さーべる倶楽部: 「すずめの戸締まり」いくつかの疑問点 (sabreclub4.blogspot.com)

2022年11月9日水曜日

皆既月食&天王星食

 11月8日は皆既月食と天王星食が同時に見られるという、非常にめずらしい天体ショーが。

昼間はイオンシネマ守谷まで映画を見に行っていて、イオンから帰る途中、空に美しい満月があるのがよく見え、そして駅に着いて夕食食べているうちに月食が始まり、自宅に着くころには皆既月食直前になっていました。

そして、皆既月食が終わる直前に、天王星が月に隠れます。8時40分ころというので、がんばってカメラを構えました。





それから40分後には天王星が月の暗い部分から出てくるというので、そのころにも外に出てがんばって20分くらいスタンバっていたんですが、天王星は見えませんでした。そうこうするうちに月食が完全に終わる。


出てくる方は月の光が明るすぎて見えないかも、とは思いましたが、残念。まあ、月に隠れる方がしっかり見られたのでよしとしましょう。

昼間のイオンシネマ守谷は、「ハスラー」をもう一度見たくて行ったのです。

前日は「ボヘミアン・ラプソディ」でちょっと疲れたあとだったので、集中力を欠いていたので、もう一度見ておかないと後悔する、と思ったので。






ポール・ニューマン特集はまだまだいろいろな映画館でやりますが、時間帯が都合がいいのはもうないかもしれないので、これが最後かも、という気持ちで見てきました。

前日の浦和美園が2本ともおひとり様だったので、守谷もおひとり様かと思ったら、私以外に3人もいた。このあと「暴力脱獄」の上映だったのだけど、これを見ると皆既月食が見られないので、月と天王星を優先したのでした。