「エンドロールのつづき」、「バビロン」、「エンパイア・オブ・ライト」、そして「フェイブルマンズ」と見てきて、映画についての映画が手垢のついたジャンルになってしまっていることを強く感じた。
もう映画ファンの心をくすぐるような映画についての映画にはならないというか、それをねらってるのにもうそれは何度も、しかももっとうまくやられていたことなので、残念な感じしかない。
そんな中で、「エンドロールのつづき」と「フェイブルマンズ」は映画に魅せられる少年というテーマがまだ古びていない感じがする。
「フェイブルマンズ」はスピルバーグの伝記的作品ということだけれど、フィクションの部分も多いだろうと思う。スピルバーグが高校生のときに両親が離婚し、それが「E.T.」そして「宇宙戦争」という離婚家庭をテーマにした映画に反映していたのだが、どちらの映画も離婚の原因は父親の方にあった。
「E.T.」は父が不倫して離婚、恋人とメキシコにいて、父親思いの主人公は父に会いたいのに会えない。兄は母を不幸にした父を許せないと思っていて、幼い妹は事情がよくわかっていないし、たぶん、父のことをあまりよく覚えていないのか、父について何の感情も持っていないようだ。
「宇宙戦争」はトム・クルーズ演じる父親がダメ男で、離婚後は週末に子どもの相手をするだけで、仕事は有能なのだが、プライベートはいつまでも大人にならない子どもっぽい感じ。離婚の原因もおそらくそこにあり、母親の再婚相手の方が子どもたちにも父として認められている。そんなダメ父が宇宙人の襲来の中で父親として目覚めていく、というのが「宇宙戦争」で、明らかに「E.T.」を意識したモチーフやシーンがあり、離婚家庭を子どもの目で描いた「E.T.」に対し、「宇宙戦争」では離婚した父を描くという、「E.T.」の裏返しのような側面があった。
そんなわけで、スピルバーグの両親が離婚したのは父親が原因なのだろうとばかり思っていたのだが、「フェイブルマンズ」では母親が別の男性に恋をしていたのが原因になっている。
主人公がまだ幼い頃、技術者の父がGEに転職してアリゾナに行くことになるが、父の助手で家族同然の男性は転職できないと知った母親が取り乱すシーンがある。ここですでに母親と助手の関係が観客にはわかってしまうのだが、家族はまったく気づかない。結局、助手も転職できて、みんなでアリゾナに転居し、そこでホームムービーの編集を主人公がしているときに、母と助手が親密すぎる関係であることに気づいてしまう。
主人公は劇映画ばかり作っていて、ホームムービーにはあまり関心がなかったのだが、劇映画ではない記録フィルムに真実が映ってしまっていた。
正直、子どもがいるところであんなに親密な行動をするだろうか、と疑問に思うのだが、このあと今度は父がIBMに転職してカリフォルニアへ行くことになり、今度は助手は転職できず、助手と引き裂かれた母はそれに耐えきれず、真実を話して離婚することになる。
母の秘密を知ってしまったが、それを誰にも言えず、一人で悩む主人公、というのが後半の中心になるのだけど、この両親の離婚劇がいまひとつ心に迫らない。結婚後、別の人を好きになってしまうというのはしかたのないことだし、母親はそれでも家庭を壊さないよう努力してきたし、何も知らなかった父親もいい人で、離婚を受け入れるけれど心は傷を負っている。子どもたちはもっぱら被害者なので母を責める。という修羅場なはずなんだが、なにかリアルでない感じがする。両親を悪く描きたくないので、きれいごとになってしまっているのだろう。
母が夢の中で死んだ祖母から電話を受け、これから来る男を入れてはいけない、と言われるが、やってきたのは祖母の兄、つまり母のおじで、彼が映画作りに夢中になる主人公に、芸術の道を進めと言い、またホームムービーの編集をするようにと言う。母はピアニストをめざしていたが、芸術の世界で苦労するより平凡な幸福を、ということでピアニストの夢をあきらめた。おじはサーカスの世界に入り、夢を追いかけた。おじは映画の世界に入りたい主人公の後押しをしただけでなく、ホームムービーの編集をしろと言ったことで、期せずして主人公は母の秘密を知ってしまう。祖母が入れてはいけないと言ったのは、そういうことだったのだ。
芸術の道へ進むことに賛成の母に対し、父はそんなものは役に立たないと反対するが、主人公と父親の対立みたいなものはあまり印象的ではない。それよりも、母の秘密と離婚劇の方が前面に出てくる上、ポール・ダノの父があまりにいい人なので、父の反対はドラマの大きな要素にはなっていない。
ミシェル・ウィリアムズの母は、「E.T.」の母親にちょっと雰囲気が似ている。持ち前の演技力で秘密を抱えた母をみごとに演じている。ただ、脚本的に掘り下げが浅いのが残念だ。彼女の演技ならもっと存在感のある母にもなりえただろうに。
ラスト、デイヴィッド・リンチの演じるジョン・フォードに主人公が会い、若き日のスピルバーグがフォードから言われた地平線についての話が出てくる。ここがなんというか、それほど面白くないというか、別にぐっと来ないというか、なんでかなあ、過去の映画についての映画だったら、こういうシーンは感涙ものなのだけど、なんだか違うのである。私が年をとったからなのか、あるいは、やっぱりこの手の映画は手垢がついてしまったからなのか。
スピルバーグの映画としてもいまいち冴えがない感じがした「フェイブルマンズ」であった。
映画館へ行く途中にあった桜。ソメイヨシノではないが、もう満開。