フランソワ・オゾンの新作「すべてうまくいきますように」を見た。(以下、ネタバレあり、注意)
フランス語の原題は「Tout s'est bien passé」その英訳が「Everything went fine」。グーグル翻訳で確認した。
「Everything went well」なら、「すべてうまくいった」だけれど、wellがfineだとニュアンスが違う。
なにがうまくいったかというと、脳卒中で体が不自由になった老父が安楽死を望み、スイスで安楽死することができたので、うまくいったのだ。
スイスでは安楽死が合法化されているとはいえ、フランスから安楽死のためにスイスへ行くことは許されないようで、老父の安楽死の希望をかなえようとする2人の娘はスイスへの同行をやめなければならず、安楽死が成功したという連絡を受けるだけなのだ。
「すべてうまくいった」というのは、その、安楽死が成功したという連絡の言葉だろう。娘たちは最後の瞬間に思いとどまってほしいと思っていたのだが。
フランソワ・オゾンの映画はどれも好きなのだけれど、この映画にはのれなかった。
こんなに違和感を感じたオゾンの映画は初めてだった。
安楽死をめぐる家族の絆、みたいなきれいごとの映画評が散見するが、なんだかなあ、と思っていたところ、こんな映画評があった。
映画『Everything Went Fine』が語る、安楽死には議論の余地すらない?(ネタバレ)(木村浩嗣) - 個人 - Yahoo!ニュース
(引用)
だが、なぜ死という選択をするのかには、“俺がそう決めたから”という理由以外見つからなかった。
はっきり言って、説得力に欠ける。否、説得する必要すら無いのかもしれない。
(中略)
『Everything Went Fine』とは“すべてうまくいった”という意味で、皮肉に聞こえる。このテーマを扱ってなお、皮肉ったタイトルを付ける余裕があった。監督は、それだけ確信犯だったということだろう。
が、こちらはそのドライぶりによって、逆に疑問を抱かされた。
(引用終わり)
昨年6月の記事なので、まだ邦題が決まる前のもの。私も同じように感じた。そして、安楽死を望む老父に共感できなかった。
老父とその家族は裕福なインテリで、お金があるから安楽死ができるともいえる。実際、老父は、貧しい人は死を待つしかない、という。お金があるから死を選択できるが、お金がなければ選択する自由がない。この映画の中で、私が感じた唯一のリアルがこのせりふだった。