週刊文春の野郎、またバカなことしやがって。
さっさと刑事告訴されてしまえ。
私は大手出版社の多くで、一応、なんらかの仕事をしている。
集英社 18歳の私に漫画原作の賞をくれた(賞金5000円)。80年代前半には翻訳候補作のリーディングを少しだけやった。80年代後半には文芸誌「すばる」で映画評を1年に1回書いていた。その後は月刊誌で長めの記事の翻訳1回。
新潮社 「テロリストのダンス」と「インソムニア」の2冊の翻訳を出す。
扶桑社 犬猫短編集3冊に参加。単行本「地獄の黙示録完全ガイド」の翻訳。
小学館 「ハリウッド・ボウルの殺人」と「グリーン・アイス」の翻訳。
講談社 80年代に翻訳する話があったが、内容が気に入らず、断ってしまう。2000年代にリーディングを何冊かするが、仕事に結びつかず、担当者が異動でジ・エンド。
朝日新聞社 「朝日ジャーナル」に1回執筆。
角川書店 「猿の惑星新世紀」の解説。
早川書房と東京創元社でも仕事いろいろしてました。
二見書房はロマンス小説1冊訳したけど、その後決裂。本は出なかった。
おお、無名の人間にしては大手で仕事してるではないか、でも、ちょっとだけ。
実は、大手はわりと間口が広いです。
早川とか創元とか、中堅の方が間口が狭い。コネがないとむずかしい感じ。
でも、大手はわりと誰でも一応会ってくれる感はある。
文春も一応、会ってくれました。そのとき持っていった企画はヴェルナー・ハイゼンベルクの伝記。これは本当に訳したかったけど、内容が物理の専門的な部分が多いので、興味は持ってもらえたけど、そこがネックでダメでした。その本はその後、物理の専門家たちの手でマイナーな出版社から翻訳が出ました。
というわけで、大手は間口が広い。でも、仕事を続けてもらうのはむずかしい。
中堅や中小は間口が狭く、コネがないと入ることもむずかしい。が、いったん認めてもらえると継続的に仕事が来る。
というのが私の印象。役に立つかどうかはわかりませんが。
映画や日常生活のブログ。記事内の写真はクリックすると大きくなります。別ブログ(ログインできなくなった場合用)http://sabre26.cocolog-nifty.com/blog/
2016年7月21日木曜日
2016年7月20日水曜日
ひまわりに向かって飛ぶ蜂
偶然撮れた1枚。
「シング・ストリート 未来へのうた」について書かなければ、と思っているうちに公開されていた。
「Once ダブリンの街角で」、「はじまりのうた」で音楽ファンに熱狂的な支持を受けているジョン・カーニー監督の新作。これまでと違い、初めて自分の少年時代をもとにしたストーリー。そのせいか、前2作に比べてオシャレ度が低い感じがするが、その分、1980年代のアイルランドの問題を適度にまじえたリアルな出来栄え。
以前このブログにも書いた「ブルックリン」と比較して見てほしいと思うが、どちらもアイルランドという国の保守性を批判している。「ブルックリン」は50年代、「シング・ストリート」は80年代。前者は保守的なアイルランドと対比される自由な国としてアメリカが、後者は未来への希望の国としてのイギリスが登場するが、どちらもアイルランド目線だからだということは絶対に理解しないといけない。アイルランド人が保守的な自分の国の問題を見据える延長としてのアメリカ、イギリスであって、アメリカ人やイギリス人が自画自賛しているのではないということ。
「シング・ストリート」では、父親の失業のせいで裕福な生徒が行く私立からカトリック教会が運営していると思われる高校(校長や先生が神父)へ転向した主人公が、いじめにあったり、両親の不和を目の当たりにしながら、バンドを組むことで人生に活路を見出す姿が描かれる。
全体としてはほんわかムードなので、悪役もそんなにあくどくなく、むしろいじめっ子の少年が実は家では親から虐待されていて、バンドのボディガードにスカウトされると喜んで参加、という気持ちのいい展開。
それでも80年代当時のアイルランドのカトリックの抑圧、保守性、庶民が抱える失業や犯罪の問題、そして家庭の問題(これは他の国にも共通するが)の描写は、80年代にそうした問題をもっとシリアスに描いたアイルランドの映画や小説を多少とも見てきた私にはリアルに感じられる。もちろん、今はだいぶよくなっているのか、映画の最後に「この映画は過去の時代を描いたもので、現代のアイルランドとは違う」という英語字幕が出る。
歌手をめざす少女と主人公が自分たちと、そして仲間の希望を叶えるべく、祖父の小さな船でイギリスに向かうラストは「トゥルーマン・ショー」のクライマックスに少し似ているかもしれない。
「ブルックリン」映画評はこちら。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/03/blog-post_31.html
「シング・ストリート 未来へのうた」について書かなければ、と思っているうちに公開されていた。
「Once ダブリンの街角で」、「はじまりのうた」で音楽ファンに熱狂的な支持を受けているジョン・カーニー監督の新作。これまでと違い、初めて自分の少年時代をもとにしたストーリー。そのせいか、前2作に比べてオシャレ度が低い感じがするが、その分、1980年代のアイルランドの問題を適度にまじえたリアルな出来栄え。
以前このブログにも書いた「ブルックリン」と比較して見てほしいと思うが、どちらもアイルランドという国の保守性を批判している。「ブルックリン」は50年代、「シング・ストリート」は80年代。前者は保守的なアイルランドと対比される自由な国としてアメリカが、後者は未来への希望の国としてのイギリスが登場するが、どちらもアイルランド目線だからだということは絶対に理解しないといけない。アイルランド人が保守的な自分の国の問題を見据える延長としてのアメリカ、イギリスであって、アメリカ人やイギリス人が自画自賛しているのではないということ。
「シング・ストリート」では、父親の失業のせいで裕福な生徒が行く私立からカトリック教会が運営していると思われる高校(校長や先生が神父)へ転向した主人公が、いじめにあったり、両親の不和を目の当たりにしながら、バンドを組むことで人生に活路を見出す姿が描かれる。
全体としてはほんわかムードなので、悪役もそんなにあくどくなく、むしろいじめっ子の少年が実は家では親から虐待されていて、バンドのボディガードにスカウトされると喜んで参加、という気持ちのいい展開。
それでも80年代当時のアイルランドのカトリックの抑圧、保守性、庶民が抱える失業や犯罪の問題、そして家庭の問題(これは他の国にも共通するが)の描写は、80年代にそうした問題をもっとシリアスに描いたアイルランドの映画や小説を多少とも見てきた私にはリアルに感じられる。もちろん、今はだいぶよくなっているのか、映画の最後に「この映画は過去の時代を描いたもので、現代のアイルランドとは違う」という英語字幕が出る。
歌手をめざす少女と主人公が自分たちと、そして仲間の希望を叶えるべく、祖父の小さな船でイギリスに向かうラストは「トゥルーマン・ショー」のクライマックスに少し似ているかもしれない。
「ブルックリン」映画評はこちら。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/03/blog-post_31.html
2016年7月18日月曜日
続・気になること
都知事選はどうやら小池氏が一歩リードのようです。
今回の選挙は、
増田氏=原発推進→当選したら東電の原発再稼働?
小池氏=日本会議所属、在特会とつながり、自民の中でも極右の極右→当選したら、五輪の間は基本的人権なくなる?
鳥越氏=唯一のリベラル、野党共闘候補。が、選挙のやり方がどうもやばそう。
って感じらしい。
参議院選挙に続いて野党共闘で改憲阻止、という観点で鳥越氏を応援したいな、と思っていたのですが(都民じゃないので投票権はない)、ここに来て、現実的に、鳥越氏が当選しないとやばい、と思い始めました。
舛添氏はなんだかんだ言ってもリベラルな面があった人で、だから宇都宮氏や細川氏が落選しても、ま、いいか、って感じはあったんですが、今回はほんとにやばいです。
千葉県の方の日本会議の支部が、小池氏が都知事になったら在特会のS氏を副都知事に、政策は宇都宮氏のをパクッて、とかツイッターに書いている(S氏は都知事選に立候補してますが)。
宇都宮氏のシンパを小池氏に誘導しようとしてるツイッターもあるし。
小池氏は自民党に反旗を翻しているので人気を得ているみたいだけど、こういう人気が一番怖い。
というようなことを書くと、またまたアクセス数が激減するんだろうな。
でも、別に激減してもいいや。
まあ、私のブログなんざ、何の影響もないのですが、やっぱり書いておきたかったのです。
今回の選挙は、
増田氏=原発推進→当選したら東電の原発再稼働?
小池氏=日本会議所属、在特会とつながり、自民の中でも極右の極右→当選したら、五輪の間は基本的人権なくなる?
鳥越氏=唯一のリベラル、野党共闘候補。が、選挙のやり方がどうもやばそう。
って感じらしい。
参議院選挙に続いて野党共闘で改憲阻止、という観点で鳥越氏を応援したいな、と思っていたのですが(都民じゃないので投票権はない)、ここに来て、現実的に、鳥越氏が当選しないとやばい、と思い始めました。
舛添氏はなんだかんだ言ってもリベラルな面があった人で、だから宇都宮氏や細川氏が落選しても、ま、いいか、って感じはあったんですが、今回はほんとにやばいです。
千葉県の方の日本会議の支部が、小池氏が都知事になったら在特会のS氏を副都知事に、政策は宇都宮氏のをパクッて、とかツイッターに書いている(S氏は都知事選に立候補してますが)。
宇都宮氏のシンパを小池氏に誘導しようとしてるツイッターもあるし。
小池氏は自民党に反旗を翻しているので人気を得ているみたいだけど、こういう人気が一番怖い。
というようなことを書くと、またまたアクセス数が激減するんだろうな。
でも、別に激減してもいいや。
まあ、私のブログなんざ、何の影響もないのですが、やっぱり書いておきたかったのです。
2016年7月15日金曜日
気になること。
あの福島原発事故から5年以上がたった。
事故のあった2011年から某大学で映画の授業をするようになり、2012年からその中で「チャイナ・シンドローム」を扱った。
2012年のときはさすがに事故から1年しかたっていなかったので、学生は原発事故の恐ろしさや隠蔽に対して敏感に反応していた。自分は反原発だと言う学生も多かった。
その後、ほぼ毎年、「チャイナ・シンドローム」を扱っているのだが、年を経るごとに学生の感想が反原発から原発容認に変わっていく。
今年は反原発、脱原発の学生は極端に少なくなり、事故が起きないように注意すればいいのだ、という容認派が多数になった感がある(別に統計をとっているわけではないので、なんとなくの感触だが)。
ネットを見ると、反原発派の中にトンデモ陰謀論者が増えているという。そういう影響もあるのだろうか。
そして都知事選。自公が公認する増田氏は告示前日に東電の取締役を降りたという人物。もちろん、原発推進派。
前回の都知事選では宇都宮氏と細川氏が脱原発で、当選した舛添氏も積極的に原発推進というわけではなかった気がするが、今度はバリバリの原発推進派。
まあ、今回は細越氏の方が有力な感じがするけど、原発容認が日本の中にかなり浸透してしまっているのか、という感もあるので、気になる。(追記 どうやら原発推進の増田氏は沈没傾向で、今や鳥越氏対小池氏になっているようです。増田氏より小池氏の方が思想的にずっとヤバイのですが(日本のトランプか?)けっこうリベラルも勘違いしてるとか。)
昨年、引越をして都民ではなくなったので、鳥越氏に一票を投じることができなくなったのがしごく残念というか、30年以上都内に住んで、青島氏に投票したとき以来のわくわく感があるので、ほんとに残念。
青島氏のときは都市博中止という公約があって、それに同意したので投票した。まさか当選するとは思ってなかったのだけど、一度決めたらやめないこういうイベントを中止にしたのはよかったと思う。
この青島氏以来、都知事はマスコミ有名人ばかりになっていて、今回の鳥越氏もマスコミ有名人。対する増田氏とか小池氏とかは違う(小池氏は別の意味で有名人ですが)。
鳥越氏が当選すれば、またまた有名人だから、と言う人が出るだろうけど、選挙のように投票で決まるものは多かれ少なかれ人気投票的色彩を帯びるのだと思う。
たとえば、アカデミー賞もキネマ旬報ベストテンも投票で選ばれるが、これも人気投票の要素は多分にある。選ぶ人が一般人でないというだけで、投票権を持った人たちの嗜好が見てとれるのだ。
それでも、アカデミー賞は全米第1位のヒット作が作品賞にはならないし、キネ旬ベストテンも興行成績とは連動していない。それでも、ある程度のヒット作、話題作であることが条件だ。
選挙もそういうものだと思う。それを、ペーパーテストの入学試験みたいによい点を取った方が当選すべきみたいな考えを持つ人がけっこう多いらしい、それもリベラルな人々に、ということを強く感じた。
というか、前の都知事選でそれを感じて投票しなかった人がいるんですよね。その人は今回、すばらしい英断をしましたが(私はずっと、その英断をしてくれると信じていましたが)、支援者の一部のツイートを見ると、やっぱり選挙をペーパーテストみたいに考えているんだな、そこを変えないと、この人は当選しないよ、と思ってしまいました。
事故のあった2011年から某大学で映画の授業をするようになり、2012年からその中で「チャイナ・シンドローム」を扱った。
2012年のときはさすがに事故から1年しかたっていなかったので、学生は原発事故の恐ろしさや隠蔽に対して敏感に反応していた。自分は反原発だと言う学生も多かった。
その後、ほぼ毎年、「チャイナ・シンドローム」を扱っているのだが、年を経るごとに学生の感想が反原発から原発容認に変わっていく。
今年は反原発、脱原発の学生は極端に少なくなり、事故が起きないように注意すればいいのだ、という容認派が多数になった感がある(別に統計をとっているわけではないので、なんとなくの感触だが)。
ネットを見ると、反原発派の中にトンデモ陰謀論者が増えているという。そういう影響もあるのだろうか。
そして都知事選。自公が公認する増田氏は告示前日に東電の取締役を降りたという人物。もちろん、原発推進派。
前回の都知事選では宇都宮氏と細川氏が脱原発で、当選した舛添氏も積極的に原発推進というわけではなかった気がするが、今度はバリバリの原発推進派。
まあ、今回は細越氏の方が有力な感じがするけど、原発容認が日本の中にかなり浸透してしまっているのか、という感もあるので、気になる。(追記 どうやら原発推進の増田氏は沈没傾向で、今や鳥越氏対小池氏になっているようです。増田氏より小池氏の方が思想的にずっとヤバイのですが(日本のトランプか?)けっこうリベラルも勘違いしてるとか。)
昨年、引越をして都民ではなくなったので、鳥越氏に一票を投じることができなくなったのがしごく残念というか、30年以上都内に住んで、青島氏に投票したとき以来のわくわく感があるので、ほんとに残念。
青島氏のときは都市博中止という公約があって、それに同意したので投票した。まさか当選するとは思ってなかったのだけど、一度決めたらやめないこういうイベントを中止にしたのはよかったと思う。
この青島氏以来、都知事はマスコミ有名人ばかりになっていて、今回の鳥越氏もマスコミ有名人。対する増田氏とか小池氏とかは違う(小池氏は別の意味で有名人ですが)。
鳥越氏が当選すれば、またまた有名人だから、と言う人が出るだろうけど、選挙のように投票で決まるものは多かれ少なかれ人気投票的色彩を帯びるのだと思う。
たとえば、アカデミー賞もキネマ旬報ベストテンも投票で選ばれるが、これも人気投票の要素は多分にある。選ぶ人が一般人でないというだけで、投票権を持った人たちの嗜好が見てとれるのだ。
それでも、アカデミー賞は全米第1位のヒット作が作品賞にはならないし、キネ旬ベストテンも興行成績とは連動していない。それでも、ある程度のヒット作、話題作であることが条件だ。
選挙もそういうものだと思う。それを、ペーパーテストの入学試験みたいによい点を取った方が当選すべきみたいな考えを持つ人がけっこう多いらしい、それもリベラルな人々に、ということを強く感じた。
というか、前の都知事選でそれを感じて投票しなかった人がいるんですよね。その人は今回、すばらしい英断をしましたが(私はずっと、その英断をしてくれると信じていましたが)、支援者の一部のツイートを見ると、やっぱり選挙をペーパーテストみたいに考えているんだな、そこを変えないと、この人は当選しないよ、と思ってしまいました。
2016年7月13日水曜日
By the Sea
アンジェリーナ・ジョリーが夫の姓ピットをつけての製作・監督・脚本・主演作「白い帽子の女」を見てきました。
試写室はなぜかガラガラ。悪い予感は的中し、映画はかなりつまらなかった。
アンジェリーナと夫のブラッド・ピットの10年目の夫婦共演、という話題もあって見に行ったのですが、やっぱり、彼女は監督としてはあかんのではないかと。
だって、あの「アンブロークン」がかなりいいかげんな出来で、反日だなんだというレベル以前の問題だったので。もう1本の監督作は見てませんが。
で、タイトルの「白い帽子の女」というのは、アンジェリーナのかぶる帽子の1つが白いからなのでしょうが、彼女はほかに黒い帽子と、白と黒の模様の帽子をかぶっています。
原題はBy the Sea。こっちの方がいいですが、海辺にて、ではちとインパクトに欠ける。が、白い帽子の女がよかったかどうかというと疑問。
舞台はプレスによると1973年のようです。過去の時代の話というのは明らかで、タイプライターが出てくるところでもうワープロ、パソコン以前の時代だとわかります。
その1973年のマルタ島に、アメリカ人夫婦がやってきます。夫は作家、妻は元ダンサー。何かの事情で妻は心を病み、夫婦関係も危機になっている。
夫は必死に元の関係を取り戻したいと思っているけれど、傷ついた妻はもとに戻れない。
二人の泊まるホテルの部屋の隣に若い新婚カップルが泊まっています。
なぜか部屋の壁に穴があいていて、隣がのぞける(アンジェリーナ側がのぞけるのに、向こう側のカップルが穴に気づかない、というのが変ですが、まあそれはいいとして)。
新婚でラブラブなカップルを見て、アンジェリーナ演じる妻が、なんというか、変化していくというか、うーん、いい方向への変化ではないので、何とも言えないのですが。
このアンジェリーナ演じるつらい過去を持つ妻が、善良であると同時に他人を傷つけるような悪の面を持っていて、隣室のカップルに災いをもたらしてしまう、というのがクライマックスです。
白い帽子の女であると同時に黒い帽子の女でもある彼女。
うーん、うーん。
昔はこういう映画、けっこうあったんですよね。
でも、今はこういう話、ちょっと時代遅れではないかと。
映像も昔なつかしい雰囲気なんですが、結局、アンジェリーナの自己満足にすぎない映画に思えてきます。
同じ題材だったら、やはり70年代の作品の方が切実だったと思います。
試写室はなぜかガラガラ。悪い予感は的中し、映画はかなりつまらなかった。
アンジェリーナと夫のブラッド・ピットの10年目の夫婦共演、という話題もあって見に行ったのですが、やっぱり、彼女は監督としてはあかんのではないかと。
だって、あの「アンブロークン」がかなりいいかげんな出来で、反日だなんだというレベル以前の問題だったので。もう1本の監督作は見てませんが。
で、タイトルの「白い帽子の女」というのは、アンジェリーナのかぶる帽子の1つが白いからなのでしょうが、彼女はほかに黒い帽子と、白と黒の模様の帽子をかぶっています。
原題はBy the Sea。こっちの方がいいですが、海辺にて、ではちとインパクトに欠ける。が、白い帽子の女がよかったかどうかというと疑問。
舞台はプレスによると1973年のようです。過去の時代の話というのは明らかで、タイプライターが出てくるところでもうワープロ、パソコン以前の時代だとわかります。
その1973年のマルタ島に、アメリカ人夫婦がやってきます。夫は作家、妻は元ダンサー。何かの事情で妻は心を病み、夫婦関係も危機になっている。
夫は必死に元の関係を取り戻したいと思っているけれど、傷ついた妻はもとに戻れない。
二人の泊まるホテルの部屋の隣に若い新婚カップルが泊まっています。
なぜか部屋の壁に穴があいていて、隣がのぞける(アンジェリーナ側がのぞけるのに、向こう側のカップルが穴に気づかない、というのが変ですが、まあそれはいいとして)。
新婚でラブラブなカップルを見て、アンジェリーナ演じる妻が、なんというか、変化していくというか、うーん、いい方向への変化ではないので、何とも言えないのですが。
このアンジェリーナ演じるつらい過去を持つ妻が、善良であると同時に他人を傷つけるような悪の面を持っていて、隣室のカップルに災いをもたらしてしまう、というのがクライマックスです。
白い帽子の女であると同時に黒い帽子の女でもある彼女。
うーん、うーん。
昔はこういう映画、けっこうあったんですよね。
でも、今はこういう話、ちょっと時代遅れではないかと。
映像も昔なつかしい雰囲気なんですが、結局、アンジェリーナの自己満足にすぎない映画に思えてきます。
同じ題材だったら、やはり70年代の作品の方が切実だったと思います。
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