http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%81%BA%E7%94%A3-%E5%A4%96%E5%9B%BD%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%94%B7%E5%84%AA%E3%83%BB%E5%A5%B3%E5%84%AA100/dp/4873768012/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1414677702&sr=1-1&keywords=%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%81%BA%E7%94%A3
男女優5人ずつ投票しましたが、例によって、ほかの人があまり投票しない人ばかりになってしまったなあ。もともと好みがマイナーなのだけど。
しかし、こういう本、売れるのでしょうか?
読むところがあまりないような。
映画や日常生活のブログ。記事内の写真はクリックすると大きくなります。別ブログ(ログインできなくなった場合用)http://sabre26.cocolog-nifty.com/blog/
2014年10月30日木曜日
2014年10月23日木曜日
あれまっ
10月29日発売という「表紙でふりかえるキネマ旬報」。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A1%A8%E7%B4%99%E3%81%A7%E3%81%B5%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E6%97%AC%E5%A0%B1/dp/4873767997/ref=zg_bs_500492_19
ちょっと、この表紙、ど真ん中にあるヒッチコックの似顔絵、かの有名な和田誠画伯の作品ですが、これ、たしか、私が初めて原稿料もらって書いた号の表紙だよね、と思って調べたら、やはりそうだった。
1984年5月下旬号。まだ在庫あるのか、と思ったら、古書店のサイトでした。
http://www.art-blue.jp/kj2/1984/
権利の関係で長らく公開もビデオ化もされていなかったヒッチコックの5作品、「ロープ」、「知りすぎていた男」、「裏窓」、「めまい」、「ハリーの災難」がリバイバルされたときの特集。
なお、読者としての投稿が載ったことは70年代に何度かあります。
私が初めてキネ旬を見たのは高校の図書館でしたが、そこでは古くなった雑誌は机に並べて希望者が勝手に持っていっていいことになっていて、「アレンジメント」のフェイ・ダナウェイが表紙の号をもらっていった記憶があります。たぶん、一番古い記憶のキネ旬の表紙がそれ。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A1%A8%E7%B4%99%E3%81%A7%E3%81%B5%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E6%97%AC%E5%A0%B1/dp/4873767997/ref=zg_bs_500492_19
ちょっと、この表紙、ど真ん中にあるヒッチコックの似顔絵、かの有名な和田誠画伯の作品ですが、これ、たしか、私が初めて原稿料もらって書いた号の表紙だよね、と思って調べたら、やはりそうだった。
1984年5月下旬号。まだ在庫あるのか、と思ったら、古書店のサイトでした。
http://www.art-blue.jp/kj2/1984/
権利の関係で長らく公開もビデオ化もされていなかったヒッチコックの5作品、「ロープ」、「知りすぎていた男」、「裏窓」、「めまい」、「ハリーの災難」がリバイバルされたときの特集。
なお、読者としての投稿が載ったことは70年代に何度かあります。
私が初めてキネ旬を見たのは高校の図書館でしたが、そこでは古くなった雑誌は机に並べて希望者が勝手に持っていっていいことになっていて、「アレンジメント」のフェイ・ダナウェイが表紙の号をもらっていった記憶があります。たぶん、一番古い記憶のキネ旬の表紙がそれ。
2014年10月22日水曜日
要するに、ここは丼勘定の出版社、だよね?
時間泥棒の次は原稿料泥棒の話です。
芥川賞作家の柳美里氏が、「創」という出版社で連載などをしていたにもかかわらず、数年間分の原稿料が払われていない、ということをブログに書き、その後、インタビューにも応じています。
http://getnews.jp/archives/686281
この記事の下の方にブログ記事へのリンク、編集長の言い訳へのリンク、そして他の執筆者の反応などへのリンクが貼られていますが、
要するに、ここは丼勘定の出版社、だよね?
最初のうちは払っていたけれど、だんだん金額が減り、その後まったく払われなくなったとか、原稿料がいくらなのかの明細も出してないとか、別の執筆者は未払いはないとか、要するに、その場その場の気分で払ったり払わなかったりしてる、また、人によって払ったり払わなかったりしてるわけで、こういうところは私だったら最初からお断りです。ボランティアで書いて、っていうのは何度か書いたことあるけど、経理がきちんとしてないところはヤバイ。
出版社が赤字続きで払えない、という実情が背景にあるとしても、最初から丼勘定ってのはヤバイだろ。
ちなみに、私がかつて受けた原稿料未払いは、相手はどう見ても赤字などあるはずのない大手配給会社だった。そこはすでに解散しているので(倒産ではない、念のため)言ってもかまわないと思うが、最初に20万円ほどの翻訳をしたのに、2年以上、支払いがなかった。その20万円のあとの仕事はきちんと払ってくれていたのだが、何度催促しても最初の20万円を払ってもらえす、ついに私がキレて、お金は払ってもらえたが、そこで仕事はできなくなった。
噂によると、そこは相手によって払ったり払わなかったりするところらしかった。
まあ、確かに儲かる翻訳だったので、未払いに目をつむって仕事を続けた方が収入的にはよいから続けている人もいたのだろう。でも、私はお金にきちんとしないところは我慢できなかった。
私が映画評などを執筆していたところはどこも原稿料が安くて、出版社や雑誌の規模からしたらこのくらいの安さだろうな、ということは感じていたので、安くてもきちんとしている方が安心だった。最初は原稿料は400字1000円から1500円、翻訳だと400字500円とか、そんなくらいだった。その後、400字で3000円のところとかたまに来るようになったが、執筆で生活ができるほど稼いだことはない。翻訳書も年に何冊も出さないと生活は無理で、今は年に何冊も仕事を得ること自体が非常に困難。
柳美里は講演やテレビ出演をほとんどしていないというが、作家や評論家はタレントにならないと食えない時代だと思う。さもなきゃ中沢けいみたいに大学教授になるとか。さっき、20分もの予告編を我慢して「アメリカン・ハッスル」を見たんだけど、サバイバルは重要な芸術(アート? なら技術もあり?)みたいなことを言っていて、まったくそのとおりだと思った(映画はあんまりおもしろくなかったけど)。作家や評論家をやりながらしっかり大学教授に収まった人は多いが、そういう「人間力」が大事なんだよね。ただ、作家や評論家を教授に採用するというのは一時期の流行にすぎないので、今後はわからないと思う。
追記
「創」は編集長が1人で30年もやってる雑誌だったのか。どうりで丼なわけだ。
http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/25823/
芥川賞作家の柳美里氏が、「創」という出版社で連載などをしていたにもかかわらず、数年間分の原稿料が払われていない、ということをブログに書き、その後、インタビューにも応じています。
http://getnews.jp/archives/686281
この記事の下の方にブログ記事へのリンク、編集長の言い訳へのリンク、そして他の執筆者の反応などへのリンクが貼られていますが、
要するに、ここは丼勘定の出版社、だよね?
最初のうちは払っていたけれど、だんだん金額が減り、その後まったく払われなくなったとか、原稿料がいくらなのかの明細も出してないとか、別の執筆者は未払いはないとか、要するに、その場その場の気分で払ったり払わなかったりしてる、また、人によって払ったり払わなかったりしてるわけで、こういうところは私だったら最初からお断りです。ボランティアで書いて、っていうのは何度か書いたことあるけど、経理がきちんとしてないところはヤバイ。
出版社が赤字続きで払えない、という実情が背景にあるとしても、最初から丼勘定ってのはヤバイだろ。
ちなみに、私がかつて受けた原稿料未払いは、相手はどう見ても赤字などあるはずのない大手配給会社だった。そこはすでに解散しているので(倒産ではない、念のため)言ってもかまわないと思うが、最初に20万円ほどの翻訳をしたのに、2年以上、支払いがなかった。その20万円のあとの仕事はきちんと払ってくれていたのだが、何度催促しても最初の20万円を払ってもらえす、ついに私がキレて、お金は払ってもらえたが、そこで仕事はできなくなった。
噂によると、そこは相手によって払ったり払わなかったりするところらしかった。
まあ、確かに儲かる翻訳だったので、未払いに目をつむって仕事を続けた方が収入的にはよいから続けている人もいたのだろう。でも、私はお金にきちんとしないところは我慢できなかった。
私が映画評などを執筆していたところはどこも原稿料が安くて、出版社や雑誌の規模からしたらこのくらいの安さだろうな、ということは感じていたので、安くてもきちんとしている方が安心だった。最初は原稿料は400字1000円から1500円、翻訳だと400字500円とか、そんなくらいだった。その後、400字で3000円のところとかたまに来るようになったが、執筆で生活ができるほど稼いだことはない。翻訳書も年に何冊も出さないと生活は無理で、今は年に何冊も仕事を得ること自体が非常に困難。
柳美里は講演やテレビ出演をほとんどしていないというが、作家や評論家はタレントにならないと食えない時代だと思う。さもなきゃ中沢けいみたいに大学教授になるとか。さっき、20分もの予告編を我慢して「アメリカン・ハッスル」を見たんだけど、サバイバルは重要な芸術(アート? なら技術もあり?)みたいなことを言っていて、まったくそのとおりだと思った(映画はあんまりおもしろくなかったけど)。作家や評論家をやりながらしっかり大学教授に収まった人は多いが、そういう「人間力」が大事なんだよね。ただ、作家や評論家を教授に採用するというのは一時期の流行にすぎないので、今後はわからないと思う。
追記
「創」は編集長が1人で30年もやってる雑誌だったのか。どうりで丼なわけだ。
http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/25823/
時間泥棒
時間泥棒といえば、ミヒャエル・エンデの「モモ」。
が、それはともかく、レンタルDVDのスキップできない予告編て、時間泥棒じゃないのだろうか?
ツタヤで5枚1080円のレンタルで借りたディスク。
「19歳」は短いので時間泥棒の予告編が20分以上あるだろう、と思っていたら、スキップできないのは1本だけだった。
「ハンナ・アーレント」も時間泥棒があるだろうと思ったが、すべてスキップできた。
「アナと雪の女王」は最初から本編見たい人はこちらというのがあった。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は予告編がまったくなかった。
そして、5枚目の「アメリカン・ハッスル」。夜中に見ようと思ってかけたら、予告編がスキップできない。2時間20分もあるのに予告編が20分も30分もあったら大変だ、と思って2つスキップしようとしてだめだったところで見るのをやめた。
返すのは2日後なので、まだ時間はあるのだけど、5枚借りたら1枚は見ずに返す可能性は最初から考えていたので、見ないで返すかもしれない。
レンタルDVDだからといって、予告編を数十分も見させるって、どういう考えなのだろうか。
スキップできない予告編の時間も表記すべきではないのか。
時は金なり、という言葉があるように、時間は金より重要なものだ。
その時間を、金を払ってレンタルする客から奪うのだ。
最初から、スキップできない予告編の時間を表記していれば、それを承知した上で借りるので問題はない。しかし、借りてみたら数十分も予告編を見ないと本編が始まらないというのは詐欺ではないのか。
誰かが訴訟でも起こせば何かが変わると思う。でも、とりあえず、ここは時間泥棒の販売元だというのは把握しておきたい。時間泥棒されても見たいものだけ見るようにするから。
ちなみに、「アメリカン・ハッスル」の販売元はハピネット。
が、それはともかく、レンタルDVDのスキップできない予告編て、時間泥棒じゃないのだろうか?
ツタヤで5枚1080円のレンタルで借りたディスク。
「19歳」は短いので時間泥棒の予告編が20分以上あるだろう、と思っていたら、スキップできないのは1本だけだった。
「ハンナ・アーレント」も時間泥棒があるだろうと思ったが、すべてスキップできた。
「アナと雪の女王」は最初から本編見たい人はこちらというのがあった。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は予告編がまったくなかった。
そして、5枚目の「アメリカン・ハッスル」。夜中に見ようと思ってかけたら、予告編がスキップできない。2時間20分もあるのに予告編が20分も30分もあったら大変だ、と思って2つスキップしようとしてだめだったところで見るのをやめた。
返すのは2日後なので、まだ時間はあるのだけど、5枚借りたら1枚は見ずに返す可能性は最初から考えていたので、見ないで返すかもしれない。
レンタルDVDだからといって、予告編を数十分も見させるって、どういう考えなのだろうか。
スキップできない予告編の時間も表記すべきではないのか。
時は金なり、という言葉があるように、時間は金より重要なものだ。
その時間を、金を払ってレンタルする客から奪うのだ。
最初から、スキップできない予告編の時間を表記していれば、それを承知した上で借りるので問題はない。しかし、借りてみたら数十分も予告編を見ないと本編が始まらないというのは詐欺ではないのか。
誰かが訴訟でも起こせば何かが変わると思う。でも、とりあえず、ここは時間泥棒の販売元だというのは把握しておきたい。時間泥棒されても見たいものだけ見るようにするから。
ちなみに、「アメリカン・ハッスル」の販売元はハピネット。
2014年10月9日木曜日
猿の惑星:新世紀(ネタバレあり)
水曜日はレディースデーで「猿の惑星:新世紀」。
これ、見ようかどうか迷っていたのだけど、上映館が今年で閉館の新宿ミラノだと知り、はせ参じた。が、いつも通り中はガラガラで、お客さんが「なにこの映画館、こんなにガラガラで」と驚いていた。
思えば30年以上前、ここで映画の日に「戦場のメリークリスマス」を見ようと出かけたが、目当ての回はすでに満員で、次の回の列ができていた。そこで3時間くらい並んで次の回を見た。並んでいた人が、「大島渚監督、ヒットしてよかったねえ」と言っていて、うんうん、とうなずいたのを覚えている。
閉館間近ということで、ロビーには過去に上映された作品のポスターが並んでいたが、戦メリはなかった。
新宿プラザとコマ劇場があったところはすでに新しいビルが建っていて、ミラノ前の公園も何か作るようで壁で囲まれていた。戦メリのために並んだあたりも今は空き地ではない。
スクリーンの前に幕があるというのが今では珍しいというか、過去の遺物なんだろうな。
さて、「猿の惑星:新世紀」。ノベライズの原稿を読ませてもらっていたのでストーリーは全部わかっていたが、映像はなかなかすばらしく、話もテンポがよかった。シーザーのドアップで始まり、ドアップで終わるので、ノベライズの最後のエピローグは省かれている。
一応面白かったので、文句はないのだけど、この映画、日本以外では大ヒットで、前作「創世記」を超えるヒットになっている、というのがどうにも信じられない。
というか、「創世記」はウィルスを使った治療薬が恐ろしい伝染病になってしまうという設定が斬新で時代に合っていて、また、猿のシーザーを囲む人間たちのドラマも面白かったが、これの続編がウィルスの話の続きを一気に飛ばして猿と人間の戦いの話に、というのが猿の惑星ファンでない普通の観客にはちょっとね、という感じがするのだ。
「新世紀」の方は人間の多くがウィルスで滅びた世界が舞台で、そこで森に暮らす猿とサンフランシスコに暮らす生き残った人間たちが出会い、一部の猿と人間の憎悪や恐怖から戦争になってしまうという話で、「創世記」が現代を舞台にした人間中心のSFだったの対し、「新世紀」はディザースター後の未来が舞台のディザースターSF&戦争ものみたいな感じになっている。そのディザースター後の世界や戦争の映像がみごとで、アクションもキレがある。しかし、こういうタイプの映画、最近のハリウッドに多いタイプの映画は、暗い未来とキレキレのアクションで、グローバルな人気を得ているわりには日本で受けないという典型。これをもって日本は遅れているとか、世界から孤立しているとか言う人がいるのだけど、どうなのだろうか。単に世界がコレに洗脳されてるだけなんじゃないか、日本だけ、この種のものを刷り込まれなかっただけでは?という気もする。
それはともかく。話のテンポはいいんだが、その分、ノベライズにあった、猿と人間が協力する中で友情が生まれるとか、シーザーと人間の主人公マルコムが互いに名前を名乗り合うシーンとかが省略されているのが惜しい。こういう部分があった方が、平和共存を望みながら戦争になってしまう悲劇が生きるのだが。
ゲーリー・オールドマン扮するドレイファスはノベライズどおりの人だった。オールドマンだから狂気の人物に変わっているのでは、というのは杞憂であった。しかし、クライマックスのドレイファスの行動には本当は狂気が必要なのだけど。それがないので唐突な感じがする(ノベライズでもそう感じた)。
ドレイファスはノベライズの原稿では軍人出身と書いてあったので、解説にも軍人上がりの政治家と書いたら、編集者からドレイファスは元警察本部長だと言われ、解説でもそのようになった。しかし、映画を見たら、確かにドレイファスは軍人出身だった。軍人から警察本部長になり、政治家になった可能性もあるが、映画ではドレイファスがタブレットの画像を見るシーンで軍隊の写真が出てくる。
「新世紀」の前日譚にあたるノベライズ「ファイヤーストーム」(映画化はされず)ではドレイファスは警察本部長なのだそうだ。「ファイヤーストーム」と「新世紀」はノベライズの作家が別の人なので、ドレイファスの経歴にずれが生じたのかもしれない。また、私が読んだ翻訳原稿は初期のもののようだったので、その後変更された部分もあるかもしれないと思う。
さて、以下が結末の部分についてで、ネタバレがあるところです。
これ、見ようかどうか迷っていたのだけど、上映館が今年で閉館の新宿ミラノだと知り、はせ参じた。が、いつも通り中はガラガラで、お客さんが「なにこの映画館、こんなにガラガラで」と驚いていた。
思えば30年以上前、ここで映画の日に「戦場のメリークリスマス」を見ようと出かけたが、目当ての回はすでに満員で、次の回の列ができていた。そこで3時間くらい並んで次の回を見た。並んでいた人が、「大島渚監督、ヒットしてよかったねえ」と言っていて、うんうん、とうなずいたのを覚えている。
閉館間近ということで、ロビーには過去に上映された作品のポスターが並んでいたが、戦メリはなかった。
新宿プラザとコマ劇場があったところはすでに新しいビルが建っていて、ミラノ前の公園も何か作るようで壁で囲まれていた。戦メリのために並んだあたりも今は空き地ではない。
スクリーンの前に幕があるというのが今では珍しいというか、過去の遺物なんだろうな。
さて、「猿の惑星:新世紀」。ノベライズの原稿を読ませてもらっていたのでストーリーは全部わかっていたが、映像はなかなかすばらしく、話もテンポがよかった。シーザーのドアップで始まり、ドアップで終わるので、ノベライズの最後のエピローグは省かれている。
一応面白かったので、文句はないのだけど、この映画、日本以外では大ヒットで、前作「創世記」を超えるヒットになっている、というのがどうにも信じられない。
というか、「創世記」はウィルスを使った治療薬が恐ろしい伝染病になってしまうという設定が斬新で時代に合っていて、また、猿のシーザーを囲む人間たちのドラマも面白かったが、これの続編がウィルスの話の続きを一気に飛ばして猿と人間の戦いの話に、というのが猿の惑星ファンでない普通の観客にはちょっとね、という感じがするのだ。
「新世紀」の方は人間の多くがウィルスで滅びた世界が舞台で、そこで森に暮らす猿とサンフランシスコに暮らす生き残った人間たちが出会い、一部の猿と人間の憎悪や恐怖から戦争になってしまうという話で、「創世記」が現代を舞台にした人間中心のSFだったの対し、「新世紀」はディザースター後の未来が舞台のディザースターSF&戦争ものみたいな感じになっている。そのディザースター後の世界や戦争の映像がみごとで、アクションもキレがある。しかし、こういうタイプの映画、最近のハリウッドに多いタイプの映画は、暗い未来とキレキレのアクションで、グローバルな人気を得ているわりには日本で受けないという典型。これをもって日本は遅れているとか、世界から孤立しているとか言う人がいるのだけど、どうなのだろうか。単に世界がコレに洗脳されてるだけなんじゃないか、日本だけ、この種のものを刷り込まれなかっただけでは?という気もする。
それはともかく。話のテンポはいいんだが、その分、ノベライズにあった、猿と人間が協力する中で友情が生まれるとか、シーザーと人間の主人公マルコムが互いに名前を名乗り合うシーンとかが省略されているのが惜しい。こういう部分があった方が、平和共存を望みながら戦争になってしまう悲劇が生きるのだが。
ゲーリー・オールドマン扮するドレイファスはノベライズどおりの人だった。オールドマンだから狂気の人物に変わっているのでは、というのは杞憂であった。しかし、クライマックスのドレイファスの行動には本当は狂気が必要なのだけど。それがないので唐突な感じがする(ノベライズでもそう感じた)。
ドレイファスはノベライズの原稿では軍人出身と書いてあったので、解説にも軍人上がりの政治家と書いたら、編集者からドレイファスは元警察本部長だと言われ、解説でもそのようになった。しかし、映画を見たら、確かにドレイファスは軍人出身だった。軍人から警察本部長になり、政治家になった可能性もあるが、映画ではドレイファスがタブレットの画像を見るシーンで軍隊の写真が出てくる。
「新世紀」の前日譚にあたるノベライズ「ファイヤーストーム」(映画化はされず)ではドレイファスは警察本部長なのだそうだ。「ファイヤーストーム」と「新世紀」はノベライズの作家が別の人なので、ドレイファスの経歴にずれが生じたのかもしれない。また、私が読んだ翻訳原稿は初期のもののようだったので、その後変更された部分もあるかもしれないと思う。
さて、以下が結末の部分についてで、ネタバレがあるところです。
登録:
投稿 (Atom)