2022年11月13日日曜日

「すずめの戸締まり」いくつかの疑問点

 「すずめの戸締まり」を初日に見たあと、ネットで他の人の感想をいろいろ見ていたら、猫と草太のキャラの造型がだめだ、という意見がけっこうあった。

猫がだめだ、というのは2つ前の記事にも書いたように、私も大いに感じていたことだが、草太の方はあまり考えていなかったので、目からうろこだった。

確かに草太はすずめに次ぐ第二の主役なのに、影が薄い。前半は椅子に変えられてしまい、声だけになってしまうし、後半は存在そのものが消されてしまう。ネットでは草太がすずめを好きになる過程が描かれていないという批判もあった。私はその辺はまあ、お約束でいいのでは、と思ったが、確かに草太の存在感がこれだけ薄いと、対等の男女の関係になりにくい。新海誠の過去作で言うと、「秒速5センチメートル」で栃木県の少女が途中から消えてしまい、主人公の思いだけになるのと同じだ。そして、「秒速」では成長した少女は彼のことをほとんど忘れていて、2人はめぐりあうことはない。

「秒速」はそういう話だったからそれでいいのだが、「すずめの戸締まり」では困る。

もうひとつ、目からうろこだった意見に、「すずめ」はジブリ+「帝都物語」というのがあって、ああ、そうか、魔界を封じるとか結界とかの話でもあるな、と思った。

ジブリというのは、ジブリを意識した「星を追う子ども」の系統だからだが、魔界を封じる戸締まりというコンセプトを考えたとき、いろいろ疑問点が浮かんだ。

魔界を封じる物語では、扉の向こうから魔がやってくるのを防ぐ話になる。

しかし、新海誠がこだわった別世界は、「君の名は。」でも「天気の子」でも、向こうの世界からこちらの世界に魔物が侵入してくる魔界ではなく、主人公たちがこちらの世界からあちらの世界へ行くことだった。それは生の世界から死の世界へ行くことでもある。

そして、「すずめ」は魔界の扉を閉める話なのに、クライマックスではこちらからあちらの世界へ行く話になっている。「君の名は。」と「天気の子」では少年が愛する少女を救うためにあちらの世界へ行くが、「すずめ」ではすずめが草太を救うために扉の向こうへ行く(ネタバレ そこで過去の自分と対峙する)。

これが本来の新海のパターンなのである。魔物が侵入してくる魔界の扉を閉めるのではなく、こちらの世界からあちらの世界へ行くこと。

しかし、この映画では、魔物が侵入してくる扉を閉めることを物語の中心にした。そして、それがどうもうまくいっていないと感じる。

侵入してくる魔物を地震としたのは、東日本大震災を入れたかったからだろう。地震よりも津波の方が合うのだけど、関東大震災も入れたかったのだろう。しかし、地震は地下から来るものなのに、扉から出た赤黒い魔物は空に舞い上がり、地上に落ちると地震になる。これがどうにも不自然に感じる。

扉から出る魔物は疫病や放射能の方が合っているだろう。地震にするならもっと違う出方の方がふさわしいのではないか?

この赤黒い魔物のヴィジュアルもあまり感心しないのだが、この魔界を封じる物語自体が、新海誠は自分のものにできていない感じがする。荒俣宏や夢枕獏ならもっとうまくやったのではないか?

そういえば、あの白猫は夢枕獏原作の「空海」の黒猫から発想したのではないだろうね? RADWIMPSつながりだからきっと見てると思うんだが。あの白猫のコンセプトがだめなのも、この魔界封じがだめなのとつながっている気がする。

そして、草太の存在感が薄いのも、魔界封じのコンセプトがイマイチだからではないだろうか。

東日本大震災は「君の名は。」の原点であり、震災が風化しているので取り入れたい、と思った新海の気持ちは理解できるし、そのこと自体はよいことだと思う。でも、地震を描くにはもっと違うコンセプトが必要だったのではないか。出来上がった「すずめの戸締まり」は、地震と魔界封じと、あちらの世界とこちらの世界が中途半端に入り混じっている。本来なら2本の映画を作るべき題材だったのではないかと思う。


フードコートに新しくカレー屋さんが入っていた。おいしそうだったけれど、別の店の唐揚げ定食を食べてしまった。

2022年11月12日土曜日

借りている本

 図書館から借りている本。


左上 ジャン・コクトー全集(戯曲)

右上と左下 アニー・エルノーの「シンプルな情熱」と「嫉妬」。

右下 ウォルター・テヴィスの「ハスラー」。

コクトーはアルモドバルの「ヒューマン・ボイス」の原作の戯曲が入っているが、まだ読んでいない。他はすべて読んだ。

エルノーの2冊、「嫉妬」の方には映画化された「事件」(映画邦題「あのこと」、来月公開)も収録。「シンプルな情熱」も映画化されたが、見ていない。

エルノーの2冊は、100ページほどの中編が3作なのだけど、この3作を読んだだけではなぜこの作家がフランスで人気があって、ノーベル賞を受賞するほどなのかはよくわからない。おそらく、初期の両親を描いた小説などが高い評価を受けているのではないかと思うので、そちらを読もうとしたら図書館では予約中。予約数は少ないので、そのうち読めるでしょう。

「ハスラー」は映画の原作で、おおむね原作どおりなのだけど、エディがケンタッキーの金持ちと勝負に行くあたりからが映画とは違っている。ここは映画の方が断然いい。

続編映画の製作にあたり、テヴィスが続編「ハスラー2」を書き、日本ではこちらの方が先に翻訳されているのだけど(読んでない)、映画とはだいぶ違うようだ。原作は完全に前作の続きのようで、それだと映画の続きとしては合わないところが出てくるのではないかという気がする。映画ではサラは自殺してしまうけれど、原作ではサラは死なず、バートもそんなに悪いやつではなく、エディはサラとの結婚まで考えているから、これの続きでは映画の続きにならないだろう。

映画の方がトム・クルーズ人気にあやかって「カクテル」ふうの話にしたのも、メジャー映画じゃそうしないと、というのはわかる。

スコセッシの映画としては、「ハスラー2」や「ディパーテッド」は二番煎じなので、この2本があまり話題にのぼらないのは当然だろう。もっとよい映画があるのに、二番煎じでアカデミー賞取ってしまうのもなんだかなあ。

2022年11月11日金曜日

「すずめの戸締まり」(ネタバレあり)

 すぐに見なくてもいいかな、と思っていたけれど、IMAX以外はまったく混んでいないので、見に行ってしまった、「すずめの戸締まり」。

中央部分にちょこちょこっといるくらいで、全然すいていたにもかかわらず、本編始まる直前に隣にオタク風の男が座り、2時間ずっと大きな音をたててポップコーンを食べていた。

2時間ずっと、この男の息と唾液の飛沫がその周辺に漂っていたのだと思うと、2日後が思いやられる。混んでいても隣がマスクして静かに見ていてくれる映画館の方がよかった。このシネコンはいつもすいてるので、隣に人が来ることはめったにないのだが、たまに来ると100%迷惑客。本編始まる直前でなければ移動していたと思う。そういや、以前、ガラガラのIMAXで隣に男に来られて、他の席に移った女性がいたっけ。

で、「すずめの戸締まり」。



「天気の子」みたいに、見ている間ずっと不満があって、ということはまったくなく、見ている間は楽しめた。

が、見終わってみると、なんだか底の浅さを感じてしまう。

「君の名は。」と同じせりふ、同じ構図の映像がひんぱんに出てきて、そして最後は(ネタバレ)東日本大震災なので、ああ、これは「君の名は。」の別バージョンなんだな、と思う。

「天気の子」では男が女を助けに行く話だったのが、女が男を助けに行く話になっていて、主要人物は女性が多く、女同士の連帯が描かれるところがこれまでの新海誠と違うところだが、登場人物があまりに善良な人ばかりで、これまでの映画にあった屈折も深みもない。主人公に都合のいい人ばかりが出てくる。

愁嘆場になりそうになるとユーモアを入れて重くならないようにしているところがいくつかあって、そういうところはうまいし、見ている間は先が読めない面白さもあって、楽しめる。楽しめるんだけど、深みがないし、既視感のあるシーンが多い。

(ネタバレ)昔の自分と今の自分が出会うとか、子ども時代の母と出会う「秘密の森と、その向こう」を見てしまうとねえ。このシーンの泣かせの演出もベタすぎる。

誰かが犠牲になる、というのは「天気の子」だけでなく、「星を追う子ども」でもあったけど、こういうテーマを安易に使いすぎるのもどうだろうか。

ヴィジュアル的には、ミミズと呼ばれる赤黒い煙の描写がパッとしない。あのヴィジュアルはもっとなんとかならなかったのか。

それと、猫。予告見たときからこの猫、なんかイヤ、と思っていたのだが、この猫のキャラクタリゼーションがだめです(きっぱり)。

新海は猫好きで、アマチュア時代に作った「彼女と彼女の猫」という傑作もあるのだが、この映画の猫はコンセプトがきちんとできていない。

猫はすずめが好きだけど、すずめには好かれない、とか、扉を開けまくっていたのかと思ったらそうじゃなかったとか、そして最後の成り行きとか、キャラとしての一貫性がない。この猫、いったい何だったの?って感じで終わってしまう。

あともう一匹、猫が出てくるんだけど、あれもなんだかよくわからないキャラ。

九州から東北までのロードムービー仕立ても特に新しくなく、東北へのロードムービーは「寝ても覚めても」があるので二番煎じ感は否めない。

というわけで、見ているときはそれなりに楽しめるし、無難な作りなんだけど、全体としての浅さを感じてしまう。「天気の子」よりは好感度は高いが、「天気の子」よりいいかどうかは、うーん、と思ってしまうのである。

入場者プレゼントは読みごたえのある小冊子。


そして、ショッピングセンター内のクリスマスツリー。

追記しました。

さーべる倶楽部: 「すずめの戸締まり」いくつかの疑問点 (sabreclub4.blogspot.com)

2022年11月9日水曜日

皆既月食&天王星食

 11月8日は皆既月食と天王星食が同時に見られるという、非常にめずらしい天体ショーが。

昼間はイオンシネマ守谷まで映画を見に行っていて、イオンから帰る途中、空に美しい満月があるのがよく見え、そして駅に着いて夕食食べているうちに月食が始まり、自宅に着くころには皆既月食直前になっていました。

そして、皆既月食が終わる直前に、天王星が月に隠れます。8時40分ころというので、がんばってカメラを構えました。





それから40分後には天王星が月の暗い部分から出てくるというので、そのころにも外に出てがんばって20分くらいスタンバっていたんですが、天王星は見えませんでした。そうこうするうちに月食が完全に終わる。


出てくる方は月の光が明るすぎて見えないかも、とは思いましたが、残念。まあ、月に隠れる方がしっかり見られたのでよしとしましょう。

昼間のイオンシネマ守谷は、「ハスラー」をもう一度見たくて行ったのです。

前日は「ボヘミアン・ラプソディ」でちょっと疲れたあとだったので、集中力を欠いていたので、もう一度見ておかないと後悔する、と思ったので。






ポール・ニューマン特集はまだまだいろいろな映画館でやりますが、時間帯が都合がいいのはもうないかもしれないので、これが最後かも、という気持ちで見てきました。

前日の浦和美園が2本ともおひとり様だったので、守谷もおひとり様かと思ったら、私以外に3人もいた。このあと「暴力脱獄」の上映だったのだけど、これを見ると皆既月食が見られないので、月と天王星を優先したのでした。

2022年11月8日火曜日

日比谷IMAXレーザー&浦和美園

 TOHO日比谷のIMAXがようやくレーザーになって、現在、格安料金で旧作などを上映中。コロナ感染拡大中に人ごみの中に行きたくないのでパス、と思っていたが、週末にチケット販売状況を見たら、「君の名は。」とかは完売だけど、月曜午前開始の「ボヘミアン・ラプソディ」は前の方の席が残っていたので、衝動的に買ってしまう。

月曜は実はイオンシネマ浦和美園のポール・ニューマン特集を2本予約してあったのだ。

イオンシネマは今週は一部劇場でニューマン特集4本を上映。1日で4本一気見も可能という状況。さすがに4本一気見はできないけど、「ハスラー」と「熱いトタン屋根の猫」はもう一度見たいと思い、午後の遅い時間から夜にかけてこの2本を見られる浦和美園を予約したのだった。

んなわけで、午前開始の日比谷の「ボヘミアン・ラプソディ」も見ることに。

TOHO日比谷のゴジラ。




IMAXの部屋は4番スクリーン。「ボヘミアン」は公開時にここで2回見ているけど、TOHOのIMAXは音がしょぼくて(猫のゴロゴロが聞こえない、という苦情があったくらい)、その後は木場のIMAXに通うようになった。そして、松戸にIMAXレーザーができてからはIMAXは松戸でしか見なくなり、「ボヘミアン」は2020年7月にIMAXで上映したときに2回見に行った。たぶんこれが最後で、今回は2年ぶりの「ボヘミアン・ラプソディ」。前の晩、興奮してなかなか寝付けなかった(寝不足です)。

日比谷のIMAXのスクリーンは松戸より小さいので、前の方でも支障はなかったけれど、うーん、松戸に比べて映像も音もしょぼい感じ。もしかして、レーザーの素材じゃないのかな。特に音が松戸に比べてかなり悪かった。まあ、TOHOは音は期待できないのだが。

でも、久々の「ボヘミアン・ラプソディ」は感動。ほぼ満席で、最後、拍手起こるかな、と思ったが、起きなかった。かつての応援上映の人たちは来てなかったのだろうか。お客さんがなんとなくクールで、コロナ前の応援上映のような熱気がまったくなかった。

映画が終わったあと、マイルでドリンクをもらって、6階の屋上へ。日比谷公園も少し紅葉が始まっていた。




日比谷から浦和美園までは1時間以上かかるので、すぐに出発。かつてよく歩いた日比谷駅から有楽町線の有楽町駅までの通路を歩く。飯田橋で南北線に乗り換えるのも、なつかしい。途中から埼玉高速鉄道になり、浦和美園に到着。言わずと知れたレッズの本拠地。


イオンモールは歩いてすぐ。




「ボヘミアン・ラプソディ」と「ハスラー」を続けて見て気がついた。両方とも20世紀FOXで、上映時間が135分、「ハスラー」がシネマスコープで、「ボヘミアン」はシネスコサイズ。

「ボヘミアン」でメアリーがフレディに、「ここの人たちはあなたのことを考えていない」というが、「ハスラー」でもサラがエディに同じことを言っていた!

「ボヘミアン」ではそのあと、フレディがポールを非難するが、「ハスラー」ではラストでエディがバートを非難する。

ポールもバートも主人公をかどわかす悪魔的人物。ただし、ポールはゲイとして苦しんだ過去やフレディへのゆがんだ愛がもとでそういう人物になっている、という人間らしさが描かれているが、バートは完全にメフィストフェレス的人物。

サラはエディを救うために自分を犠牲にするが、メアリーは女神のような人物になっている。そして、フレディがジム・ハットンに出会ったときにジムが言う、「君には本当の友達が必要だ。自分自身のことが好きになったら会いに来て」というせりふもまた、フレディを救う言葉となっている。クライマックスでメアリーとジムが仲良くしているのはブライアン・メイたちの願望だろうけど、メアリーとジムがフレディを救う、という構図になっている。

「ハスラー」の方が主人公と悪魔的人物と犠牲になる女性という点で、ゲーテの「ファウスト」に近い。

というわけで、続けて見たら、「ボヘミアン」の脚本家が「ハスラー」を参考にしたのではないかと思ってしまったのだ。まあ、よくあるパターンではあるのだけど。

イオンシネマ浦和美園は月曜から木曜は「熱いトタン屋根の猫」を大きめのスクリーンで上映している、というのもここを選んだ理由なのだけど、残念なことに、「ハスラー」もこの映画もおひとり様の貸し切りでした。もう、マスクとって見てしまったよ。やっぱり大きいスクリーンはよい。「熱いトタン屋根の猫」はワイドなので、シネコンではスコープサイズよりも画面が大きくなるのだ。

イオンモールのクリスマスツリー。そして、ポストカードをまたもらいました。



ニューマン特集は「明日に向って撃て!」以外はあまり客が入ってないような気がする。ポストカードも余りまくりのようだし。