2011年1月30日日曜日

日曜日のスカイツリー

  今日は寒かった。本郷に用があったので、東大病院近くからよく見えるスカイツリーを撮りました。以前にも同じ場所から撮ったけど、高くなっています。

  東大病院の窓の上に円形のレリーフが。

  こちらも病院のレリーフ。ここは下の部分がアーチになって、下を通り抜けられます。

  昔、東大医学部の教授だったという外国人2人の胸像。病院の建物のちょうど反対側。

  病院の先には看護師の宿泊施設があり、そのそばで、野良猫がマクドナルドの包み紙を懸命になめていた。誰かが食べ残しを捨てていったのだろうか。

  そばを人や車が通ると、こうやって隠れる。

  そして、また出てくる。私がよく行く猫スポットの、餌もらいすぎで太りすぎの地域猫とはあまりにも違う、眼光の鋭さ。

  でも、東大の猫も、めんどうを見ている人たちはいるはずですが。

  裏門を出て、少し歩くと、そこは上野の不忍池。夕方なので、ボートはほとんど帰還。

 わずかに残ったボートに群がるカモメ。餌がもらえると思うのか、ボートの人の頭に止まったりしていました。「エリックを探して」に出てくる、エリック・カントナが言った、マスコミとカモメのたとえを思い出してしまった。

 とにかく寒い1日でしたが、こういう寒い日は安物のダウンジャケットはまったく役に立たないことがわかり、がっくりしています。8000円のダウンジャケットを半額で2着も買ってしまったけど、この手の安いダウンは冷たい風を通してしまうので、全然暖かくない。赤羽のヨーカ堂では2万円くらいのダウンジャケットを7000円で売っていましたが、8000円のを4000円で2着買うより、2万円のを7千円で買った方がよかったと痛感。結局、20年前にバーゲンで25000円(バーゲンで、ですよ)で買ったダウンコートが今でも一番暖かいです(羽毛の量が多く、もっこもっこしてしまうので、寒冷地に行くときのみ着用です)。

土曜日のスカイツリー

  土曜日はよく晴れて暖かい1日でした。遠くにぼやけて見えるスカイツリー。ここはどこでしょう。

  別の方角には池袋のサンシャインが見えます。

  遠くに細い線のように見えるスカイツリー。ブルーとグリーンの透き通ったフェンス。左下には団地。

 ここは新しくできたUR賃貸住宅、ヌーヴェル赤羽台(ヌーヴェルって、恥ずかしくないか?)。その横にある団地は、以前からあった古い公団住宅、赤羽台団地です。
 なんでこんなところで、しかも高いところから写真を撮っているのかというと、この新築URの一部の部屋の入居者を募集していて、9日間、モデルルームの公開と、申し込み受付をしていたのです。
 実は私は赤羽には1年ほど住んだ経験があり、土地勘がある上、赤羽台団地というのはある種のあこがれの対象でした。そんなわけで、一番安い1Kなら借りられるかも、と思って見に行ったのです。ついでに、こういう新しい高層マンションて、どんな造りなのかも知りたかったから。
 残念ながら、1Kの部屋は、この立地でこの程度の広さでこの家賃は高いだろう、と思うようなものでした。うちの近所の方が立地的にはいいけど、民間なら家賃はもっと安い(設備は劣るけど)。
 でも、せっかく来たのだから、1K以外のモデルルームも、気になるものをいくつか見てまわりました。おもに1LDKを見てまわりましたが、ロフトのある最上階の部屋、1階がリビングダイニングで2階が居室のメゾネット、ガラス張りの明るくて見晴らしのいい角部屋など、魅力的な部屋がありましたが、家賃がね。民間の同じような新築のマンションより明らかに高い。日当たりはおおむねよさそうでしたが(一部、北向きの部屋もあり)、建物に囲まれた中庭が駐車場、つまり、窓から下を見ると駐車場というのも、美的によくない感じでした。そして、なにより、高所恐怖症の私はエレベーターに乗るのがいやだし、高いところにある通路を歩いて部屋に行くのもあまり気持ちよくないと感じたのでした。エレベーターも狭くて、数が少ないような気がしました。朝の通勤とか、イライラするんじゃないかな。
 建物はデザイナーズ・マンションらしくて、面白いところもあったけど、だからどうだっていうの、という感じもします。帰りに赤羽駅周辺を探索し、ヨーカ堂に入ってみたりしたけど、物価は安くないように思いました。
 URは新築は申込者の中から抽選で決まるのですが、中間発表された倍率はものによって相当に差があるようでした(1Kなど、家賃が安い方が倍率は高い)。見に来ていた人は、若いカップルと高齢者が多かったです。

2011年1月28日金曜日

デレクの話題

 先日行なわれたセイバーズ対アイランダーズの試合で、ネイサン・ガービーが5秒間に2ゴールという、セイバーズの新記録を打ち立てたそうですが、それまでのセイバーズの記録はダニー・ゲアとデレク・プラントの10秒間に2ゴールだったそうです。
 また、ガービーの5秒間に2ゴールは、NHLでは2番目の記録で、1番の記録は4秒間に2ゴールとか。ガービーはちっこい選手ですが、がんばっています。

 あちらにはスターにファンレターを送る方法を指南するファンメール・ビズなるサイトがあるのですが、そこにデレクが! なんと、デレクのミネソタのプライベートらしき住所が書いてあって、ファンレターの送り方や、写真にサインをもらう方法が書いてあるのです!
 いいのだろうか、住所を書いたりして。
 私はデレクへのファンレターは現在、コーチをしているミネソタ大学ダルース校に送っています。デレクは自分のオフィスを持っているようで、大学のデレクへのメールアドレスも公開されていて、こっちに送る分にはまったくかまわないと思って、何通かカードを送っていました。
 このファンメール・ビズにデレクが出たのは最近のようなので、デレクも了解してるのかもしれないけど、どうなんでしょうね。グーグルの地図まで出てるよ。なんにしても、今でもファンレターが何通も来るのでしょう。

 というわけで、ルーキー時代のデレクのサイン入りカードがネットにアップされてました。センセーションズ、だそうです。

2011年1月27日木曜日

あれ?

 今、アマゾン見たら、創元の「フランケンシュタイン」が777円になっていましたよ(スリーセヴンか)。この前まで630円だったのに、増刷になったのか?私は解説だけなので、増刷は、「印税を振り込みました」という連絡しか来ない。
 しかし、777円は高いね。光文社より安いのがとりえだったのに。つか、光文社が出ても創元が売れてるんで、強気に出たのかね。裏目に出なけりゃいいけど。つか、定価上げて数を減らしたんだろう、と考えるのが普通か。
 そもそも、この本、初版は400円くらいだったのだ。しかも、当時は消費税などなし。表紙も今とは違って、シックな感じでした。ダンボールのどれかに入ってるはずだけど、探すのめんどくさいや。
 ああ、あと、私は解説なんで、増刷されても本はもらえないので、今の表紙の本は自分で買いました……古本屋で(笑)。

 日光の全日本選手権は行かないことにしました。なんだか、チケットが、入替制なのかどうなのかわからないのだもの。以前、八戸と釧路で2年連続入替制にして、批判が多かったのですが、今回はどういうシステムなのかもよくわからないのです(自由席だと1日2試合見られるが、指定席はもう1試合を自由席では見られないらしい)。
 八戸はデレクがいたから、何が何でも見に行きましたが、デレクがいなくなっちゃうと、入場が面倒だとそれだけで行く気が萎える。東伏見と苫小牧は通しだったのでよかったなあ。こういうイベントは主催者側が見たい人に不親切だと、ほんと、行く気がなくなります。

2011年1月24日月曜日

日韓集結1月23日@東伏見第2試合

 続いて第2試合は日光アイスバックス対ハイワン。この集結戦、すでに韓国チームが3勝、バックスが負けると日本チーム全敗。東京開催でそれはまずいだろうと、バックス、かなりがんばったのですが(5位をかけた試合でもあったのですが)、2試合連続残念な結果に。

 練習中の福藤と菊地。練習中のオールメンバー発表で、菊地のスターターとわかる。

 今日のバックスは黒ジャージ。土田選手。

 久々スターターの菊地と、素顔を見せる福藤。

 対するハイワンは前日に続き、西東京市出身の井上。

 久々に見た菊地。安定感と風格があって、惚れ直しました。スタンドもナオヤ、ナオヤの大声援。が、3ピリ後半、ブレイアウェイを止めたときに脚を痛め、福藤に交替。残念無念。

 ダーシとバド・スミスのフェイス・オフ。バドは黒ジャージだと自分のジャージがないのか、60番をつけている。


 3ピリ後半まで2対2の同点でしたが、福藤に替わったあと、ハイワン勝ち越しで勝利。バックスはペナが多すぎた。ほとんどの時間がショートハンドみたいに思えるくらいだった。(でも、ゲームシート見たら、ハイワンも同じくらい多かった。第1試合も多いので、アジアリーグはこのくらい普通なのか?)

 ハイワン勝利の後、スタンドに手を振っていたダーシが、突然こちらを振り返った。

 試合後の握手。勝利の井上と、残念無念の福藤。

 再三のピンチを防いだが、途中リタイアの菊地と、ハイワンの山田。菊地が勝つところを見たかった。

 おまけの話。
 実は、久しぶりに出待ちをしました。お目当てはダーシ。サインしてもらうものは何も持参しなかったけど、握手してもらおうと思って待っていましたが、なかなか出てこない。やっと出てきたと思ったら、家族や友人知人に囲まれてしまい、近寄りがたく、まあ、ほかの選手の顔もいろいろ見たからいいや、と思って、駅へ。ホームに降りると、各駅停車は出たばかりで、次の電車は10分後。寒いので、階段の上に戻り、掲示板を見ていると、ダーシと家族が。こりゃチャンス、と思い、「ダーシ」と声をかけて、握手してもらいました。
 ダーシは引退を発表した土田選手と同じ年だそうで、いつ引退してもおかしくないのかも、という思いが頭をよぎっていたのです。ハイワンのナンバーワン・センターとして、まだまだ活躍できる選手だと思いますが。ほんと、ダーシを見て、ナンバーワン・センターという言葉を強く意識しました。
 また、ベテランとしての風格をあらためて感じさせてくれた菊地は、西武鉄道からの2年間の出向ということでバックスでプレーしているらしいので、来季は果たしてどうなるのか? 2月の最終戦で、また見たいです。

日韓集結1月23日@東伏見第1試合

 今日は写真が多いので、記事を2つに分けます。
 まず第1試合、東北フリーブレイズ対アニャンハルラ。
 土曜日同様、2試合とも最初にオープニングセレモニーがありましたが、第1試合の前の記念フェイスオフは少年チームの選手。ジャージが大きすぎるみたい。

 ブレイズもハルラもこの試合はバックアップがゴールを守りましたが、ブレイズの酒井も、ハルラのパクもなかなかいいんだよね。




 妙に精悍になった感じのラドンくん。

 もはやラドンくんとは呼べない。吠える怪獣ラドン。でも、プレーはうまいけど、以前に感じたひたむきな熱さはあまり見られないような気が。

 試合は1点を争う好ゲームで、最後にOTでハルラが勝利。また、ブレイズの2位以上はなくなり(釧路でのクレインズの勝利もあって)、1位2位は北海道勢となりました。
 でも、ハルラの試合は面白いというか、2日とも、手に汗握る試合で、対戦相手もハルラ相手に力と技術の限りを尽くして勝負してる感じ。セミファイナルはハルラが出る方を見に行こうと思わせます(どっちかな、クレインズだといいんだけどな)。

2011年1月23日日曜日

日韓集結1月22日@東伏見


  日韓集結第2弾@東伏見。第1試合は東北フリーブレイズ対ハイワン。去年の第1弾、クレインズと王子が来たときは、セレモニーも何もなく、いきなり試合が始まって、なんだかなあでしたが、今回は第1試合、第2試合とも、オープニング・セレモニーがあり、第1試合ではゼビオがスポンサーをつとめる東京ヴェルディの阿部選手による記念フェイスオフが。田中豪に支えられて氷上に。

 ブレイズの橋本もヴェルディのチームカラー、グリーンのジャージ。これ、背番号が見づらい。

 久々のダーシ三谷。カメラ目線です。右はこの試合、2G3Aの大活躍の上野。ダーシも1Gなどの活躍で、ダーシの存在感が目立ちます。

 クレインズ時代に何度も見た、そして撮ったダーシのフェイス・オフ。上野とはラインメイトです。

 そして、秋の頃に比べて一段と存在感の増した井上。第2試合でハルラが勝ってプレーオフ進出を決め、ハイワンは涙を呑みましたが、今のハイワンはかなり強いです。

 ハイワン勝利のあと、ダーシと橋本の握手。この試合、2ピリで点差がついてから荒れ模様で、特にブレイズの方が荒れてた感じでした。あれやこれやで試合も長引いた。

 第2試合は日光アイスバックス対アニャンハルラ。例によってハルラの応援団とチェコ人応援団。手前を滑るのは福藤。

 今季はなんだかラドンくんにときめかないな、と思ったら、どうやら、ラドンくんはカワイイ系を卒業してしまったみたいな感じです。もうラドンくんとは呼べないかも。

 バックスはスペーシア・ジャージ。

 中央の土田選手は今季で引退を表明。

 菊地と福藤。菊地は髪がだいぶ伸びてます。

  こちらは3ピリ開始前。

 試合はバックスが先制し、その後、1対1のまま互角の展開。特に2ピリは息を呑むようなすばらしい攻防でしたが、3ピリ、ハルラが2点取って、そのままハルラ勝利、プレーオフ決定。バックスとしては非常によい試合だっただけに残念。福藤も神がかっていて、何度も入ったと思ったのを防いでました。下は握手するラドンくんとバド・スミス。

 さて、日曜はブレイズ対ハルラ、バックス対ハイワンですが、ハルラとハイワンのプレーオフ争いに決着がついてしまって、土曜ほどの緊張感はなくなるだろうか。第2試合はスミス兄弟対決。

2011年1月22日土曜日

ブラック・スワン

http://sabreclub4.blogspot.com/2010/10/blog-post.html
 このブログは映画の検索から来る人が多いようで、特に「英国王のスピーチ」、「冷たい熱帯魚」、「わたしを離さないで」、「アンチクライスト」に「ネタバレ」をプラスして検索している人が多いようです。
 そして、上の、オーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」の鑑賞記に来る人もいるようなのですが、どうやら、ナタリー・ポートマンがゴールデングローブ賞を受賞した映画「ブラック・スワン」の関連で検索されている?
 というわけで、日本での関心度も非常に高く、4月にシャンテシネなどミニシアター系公開の予定だったのが、急遽、5月に日劇などでの拡大公開と変わったダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」を見てきました。
 アロノフスキー監督といえば、直近の作品はミッキー・ローク主演の「レスラー」ですが、私にとっては彼は「π」や「レクイエム・フォー・ドリーム」のアート系作家。なので、「レスラー」を見ても、私にとって興味があったのは、アロノフスキーらしい映像表現と、そして、プロレスラーという職業にはつきものの肉体の痛みの生々しい表現でした。プロレスというのはショーなので、演出があって、お互いにケガのないようにやっているわけですが、それでも、互いを傷つける演出は常にあって、痛そうなのにそこまでやるのか、とか、試合が終わったあとのほんとに痛そうなシーンとか、そういうのが一番印象に残っています。
 たぶん、「π」や「レクイエム・フォー・ドリーム」を見ていない人にとっては、「レスラー」は何より人情話なのでしょうが、そして実際、そういう部分も感動的なのですが、そういうところは別の監督でもできるし、というのが正直な感想でした。
 でも、アロノフスキーもこれで一般の観客を感動させるメジャーの監督になってしまうのかな、と思っていましたが、新作「ブラック・スワン」を見て、やっぱりこの人は違う、感動やら癒しやらの普通の監督にはならない、と確信しました。
 ポートマン扮するヒロイン、ニナは、完璧なテクニックを持つが、感情表現が苦手なバレリーナ。しかも、彼女を身ごもったためにバレエをあきらめた母親(バーバラ・ハーシー)の異常な期待と抑圧のもとで育ったために、精神的に不安定で、ストレスに弱く、どうやら自傷行為もしていた模様。そんな彼女が「白鳥の湖」の主役に選ばれる。しかし、この公演では、白鳥を演じるバレリーナは黒鳥も演じなければならず、王子を誘惑する邪悪な黒鳥になりきれない彼女は、芸術監督(ヴァンサン・カッセル)やライバル(ミラ・クニス)からのプレッシャーを受けて、しだいに幻覚を見るようになっていく……というお話(この程度ならネタバレにはなるまい)。
 実は、「白鳥の湖」では、ヒロインの白鳥(オデットという名前なのだが、映画では白鳥の女王となっている)と、オデットに化けた黒鳥の両方を同じバレリーナが踊るのは負担が大きすぎるので、黒鳥は別のバレリーナが踊ることが多いようです。20年くらい前に私が見た英国ロイヤルバレエ団の「白鳥の湖」では、黒鳥は日本人の吉田都が踊っていました。当時は吉田はまだ新進気鋭の若いダンサーでしたが、彼女の黒鳥はなんだかとても健康的だったような印象があります。
 しかし、もともと黒鳥は王子を誘惑するためにオデットに化けた娘ということになっているので、本来は黒鳥も主役が踊るものだったのだと思います。つまり、「白鳥の湖」は、オデットに恋した王子のもとにオデットに化けた黒鳥が現れ、王子を奪ってしまう、という筋書きなのですが、服の色が違うのに、なんで王子はオデットだと思い込むんだ、と、普通、思いますよね。たぶんこれは、観客があれはオデットじゃない、とわかるためで、王子の目には黒く見えてないんじゃないか、顔が同じだからだまされてるということじゃないかと思うのです。
 一方、この映画では、黒鳥はヒロインの白鳥に化けたのではなくて、最初から別人で、白鳥に恋する王子を横取りしようとする黒鳥、ということになっているようです。それを同じバレリーナが演じることで、女性の二面性を出そうとしたとか、そういう演出なのでしょう。
 白鳥と黒鳥が別人といえば、最初にあげたオーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」も、白鳥と黒鳥は別人で、2人が王子を奪い合う話になっていました。しかも、この演出では、上の記事にも書いたように、白鳥と黒鳥にあたる2人の女性の衣装が白と黒に分かれていない、むしろ、2人とも物語が進むにつれて、白い衣装から黒い衣装へと変わっていくわけです。
 そんなわけで、白鳥と黒鳥の対比やあいまいさというのはなかなかに面白いテーマであるのですが、「ブラック・スワン」では、それが舞台以外の現実でのヒロインの幻覚や妄想になっていくのが見どころです。
 「レスラー」との関連でいえば、この映画もまた、肉体的な痛みのひりひりするような描写が文字通り痛い映画です。バレエダンサーもプロレスラー同様、肉体を痛めつけながらみごとな踊りを生み出しているわけです。そのダンサーとしての痛みに加え、ここではヒロインの自傷行為や幻覚の中の痛みが赤い血とともに描かれていきます。また、幻覚という点では、薬物中毒の「レクイエム・フォー・ドリーム」を思い出します。あの映画も母親が重要な役割を果たしていました。
 そんなわけで、メジャーの娯楽作でありながら、「π」や「レクイエム・フォー・ドリーム」に限りなく近い、私には大満足のアロノフスキー作品です。
 アロノフスキーは「レクイエム~」では母親役のエレン・バースティン、「レスラー」ではミッキー・ロークをオスカー候補にしましたが、「ブラック・スワン」ではポートマンがオスカー有力視されています。それに加え、ヴァンサン・カッセル、バーバラ・ハーシー、ミラ・クニスの演技もすばらしい。役者からいい演技を引き出す監督なのだなあと思います。

2011年1月21日金曜日

お正月、タグナットはバッファローに来ていた。

 去年の大晦日の記事、びっくりフェイスオフゴールの映像で、味方のオウンゴールがデレク・プラントの同点ゴールになってしまった悲劇のゴーリー、ロン・タグナット(オタワ・セネターズ)。彼はそのあと、今度はOTでデレクに決勝ゴールを決められ、プレーオフ、ファーストラウンド敗退という悲劇に見舞われたのですが、タグナットはこのファーストラウンド(全7試合)での成績はものすごくよかったんですね。対するデレクのセイバーズは、ハシェックがトラブル&ケガで途中リタイア、絶体絶命の危機でデレクのゴールがチームを救い、セカンドラウンドへ押し上げたのでした(という話は私のブログでは耳にタコができるくらいしている)。
 さて、そのタグナット、現在はもう43歳で、カナダのさまざまなチームでゴーリー・コーチをしてきたようですが、バッファローで今月行なわれたジュニアの世界選手権ではチーム・カナダのコーチングスタッフとして参加。久々にバッファローのアリーナに戻ってきたことになります。
 しかし、セイバーズの本拠地HSBCアリーナには、ロッカールームをはじめ、あちこちの場所にデレクの放った決勝ゴールの写真が、つまり、パックに手を伸ばしたが時すでに遅しのタグナットの写真が飾られているそうです。その話を記者から向けられて、苦笑いしながら語るタグナットのニュースがあちらのメディアに出ていました。
 で、その写真というのは、たぶん、これね。

 さて、このシーンがあった1997年は、セイバーズはセカンドラウンド敗退(ハシェックがいなかったからね)。そしてオフにはHCのテッド・ノーランとの確執があったGMジョン・マックラーが退き、かわりに現GMのダーシー・リギアが就任し、ノーランには1年契約しか提示しなかったのでノーランは断り、そして現HCのリンディ・ラフが就任して、なんと14年間もこの2人の体制が続いているのです。しかし、近いうちにチームのオーナーが替わることはほぼ確定で、新しいオーナーのもと、GMもHCも新しくなるだろうと言われています。リギアとラフはセイバーズでそれなりの実績を残しているので、もちろん、やめれば他チームから声がかかるのは間違いないところでしょう。
 セイバーズの掲示板では、97年当時すでにファンだった人たちは、あのときの交代劇をどう見ていたかという話題が出ていましたが、マックラーとノーランと、そしてハシェックを巻き込んでのぐちょぐちょはどうしようもない最悪の事態だったので、とにかく、GMとHCが替わってよかったというのが率直な感想だったようです(ノーランは人気があったので、やめてほしくなかったと言うファンが多いようですが)。現在はチーム不振もあって、リギアもラフもそろそろやめてほしいという声が多いです。14年間(ロックアウトがあったので13シーズン)よく続いたものです(ほとんど惰性?)。

2011年1月20日木曜日

ディケンズと、ラフマニノフと。

 クリント・イーストウッドの新作は、丹波哲郎の大霊界!と、評判イマイチの「ヒアアフター」を見てきました。以下、ネタバレありです。
 東南アジアで津波に巻き込まれ、臨死体験をしたフランスの女性ジャーナリスト(セシル・ド・フランス)、双子の兄を事故で失い、母親は薬物依存症で施設へ入れられ、孤独な日々をすごすロンドンの少年、そして、死者とコミュニケーションできる霊媒として活躍したが、その能力が重荷となり、今はひっそりと暮らすサンフランシスコの工場労働者(マット・デイモン)。この3人の物語が並行して描かれ、最後に1つになるという映画で、脚本は「クイーン」のピーター・モーガン。
 正直、前半はなんだかゆるい展開で、イーストウッドらしさもなく、いっそ、製作のスピルバーグが特撮満載でファンタジーにしちゃった方がよかったんじゃないかと(それじゃ、まんま大霊界か?)思ったくらいでしたが、もともと評判イマイチと聞いていたので、あまり期待しなかったせいか、見終わったときの満足感はそこそこありました。つか、見てよかったという感じ。この、見てよかった、という感じはとても重要なのです。
 最近のアメリカ映画はこの手の来世ものっていうんですか、そういうのがちと目立つのですが、個人的には最近の来世ものは私は好きではありません。1980年代から90年代には、「ジェイコブスラダー」とか、「フィアレス」とか、死を見つめたシリアスな作品があって、そういうのは好きなんですが、最近のは来世依存というか、霊界依存みたいな匂いがして、私にはどうも、だったのです。
 だから、この映画もそういう映画だろうと思い、実際、そういう面が強いのですが、それでも見終わったときの好感度が高かったのは、「インビクタス」同様、登場人物がほとんど善人で、癒し系の映画になっているからです。双子の兄が死亡する原因を作った不良たちさえも、事故にショックを受ける様子が描かれていて、根っからの悪人ではなさそう。どうしちゃったの、イーストウッド、って感じもしますけどね。
 この映画で特にゆるいなと思うのは、イタリア料理の講習会のエピソードですね。ここではイタリアやフランスの有名なオペラの曲がかかっていて、デイモン扮する霊能者が若い女性と出会うんですが、このエピソードが映画全体の中でうまく機能していない感じです。全体的にご都合主義で話が進んでいるのは脚本に欠陥があるのでしょう。
 ただ、私が面白いと思ったのは、デイモン扮する男がチャールズ・ディケンズのファンで、ディケンズの小説の朗読の録音をよく聞いていることです。その中に「デイヴィッド・コッパーフィールド」がありましたが、この小説は「風と共に去りぬ」の中でメラニーが朗読する本で、ほかの映画でも朗読される話があったような気がする(「華氏451」かな?)。
 そして、彼がロンドンに引き寄せられ、他の2人と出会うことになるのは、まさにこのディケンズの導きのためなのです。
 仕事を失い、霊媒に戻るのもいやな彼は、気晴らしに、ロンドンのディケンズゆかりの名所見物に出かけます。イタリア料理の講習会で知り合った女性に、「シェイクスピアじゃなくてディケンズが好き」と彼は言いますが、ディケンズだからロンドンなのです。シェイクスピアだとストラットフォードですから、他の2人には会えません。
 そして、ディケンズの家を見学したとき、彼が聞いていたディケンズの朗読の録音の主である俳優デレク・ジャコビ(本人)の朗読会がブックフェアであることを知り、ジャコビの朗読が聞きたくて出かけていき、そこで、となるわけですが、朗読が映画の主要なモチーフになっているところに、非常にひかれました。
 この映画では、霊媒が死者と交信することを、「リーディング」と言っています。「リーディング」というのはもちろん、読むこと、朗読することでもあります。あの有名な「朗読者」の英語題名は「ザ・リーダー」ですから。つまり、霊媒が死者の気持ちを読むことが「リーディング」であり、それがデイモンをロンドンへ導いた朗読と言葉的に重なるのが面白いなと思いました。深い意味はないのかもしれませんが、このブックフェアではフランス人の女性も朗読をしていて、その朗読が彼女とデイモンの出会いになるというふうに、朗読がクライマックスの重要なモチーフとなっているのです。
 ちなみに、ディケンズは朗読が大変うまかった作家で、自作の朗読会は大盛況だったそうです。ディケンズと朗読がモチーフというのは、やはりイギリス人の発想でしょう。
 映画のクライマックスがブックフェアというのも、かなりユニークな気がします。ヨーロッパ、特にドイツで行なわれるブックフェアには、日本からは翻訳出版の関係者がよく出かけているそうですが、私はこの種のブックフェアには行ったことがありません(ブックフェアで編集者が見つけた本のリーディングをした経験はあります。この場合のリーディングとは、翻訳候補作を読んで内容をまとめること)。この映画のロンドンのブックフェアは、一般の人も参加して、朗読を聞いたり、著者からサインをもらったりしているのが印象的でした。
 そしてもう1つ、気になったのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の有名なフレーズが何度も流れること。死んだ兄を求めるロンドンの少年のシーンでよく流れていましたが、イタリア料理講習会のオペラよりもこちらの方がずっと映画によく合っていました。

2011年1月17日月曜日

Happy Birthday, Derek Plante!

 1月17日はデレク・プラントの誕生日でした。
 1971年生まれなので、40歳です。不惑の年ですね。
 デレクは現在、母校のミネソタ大学ダルース校でホッケー部のアシスタントコーチをしています。
 2005年から2007年までの2シーズン、日本の釧路のクレインズでプレーしていたデレクを追いかけた日々は、いい年こいて、スポーツ選手に熱を上げた、たぶん、人生で最後の情熱だったかもしれない。デレクも私が追っかけしてるのを知って、迷惑半分、うれしいの半分みたいでした。
 デレクは日本のホッケー・ファンにとっても、非常に魅力的な選手だったようで、クレインズ・ファンはもちろんのこと、ライバルの王子ファンも、デレクは敵だったけれど、いつまでも見ていたい選手だった、何をやってもうまかった、と、ブログに書いているのを見て、とてもうれしく思いました。
 NHLではバッファロー・セイバーズで活躍し、特に1997年プレーオフでの活躍はNHL公式サイトにビデオがアップされるほどの印象を残しています。また、1999年にはセイバーズからダラス・スターズにトレードされ、そこでタナボタのスタンレー・カップ獲得もしています(プレーオフではセカンドラウンドでの同点ゴールがスターズの勝ちぬけのきっかけになったゴールとなった)。
 そんなわけで、お誕生日おめでとう、デレク。現役引退してからはバースデーカードも送っていなくて、今年も年賀状を送ったばかりなので、送りませんでしたが、コーチとしての今も応援しています。