2023年9月24日日曜日

「こんにちは、母さん」原作を読む

 「こんにちは、母さん」の原作、永井愛の戯曲を読んだ。


初演が2001年とのことで、主人公・福江はこのとき70代。なので、福江は東京大空襲の経験者であり、亡き夫は戦時中、虐殺に加担したかもしれないことが示唆される。

福江が恋する相手はカルチャーセンターで「源氏物語」を教える元大学教授。彼らの時代は好きな人と恋愛結婚するのではなく、親などが決めた人と見合い結婚する方が圧倒的に多かったことがわかるせりふがある。日本でも半世紀くらい前までは「熊は、いない」ほどひどくはないけれど、似たような状況はあった。

元教授は福江と本気で結婚を考え、息子一家にも福江を紹介するが、理解を得られず、元教授は家を出て福江の家で暮らすことにする。映画と同じく妻とは離婚の危機、会社ではリストラをめぐり危うい立場の福江の息子も母親のところに戻ってきて、日常的に出入りする近所の女性たちとのやりとりがあるが、映画との大きな違いは、息子には娘はいなくて、かわりに成人して独立した息子がいるらしいこと(登場はしない)。また、福江たちは留学生の世話をしているので、中国人留学生が登場する。

この留学生の部分がホームレスに変わったのが映画版。戦争中の話が抜けるかわりにホームレスの問題を入れたということか。

福江と元教授の別れは映画とはまったく違う展開だが、その後、福江が暗い部屋で落ち込んでいるという描写は映画と同じ。その後、花火が上がって、ラストは映画と同じせりふで終わるけれど、別れの理由が違うので、印象が異なる。

全体に、映画は原作の毒を抜いた印象。元教授の家族に会ったあと、福江が自分だけ学歴がなく、教養もないことを知り、劣等感に陥るというのは映画にはない重要な部分。映画の吉永小百合は上品で知的だから、原作の学のない、時には乱暴な言葉も使う古い時代の庶民の女性ではなくなっている。

映画のラストは、結局、母親のもとに息子が帰ってきて、母と息子の後ろ向きなハッピーエンドになっているが、原作ではそういう子宮回帰のような印象はない。

いかにも舞台劇らしく、福江の家の向こうに隣の家があり、複数の場所で登場人物たちが別の会話をしているのが同時に聞こえるシーンとか、ああ、舞台だな、と思った。