今日、9月6日は100年前に福田村事件が起きた日。千葉県立中央図書館のツイート。
「福田村事件」と「こんにちは、母さん」をハシゴしたのは、ちょうど時間がよかったのと、明るい「こんにちは、母さん」が後の方になるのもよかったのだが、この2本は内容的にまったく関係ないと、そのときは思っていた。
しかし、その後、「こんにちは、母さん」の舞台となった墨田区向島のすぐそばに、関東大震災の朝鮮人虐殺で有名な場所があると知る。
向島の北、荒川の四ツ木橋付近。
墨田区をはじめとするこのあたりの下町は地震の被害も非常に大きく、死者が多数出たところ。「福田村事件」で東京に出稼ぎに行っている夫が朝鮮人に殺されたと信じ込んでしまう若妻が出てくるが、夫が出稼ぎに行ったのもたぶんこのあたり。
「こんにちは、母さん」にはホームレスの老人が東京大空襲について語るシーンがあるが、「福田村事件」のラスト、田中麗奈演じる妻が夫にきく「どこへ行くの?」は、単に自分たちがどこへ行くかではなく、「日本はどこへ行くの?」ということであり、その先に日中戦争、太平洋戦争、大空襲、そして原爆投下がある。
「福田村事件」と「こんにちは、母さん」はつながっている。墨田区向島の南には、「福田村事件」で描かれた警察による社会主義者の虐殺が起きた亀戸があり、「福田村事件」では福田村の人々と、香川県の行商団と、そしてこの亀戸の社会主義者の3つのストーリが―並行して描かれている。
福田村は向島のかなり北であるが、この2本の映画は地続き。
そして、どちらの映画も登場人物が善人ばかりという、性善説に立っている点も同じだ。
「福田村事件」の森達也監督は、本来は善良な人間が虐殺をしてしまうという点を強調している。そのことによって、善良な多くの人々が過ちを犯さないよう考えてほしいと願っているのだろう。
山田洋次監督も「霧の旗」のような例外はあるが、おおむね、善良な人々を描いてきた。
「こんにちは、母さん」に登場するホームレス支援のボランティアの人々が100年前にこの場所に、朝鮮人虐殺のあったこの地域にいたら、彼らもまた、虐殺に加わったのだろうか。いや、あの人たちは止める側にまわっただろうが、無力だったに違いない。
元大学教授で今は牧師の人物は、「福田村事件」の何もできないインテリたちと同じになるだろう。リストラをする立場であることに悩む人事部長はあの映画の村長に似ている。
寅さんだったらきっとみんなを説得できるだろう。演説し、情に訴えて。
でも、情に訴えて説得できても、それは真の解決ではない。逆もあるのだから。
善人が虐殺をしてしまう、その背景には、という描き方は1つの在り方として正しいが、私は性善説には疑問を感じる。「福田村事件」は優れた映画だが、性善説によって単純化されてしまった面があるのは否めない。人間はもっと複雑で、善でも悪でもないし、善でも悪でもある。
その性善説を100%全開にして映画を撮り続ける山田洋次の新作が、この「福田村事件」と同じ日に封切られたのは(偶然だろうが)意味のあることだった、むしろ運命だったとすら思える。